SEVEN MAGIG GIRLS

Intermission - 第8の血筋

4:風と補佐

エスクール王国の最南端に位置する村クラーリア。
そこから北へ少し行った街道の脇に、深くはない森が広がっている。
その森の中から時折何かを切り裂くが聞こえてきたのは、もう1時間も前のこと。

「往生際が悪いですよ。いい加減観念なさい」

森の中央から男の声が響く。
木の陰に隠れて、フェリアは必死に気配を殺していた。
焦っていてきちんと治療できていなかったらしく、ここに来る前に塞いだはずの傷は開き、大量の血を流している。
茶色いポニーテールの髪は、その血に濡れてところどころがどす黒く染まり始めていた。
「くそ……」
既に傷の広がった左腕の感覚はなくなり始めている。
傷を治そうとしても、今は回復に回している力などない。
回したとしても、そちらに集中しなければ大した治療はできないであろう。
「出てきて頂けないのならば、仕方ありませんね」
ふうと息をついて、男は空に向かって手を翳す。
「来い!我が僕!この森に隠れているミルザの娘を探し出せ!」
ざわっと森が騒いだ。
あちこちから黒い何かが男の方へと集まり始める。
よく見れば、それは夜にしか活動しないはずの蝙蝠の群れ。
日が暮れ始めているとはいえ、まだ太陽は沈みきっていないというのに、蝙蝠たちは迷いもなく男の方へと集まっていく。
そうかと思えば、それは森中に向け、一斉に飛び立った。
「キキーっ!」
その中の数匹が、木の陰にフェリアの姿を確認して集まってくる。
「……バーニングっ!」
迫ってくる蝙蝠たちを焼き払って、フェリアは後ろへ飛んだ。
けれど、すぐに別の蝙蝠たちが肩から血を流す彼女に向かって突っ込んでくる。
動くたびに傷口から血が失われていく。
だんだんと頭がくらくらしてきたのが自分でもわかる。
足取りが覚束ない。

一体いつまで持ち堪えられるか。

そう思った瞬間、がくんと体が傾いた。
木の根に足を取られ、バランスを崩したフェリアはそのままその場に倒れこむ。
チャンスとばかりに蝙蝠が群がり、一気に急降下を始めた。

「サンダーストームっ!」

突然森中に声が響いた。
当時に突風が巻き起こり、蝙蝠たちを吹き飛ばす。
吹き飛ばされた蝙蝠たちは突如黒く染まった雲から落ちてきた雷に打たれ、消し炭のようになって地に落ちた。

一瞬、何が起こったのかわからなかった。
突然蝙蝠たちを襲った雷の嵐。
それがどうやって起こったかということも、蝙蝠たちがどうなったかということも、理解できなかった。

「ようやく見つけた」

再び声が響いて、フェリアは視線を動かした。
既に霞み始めているその視界に入ったのは、周りの木々とよく似た緑色の髪を持つ1人の少女。
「おや、これはこれはウィンドマスター様。ようこそ、我がショーへ」
言いながら、吸血鬼は優雅に一礼した。
「ずいぶん悪趣味なショーだこと。あたし、こういうのって大っ嫌い」
ぎろりと男を睨みつけて、深緑色の髪の少女――レミアは剣を構えた。
「嫌いで結構ですよ。人間のお嬢さんにはこの素晴らしさが理解できないようですからね」
「わかりたくもないわ」
吐き捨てるように言ったかと思うと、レミアは地を蹴った。
そのまま剣を突き出し、吸血鬼に向かって突っ込んでいく。
僅かに口元を歪ませたかと思うと、吸血鬼はあっさりとそれを避けた。
レミアが走り抜けた後に起こった風が空を切る。
同時に走った痛みに、吸血鬼は驚いたように頬に手をやった。
そこにはいつの間にか赤い線が滲んでいた。
鋭い刃物で切られたような細い傷が、いつの間にかその頬に走っていたのだ。
「ミルザの一族の剣の使い手が、単なる剣士やハンターだと思ったら大間違いよ」
自信たっぷりに笑ったレミアの手に握られた剣は、刀身に薄っすらと風を纏っていた。
今にも何かを切り裂きそうなほど早く流れる風が。
「魔法剣……」
ぽつりと、肩の傷を抑えたままフェリアが呟く。
「いつのまに……」
呆然として呟く吸血鬼に、レミアはにやっと笑ってみせる。

