Chapter3 魔妖精
21:脱出
光が消えて再び視界が戻った途端、ルビーは目を見開いた。
光が強く輝いた場所――即ちロニーが立っていたはずの場所には、何も残っていなかった。
側にあったはずの玉座も十字架も、全てが綺麗に消え去っていた。
壁や床には全く傷跡を残さずに。
「き、消えた……?」
「消滅させたの」
ロニーが最後にいた場所に視線を向けたまま、きっぱりとユーシスが言った。
「消滅……させた?」
聞き返せば、彼女は静かに頷いた。
「妖精呪文の最高位。その危険性ゆえ、私自身が禁呪とした呪文でね」
「き、禁呪っ!?」
頷いて、ユーシスは漸く視線を動かした。
しかし、それはルビーを見ようとしての行動ではなかったらしい。
そのまま俯くと、ユーシスは背を丸めて自分の体を抱く。
そして、そのまま目を閉じて静かに言葉を紡いだ。
「セパラト」
光がユーシスの体を包む。
けれどそれは、先ほどのふたつの光に比べればずっと弱かった。
光が消えると、予想どおりユーシスの姿は消えていた。
代わりに先ほど消えた2人の人物が目に入る。
「タイムっ!ティーチャー!」
まだ手にしていた短剣を腰の鞘に戻してから、ルビーは2人に駆け寄った。
振り返った2人は、彼女が駆け寄ってきたことに気づくとそれぞれ笑みを浮かべる。
タイムの浮かべたその笑みがいつもより弱々しいことに気づいて、ルビーは僅かに表情を変えた。
そしてふと、自分が部屋に入ってきたとき、彼女は毒を受けて倒れていたのだと思い出す。
「ちょっと!あんた、大丈夫?」
駆け寄るなり肩を掴んで問いかけた。
一瞬きょとんとしたタイムだったが、すぐに笑みを浮かべて言う。
「平気平気。ちょっと疲れたけど……」
「ちょっとって顔、してないよ?」
見事に指摘され、思わずうっと声を漏らした。
「あ、あたしよりあんたは?2週間以上も眠りっぱなしだったって聞いたけど」
「え?ああ……。まあお腹すいてちょっとは体だるいけど」
言った途端に大きな音を立てて腹が鳴る。
「……あんた19にもなって」
「ね、年齢なんて関係ないでしょ!こればっかりは!」
呆れ口調で言うタイムに、ルビーは顔を真っ赤にして怒った。
「あの~。おふたりさん、私を忘れてませんか?」
「あ」
ぴたりと動きを止め、声を揃えて2人がティーチャーを見た。
「……どーせ私なんて」
「ああ、ごめんってば!」
床に降り、拗ねて蹲るティーチャーを宥めようとタイムもその場に屈み込む。
「まあ、冗談はさておき。ここ、何処?」
前髪を掻き上げながら真剣な表情でルビーが尋ねる。
「エルランド王国の最北端。以前妖精の村があった場所よ」
未だ拗ねているティーチャーを肩に乗せてタイムは立ち上がった。
「あった?」
「魔妖精に侵略されたって話。で、その跡地にこれが建った」
「跡地に建ったって、まさかっ!?」
ルビーがそう叫んだのとそれが始まったのは、一体どちらが先立ったのだろう。
あるいは同時だったのかもしれない。
突然地響きと共に城全体が揺れ出した。
驚きのあまりにティーチャーがタイムの肩から飛び上がる。
「な、何っ!?」
「……やっぱりなぁ。定番だから、絶対来ると思ったんだよなぁ」
「ちょっとルビーっ!1人でわかってないで説明してよっ!」
怒鳴りつけるタイムの声に、小さくため息をついてルビーは顔を上げた。
「ここ、崩れる」
一瞬、時が止まった気がした。
「く、崩れるーっ!?」
最初に悲鳴をあげたのはティーチャーだった。
「ちょ、ちょっと!何でそんな大事なこと早く言わないのっ!」
「あたしはここに来たときからずっと寝っぱなしだったんだよ!構造がわからないんだから予想しようがないでしょうがっ!!」
