SEVEN MAGIG GIRLS

Last Chapter 古の真実

34:それぞれの覚悟2

遠くで声が聞こえていたような気がした。
誰かが呼ぶ声が、ずっと聞こえていた。
それももう遠のいてしまって。
代わりに、耳に届いたのはとても耳障りな雑音。
無視して眠っていてもよかったのかもしれない。
けれど、その中にとても大切な声が聞こえたような気がした。
それを意識したとき、闇の中にあったはずの意識は、自然と浮上を始めていた。
重い瞼を、ゆっくりと開ける。
視界が定まらなくて、最初は自分がどこにいるのかわからなかった。
ゆっくりと、心が戻ってくる。
それに合わせるように、意識が、痛みが戻ってくる。
痛みを自覚して、覚醒するまでの間にどれくらいかかっただろうか。
気付いたときには、動くことのできないはずの体で、ベッドを飛び出していた。





エスクール王城の上層階。
王族の居住区画となっているその階の階段のひとつでは、大きな騒ぎが起こっていた。
「ですから、兄上は今、昨日の怪我で臥せっています。お会いすることはできません」
ミューズが大声にならないように、けれど強い口調でそう告げる。
しかし、階下から押し掛けてきた他国の使者たちは、それでは納得しない。
先ほどから、リーフに会わせろと言って、一歩一歩確実に前進していた。
「皆様、どうか落ち着いてくださいませ」
最初は様子を見ていたリーナが、ついに助け船を出してくれた。
アールとリーナも、最初からミューズと一緒に使者たちを止めようとしてくれたのだが、ミューズがストップをかけたのだ。
2人はマジック共和国の人間だ。
それが最初からリーフの味方をしていたら、立場が悪くなるかもしれない。
だから、ミューズ1人では限界だと判断したら手を貸してほしい。
そう頼んでいた。
「ニール長官?何故あなたが私たちの邪魔をするのです」
使者の1人が、予想どおりリーナを睨みつける。
「我々は、昨日運び込まれたリーフ殿下を見ている」
アールも、リーナが割り込んだならば、もう黙っている見ている必要がないと判断したらしい。
「アマスル殿下……」
ミューズの側に歩み寄り、口を挟んだ彼女を見て、使者の1人で目を丸くしてその本名を口にした。
アールは厳しい目つきのまま、その場にいる者たちの顔を見回した。
「今、リーフ殿下は絶対安静だ。我々も含め、誰にも会わせることができないというのが、医師の判断だ」
正確は、医師ではなく術師の判断であるけれど。
治療した者の判断という点では、間違いは言っていない。
「私も、あれではリーフ殿下と話すのは無理だと判断した。だから貴殿らも落ち着いていただきたい」
「これが落ち着いていられますか」
使者の1人が声を上げた。
その場にいる全員の視線が、声の主に集中する。
「城下には、今世界で起こっている異変は、全て魔族がリーフ殿下を探していたために起こしたことだという噂が広がっています」
その言葉にミューズははっと息を呑んだ。
「リーフ殿下が不在だったために、エスクール国内ほどではないとは言え、各国に被害がでているのです。殿下には、エスクールの王位継承者として責任を問ってもらわなければなりますまい」
口を開いた使者が、厳しい口調で声を上げる。
それに同調するかのように、他の国の使者たちがそうだそうだと声を挙げた。
次々に挙がるそれに、ミューズは拳をぎゅっと握り締める。
「支援は、いたします」
絞り出したそれは、予想よりもずっと強く廊下に響いた。
使者たちからの追求が一時的に止まる。
「今回の件、既に我が国は……いいえ、勇者の子孫たちが、既に収束に向けて動き出しております。事態が収まれば、エスクールは必ず皆様を支援いたします」
「貴国が一番被害を受けていると存じますが、どうやって他国に支援を?」
冷たい口調で返ってきたその問いに、ミューズはびくりと肩を震わせた。
「そ、それは……」
言葉に、詰まる。
確かに今のエスクールに、他国を支援するほどの力はないかもしれない。
だって以前の吸血鬼騒動の後、漸く人々が立ち直ってきたばかりだったのだ。
町や村へとの交易も、漸く正常に戻り始めたばかりだったのに。
完全に元に戻る前に、またこんなことになってしまった。
これでは、他国へ支援できるなんて、思われるはずもないる
黙り込んでしまったミューズを見て、問いの主が大げさにため息を吐き出した。
それを見たアールは、その人物を睨みつけるように目を細めた。
その人物を、彼女はよく知っている。
ゴルキドからやってきた使者マーノ。
ここのところの会議でも、執拗にミューズを追いつめようしている女だ。
「それに、勇者の子孫たちとはいえ、ここまでの事態を収めるのに時間がかからないとは限らない。であるならば、最も確実に事態を収束させ、魔物たちを退ける手を選ぶべきなのでは?」
「確実に、魔物たちを退ける、手……?」
ミューズが、恐る恐る問いかける。
その瞬間、マーノの顔が、満足そうに歪んだ。
「リーフ殿下を、魔物に引き渡すのです」
はっきりとそう言った女の、楽しそうに笑う口元を見て、アールは小さく舌打ちをする。