勝者の浮かべる余裕の笑み、とでもいうやつだろうか。

不意にそんなことを考えて、フェリアは首を横に振った。
これは自分の問題だというのに、何故あのレミアという女は手を出してきたのか。
最初あそこまで警戒していた彼女が、異世界にやってきてまで自分を助けてくれる理由は何なのか。
いろいろな疑問が頭に浮かんだけれど、いくら考えてもどの問いの答えも思いつかない。
思いつかないままただ見ているしかない自分に、どうしようもなく腹が立った。
がきんと金属同士がぶつかり合う音が響いて、思わず顔を上げる。
避けることを諦めたのか、吸血鬼は剣を取り出してレミアの剣を受けていた。
けれど魔力で風を纏った彼女の剣を簡単に止められるはずもない。
剣よりも風が吸血鬼の剣を弾き、その皮膚を切り裂いた。
「くそ……っ」
「遅いっ!!」
吸血鬼が態勢を立て直すより先に、レミアは下ろしていた剣を切り上げる。
両刃の長剣は、その刀身に纏う風と共に避けようとした吸血鬼のマントを切り裂いた。
風の力を宿す者の素早さは人を上回ると言う話を聞いていたけれど、これほどまでに相手とスピードが違うと思わなかった。
吸血鬼が1回剣を振れば、レミアはそれ以上の速さで二度剣を振る。
剣を弾いて後ろへ下がっても、すぐに彼女は追いついてしまう。
素早いだけではない。
素早さに加えて、その一撃一撃が重い。
女が片手で剣を持っているとは思えないほどに。
「……こうなればっ!」
がきんっと音を立てて吸血鬼がレミアの剣を弾く。
再びそれが振り下ろされるより先に吸血鬼は後ろへ跳んだ。
そのまま体の向きを変え、フェリアの方へと走り出す。
「まず貴様からだ!バンガードっ!」
自分が優勢だったときとは全く違う表情で吸血鬼が襲い掛かってくる。
肩を抑えたまま地面に膝をついていたフェリアに飛びかかろうとした吸血鬼の体に、突然衝撃が走った。
思わず身を低くしたフェリアの頭上を飛び越えて、吸血鬼は地に落ちる。
驚いた様子でフェリアが視線を向けると、うつ伏せに倒れた吸血鬼の背には刃物で切りつけられたような傷ができていた。

「何してるの?」

かけられた声に驚いて顔を上げる。
そこにはいつの間にかレミアが立っていた。
その手に持つ剣が先ほどまで纏っていたはずの風は完全に消え去っている。
おそらく、あの風を衝撃波のように吸血鬼にぶつけたのだろう。
それならば、吸血鬼が突然吹き飛んだ理由もあの背中の傷も、全てに説明がつく。
「何をしているって……」
「あんた、そいつに恨みがあるんじゃないの?」
あっさりと言われて驚いた。
図星だった。
フェリアはこの男――目の前に倒れている吸血鬼に恨みがある。
恨み。父を殺した、仇。
インシングの時間でいう20年近く前にダークマジック帝国が行ったミルザの一族の家族虐殺。
それからも逃れ、何とか生きてきた自分たちの生活を、あの男は壊したのだ。

