Chapter1 帝国ダークマジック
19:氷の少年
「レジスタンスの発足は3年前。ちょうど国中がこれで圧政から解放されるって喜んでいた頃だ」
地下道を歩きながら青年が静かな口調で語る。
「エスクールが落ちた頃?」
「そう。あの頃からイセリヤはめちゃくちゃな政治をしていたけれど、それはエスクールを領土にするまでのものだって言い張ってた。あの頃はみんな信じてたんだ。あの国さえ手に入れば、この苦しい生活から解放されるって」
淡々と語る青年の言葉に、喜びなど混じってはいない。
ただ感じられるのは憎しみ。
それはおそらくイセリヤに対する怒りの念。
「だけど、暫くの間政治は変わらなかった。みんな戦争が終わったばかりだから仕方がないと思ってた。そんなときだ。あの情報が広まったのは」
「あの情報?」
ぴたっと青年が足を止め、振り返る。
「5年前の先帝の死の真相」
その言葉にルビーは顔をしかめた。
「病死だって聞いたけど?」
「違う。先帝は、先代皇帝は……」
ぐっと青年が拳を握り締めた。
「あの女に、イセリヤに殺されたんだ」
搾り出すように言われた言葉に、ルビーは表情も変えずにふーんとだけ呟いた。
その噂はこちらに来る直前に仲間から聞いたばかりだったし、そうでなくてもありえる話だ。
別に驚くことでもない。
「人が成人とみなされる年は15」
何も言わないルビーに痺れを切らしたのか、再び青年が口を開く。
「それなのに、今の陛下はいくつだと思う?」
「知るわけないでしょ」
「10歳だよ」
耳に入った言葉に、今度はさすがのルビーも目を見開く。
「10歳っ!?じゃあ、帝位についたのは5歳だってことっ!?」
「そうだ。だから職務は全てイセリヤがやっている。今の皇帝はただの飾りなんだ」
飾りというその言葉に、ふいに怒りがこみ上げた。
飾りの王。
アースの物語に比較的良く出てくる表現だけれど、それがルビーは嫌いだった。
彼女にとって、それは幻の使った同士討ちの戦法と同じくらい嫌悪感を持つ言葉なのだ。
「だから街の奴らは期待してる。行方不明の第一皇女、その人が見つかって帝位を継いでくれること」
再び青年が口を開いた。
「その期待に応えたのが、当時異例の若さで聖騎士団長に就任したレジスタンスのリーダーだ」
その言葉に疑問を感じて、ルビーは顔を上げた。
「異例この若さ?」
「ああ。13歳で騎士団長。異例中の異例だろ」
「13っ!?」
思わず声を上げる。
インシングに存在する国のほとんどが人の成人は15歳だと定めている。
先ほど青年自身が言ったように、この帝国だって例外ではない。
そうだというのに、この国には13ですでに職に就いた者がいる。
「どうも12のときに前騎士団長の目にとまって異例の騎士団採用。次の年には騎士団最強の名を手に入れたって話だ。あの女、兵力を増やせるからって言う理由で手を貸したらしい」
あの女というのは言うまでもなくイセリヤのことだ。
「まさかその異例者が敵に回るとは思ってなかったんだろうね」
「そうだろう。じゃなきゃ許可するわけねぇし」
ふうとため息をついて青年は再び歩き出した。
「もう1人同じ採用のされ方した奴がいたんだけど、騎士団は面倒だって言ってハンターに転職してたなぁ」
呟くように青年が言った。
ハンターは元々冒険者が賞金稼ぎを始めたことをきっかけに生まれた自由職。
年齢に関係なく、手配書に書かれた人間や魔物を捕獲、あるいは倒せば報酬がもらえるという職業だ。
決して一生それをしろという強制もなく、転職もやめてしまうも自由な職業だった。
他の職業に対する世間体を考えてか、ギルドに登録できる最低年齢は10歳であったけれど。
同様に年齢制限なく仕事に就けるのが聖職者だったが、こちらは親が教会関係者だったり、教会で暮らす孤児だったりする場合が多い。
「ところで」
しばらくして、漸くルビーの方から青年に呼びかけた。
「お互いちゃんとした自己紹介、してなかったと思うんだけど」
「ああ、そういえばそうだな」
立ち止まって振り向くと、青年が言った。