やはり、そう来たか。

自分たちはもちろん、ルビーやタイムも危惧していた選択。
それを彼らが迫りに来たということは、わかっていた。
そして、アール個人としては、それを言い出すのであればこの女だろうと思っていた。
「魔物の狙いがリーフ殿下であれば、リーフ殿下を引き渡しさえすれば、事態は収まるのではないでしょうか」
「ですが、それは……っ」
「リーナ、落ち着け」
焦った様子で言い返そうとしたリーナの肩を掴んで、止める。
びくりと肩を跳ねさせた彼女は、勢いよくこちらを振り返った。
「お姉様……」
焦りの色が浮かんだ瞳が、こちらを見つめる。
それに静かに頷き返すと、アールは一歩前に出た。
「リーフ殿下を魔物に引き渡したところで、本当に魔物たちが手を引くとは限らないのではないか」
淡々とした口調で尋ねながら、マーノを睨みつける。
その視線を受けても動じることなく、マーノはまっすぐにこちらを睨み返す。
「しかし、これ以上の各国の被害を防ぐことはできると思われますが」
「それも、奴らが保証をしたわけではないでしょう」
反射的にリーナが言い返した。
そのまま、怒りの感情を隠そうともせずにマーノを睨みつける。
自分たちは知っている。
リーフを魔物に渡せば最後、精霊神が邪神と呼ぶ存在が復活してしまう。
そうなってしまえば、世界の被害は、今とは比べものにならないだろう。
しかし、それをここで口にする訳にはいかない。
長きに渡り、神という概念が存在しなかったこの世界において、突然封印された邪神の話をしても、世迷いごととはね除けられるだけだろう。
それを、3人ともよく分かっている。
自分たちだって、それを話したのがルビーとタイムでなければ信じなかっただろうと思っている。
「私もマーノ殿と同じ意見ですな」
不意に1人の男が割って入った。
視線を向け、その姿を認めたアールは、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「ホゼア殿……」
「リーフ殿下おひとりの命で多くの民が助かるのであれば、王族として、選ぶ道は決まっているのではないでしょうか」
ミューズを見つめ、そう尋ねたのはトランストン共和国の使者である男だった。
視線を受けたミューズは俯いてしまう。
その拳が体の横でぎゅっと握り締められた。
「ええ、兄上の選ぶ道は決まっています」
俯いたまま、はっきりとそう口にしたミューズに、マーノとホゼアが口元に笑みを浮かべる。
けれど、それはすぐに消え去った。
ミューズが顔を上げ、2人を睨みつけたからだ。
「兄はなんとしても生きる道を選ぶはずです」
そう、はっきりと宣言する。
「ミューズ様……」
リーナが安堵したように呟く声が聞こえた。
けれど、それは耳に飛び込んだ嘲笑にかき消される。
「それは兄君が王族としての責務を放棄するお方だと、そういうことですか?」
「いいえ、違います」
ホゼアの、見下すような口調でぶつけられた言葉を、ミューズは怯むことなく否定した。
「王族だからこそ、兄は命を投げ出すことなんてしません。確実でない方法を選んで、その後の責任を放棄するなんてこと、兄様が選ぶはずがない」
それはリーフを信じているからこそ紡がれる言葉。
かつて帝国によって国を追われた幼い頃から、ずっと見てきた兄の姿。
「本当に自分の命で全てが収束するならば、兄は……いいえ、私たち兄妹は、この身を捧げる選択をするかもしれない。けれど、今はそうではありません。だから、兄様は絶対に、それを選ばない」
真実を知れば、リーフをきっと、生きて未来を見据えた選択をする。
そう確信しているから、ミューズははっきりと告げる。
「ですから、あなた方をここから先には通しません。ここから先は、私たち家族の家です」
ここの階は王族の居室だ。
そこに押し入るつもりならば、相応の責任を持ってもらう。
そんな意味を態度に乗せて、腰に下がった剣に手をかけて、ミューズはマーノを、ホゼアを、使者たちを睨み続ける。
黙ってそれを聞いていたアールは、ミューズの言葉が途切れるのを待って大きなため息を吐き出した。
「アマスル殿下?」
「……同感だな」
使者の1人が不思議そうに名を呼ぶ。
それを遮るかのように、アールはぎろりとその人物を睨みつけた。
びくりと目に見えて肩を跳ねさせた使者は、別の使者の後ろに隠れるように数歩退いた。
それを見届けたアールの視線が、マーノとホゼアに向けられる。
「リーフは責任感の強い男だ。命を投げ出して、後の全てを妹君に押しつけるなんてこと、できないだろうよ」
「責任感が強い方が、復興途中の祖国を離れ、留学したりなさるでしょうか?」
アールの言葉が終わるのを待っていたかのように口を開いたマーノが、早口でそう捲くし立てる。
「リーフ殿下は、普段は王族としての責務を放棄なさっているように思いますが?」
「それは……」
思わずミューズは言いよどんでしまう。
それは、兄が異世界に生きたいと言い出した理由のひとつが、彼の個人的な感情からきているものだと知っているからだ。
だから、責務を放棄していると言われてしまえば、否定はできない。
