Chapter3 魔妖精
20:妖精神
「ル、ルビー……さん?」
耳に入ったティーチャーの言葉に、タイムが僅かに頭を動かした。
「ルビー……?」
弱々しく漏れたその声に、扉の側に立っていた人物は僅かに顔を歪める。
すぐに表情を元に戻すと、真っ直ぐにティーチャーを睨んだ。
「何やってんのティーチャーっ!早く解毒っ!!」
「は、はいっ!!」
慌ててティーチャーがタイムの側に飛ぶ。
床に下りて顔の側に座り込むと、目を閉じて集中を始めた。
それを確認してから扉の側に立っていた人物――ルビーはロニーを睨む。
「き、貴様っ!私の呼びかけに反応をしなかった人間っ!」
「……ってことはあんたが黒幕か」
目を細めて小さく呟く。
「よくも仲間を散々苦しめてくれたね」
腰の鞘に収めていた2本の短剣を両手に取って構える。
「礼はたっぷり返してやる」
「ふんっ」
何とか火を消したらしい。黒焦げになったマントを投げ捨て、ロニーは彼女を見る。
「できるものならやってみせろ」
挑発するような言葉に微かに表情を変え、ルビーは姿勢を低くする。
そして、そのままの状態で床を蹴った。
タイム以上の素早さで懐に突進してきたルビーの動きに、一瞬判断が遅れたらしい。
慌ててロニーは短剣を翳すと、振られた2本の短剣を受け止める。
受け止められた短剣の片方を素早く戻して、今度はロニーの脇腹を狙い、突き立てた。
けれど、それもロニーはうまく身を捩って交わす。
手応えがなかったことに気づいて相手の短剣を弾くと、ルビーは素早く後ろへと下がった。
「……外した」
小さく舌打ちして短剣を構え直す。
毒が塗られているとわかっている分、下手に深追いすることはできない。
「どうした?そんなものか?」
「馬鹿言わないで。お楽しみはこれからよ」
吐き捨てるように言って、彼女は再び床を蹴った。
あまり離れていない場所で行われている戦いをよそに、ティーチャーはタイムの解毒を続けていた。
全身に回り始めていた毒を少しずつ消していく。
やがて、完全に力が抜けていたはずの指先がぴくりと動いた。
「う……」
小さく声を漏らして、タイムがゆっくりと目を開ける。
「タイム!」
呪文をかけることはやめずに、目を開いて顔を覗きこんだ。
「ティーチャー……」
視界に入った人物を確認するように名前を呼ぶと、腕に力を入れてよろよろと起き上がってみる。
「あ、ちょっと待って!まだ……」
「荷物から薬取って。ミスリルがくれたんじゃない方の袋」
「……え?」
「早く」
心なしか強い口調で言われて思わず頷くと、ティーチャーは呪文をかけるのをやめ、部屋の外、扉の側に置きっ放しにしてあるはずの荷物の方へと飛んだ。
「ミスリルさんがくれたのじゃ、ない方」
荷物の中には紙袋がふたつあった。
ひとつはあの時ミスリルが調合した風邪薬。
確かそれが、この綺麗な方の紙袋だったはずだ。
「じゃあ、こっちだ」
少しぼろぼろになった方の紙袋を開け、中からカプセル状の薬を持ち上げる。
一瞬本当にこれが薬かと疑ったが、他にそれらしきものがなかったため、首を傾げながらもそれを袋から出す。
ふと、薬を飲むのなら水が必要だということに気づいて、慌てて水筒を探した。
水筒を見つけてから、さすがにそのままでは持っていけないことにも気づき、一度カプセルを置いて人間の大きさになる呪文を使う。
それから水筒と先ほどのカプセル剤を持って、急いでタイムの元へと走った。
「これでいい?」
「……うん。ありがとう」
礼を言って水筒と薬を受け取ると、タイムはすぐに薬を口の中へ放り込んだ。
「何の薬?」
「簡易万能薬。法国の騒ぎの後、ミスリルが調合してみんなに配った薬」
水ごと薬を飲み込んでから、答える。
「ミスリルさん、そんなのまで作れるの!?」
「まあ、これはあくまで簡易だから、後で治療しなおさなきゃだけど」
効き目は普通の万能薬に劣る可能性があるけれど、戦闘用で即効性があるから緊急時に使えばいい。
あの法王ルーズのときのような状況を想定したのだろう。そう言ってミスリルは全員にこの薬を渡していた。
「……よし、大丈夫」
中身を飲み干してしまった水筒を置いて、タイムは立ち上がった。
「本当に?」
浮き上がったティーチャーが心配そうに顔を覗きこんでくる。
「しばらくは、ね。それよりティーチャー、やるよ」
ルビーの方へ目をやってはっきりと言った。
あの2人は未だお互い引かずに打ち合っているらしい。
刃物同士がぶつかる音が、先ほどから部屋に響き続けている。
「え?」
きょとんとティーチャーがタイムを見上げた。
「やるって、何を……?」
「融合呪文」
その言葉にティーチャーの表情が変わる。