「さっき定番だって言ったじゃないっ!!」
「話を聞いたからそう思ったのっ!そしたら予想が当たったのっ!!」
「だからどうして早くそれを言わないのっ!!」
「あー!もう!喧嘩してる場合じゃないよーっ!!」
「何してるんだお前たちっ!!」
ティーチャーの言葉と同時に室内に別の声が響いた。
驚き、崩壊しかかった扉の方を見れば、そこに立っていたのは下にいるはずのアールで。
「あんた、何でここにっ!?」
思わずルビーが声を上げる。
まさか上がってきているとは思わなかったのだ。
「お前が上がっていったとリーナが言ったから追いかけてきたんだろうが!それより手を出せ!」
「は?何で?」
「私が上ってくる途中、階段の下の方が崩れ始めた」
「階段が崩れたっ!?」
ぎょっとしてタイムが聞き返す。
あの中央が吹き抜けになっている螺旋階段が崩れるなど、想像もしたくない。
「もう正攻法じゃ脱出できない。外に転移する。早くしろっ!」
怒鳴るように言って、アールは2人の腕を無理矢理掴む。
「いいか?行くぞ」
頷いて、すぐに何かを思い出し、タイムは後ろを振り返った。
「ティーチャー、あんた先に外行け!」
「え……?」
「あんた飛べるでしょ?早く!」
「でもっ!」
「城の入口から真っ直ぐ南に行ったどこかにリーナがいる。そこへ行けっ!」
2人の腕をしっかりと掴んだままアールが叫んだ。
「でもっ!!」
「いいから……、うわっ!?」
先ほどより強い揺れが部屋を襲う。
思わず倒れそうになって、気づいた。
床に大きな罅が入り始めている。
「くそっ!行くぞっ!手を離すなっ!」
叫ぶように言って、アールは詠唱を始めた。
その間にも、床に走った罅は音を立てて大きくなっていく。
それが床全体に広がった瞬間、僅かな間を置いて床が傾いた。
「タイムっ!!」
ティーチャーの悲鳴にも近い声が聞こえた、その瞬間。
「テレポーションっ!!」
一瞬体が浮いた気がした。
それが床ごと体が落下していたせいか、呪文発動の反動のせいかはわからなかったけれど。
次の瞬間空気に微かな歪みを残して、3人の姿は跡形もなく消え去った。
突然の出来事に思わず呆然としてしまったティーチャーは、壁に走り始めた罅の音にはっと我に返った。
状況を理解した途端ほっとしたように息をつくと、慌てて窓から外へと飛び出した。
その瞬間、塔全体が音を立てて崩れ出す。
「うわぁ……」
壁も屋根も、全てが煙を立てて地上へ落下していった。
大地に広がる枯れ果てた森を覆い尽くすように。
体が浮いた感覚が消えて、地面にしっかりと足をつく。
その途端肺に埃っぽい空気が入り込んで、タイムは思わず咳き込んだ。
「き、危機一髪……」
呟いて、へなへなとルビーがその場に座り込む。
「まったく。間に合ったからよかったものの、あの場で喧嘩を続けていたらどうなっていたことか」
「悪かったぁね」
思い切りため息をついてから言われたアールの言葉に、ルビーが頬を膨らませた。
「それよりルビー。さっき定番って言ってたけど、あれどういう意味?」
左腕のリストバンドを外しながらタイムが問いかける。
傷自体はそんなに深くなかったのだけれど、それでも腕からは僅かに血が流れていた。
ティーチャーが傷を塞いでくれたとはいえ、暫くはそれを放っておいたために、本来黄色いはずのリストバンドは一部が赤く染まっていた。
「ああ、あれね」
座り込んだまま、ため息をついてルビーが口を開く。
「漫画やゲームでよくあるのよ。ボスが死んだとたんにその本拠地が崩壊するってやつ」
「……それで定番?」
「そう」
きっぱりと言われた言葉に、タイムは大きくため息をついた。