許さない。

そう思って、吸血鬼が消え去ったと思われる異世界アースに降り立った。
仇を討って、恨みを晴らすために。
「他人に手伝ってもらっては、意味がない」
きっぱりと言ったフェリアを、レミアはため息をついて見下ろした。
「他人、ね。まあいいけど」
それだけ言うと、黙ったままレミアは吸血鬼の側に立つ。
そしてそのまま、剣の切っ先を下に向けて吸血鬼の上で静止させた。
「……待てっ!」
今まさにレミアが剣を突き刺そうとした瞬間、思わずフェリアは彼女に駆け寄りその手を止める。
追い求めてきた仇が、目の前で他人に討たれる様など見たくはない。
そんな形でこの追跡を終わらせても、心が納得しない。
頭のどこかでそれがわかっていたから、止めてしまった。
止めることができた。
「私が……」
冷たい瞳で自分を見つめていたレミアを見て、静かに口を開いた。
「私が止めを刺す」
重ねた手に心なしか力を入れ、フェリアはきっぱりと言った。
その言葉にレミアは満足そうに笑った。
剣を降ろすと、それをしっかりとフェリアに握らせ、自分は手を離す。
左肩から流れ出た血の染み込んだ空色の手袋を嵌めた手で、フェリアはしっかりと剣を握り直した。
目を閉じ、大きく深呼吸をする。
再び目を開くと、フェリアは足元に転がる吸血鬼を見下ろした。
「これで、終わりだっ!!」
言葉と共に剣を思い切り突き刺した。
びくんっと吸血鬼の体が跳ねる。
反応は、ただそれだけ。
既に意識を失っていたらしい。吸血鬼は悲鳴も上げることができないうちに、意識を永遠の闇に手放した。
同時にざらっと砂のように体が崩れ出す。
崩れた体は砂と貸し、吹き抜けた風にさらわれて森の中へと消えていった。



「ご苦労様」
暫くして、側に立っていたレミアが柔らかな笑顔で手を差し出した。
それが剣の返却を求めているものだと気づき、フェリアは慌てて地面に刺さった剣を抜き、レミアに渡す。
にこにこしながら剣を受け取った彼女を、フェリアはぎろっとした目で睨んだ。
「何故助けた?」
学校の屋上で言ったのと同じ言葉が飛び出す。
その言葉に相手は一瞬だけ驚いたような表情になったが、すぐに笑顔になると、剣を鞘に収めながら目を閉じる。
「別に。状況からしてあっちが悪者みたいだったし、敵じゃなきゃ、あたしが警戒する理由もないし。それに……」
口にしたのは、やはり屋上で言った言葉。
けれど、続きは違った。
「恩返し、かな」
「恩返し?」
レミアを睨んだままフェリアが聞き返す。
静かに頷くと、レミアは続けた。
「母親を亡くして泣いていた女の子を慰めてくれたお姉さんに対する恩返し」
その言葉に何か思い当たることでもあったのか、フェリアは表情を変える。
「まさか、お前5年前に会ったあの……?」
その問いにレミアは小さく頷いた。
「でも、あの時は……」

まだほんの小さな子供だったはずなのに。

「インシングとアースでは時の流れが違う。インシングでの5年は、アースでは10年なの」
そこまで言って、レミアは閉じていた目を開ける。
「だから、あたしにとって、あんたと初めて出会ったのは10年前ってことになるかな」
アースの時の流れで計算すれば、当時のレミアはまだ6歳。
対するフェリアは、聞くところによると既に13になっていたと言う。
当時は明らかにフェリアの方が年上だった。
だからレミアは言ったのだ。
『女の子を慰めたお姉さん』と。
たとえ、今は自分の方が年上であったとしても。
「本当は19だけど、時の封印のおかげで向こうでは16歳ってことになってるからね」
笑ってレミアはそう付け足した。
「……それだけか?」
「え?」
「昔話を聞いて、私の話をして慰めて、それだけで私を助けたというのか?」
呆然とした表情でフェリアは続ける。
「初めて会ったにも等しい人間を、信用したというのか?」
吐き出すように言われた言葉にレミアは苦笑する。
「……あたしあの後、結局父さんにも事故で死なれてね。一時期人間不信になってたの」
その言葉に、フェリアは驚いたように彼女を見た。
「だから本当は初めて会った人間には結構冷たいって言われるんだけど……」
にっこりと、フェリアを見たまま彼女は笑った。
「一度でも心を許すっての?とにかく仲間や友達って認めた相手には、とことん力を貸してやるってのが今のあたしのポリシーだから」
それはレミアが、既にフェリアを仲間と認めたのだと告げているのと同じ意味を持つ言葉。
「何故だ?」
それでも納得はできずに、フェリアは続ける。
「母親が死んだとき、一緒にいる約束を破ったと裏切られたと泣いていたお前が、どうしてそんなに簡単に人を信じることができる?」
仲間だって、いつ裏切るかわからないというのに。
人間不信になったことのある人間が、どうしてそんなに簡単に人を信じるなどという言葉を口にできるというのだろう。
「……本能、かな」
「本能?」
「そ、本能」
静かに目を閉じて、レミアは続けた。
「あんたは信じられる気がした。……違う。あんたを信じないで見捨てたりしたら、自分が一生後悔するような、そんな気がした」
自分の中に潜む何かが、それを告げた。
ここで彼女を見捨てたら、自分は二度と誰かを信じることができなくなる。
そんな気がした。
だから助けようと思った。
助けたいと思った。
「それに……」
再び目を開いて、しっかりとフェリアを見る。
「ちょっと遠いかもしれないけど、親戚……家族のようなもんじゃない、あたしたち」
自分の母レシーヌと、そのはとこであるフェリアの父ファレンは仲が良かったということをレミアは知っていた。
おそらくそれは母が亡くなった時、危険を犯してアースを訪れたファレンと暮らしていたフェリアもよく知る事実のはずだ。
「……くっ」
突然フェリアが表情を崩した。
驚いて顔を覗き込もうとしたレミアは、髪の間から覗く彼女の表情を見て目を瞠った。
フェリアは笑っていた。
その笑いを堪えるかのように口元を隠して。