「それは、ダークマジックが崩壊した後のこの国の復興速度が、リーフの学んだ知識から来ているものだと知っての発言か?」
それを否定したのは、他人であるはずのアールだった。
その言葉にホゼアの表情が僅かに歪んだ。
「何……?」
「あいつは、ただ国を離れているわけじゃない。遠い異国で必要な知識を吸収して、それをこの国に生かしている」
はっきりとそう告げられ、ミューズは息を呑んだ。
帰ってくるたびに、リーフが様々な政策を提案していることを知っている。
それのおかげで、国を取り戻した後、想定よりもずっと早く立て直すことができたものも確かにあった。
不意にアールの表情が緩む。
「最初に聞いた留学の動機には呆れたが、結果、その知識がここまでエスクール王国の復興を早めたんだ」
異世界へ旅立った理由は、確かに個人的な感情だった。
けれど、新しい世界を見ることで、その知識を持ち帰ることで、彼は不在でありながら祖国の復興に大いに役に立った。
それは紛れもない事実なのだ。
「我が国も少しばかり、知識を分けていただいたこともありますわね」
「ああ。おかげで何かあったときに、国の被害をいち早く確認することができるようになった」
小さく笑って呟かれたリーナの言葉に、アールは同意する。
リーフに直接教わったわけではないのだけれど、彼の発想が、2人に異世界の政策を参考にするという考え方を齎したことも、また事実なのだ。
「得た知識で自国を少しでも豊かにしようと努力する。これは王族としての責任を、十分に背負っているからこその行動だと思うが?」
アールが再びマーノとホゼアを睨みつける。
視線を受け、ホゼアがたじろいだように見えた。
「し、しかし……!」
「エスクールは他国で何か起こった際、真っ先にそのときできる限りの支援の手を伸ばす国だ。それを取り仕切っているのも、全てリーフ殿下だと聞いている」
反論しようとしたホゼアの声を遮るように、口調を強めたアールが、ミューズへと視線を向ける。
バトンを返されたのだと気付いたミューズは、突然のそれに狼狽えながらもしっかりと頷いた。
「は、はい。全て兄上が率先して父上に相談して指示されているものです。留学先にいらっしゃる場合は、使者の方が手紙を持っていらっしゃいます」
使者と言うのは、もちろんルビーたちのことだ。
調べ物をするために交代でこちらの世界にやってきていた彼女たちが、リーフからのメッセンジャーになることもたびたびあった。
「それでも貴殿らは、確かでないかもしれない情報を優先して、この国の王太子に犠牲になれと言うのか」
「アマスル殿下」
このまま黙らせ、追い返そうと、さらに口調を強めたそのとき、それまで黙って話を聞いていたマーノが、アールの名を呼んだ。
思わず言葉を呑み込んでしまう。
それがわかっていたかのように、マーノはこちらへ視線を向けた。
「殿下のその言い様……。マジック共和国は、エスクール王国に肩入れをなさるということでよろしいのですか」
冷たいその声に、アールは目を見張り、息を呑む。
ふっと、マーノが口元に笑みを浮かべた。
「この先エスクール王国が原因で我々の祖国が危機に瀕した先に、マジック共和国も共に責任を負うと、そう受け取ってかまいませんね?」
その言葉の意味に気付いたミューズが、慌てたようにこちらを見たのが視界の隅に入った。
「っ!?これはわたくしとお姉様が個人的にしていることで、国は関係ありませんわ!」
「一国の王族であるアマスル殿下と、その妹君を名乗られているあなた方が、そんな理由でこんな発言をして、その意見が認められるとお思いか?」
「それは……っ」
マーノがこてんと首を傾げて尋ねる。
一見可愛らしくも見える仕草だが、彼女はアールよりもずっと年上だ。
可愛いどころか、苛立ちしか感じない。
言いよどんでしまったリーナを見て、アールは周囲に気付かれないように拳を握り締めた。
マーノの言うことは分かる。
アールも王族だ。
公の場で言葉を口にする以上、それは想像以上の重荷となって、自身にのし掛かってくる。
たとえ、公の立場として口にしたわけではない言葉も、公人のそれとして取られてしまう。
それは、ここ1、2年の間に、嫌と言うほど経験したことだ。
今回も下手をすればそういうことにされてしまう可能性があると、わかっていたつもりだった。
わかっていたけれど、口を出さないと言う選択もできなかった。
友人の命の危機を、黙ってみていることなんてできるはずがないのだから。
意を決して、アールが言い返そうとした、そのときだった。
「何をしている?」
廊下に突如、その場にいる誰のものでもない声が響いた。
ミューズがはっと後ろを振り返る。
釣られるように振り返ったアールとリーナも、そこにいた人物の姿を目にした途端、息を呑んだ。
そこにいたのは、この国の王。
長きに渡る軟禁生活の末、体を壊し、今では最低限の公務以外は子供たちに任せ、一線を引いているリーフとミューズの父親。
「お父様……!?」
「リミュート陛下……」
リミュート=トゥス=エスクール、その人だった。
「騒がしいと思ってきてみれば……」