「でも、今の状況じゃできないよっ!」
「できなくても、やるしかないの」
きっぱりとタイムが言い切る。
「だって、ルビーさんだっているんだよ!やる必要……」
「忘れた?あいつは2週間以上、飲まず食わずで眠ってたんだよ」
「あ……!」
そんなに長い間眠り続けていたのだ。
体は当然、タイム以上に衰弱している。
今はいつもどおりに動けているように見えるけれど、おそらくすぐに差が出始めてしまうだろう。
「あたしだってさっきの毒でとどめ喰らったからね。あんまり戦い長引かせるとまずいし」
ぶり返し始めていた風邪に先ほどの毒。
はっきり言って、もう体が重い。
歩く事だって辛いくらいに。
「だったら、なおさら……」
「今じゃなきゃ駄目。逃げても、たぶん追っ手がかかるし、それに……」
言いかけて口を閉じると、タイムは目を瞑って耳を澄ました。
金属音の中に微かに別の音が混じっている。
遠くに聞こえるのは羽の音と爆発音。
倒れるまで気づかなかったが、時々城全体が揺れているように感じた。
「たぶん、ここに入るとき城から出て行った魔妖精が戻ってきてる。下でアールたちが食い止めてくれてるとは思うけれど」
そうでなければ、彼女たちに託したはずのルビーが1人で戻ってくるはずがない。
アールの性格から考えれば、確実に2人で追ってきたはずだ。
「ここであいつを確実に倒しておかないとこっちが全滅するよ。他に方法はない」
ごくりとティーチャーが息を呑んだのがわかった。
大きく息を吸い込んでから、彼女がしっかりとこちらを見る。
「……わかった。やろう」
返ってきた答えに、タイムは笑みを返した。
いつもより早く息が上がっているのがわかる。
何とか受け流しているけれど、もう相手の攻撃を避ける事だってつらい。
それを自覚しながら相手の短剣を弾いて後ろへ飛ぶと、ルビーは大きく息をついた。
「どうした?息が上がるにはまだ早い気がするが?」
勝ち誇った表情でこちらを見て、ロニーが挑発のような言葉を発する。
「うるさい!」
叫ぶと、もう一度短剣を構え直して飛び掛った。
けれど、ただ懐に突っ込んでいくだけのその攻撃はあっさりとかわされてしまう。
短剣が振り上げられたことに気づいて、ルビーは素早く横へ跳んだ。
やっぱり、飲まず食わずじゃ辛いか……。
床を転がるような格好でロニーから離れると、自覚していながらも再び短剣を構える。
「ふん。まだやる気か」
「当たり前。諦め悪いのがあたしの売りなんでね!」
言葉と同時に隠し持っていた小型のナイフを投げた。
けれどナイフはロニーの髪を掠めただけで、そのまま向こう側の壁に突き刺さる。
「……いい加減に諦めたらどうだ?」
ほんの少しだったのだが髪を切られたことに怒ったのか、口調を変えてロニーがこちらを睨んだ。
「諦め悪いのがあたしの売りだって、言ったばかりじゃなかったっけ?」
笑みを浮かべて言い返してやる。
「……ふん。後悔しても知らんぞ」
「それはこっちのセリフだよ!」
叫んで、再び突進しようとしたときだった。
耳に聞き慣れない言葉が飛び込んできた。
インシングの公用語でもなければアースの外国語でもない、聞き慣れない発音が。
「これは、古代語?」
余裕の表れか、ルビーよりも先にロニーが辺りを見回した。
そして、その言葉の主に気づき、目を細める。
「ティーチャー?それに、タイム……?」
僅かに目を瞠ってルビーがぽつりと呟いた。
言葉の主は、先ほどまで治療をしていたはずの2人だった。
ティーチャーの方はいつのまにか元の大きさに戻っている。
こちらが気づかない間に治療を終え、何かを始めようとしているらしい。
暫くその光景を呆然と見ていたルビーだったが、すぐに我に返ると、2人の前へ移動する。
そんな彼女の行動に、ロニーは顔を顰めた。
「邪魔はさせない。そういうことか」
「当たり前でしょう」
きっぱりと言って、短剣を持った右手をロニーに突きつける。
「ならば、貴様から死んでもらうっ!」
ばっとロニーが片手を振り上げた。
攻撃を阻止しようと、ルビーも再びナイフを取り出す。
「待って」
不意に聞こえた声に、2人が同時に動きを止める。
ルビーは驚いたように背後を振り返った。
目を閉じたティーチャーを抱いて、タイムは小さく笑っていた。
「ロニー。あんた、妖精神の力を欲しがってたよね?」
「そ、それがどうした?」
ただならぬ雰囲気を感じたのだろう。
ロニーの声は、先ほどの自信に満ちたものではなくなっていた。
「見せてあげるよ。妖精神の力をね」
「え……?」
「何……っ!?」
驚きのあまりに声を上げると、タイムは先ほどよりもはっきりした笑みを浮かべ、目を閉じる。
