Intermission - 第8の血筋
3:証の子
「何故助けた?」
吸血鬼の消えた屋上で、安堵のためか床に膝をついてしまったフェリアが目の前に立つレミアを睨む。
振り向いて見下ろせば、彼女の目に映っていたのは憎悪の色。
「別に。状況からしてあっちが悪者みたいだったし、敵じゃなきゃ、あたしが警戒する理由もないし。それに……」
不意に言葉を切って、レミアはフェリアから視線を外した。
一瞬悩んだようであったが、すぐに視線を戻して、聞いた。
「レミア=ウィンソウ。もしくは風上沙織って名前に覚えない?半田英里さん」
その問いに、フェリアは驚いたように目を見開いた。
けれどすぐに表情を戻して、小さく舌打ちする。
「お前、クラスで私を睨んでいたあの女か」
「・・・そういう認識か。じゃあ、やっぱり覚えてないんだ」
小さくため息をついて、レミアは髪を後ろへ払った。
その瞳には、何故か寂しそうな光が浮かんでいる。
「お前が何を言いたいのかは知らないが」
肩の傷を抑えたままフェリアは立ち上がる。
口の中で言葉を紡ぐと、傷を抑えた手から淡い光が溢れ出す。
この子、回復呪文が使えるんだ。
光が収まると、フェリアの肩にあった傷は薄い痕を残して綺麗に消えていた。
大きく息を吐いて、フェリアはレミアを睨む。
「もうこれ以上、私に関わるな」
吐き出すように言うと同時に、彼女の背後の空間が捩れた。
ぽっかりと、彼女の背後に黒い穴が開く。
この世界と異世界インシングを繋ぐ扉が。
「ちょ、ちょっと……」
止める間もなく、フェリアは体を穴の中へと滑り込ませる。
同時に穴が縮まり始めた。
「待ってっ!!」
レミアが駆け寄ったちょうどその時、空間にぽっかりと開いた黒い穴は完全にその口を閉じてしまった。
捩れの直ったその場所に、レミアは1人立ち尽くしていた。
「それで、結局『半田英里』って何者なわけ?」
ちょうど屋上ヘの階段を駆け上ってきた仲間を理事長室へと連れ込んで、レミア――沙織は一部始終を話して聞かせた。
その直後、睨むような視線で彼女を見て赤美が問いを投げかける。
転校生が何者なのかということを、説明の中では話さなかったのだ。
「ウィンソウ家の分家の人間。わかりやすく言えば、あたしの親戚ってことになるかな」
小さくため息をつきながら答える。
「沙織んちの分家?」
「そう。例えば美青、あんたのところみたいに姉兄がいると、嫌でもミューク家はいくつかに分断されるでしょ?けど実際、大元となるミュークの名を継ぐのはあんたで、他の姉兄は名前が変わることがある」
「そりゃそうだね。美青が力と名前を継げは、後はどうでもいいわけだし」
のほほんとした表情で実沙が言った。
「どうでもいい、か……。ともかく半田の家系……バンガードは曾祖母の代にそうやって生まれたうちの分家なの。ちょっと特殊な『盟約』のある、ね」
「盟約?」
呟いた言葉を聞き取って、百合が顔を顰めて聞き返す。
「そう、盟約。曾祖母とその双子の弟が、精霊神としたと言われる約束」
そこまで言って、ふと考える。
彼女が自分たちの前に現れたのは、その盟約があったからだろうかと。
盟約がなければ、もう会うこともなかったのだろうかと。
そんな疑問は口には出さずに大きく息を吐くと、説明を続けた。
「双子だった曾祖母とその弟に精霊神はひとつの約束をした。弟――後のバンガードの血筋の者は、本家の継承者の力が特別強い場合に限り第一子に女を産み、ウィンソウ家の補佐につくという約束」
いつの間にか手にしていた緑色の本のページを捲りながらさらに続ける。
「言ってしまえば、これは歴史が大きく動くときに、少しでも多くの力が必要な時に生まれるウィンドマスターのサポーター。スピアマスターで言うサポートフェアリーのような存在。母さんはそう書き残してる」
ぱたんと本を閉じて、沙織は顔を上げた。
「その第一子長女は、精霊神との約束の証という意味を込めて“証の子”と呼ばれてるらしいよ」
再び、今度は小さく息を吐いてから沙織は黙り込んだ。
しばらくの間、沈黙が室内を包んだ。
知らなかった。
ウィンソウ家にそんな存在がいたということを。
先代が――沙織の母であるレシーヌ以外の誰もが――書き残していないことなのだ。
仕方がないと言ってしまえばそれまで。
先代が書き残していない情報は、知りようもないのだから。