リミュートの視線が、ミューズたちの向こう側にいる他国の使者たちへと向けられる。
高齢の王は、その顔の皺をさらに深くして、尋ねた。
「使者の方々も、この階は我ら家族の居室だが。こんなところで何をなされているのか?」
これにいる者のうちの何人かが、びくりと体を震わせたのがわかった。
それでも、怯んだ様子を見せない者もいた。
そのうちの1人であるマーノが、恭しく頭を下げる。
「リミュート陛下。居室付近で騒ぎ立てしたこと、お詫び申し上げます。我々は、世界中を覆う騒ぎを止めるために、ご子息にお力を借りに参りました」
その言葉に、リミュートは眉をひそめる。
「息子の力?」
「はい。今、この街を襲う魔物の数々は、リーフ殿下を迎えにきているのだという噂はご存じですか?」
「何?」
ミューズがびくりと体を震わせる。
それを見て、アールはぐっとを噛みしめた。
父を心配させまいと、ミューズがその噂を報告しなかったことを、彼女もリーナも知っていたのだ。
「魔物たちの目的が殿下の御身であるのならば、殿下が表に出れば、あれらの驚異は収まるでしょう」
「リーフ殿下に魔物たちの前に出ていただき、魔物たちを退けていただく。そのお願いに上がりました」
マーノに続き、ホゼアも、頭を下げたままそう口を開く。
話を聞いていたリミュートは、ミューズへ視線を向けた。
「ミューズ」
「は、はい、父上」
「今の話は本当か?」
「……それは」
答えることができずに、口を噤んでしまう。
黙ったまま答えない娘の姿に、リミュートは何を思ったのかほんの少しの間目を閉じて、次いでアールを見た。
「アマスル殿」
名を呼ばれる。
けれど、ミューズが答えない以上、アールだって答えることはできない。
黙ったまま視線を反らした彼女を見て、リミュートはため息のような息を吐き出した。
「……そうか。つまり方々は、我が息子にその命を投げ出せと仰るのか」
この王は、さすがリーフとミューズの王だけあって聡明だ。
ミューズとアールが何も言わないことで、マーノたちの言葉が正しいと言う事実と、その先にある要求を正確に理解していた。
「魔物たちがリーフ殿下を迎えようとする理由次第かと思われますが」
「……っ、同じことではありませんか!!」
淡々と答えたマーノの言葉に、たまらずと言わんばかりに叫んだのはリーナだった。
「魔物を操る者がリーフ様の命を保証すると、皆様はお考えなのですか!」
怒りの感情が混じったその問いかけに、答える者はいない。
つまりは、それが答え。
その場にいる誰もが、魔物がリーフの命を保証するとは思っていないのだ。
引き渡せば、その場でリーフは殺されるだろうと踏んでいる。
昨日の、あのもう1人のルビーが、そうしようとしたように。
「ですが、他に魔物を退ける方法はございません。民を守るために、致し方のないことかと」
「本当にそうか?」
それでもリーフを引き渡そうとするマーノの言葉を、アールが食い気味に遮った。
その声には、先ほどよりもずっと強い、怒気が含まれている。
「アマスル殿下?どういう意味でございましょう?」
「お前たちは、本当に民を守ることが目的か?」
とぼけようとしたマーノに、強い口調で尋ねる。
不思議そうに首を傾げた彼女は、次の瞬間、アールが告げた言葉に目を見開いた。
「エスクールの王太子を排除することで、この国の力を削ぐことが目的ではないのか?」
何を、と、そう呟かれた声は震えていた。
他の使者たちも、驚いたようにマーノを見る。
中には、息を呑んでこちらとマーノを見つめる者もいた。
おそらくは、マーノと同じ目的でこの場にいる者たちだろう。
「お姉様……!?」
「他国の王族の、それも王位継承者の命を危険に晒そうとする。普通に考えれば、そんな考えに行き着くとは思わないか?」
咎めるようにアールを呼んだリーナを敢えて無視して、続ける。
ぎろりとマーノを睨みつければ、彼女は目に見えて狼狽えた。
「何を、バカな……」
「マーノ殿。確かゴルキドは、我が国を快く思っていなかったな。トランストンも、ここ最近はエスクールを目の敵にしているという噂がある」
ホゼアがびくりと体を震わせる。
目がきょろきょろと、アールと視線が合わないように宙を彷徨い始める。
どうやら、少し前に耳にしたこの『ハンターギルドで出回っている』噂は真実らしい。
後で礼をしなければと、自分が不在の間、国を守ることに尽力してくれているはずの知人を思い浮かべた。
「これを機に、我が国に肩入れしているエスクールの力を削ごうと、そういうおつもりではないと、証明できるか?」
ホゼアが苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。
一瞬だけ安堵した、そのとき。
「逆にお尋ねします。アマスル殿下」
マーノがことばを発したのを見て、アールは舌打ちをしたい気分になった。
「我が国とトランストンが、エスクール王国の力を削ごうとしていると、証明することはできるのですか?」
薄く、あざ笑うような笑みを浮かべたマーノを睨みつける。
「……できないな」
「では、我々もできません」