「俺はジャミル=シーフル。レジスタンスの情報部のリーダーだ」
驚いたようにルビーが目を見開いた。
「あんた、幹部?」
「一応な。で?あんたの上の名前は?」
簡単に流されて拍子抜けしたが、すぐに気を取り直してルビーはしっかりと青年――ジャミルに視線を合わせた。
「ルビー。ルビー=クリスタ」
「ルビーね。宝石と同じ名前なんだな」
「そう。この髪が由来ってとこ?まあ、もう1人宝石と同じ名前の奴、いるけどね」
どこでも笑顔を見せてあっけらかんとしている友人を思い出し、ルビーは小さく苦笑する。
「まあ、楽しみにしとくよ。もうすぐだ」
ルビーから視線を外すと、ジャミルは再び暗い地下道を歩き始めた。
ダークマジック城下の中心街と呼べるべき場所。
仲間と別れ、街に入ったタイムとレミアは、そこにあると思われるとある店を探していた。
「しっかし、あんたまでそんなこと言い出すとは思わなかったわ」
「そう?ちょっとは予想されてると思ってたんだけど」
呆れるように言うタイムに、意外だという表情でレミアが返す。
2人の向かっている場所はハンターズギルド。
さまざまな情報の飛び交うそこならば、レジスタンスについての情報も得られるだろう。
「でもまあ、情報集めには打って付けかもね。職業ギルドって」
「でしょ?」
そう言って返してくる笑みは、自信に溢れたものだった。
それを見て、タイムは小さくため息をつく。
ため息の理由はそれだけではないけれど。
やけに街中の視線が集まるのを彼女は感じていた。
イセリヤの自信の表れなのか、単にそこまで気を回していないだけかは知らないが、この城下町の門番は武器を持った6人を簡単に通した。
自分は手に身長ほどの長い棍を握っているし、レミアは腰に剣を下げている。
共に普段は水晶の形にしておいて、戦闘のときのみ変形させている武器。
その武器のせいかとも思ったが、自分たちの他にも冒険者、あるいはハンターらしき者たちが武器を持って歩いているので、そうではないと確信する。
だとすると、原因はおそらくレミアの着ている服だ。
鞘に収まった剣が、動くたびにかちゃかちゃと鳴る。
その上に青っぽい透明な何かが揺れているのがわかる。
膝ほどの長さまである、下の服が透けて見える青みを帯びたそれはシースルーだ。
それがこの視線の原因であると、思ったより冷静にタイムは考えていた。
シースルーと言っても普通のそれではない。
それならば、こんなに注目されることはないはずである。
これは精霊界にあると言われる僅かに色を帯びた透明な糸で作られた特別な服。
レミアの母レシーヌが娘に残したその珍しい服に、住人たちは興味を注いでいるのだ。
注目を集めている本人であるレミアは、そんなことに気づいた様子も気にしている様子もなかったけれど。
「ああ、あった。ここよ」
耳に届いた声に、考えるのをやめてタイムは顔を上げた。
目の前に立つ、他とは明らかに異質な雰囲気の建物。
その入り口に目立たないよう置かれた看板には、魔物と剣の絵らしきものが描かれている。
ここがハンターズギルド――ハンター専用の職業組合兼仕事斡旋場。
「結構大きいんだ」
建物を見上げてタイムが言った。
「まあ、こういう大きい街のはね。城の兵士とかじゃやりきれない仕事とかも回ってきたりするし、その分職員も多いらしいよ」
顔だけ振り返って簡単に説明すると、レミアは扉を開こうと手を伸ばす。
ちょうどその時だった。
突然扉が勝手に、勢いよく開かれたのは。
「ざけんなっ!!今更そんな仕事やってられねぇってんだ……うわあっ!!」
「きゃあっ!?」
何かを叫びながら前を見ずに飛び出してきた青年がレミアとぶつかる。
青年と言うより少年と言った方が正しいかもしれない。
「レミアっ!?」
ぶつかった勢いで倒れたレミアにタイムが慌てて駆け寄った。
「ちょっと!大丈夫?」
「うん、何とか……」
「何処見てんだよ!クソババアっ!!」
レミアと同じように倒れてしまった少年が思い切り叫ぶ。
その頬を、しゅっと音を立てて何かが掠めた。