「あたし、早退する」
しばらくして、再び沙織が口を開いた。
「沙織先輩……?」
不安そうに鈴美が彼女に視線を送る。
「早退するって、半田英里を追うつもり?」
静かな口調で尋ねた百合に顔を向けると、沙織は静かに頷いた。
「追うって!何処に行ったかわかんないんでしょ!だったら……」
「みんなでは、行けない」
実沙の言葉を遮って、沙織はきっぱりと言った。
「さおちゃん……」
「みんなでは行っちゃいけない気がする。この問題は、あたし1人で解決しなきゃいけない気がするの。だから……」
「わかった」
「セキちゃんっ!?」
きっぱりと響いた言葉に驚き、全員が声の主に視線を向ける。
けれどその声の主――赤美は動じることなく、ソファに座ったまま静かに沙織を見上げた。
そして薄っすらと笑みを浮かべる。
「沙織が珍しく初めて会う人間を最初っから信じて突っ込もうとしてるんだし、あたしたちにそれを邪魔する権利はないからね」
「赤美……」
「行ってくれば?その代わりに、きっちり決着つけてきな」
にこっと笑って言う赤美の言葉に、沙織も微かに口元を綻ばせる。
「……ありがとう」
それだけ告げると、彼女はそのまま理事長室を飛び出していった。
「赤美、行かせてよかったと思ってるの?」
沙織が行ってしまってから暫くして、窓際から百合の声が響いた。
その口調は怒りが混じっているようで、いつもより遥かに冷たい印象を受ける。
「行かせてよかったっていうより、行かせなきゃいけない気がした」
目を閉じて、きっぱりと答える。
「行かせなきゃいけない?」
隣に座る紀美子が不思議そうに聞き返す。
「そう、行かせなきゃいけない。何でわからないけど、そんな気がしたの」
予感がした。いや、本能が告げたというべきだろうか。
レミアと“証の子”。
この2人を引き合わせなければならない予感がした。
自分が彼女たちを引き裂くことなど絶対にしてはいけないと、そんな感覚に襲われた。
何故だかは、わからなかったけれど。
「大丈夫。たぶん沙織は全部解決させて戻ってくるよ」
そう言って笑顔を浮かべると、赤美はソファに思い切り寄りかかる。
ふと、妙な感覚に襲われた。
奇妙な脱力感。
何かを見て呆然としてしまったような、そんな感覚に。
「赤美」
声をかけられて、はっと我に返る。
「何?美青」
聞き返すと、目の前の親友は呆れたような表情でため息をついた。
「話し聞いてなかったの?あたしたち授業を抜けてきたんでしょうが。戻るよ」
「あー、そういえば。かったる~」
「私たちの本業は高校生。ほら行くよ」
すぱんと百合のハリセンで軽く頭を叩かれて、赤美はしぶしぶ体を起こした。
小さく舌打ちをしてから、のろのろと理事長室を出る。
その瞬間、突然頭の中に言葉が走った。
ラピスの岬。この墓の主の名前。それをとって、ここはそう呼ばれているの。
それはかつて、自分たちが妖精の村を探して初めてインシングの、エスクールの大地に足を下ろしたときに、無意識のうちにレミアが呟いた言葉。
「赤美?」
「あ、ごめん。何でもない」
不思議そうに振り返った美青に笑って返してから、赤美は再び歩き出す。
知っている気がした。
レミアが『ラピスの岬』の名を知っている理由も。
どうして自分があの2人を引き合わせなければならないと思ったのかも。
全て、自分は知っている気がした。
その全てについて、自分も責任を負っているような気がした。
それが何故だか、全くわからなかったけれど。
「うわぁっ!!」
どしんと音を立てて、辺りに砂煙が広がる。
エスクール南部の砂浜にゲートを開いたレミアは、着地に失敗して思い切り尻餅をついてしまった。
「あたた……。やっぱゲートって苦手」
仕事をしようと思ってインシングに来るたびにこんなことをしていてはきりがないから、何とかしようと努力してはいる。
けれど、やはり苦手なものは苦手だ。
「さてと、ここは何処かな~」
きょろっと辺りを見回して、ふと視線を止めた。
近くにあったのは高い崖。
知っている。
あの形、この場所は。
「ラピスの岬……」
何でこんな所に出てしまったのだろう。
本気でそう思った。
「嫌な予感がする……」
早くあの子を見つけなければならないと思った。
それを自覚した瞬間、レミアは走り出していた。
当てもなく、ただ北へ向かって。