にこりと笑って返された言葉に、アール今度こそ小さく舌打ちをした。
それならばと、負けじと口を開く。
「同じように、魔物に引き渡したからと言って、リーフ殿下がすぐに殺されてしまうという証明も、できないでしょう?」
「ですから、リーフ殿下にお話を……」
「断る」
そのとき、廊下にここにいるばすのなか人物の声が響いた。
どこか弱々しい、けれど凛としたその声に、その場にいる誰もが息を呑む。
勢いよく振り返ったミューズは、父よりもずっと後方で、壁にもたれ掛かりながら立っている治療着姿の兄の姿を見つけ、目を見開いた。
「リーフ兄様!?」
名を呼んで、駆け寄る。
今にも崩れ落ちてしまいそうな体を支えると、彼は申し訳なさそうに微笑んだ。
「リーフ、お前……」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません、父上」
ミューズの後ろからのぞき込んできた父に向かって、リーフはやはり何処か弱々しい顔で笑いかける。
「絶対安静だと聞いていたぞ。ここにいて良いのか?」
「良いわけありません!!」
父の問いに答えたのは、リーフ本人ではなくミューズだった。
今にも泣きそうな顔になった彼女は、兄の体を支える手に無意識に力を込めてしまう。
その痛みで僅かに歪んだリーフの顔を見たときには、もう考えるより先に言葉が飛び出していた。
「兄様、どうして来たんです!まだ寝ていないと……」
「ミューズ」
自分の腕を掴む妹の腕を逆に掴んで、リーフはじっとその目を見た。
突然、あまりにも真剣な色を持つその瞳に見つめられ、ミューズは思わず言葉を呑み込む。
「教えてくれ。あれから、どうなった?」
一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
戸惑うミューズに気づいたのか、リーフはもう一度口を開く。
「俺が生きてるのは、セレスが、助けてくれたから、だろ?あいつは、みんなは、どうしたんだ?」
その顔が、痛みとは別のものに歪んだ。
「ルビーは、どうなったんだ?」
そう尋ねる彼の声は、震えていたように思う。
「それは……」
「お前を刺した偽物のルビーなら、本物のルビーとタイムが退けたぞ」
何をどう説明したらよいのか戸惑っていると、再び廊下の奥から声が響いた。
「え!?」
誰かが驚く声がして、はっと顔を廊下の奥へと向ける。
そこには、先ほど勇者と呼ばれる少女たちとともに、城の地下へ下りていったはずの人物がいた。
「フェリア……?」
リーフが呆然とした様子でその名を呼ぶ。
呼ばれた彼女は、彼の姿を見ると、わざとらしく大きなため息をついた。
「部屋にいないと思ったら。何をしているんだ、お前は」
かつかつとブーツのヒールを響かせてこちらに歩いてきた彼女は、ふとそこにいるリミュートの姿に気づき、目を見張る。
けれど、それは一瞬で、すぐに澄ました表情に戻ると、優雅な動作で頭を下げた。
「失礼いたしました、陛下」
「貴殿は、確か……」
「リーフ殿下の友人でございます」
その言葉に他国の使者たちがざわめいた。
けれど、そんなものには気づいてないと言わんばかりの態度で、顔を上げたフェリアはリミュートに向かって微笑む。
階下へと降りていく前とは打って変わった余裕のあるその姿に、アールとリーナは不思議そうに顔を見合わせる。
けれど、それを問いかけるより先に、弱々しい声が耳に届いた。
「にせ、もの」
「正確に言うと、偽物とは違うが」
リミュートから視線を外し、再びリーフを振り返ったフェリアは、少し思案するような表情を浮かべた後、告げる。
「お前を助けたのは、本物のルビーとタイムだ」
彼女と、そして自分たちが見た真実を、はっきりと。
「間違いないです、兄様」
「無事に戻っていらしたおふたりが、精霊様方から授かった力で、リーフ様の治療をなさったんですわ」
ミューズがその言葉に頷き、リーナが続けて説明をする。
「そう、か……」
それを聞いたリーフが、ほっとしたように息を吐き出した。
「ちゃんと、無事だったんだな、あいつら」
「ああ」
「よかった……」
安心したようにそう呟くと、力が抜けてしまったのか、リーフはその場にずるりと座り込んでしまう。
「っ、兄様!」
慌てたミューズの脇から手を伸ばしたフェリアが、倒れてしまいそうなその体を支える。
「しっかりしろ。お前にこれ以上何かあったら、セレスが泣くぞ」
「……ああ。わかってる」
もう一度息を吐き出し、挙げられた顔には脂汗が滲んでいたが、目にはしっかりと生気が宿っていた。
それを見て、アールはこっそり安堵の息を吐き出す。
大丈夫だろうと判断すると、彼女はその視線をリーフからフェリアへと移した。
「フェリア」
名を呼ぶと、フェリアはリーフに肩を貸しながらこちらを見た。
「お前は何故ここにいる?あいつらと一緒に行ったんじゃなかったのか?」
おそらくは、リーナもミューズも抱いているだろう疑問をぶつける。
すると彼女は困ったように笑った。
「残念ながら、精霊魔法の使えない者は、ゲートが通れないんだそうだ」
精霊魔法。