少し遅れてとんという軽い音が耳に入る。
振り返ってみれば、少年の背後の扉に小型のナイフが刺さっていた。
ダーツなどでよく使われる飛び道具用のナイフだ。
つうっと一筋、少年の頬を赤いモノが流れる。
「誰がババアですってぇ?」
明らかに怒りの表情を浮かべ、立ち上がったレミアが少年を睨む。
思わぬプレッシャーに少年は思わず怯んだ。
座ったまま、動けない。
「大体余所見してたのはそっちでしょうが!人のせいにすんじゃないわよクソガキっ!」
「な……!?」
「ちょっとレミアっ!!」
再びナイフを手に取り、投げつけそうになるレミアをタイムが慌てて止める。
「こんなところで騒ぎを起こしてどうすんのよ!今は情報集めが先でしょうっ!?」
一応というか、ルビーのせいで癖になってしまったというか。
少年を庇うように棍をレミアの前に出して、半ば呆れたような口調でタイムが怒鳴った。
「そうだけど……」
「相手をガキだと思うんなら余計よ!まったく。あんたもルビーも喧嘩っ早いのどうにかしてほしいわ」
言い返そうとするレミアの言葉を簡単に捻じ伏せた。
さすが『組織潰し』の二つ名を持つ者を親友に持っている者、というべきだろう。
「……わかったよ」
どこか悔しそうに言って、レミアはナイフを下ろした。
「そっちのあんたも。何イライラしてるんだかは知らないけど、全く知らない他人に当たらないでよ」
棍を降ろして振り向くと、やはり呆れたような口調で少年に言った。
「くそー。4つ下の子に怒られたー」
「……それ、気にしてるんだから言わないでくれる?」
ぶつぶつと呟きながら再び扉の前に進んだレミアの言葉が聞こえたらしい。
振り向きもせず、機嫌が悪そうな口調でタイムが言った。
振り向いたら絶対に睨み付けそうな気配を漂わせた瞳を空に向けたまま。
“時の封印”の影響か、アースでこそ同い年の彼女たちは、それぞれ実年齢が違っている。
この7人の中で封印を解いたときと解かないときの年齢が同じなのは3人。
セレスとベリー、そしてタイムだけだ。
同じ中学3年生であるにも関わらず、ルビー、レミア、ミスリルの3人の実年齢は封印時より4つ上の19歳であり、ペリドットは3つ上の18歳だった。
これはアースとインシング、2つの世界の時間の流れの違いが影響しているのでないかと誰かが言っていた。
それを考えた両親が時の精霊に頼みこみ、実年齢の違う4人のアースでの時をいじったのではないかと。
とにかく上の学年にいる5人の中でタイムだけが年が離れているのだ。
密かに気にしているというのに、こういうときにそれを出されると腹が立つ。
たぶんそれは、1人だけ年下だという焦り。
その焦りと怒りに気づいたのかそうではないのかはわからない。
ただ、ほんの少しだけレミアはタイムの方を振り返り、小さくため息をついた。
「はいはい、わかりました。ごめんなさい」
その言葉に本当に反省の色があったのかはわからない。
あるいは、タイムが年の割には大人びているだけかもしれない。
「いいよ別に。それよりさっさと済ませて」
こちらを振り向き、あっさりとタイムが言った。
彼女のこんな面を、レミアは密かに尊敬している。
感情的になりやすい自分では、こうも簡単に頭に来る言葉を言った者を許すことなど、きっとできないから。
できないから。できなかったから昔。
そこまで考えて、レミアは小さく首を振った。
「了解。行こうか」
笑って見せて、再び扉に向き直る。
今度こそ中に入る。
そう思っていたときだった。
「待てよ」
耳に届いた言葉に振り返る。
声を発したのは、先ほどレミアとぶつかった少年だった。
「何よ?」
半ば呆れた口調でレミアが聞き返す。
「お前ら、この街の奴じゃねぇな」
尋ねるのではなく、言い切った。
「だから何?」
静かにタイムが尋ねる。
この城下の人間がイセリヤのことをどう思っているのか、まだわからない。
不信感を与えて、こちらが不利になるようなことは避けねばならない。
もし与えるようなことがあれば、そのときは逃げなければならないだろう。