ふとその時耳に届いた声に、苦笑していたアールは魔妖精城があった方向を見る。
「お姉様っ!」
「リーナっ!」
城が崩壊したためだろう。まだ収まらない砂埃の中から明るい桃色の髪を持つ少女が走り出てきた。
「お姉様!皆様!よくぞご無事で!!」
息を弾ませながら足を止めると、彼女はにっこりと笑顔を向ける。
「お前もな。奴らはどうした?」
「奴ら?」
「城の入口に群がってた魔妖精」
首を傾げるタイムに、あっさりとルビーが答える。
「ほとんど瓦礫の下敷きになってしまったみたいです。城が崩れ始めたとき、ほとんどの人たちが中に飛び込んでいきましたから」
「中に?」
「たぶん、ロニーを助けようとでもしたんでしょうね」
浮かべていた表情を消してタイムが呟いた。
「おそらくそうだと思いますわ」
「あー、美しき忠誠心ってやつだねぇ」
馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの口調でルビーが頭を振る。
「もうあいつはいないのに」
呟かれた言葉に、一瞬タイムが厳しい表情になる。
けれどそれは、誰も気がつかないうちに消えてしまった。
「さ・て・と!」
大きく伸びをしながらルビーが立ち上がった。
「これで全部終わり、でいいんだよね?」
「……うん。これで全部終わったよ」
城のあった場所を見つめてタイムが頷いた。
「あとは、エスクールの妖精の長老に報告すれば、それでおしまい」
「妖精の長老?また何で?」
「ティーチャーは最初長老の勅命であたしのところに来たから、報告しないとあの子の仕事が終わらないのよ」
不思議そうに尋ねるアールに、苦笑しながら答えを返した。
「そういえば……」
辺りを見回してリーナが口を開く。
「ティーチャー様、何処ですの?」
一瞬、時間が止まった気がした。
「そ、そういえばっ!」
「すっかり忘れてたな……」
「ティーチャー!ティーチャーっ!」
慌ててタイムが空を見回す。
けれど、妖精らしき光が近づいてくる様子も気配もない。
「ま、まさか。城の崩壊に巻き込まれて……」
「そんなはずないでしょうっ!!」
突然近くの木から怒鳴り声が聞こえた。
驚いて見上げると、いつの間に来ていたのか、ティーチャーが目尻に涙を浮かべて立っていた。
「タイム酷いっ!やっと見つけて何度も声かけたのに、全然気づいてくれないんだもんっ!!」
「……え?嘘?」
「嘘じゃないっ!!」
きょとんとして聞き返すタイムに向かって、力いっぱいティーチャーが叫ぶ。
「ルビーさんのことはあんなに心配してたくせにっ!私のことはどうでもいいんだぁっ!!」
「そ、そういうわけじゃなくて!」
「酷い酷いっ!馬にドーピングしたり傷治してあげたり、いろいろがんばったのに忘れるなんてーっ!!」
「だーかーらぁーっ!」
喚き続けるティーチャーを宥めようとして、タイムが声を上げる。
そんな2人の様子に苦笑して、立っているのが辛いのか、ルビーはもう一度地面に座り込んだ。
「あーあ、仲がよろしいことで」
「私には、さっきのお前たちの喧嘩も同じように見えたがな」
「えー、そうでしょうとも。何たってあたしたち、両親も幼馴染みだったし」
ひらひらと手を振りながらアールの嫌味をあっさり流す。
「それにしても、タイム様もティーチャー様も楽しそうで何よりですわね」
「ホントだよね~。よかったよかった」
「全くだ」
にっこり笑って言うリーナの言葉に、あっさりと2人が同意した。
「全然良くないっ!!」
会話はしっかりと聞いていたらしい。
声を揃えてそう叫ぶと、再び向かい合って口喧嘩を始める。
それを見て思わず顔を見合わせると、3人は小さく吹き出した。