本来は違う名であるはずのそれをそう呼ぶのは、リミュートを始めとする、真実を知らない者たちがいるからだろう。
「だから置いて行かれた。私も、彼女も」
ちらりとフェリアの視線が動く。
それを目で追ったアールは、その先に小さな光の玉があることに気づいた。
注視しなければ気づくことができないくらい、小さな小さな光だ。
「行けない代わりにリーフ殿下を守れと言われたよ。だから戻ってきたんだ」
視線を戻して、フェリアは薄く微笑んだ。
「話をしているところすまないが」
不意に、横から声がかかる。
その姿を目にした途端、フェリアの顔から笑みが消えた。
「今、息子の身に何が起こっているのか、尋ねてもよいか?」
「失礼いたしました、国王陛下」
側に歩み寄ったリミュートに向かい、リーフの負担にならないように頭を下げた彼女を見て、アールは邪魔をしないように一歩後ろへと下がった。
「リーフ殿下の友人のフェリア=バンガードと申します。私は、本家当主たちの頼みで、ここに参りました」
「貴殿の本家とは、確か……」
「はい。精霊の勇者ミルザの血を引く勇者の一族、その力を受け継いだ『当代の勇者』でございます」
その瞬間、背後でざわめきが起こった。
アールは意識をそちらへと向ける。
視線を向けてはいなかったけれども、誰かの焦るような気配を感じた。
「勇者たちは精霊神マリエスの意志を受け、この騒動の収束に向け、動き出しております。その勇者たちが、同じ血を引く分家の私に、リーフ殿下を守れと命じました」
そこまで言ったフェリアが、顔を上げる。
その茶色の瞳が、こちらを見た。
いや、正確には、アールの後にいる他国の使者たちを見たのだろう。
その口の両端が、僅かに弧を描く。
「その意味を、聡明な皆様方であれば、ご理解いただけると思いますが?」
それは一見微笑んでいるようで、けれど、そうではない顔だった。
その意図が伝わったのだろう。
「どういう意味でしょうか?」
怒気を含んだその声にアールが振り返ると、マーノが睨みつけるような目でこちらを見ていた。
「分からないなんて、人間って馬鹿なんですね」
その途端、涼やかな声が辺りに響いた。
その場にいた誰のものでもないその声に、マーノの肩がびくりと跳ね上がった。
「な……っ!?」
「誰だ!!」
使者たちが辺りを見回す。
対して、アールたちは動揺した様子を見せない。
彼女たちは、その声の主を知っているのだから、驚く理由などない。
フェリアの側に、ずっと浮いていた光の玉が、すいっと動いた。
動きながら大きくなったそれは、アールの前に躍り出ると、光をさらに含ませて、拡散する。
光の中から現れたのは、予想どおり、アールたちがよく知る妖精の少女だ。
「フェリアさんは、精霊神マリエス様がリーフ王子を守れって言ったって言ったんですけど?」
両手を腰に当て、仁王立ちでもするかのようなポーズで少し高い場所に浮いたティーチャーは、ぎろりと他国の使者たちを見下ろす。
その姿を見た途端、ホゼアが息を呑み、声を上げた。
「妖精……っ!?」
「まさか、本当に……?」
他の使者たちからも、ざわざわと声が上がる。
それを聞いたティーチャーは、不機嫌そうに眉を寄せた。
「失礼な。他の何に見えるって言うんですか」
「ティーチャー」
フェリアが咎めるように彼女の名を呼ぶ。
一瞬こちらを振り返ったティーチャーは、不満そうな表情を浮かべながらも、「はーい」と返事をした。
ため息を吐き出すと、もう一度ぎろりと使者たち――いや、マーノを睨みつける。
「マリエス様は勇者たちに仰いました。リーフ王子を魔物に渡せば、人間界は滅びると。だから、スピアマスターの補佐役の私と、ウィンドマスターの補佐役の彼女が、リーフ王子の護衛をしに来たんです」
「そういうわけなので」
フェリアが再び口を開いた。
その目が使者たちを睨みつける。
「リーフ殿下は渡しません。早々にお引き取りいただきたい」
ぞわりとするような低い声で告げられたそれに、マーノとホゼアが息を呑んだのが見て取れた。
「し、しかし、それでは、外の騒ぎはどうするのです!」
けれど、マーノは引き下がらない。
身を乗り出し、なおも言い募る。
「もう民衆も、リーフ殿下を出せと声を上げているのですよ!」
え、と小さくリーナが声を上げた
「先導したのですか……!?」
「なんてことを……」
「なんのことでしょう?」
マーノは何の悪びれもなく首を傾げて見せた。
悪びれる様子もないその仕草に、ふつふつと怒りが沸いてくる。
その女はどこまでもリーフを、あるいはエスクールという国を犠牲にするつもりらしい。
「アマスル殿下、ミューズ殿下」
ふと、名前を呼ばれ、アールは振り返る。
フェリアが、それまでの相手を見下すような笑みを消し、自分たちの良く知る表情でミューズを、そしてアールを見ていた。
「この騒動の真相と黒幕について、公表するかどうかは、あなた方2人とリーフ殿下に委ねる」
一瞬、何を言われたのか理解ができなかった。
それは、ミューズも同じだったらしい。
「何?」
「え?」
2人同時に聞き返すと、フェリアの表情が僅かに崩れた。
「ルビーとタイムからの伝言だ」