「やっぱりな」
ふうと息を吐き出して少年が口を開いた。
「だったら俺のこと知らないはずねぇし」
「どういう意味?」
少しむっとしてレミアが聞き返した。
「あんたハンターだろ?この国、特にこの街のハンターって、俺見るとみんな同じ反応するんだよ」
ふふんと少年が得意そうに言った。
「前置きなんかいいから、大事な部分だけ言えクソ……」
「レミア」
タイムに睨まれて、仕方なくレミアは口を噤んだ。
「ひとつずつ聞くよ。あんた、結局のところ誰?」
「ブレイズ=ライズ」
あっさりと少年は自身の名を口にした。
「ダークマジックハンターズギルド最年少A級取得者、『氷のライズ』とは俺のことだぜっ!」
びしっとポーズを決めて得意そうに少年――ブレイズは言った。
その言葉に、2人は驚くどころか呆れたような視線を送る。
「……知ってる?レミア」
「さあ?そもそもあたし、ハンター成り立て同然な上にギルドほとんど行かないから」
あっさりと言うレミアに、ブレイズと名乗った少年ががくっと肩を落とした。
「俺を知らない?お前、本当にハンターか?」
信じられないという視線でこちらを見つめる少年に、レミアは少しむっとする。
「言ったでしょう?成り立てだって。第一あたしは別の国の冒険者。来たばかりの国の奴のことなんか知るわけない」
その言葉にブレイズが表情を変えた。
「それって、ダークマジックの植民地か?」
突然口調が変わった。
先ほどの年相応の少年のものから、ほんの少しだけ大人びた青年のものに。
それに驚いて、呆れたようにブレイズを見ていたタイムは表情を変えた。
「……あんた、何が聞きたいわけ?」
レミアがもう一度口を開くより先にタイムが尋ねる。
辺りを見回すように視線を動かして、ブレイズがこちらに近づいてきた。
「聞きたいのは1つ。イセリヤのこと、どう思ってる?」
小声の問いに、明らかにレミアが表情を変えた。
「どうって?」
彼に合わせるかのように声を落として、タイムが聞き返す。
「他の国の奴なら感じるだろ?イセリヤへの反感。まさか、国を攻め落とした奴を許してるわけじゃないだろ?」
2人の顔を交互に見て、ブレイズが問う。
その瞳に宿っているのは決意と怒り、そして何かを期待する光。
「もしかしてあんた、この国にあるレジスタンスの……」
「待った!」
慌ててブレイズがレミアの言葉を遮った。
もう一度辺りを見回して、ほっとしたように息を吐く。
「ああ。俺はあんたのいうチームの一員」
元の――年相応の少年の――口調に戻してブレイズが言った。
「ふーん。で?何?あたしたちを仲間に引き入れたいってわけ?」
その意味を汲み取って、レミアは微かに口元に笑みを浮かべて聞き返す。
「ああ。……信用できる人間なら」
その言葉に、レミアはくすっと小さく笑った。
「だって。どうする?」
笑みを崩さぬまま隣に立つタイムを見る。
答えはとっくに出ているというのに、敢えて聞いた。
そんなこと、とっくに彼女は理解していて。
「話を聞いてみる価値はあると思うけど?」
ここで話せないことだとも了承済みで、表情を崩さずにそんなことを言う。
「決まりだな。じゃあついて来てくれ」
楽しそうに笑ってこちらに背を向けると、ブレイズはそのまま早足に歩き出した。
「珍しいね」
前を行く少年と少し距離を置いて、タイムが隣を歩くレミアに小声で呼びかける。
「あんたが初対面の人間、簡単に信じるなんて」
幼い頃のレミアを知っているからこそ出る疑問。
「まあね。あたしも、昔のまんまじゃないっていうことよ」
にこっと笑って、軽く流した。
そのことには触れられたくない。
そんな意味を込めて。
気づいてくれたのか、そうとだけ返して、タイムは会話を打ち切ってくれた。
その態度に心のどこかでほっとする。
「まあ、その話は置いといて。行こう。置いてかれる」
「……ったく。わかってるよ」
そんな会話をして、小さく笑い合った。
先を歩くブレイズを見失わないように、2人は少しだけ歩調を速めた。