そしてティーチャーの肩を軽く叩くと、タイミングを合わせるように2人で大きく息を吸い込んだ。
「レビアルっ!!」
言葉と同時に2人の体が発光した。
強い光が辺りを包む。
何も見えなくなってしまうほどの強い光が。
「な、何だっ!?」
突然体を悪寒が襲って、ロニーは光の向こうを睨もうとした。
けれど、まだ弱まらない光に遮られ、結局何も見えない。
やがて、だんだんと光が弱くなってきた。
顔を覆っていた腕をゆっくりと下ろすと、ルビーは慌てて仲間の方を見る。
「え……?」
そして、目に入った人物に思わず呆然とした。
先ほどまでそこにいたはずの2人の姿はもうなくて、代わりに立っていたのは1人の女。
背中まで伸びた金の髪。
けれどそれは全て、先端の部分だけ青く染まっていた。
開かれた瞳は緑か青か、ひと目では見分けられない色をしている。
「……っ!?」
現れた女を見て、ロニーは思わず目を見開いた。
「まさか……、ユーシス神っ!?」
「ユーシス……?」
「そうよ」
ゆっくりと顔をこちらに向けて女が言った。
その声に、今度はルビーが驚きに目を見開く。
「タイム?それに、ティーチャー?」
呟き程度の声だったが聞こえたのだろう。女は視線をこちらに向けるとにこりと微笑んだ。
2人の人間が同時に言葉を口にするときに聞こえる音。
ユーシスを名乗った女の声は、まさにふたつの声が重なったときの音だった。
聞き間違えるはずがない。
その声の片方はタイムのものだ。
「まさか……。貴様、一体何をしたっ?!」
毒の塗られた短剣を握ってロニーが叫ぶように問いかける。
ユーシスの持つ雰囲気に飲まれてしまったのか、その声は心なしか震えているようにも聞こえた。
「融合呪文」
重なったふたつの声が再び室内に響く。
「勇者の血を引くミュークの娘と妖精神の血を引く者を融合させ、そこに亡き妖精神を降臨させる呪文」
「妖精神を、降臨させる……?」
「そう。尤も意識自体は『あたし』のものだから、力と知識を借りるだけだけど、ね」
一瞬タイムの声が強くなった気がした。
それを確認する間もなくふたつの声は同じ強さに戻る。
「さて、ロニー」
突然名を呼ばれ、思わずびくっと肩が跳ねる。
それでも冷静を装って、ロニーはユーシスを睨み返した。
「な、何だ?」
「『あたし』、さっき言ったよね?私の力を見せてあげるって」
先ほどルビーに見せたものとは違う笑みを浮かべてユーシスが問いかける。
「それがどうした?」
「本当に見せてあげるわ。知りなさい。その身をもって!」
ユーシスがロニーに向かってゆっくりと片手を翳す。
そのまま目を伏せて、何か言葉を紡ぎ始めた。
「万物を司る精霊よ。その上位につく女神よ。今ここに、汝らに認められし我が名の元、我が願いを聞き届けよ」
「これは、まさかっ!?」
言葉を聞き取った瞬間、ロニーが顔色を変えた。
知っている、読んだ覚えのある言葉。
魔妖精は知識としてしか知らず、純粋な妖精族でさえ使えるものがほとんどいないと言われた呪文。
妖精魔法と呼ばれる呪文の、最高位に値する呪文。
「くそ……っ!!」
発動する前に遮らねばならない。
そう判断して、ロニーはユーシスに飛び掛った。
けれど、短剣が相手の体に届く前に、目の前に赤い何かが飛び込んでくる。
「邪魔させないよっ!」
「……っ!?小娘っ!?」
飛び込んできたルビーをぎょろっとした目で睨んだ。
けれどルビーは怯むことなく、振り下ろされそうだったロニーの短剣を利き手に持った短剣で弾く。
その隙にがら空きになった腹めがけて、もう片方の短剣を突き刺した。
「……っあっ!?」
ロニーが小さく悲鳴を上げる。
短剣は目標を外したものの、ロニーの体に確かな傷を残していた。
「無の力を司りし精霊、そして女神よ。今ここに、その力をもって、愚かなる者を消し去らん」
ユーシスの手の中に小さな白い光が生まれる。
目を開けてそれを見ると、彼女は満足そうに口元に笑みを浮かべた。
「どきなさい!ルビー=クリスタっ!!」
呼ばれてはっとしたように振り返ると、ルビーはすぐにロニーから離れた。
ユーシスが勢いよく手を突き出したのと一瞬ルビーを目で追ってしまったロニーがそれに気づいたのは、ほぼ同時。
「バニッシュっ!!」
重なり合ったふたつの声が、より大きく部屋に響いた。
言葉と同時に、手から白い光が弾け飛ぶ。
「ひ……っ!?」
小さな悲鳴を上げてロニーが逃げ出す。
けれど、弾け飛んだ光は確実にその体を捕らえていた。
「や、やめろっ!!やめてくれっ!!やめろぉーっ!!」
近づく光が叫び続けるロニーの体を飲み込む。
全てを包みこんだと思った瞬間、光が強く輝いた。
部屋もロニーの絶叫も、全てを飲み込んでしまうかのように強く。