微笑むようなその表情は、すぐに消えてしまう。
代わりに、真剣な色を宿した瞳が、2人を見つめる。
「昨日あの2人が私たちに話した事の真相。黒幕が何者で、どうしてリーフ殿下がこんなに狙われているのか。公表するかどうかも、どこまで公表するかも、あなた方の判断に任せると言っていた」
「どうして、私たちに……」
「あなた方なら、絶対に悪いようにするはずがないから、だそうだ」
その言葉にミューズの目が大きく見開かれる。
「そんなことを、言っていたのか。あいつらは……」
アールの頭の中に、ルビーの顔が浮かぶ。
きっと、彼女はそれを告げたとき、笑っていたのだろう。
何の確証もなく、そう思った。
「ああ。ちなみに、他の奴らも私たちも同意見だ」
ふっとフェリアが微笑んだ。
ティーチャーもにっこりと笑って頷く。
その笑顔は、信頼を向けられている証だ。
それが嬉しくて、むず痒い。
ふと、1人だけ不満そうに頬を膨らませている人物がいた。
「わたくしは仲間外れですの?」
「だってリーナさんは、アールさんの妹だけれど、王族じゃないじゃないですか」
いつものように文句を言うリーナに、ティーチャーは先ほどまでの態度が嘘のように、楽しそうに笑いながら声をかける。
それはそうだけれど、と呟きながら拗ねたような表情を浮かべるリーナが微笑ましくて、アールは無意識のうちにくすりと笑みをこぼした。
「真相って、何だ」
ふと、小さな声が耳に届いて、アールはそちらへ視線を向けた。
フェリアに支えられたままのリーフが、顔を上げて彼女を見ている。
「俺は、何も、聞いてない」
途切れ途切れのその声には、話を聞きたいという強い意志が宿っていた。
それを見たアールの口元に、無意識のうちに笑みが浮かぶ。
「あいつらがあの話をしたのは、貴殿の意識が戻る前だったからな」
ルビーとタイムが、真相を語ったのは昨夜。
そのとき、リーフ以外の仲間たちは皆、その場にいた。
聞いていないのは、リーフただ1人なのだ。
「アマスル殿下」
声をかけられ、アールはそちらへ顔を向ける。
「あなた方は知っているのか。リーフが魔物に狙われている理由を」
「はい、リミュート王」
王の顔の中に、ほんの少しだけ父親の顔が滲んでいる。
そんな表情で尋ねたリミュートを真っ直ぐに見つめ返し、頷いた。
「詳細はお伝えできません。しかし、リーフ殿下を魔物たちに渡せば、世界が滅びる。その点だけは、事実です」
他国の使者たちから、再びざわめきが起こる。
ほんの少しだけ後ろを振り返ると、マーノがびくりと体を震わせたような気がした。
それを口にすることはなく、アールは再びリミュートに向き直る。
「我々は、リーフ殿下を守らなければならない。魔物からも、他の国々からも」
はっきりと、それまでも声が大きくなるように意識して、そう告げる。
他の国が抗議の声を上げようと、もはや構うことはない。
今告げたことは、紛れもない真実だと、断言できるのだから。
話を聞いていたリミュートが、不意に目を細めた。
「世界のために、リーフを守ると言ってくださるか」
「それだけでは、ありませんが」
「それだけではない、と言うと?」
ふと零れた言葉に、アールは一瞬だけ失態をしたと思った。
けれども、隠す必要などないかと思い直し、顔を上げる。
「私にとって、リーフ王子とミューズ王女はかけがえのない友人ですから」
それはルビーたちにも告げた、紛れもない本心だ。
「アール……」
そうだというのに、リーフに驚いたような顔をされると、少しだけ傷つくと思ってしまっても、許されるだろうか。
ふと、誰かが息を吐き出すような気配がした。
そちらを見ると、ほんの少しだけ視線を落としていたリミュートが、顔を上げたところだった。
意を決したような表情をした初老の王は、ほんの少しだけへ子供たちへ視線を向けてから、前へと踏み出す。
アールの隣まで来たところで、彼は口を開いた。
「皆様にはお引き取りいただきたい」
はっきりと告げられたその言葉は、懇願ではなく宣告だ。
「リミュート陛下!」
それを感じ取ったのだろう。
マーノが息を呑み、声を上げる。
リミュートは彼女を一別すると、再び口を開いた。
「息子の命で国や世界が救われるなら仕方ないと思いかけたが、どうやらそうではないらしい。であるならば、私は親として、息子をそなたたちに引き渡すわけにはいかない」
王として、父として、迷っていた理由はもうない。
だからこそ、リミュートは決断をしたのだろう。
それを、彼の息子の友人である自分たちが支えない理由はない。
アールの口角が、それまで以上に弧を描いた。
「陛下もこう言ってらっしゃるのだ。貴殿らにはお引き取り願おう」
「それでもリーフ殿下を連れて行くというのであれば」
相変わらずリーフを支えたまま、フェリアが口を開いた。
その顔には、笑みはない。
代わりに、今まで見たことがないような、冷たい表情が宿っていた。
「精霊神と七大精霊の意志を受けた勇者の末裔として、私はあなた方を、世界を危険に晒す害悪として排除する」
「な……っ」
はっきりと告げられた言葉に、マーノとホゼアは言葉を失ったようだった。
「皆様、ご存じですか?」
