Chapter3 魔妖精
1:反乱の知らせ
家の中と外を遮っている扉代わりの布を潜って彼女は中へと入った。
布が落ちてくる前に中に入ってしまおうと足を速めた途端、腰辺りまで伸ばされた長い金髪が揺れる。
布がきちんと下りたことを確認してから、若葉に似た色をした瞳が家の奥へと向けられた。
「お呼びですか?長老様」
室内に響いた声は高い女性のもの。
けれど大人っぽいその声と裏腹に、彼女の外見は少女そのもの。
背中からは薄い桃色を帯びた透明な羽が生えている。
最近愛用している水色の服は、肩が出ており、その周りが暖かそうなオレンジの太いラインで彩られていた。
首に巻かれているのはそのオレンジと同じ色のチョーカーで、両手首には金属製の腕輪が日の光を反射して小さく輝いている。
「おお、ティーチャー。待っておったぞ」
少女の姿を見るなり声をかけてきた老婆の背にもやはり――こちらは薄い水色がかかっていたが――透明な羽があった。
「とりあえず、奥に」
長老に呼ばれてティーチャーと呼ばれた妖精の少女は奥へと足を運ぶ。
やはり布で仕切られた扉を潜って、目に入った光景に思わず息を呑んだ。
「な、何……?」
奥の部屋には1人の妖精の青年が横になっていた。
体中ぼろぼろで、服は真っ赤に染まっている。
床に広がる羽はところどころが破れ、思わず目を逸らしたくなるほどだった。
それよりも、隣の部屋に漏れていただろうきつい鉄の匂いに顔を顰める。
「長老様、この人は?」
思わず口を抑えはしたものの、冷静に尋ねた。
気持ち悪くないわけではない。
だからと言って逃げ出せる立場ではないことを、彼女はしっかりと自覚していた。
「この者はエルランド王国にある妖精の村の者じゃ。いや、あった、と言うべきか」
長老の言葉に、ティーチャーは驚いたように表情を崩して横たわる青年を見た。
「……あった?」
聞き返すと、長老は黙ったまま頷く。
「先ほどこの者に聞いた話じゃが」
そう前置きして、長老は世話係りが用意した椅子に腰を下ろす。
「エルランドの北部にある妖精の村が、魔妖精に襲われたたそうじゃ」
「魔妖精っ!?」
信じられない言葉に驚いて、思わず声を上げた。
封印から目覚めて数ヶ月の間にティーチャーはいろいろなことを学んだ。
封印前に母親から教えてもらっていたのだろうか、元々知っている知識もあったけれど、それよりも目覚めてから妖精神の神殿内にある図書館の中で学んだことの方がもちろん多い。
その中で、当然魔妖精と呼ばれる種族についても学んでいた。
魔妖精。
妖精でありながら、種族的には魔族に分類される種族。
それをかつてこの村の長でもあった妖精族の長、妖精神ユーシスはそう呼んでいたという。
尤も何故ユーシスがその種族のことをそう呼ぶに至ったか、いつからそう呼び始めていたかなどは一切明らかにされてはいなかったけれど。
「村の仲間が全員捕まって拷問を受ける中、この者だけは何とか抜け出してきたらしい」
ごくりとティーチャーは息を呑む。
「この者の村を襲ったのは、紫の光の柱だったそうじゃ」
「紫の光の柱、ですか?」
聞き返すと、長老はしっかりと頷いた。
「村がその光の柱の中にすっぽりと嵌め込まれた。かと思った途端体の自由が利かなくなり、あっという間に、だそうじゃ」
「それって……」
聞いたことがある。
魔族の中でも――法国ジュエルに住むことが許されるほどのレベルの――高い力を持つ者だけが使うという呪縛の呪文の一種だったはずだ。
「魔妖精側には純粋に魔族と呼んでもおかしくないレベルの奴がいるということじゃ」
「純粋に、魔族と呼んでも……」
呟いて、ぎゅっと拳を握る。
それほど魔族に近い者たちは、全てミルザの時代に魔界に堕とされたと聞いていた。
だから、もうこの世界にはいないものだと思っていたのに。
「ここからが重要なんじゃが」
部屋に充満する鉄の匂いに耐え切れなくなったのか、長老は立ち上がると隣の部屋へと移動した。
それに従い、ティーチャーも無言で部屋を出た。
小規模の結界が張ってあるらしく、匂いは思ったより隣に漏れてはいなかった。
「魔妖精の長は、我らが女神ユーシス様のお力を狙っているらしい」
隣の部屋に用意されていた椅子に腰を下ろして、長老は先ほどよりもしっかりとした口調で告げた。
「ユーシス様の?」
きょとんとして聞き返す。
ユーシスの力を狙う。
そんな相手の目的の意味がわからなかったからだろう。
そもそも妖精神ユーシスが今何処で何をしているのかと言うことは、人間はもちろん妖精たちの住むどの村にも伝わっていない謎なのだ。
人間の学者の一部はユーシスは妖精界に帰ったという説を発表しているが、それはあくまで人間の想像であって真実ではない。
真実ならば、妖精たちはとっくに彼女を探し出しているはずだ。
人間界に住んでいる者も妖精界に住んでいる者も、妖精族であるならば2つの世界の行き来ができるはずなのだから。
一番の有力な説は死亡説。
妖精神の存在はミルザが勇者として旅をしていた頃までは確認されている。
ただミルザが故郷に落ち着いたあたりからがあやふやなのだ。
ミルザが彼女の元を訪れ、故郷に戻るまでの間。
その間の何処かで、何らかの理由により彼女は命を落としたのではないか。
それもおそらく、ミルザを庇って。
そう妖精たちには伝えられていた。
もしこの死亡説が本当ならば、ユーシスの力を手にすることは不可能に近い。
力を持っていたユーシス自身が、既にこの世にいないのだから。
「そこで奴らは勇者たちに目をつけたらしい」
耳に入った長老の言葉に、ティーチャーの目が微かに見開かれる。
「『妖精神自身がミルザのサポートをやっていた』という史実がその理由じゃろう」
サポートフェアリー。
それは勇者を補佐する妖精に与えられた称号。
そして今は、水の棒術士ミュークを補佐する妖精のこと。
「じゃあもしかして、魔妖精は……」
「異世界へ行った、と考えて正解じゃろうな」
その言葉にティーチャーの顔色が変わる。
異世界アースにはティーチャーのよく知る彼女がいる。
勇者ミルザの血を引いた、自分が補佐をするべきミューク家の人間である彼女が。
「おそらくミュークの者を捕らえ、吐かせようとしているのじゃろう。ユーシス様の居場所をな」
淡々と付けられる言葉に、思わずぎりっと唇を噛んだ。
「そんな……。これは妖精族だけの問題なんじゃないんですか?タイムたちは、関係ないじゃないですかっ!!」
「我らはともかく、相手はそうは思っていないということじゃな」
長老の言葉に、堪らずティーチャーは拳をぎゅっと握り締めた。
「……行ってくれるな?ティーチャー」
何処に、なんて言われなくてもわかっている。
自分しかできない仕事だということもわかっている。
「……はい、長老様」
力強く頷いて、ティーチャーは顔を上げた。
「サポートフェアリー、ティーチャー。しばらく村を空けさせていただきます」
しっかりとした口調でそう告げると、ティーチャーは踵を返し、長老の家を出る。
その足で村の奥にある妖精神の神殿へ向かうため、空中へ浮かび上がった。