「まったく、大した奴だよ、あんたは」
一頻り笑った後、大きく息を吐いてフェリアは言った。
「私の負けだな。あんたの熱意は良くわかった」
「争ってたわけじゃないから、勝ち負けは関係ないと思うけど」
苦笑して言うレミアに、フェリアは小さく笑った。
「でも本当に負けたよ。私だったら、あんたのように自分を跳ね除ける人間をここまで信用しようとは思わないからな」
「あたしだって普段はここまでしようとは思わないよ」
今目の前にいるのが彼女だったから。
そう付け加えようと思って、やめた。
口には出してはいけないような、そんな気がしたから。

「本当に助かった。ありがとう」
暫くして、すっかり笑いの治まったフェリアが小さく笑顔を浮かべながら口を開いた。
「また会うことがあれば、その時は……」
「待った」
言いかけたフェリアの言葉を、レミアがぴしゃりと止める。
「また会うことがあれば?」
先ほどまでの笑顔は何処へやら、レミアは今にも殴りかからんばかりの表情でフェリアを睨む。
突然の変わりように、フェリアは思わず数歩後ろへ下がった。
「あんた、転校生の手続きってどれくらい手間がかかると思ってんの?」
「……は?」
言われた言葉の意味がわからず、思わずフェリアは聞き返した。
「名簿とかそういうの、作り直すの全部あたしたち理事部なんだよね」
にっこりとレミアが笑う。
けれどその笑みは、先ほどまでの明るいものではなく、何か黒いものが混じった笑みで。
ぽんとレミアの左手が、フェリアの右肩に置かれた。

「というわけだから、これから毎日よろしくね」

「……は?」
「どうせこのまま故郷に戻ったって1人でしょ?だったらいっそのこと、アースにおいでよ」
惚けた声を出して聞き返すフェリアに、レミアは笑顔を崩さず答える。
「けど、私は家など……」
「あたしの使ってる、まあ共同住宅みたいなところに住んでるんだけど、部屋ね、2人部屋なんだ。けどあたし1人暮らしなんだよね」
だから大丈夫と付け足して、レミアはフェリアの肩から手を離した。
「どっちにしたってその傷、ひとりじゃ治せないでしょ?ひとまずアースに戻ろう。そうすれば仲間が治療手伝ってくれるからさ」
そう言って、レミアはフェリアに向かって手を差し出す。

「これからよろしくね、フェリア」

初めてレミアがフェリアの名を口にした。
それは“証の子”――ウィンドアシスタントの称号を持つ彼女への言葉。
そして、これから共に暮らすことになるだろう友へ向けた言葉。

「ああ。よろしく、レミア」

呆れたように息を吐いて、それでも笑って、フェリアは差し出されたレミアの手を取った。

握ったその手に何処となく懐かしさを覚えて、2人はどちらともなく小さく笑う。
背負っていた何かを下ろすことのできた、そんな安堵感を覚えながら。

remake 2003.05.25