そこに追い打ちをかけるように、リーナが声をかける。
「妖精族の使う魔法には、相手を強制転送させる呪文があるそうですわ。ティーチャー様。ここからどこまでなら、この人数を飛ばせます?」
これ以上ないと言ってもいいほど、綺麗な笑顔を浮かべたリーナが、アールの側に浮いていたティーチャーに尋ねる。
問いかけられたティーチャーは、一瞬きょとんとした表情を浮かべて、うーんと頭を捻ってみせた。
「そうですねぇ。今の私だと、せいぜい街の外が限界かなって思いますよ」
そう答えたティーチャーの顔にも、とても可愛らしい笑顔が浮かんでいた。
それを聞いたリーナは軽く礼を言うと、くるりと、可愛らしい動作でマーノを振り返る。
その仕草を見たことがあるような気がして、アールは心の中で首を傾げた。
「どうなさいますか?強硬手段に出られて強制退去させられます?それとも、素直に引き下がって、この城の下層のゲストルームで休まれますか?」
「ニール長官、あなたは……」
マーノの声が震えていたような気がする。
それを聞いたリーナは、それまで以上に、それはそれは楽しいそうに笑った。
「わたくしの過去、ご存じでないはずがありませんわよね?マーノ様」
そう尋ねる彼女の目だけは、全く笑っていなかった。
「……わかり、ました」
「マーノ殿!?」
絞り出すように答えたマーノに驚き、隣に立っていたホゼアが声を上げる。
「本日は下がりましょう、ホゼア殿。ニール長官は、危険です」
声を潜めてそう告げるマーノの顔を見て、ホゼアが息を呑む。
「……承知した」
彼は承諾すると、後ろを振り返り、他の使者たちにも下がるように声をかけた。
戸惑いの声を上げながら、使者たちが階段を下りていく。
その姿が漸く見えなくなった頃、重く息を吐き出す気配がした。
振り返れば、気が抜けたらしいリーフが、フェリアに支えられながら床に座り込んだところだった。
その濃緑色の瞳が、こちらへ向けられる。
「リーナ、お前……」
「よいのですわ、リーフ様」
声をかけられたリーナは、にっこりと笑った。
それは先ほどまでのような冷たいそれではなく、ふわりと安心させるような笑顔だった。
「あなた様とミューズ様をお守りするために、わたくしも体を張りたい。それだけのことですから」
満足そうにそう答えるリーナを見て、アールもため息を吐き出す。
今でこそ忘れかけられているが、ダークマジック時代のリーナは、いつも先ほどのような振る舞いをしていた。
まるで魔女のような態度を取り、相手を罠にはめ、陥れる。
それを知っているからこそ、マーノもあんな言葉を口にしたのだろう。
けれど、アールは知っている。
あの頃のリーナは、少しでも自分を支える立場に近づくために、とても無理をしていたのだ。
今、自分たちが見ている彼女の方が、本来の彼女の姿であることは、ここに残っている者であれば皆が知っていた。
「……悪い」
「謝らないでください。リーフ様のせいではないのですから」
そう言って笑う彼女は、とても嬉しそうだった。
それを見て、アールも口を開く。
「そうだな。今回のこれは、誰もせいでもない」
「ルビーさん風に言うなら、神様の傲慢、ですかね」
ティーチャーが右の頬に手を当て、大きなため息を吐き出す。
おそらくは、その言葉が一番的確なのだろう。
リーフに合わせるようにしゃがみ込んでいたフェリアが、彼にすっと手を差し出した。
「立てるか」
「ああ、なんとか……」
リーフがその手を取って、立ち上がる。
それでも、やはり傷が痛んで辛いのか、壁から背を離すことはできないようだった。
「尋ねてもよいか」
不意に、耳に届いた声に、誰もがそちらへ視線を向ける。
「はい、お父様」
体ごと声の主である父王に向き直ったミューズは、その目を見てしっかりと頷いた。
娘の返事を聞いたリミュートの表情が、ほんの僅かに崩れた。
「一体、世界で、何が起こっているのだ」
おそらくは、王ではない彼の顔を知る者でなければ気づかない程度の表情の変化。
瞳に浮かんだ色は困惑と、不安。
リーフによく似た色を持つその瞳が、ミューズを見つめて揺れていた。
「アール、ミューズ王女」
フェリアが2人に声をかける。
今、リミュートの問いに答えることができるのは、フェリアではない。
声をかけられたアールは、フェリアに目を向ける。
その視線が、少しずれた。
聞かずとも、誰を見ているのかはわかっていた。
「判断するにも、リーフに状況を説明する必要があるな」
「そうですわね……。リーフ様とミューズ様とお姉様、3人の判断で、ですものね」
ずっと眠っていたリーフは、まだ何も知らない。
彼に判断するための材料を渡さなければ、何も決められない。
フェリアとティーチャーも同意見だ。
だから、反対することなく同意の意を示す。
「私は……」
ふと、ミューズが小さく声を発した。
小さいと言っても、その場にいる全員の耳に届くには、十分な声だった。
「私は、お父様には同席していただくべきと思います」
アールに顔を向けたミューズは、彼女の目を見てはっきりとそう告げる。
「王家にも関わることです。お父様にも、知っていただくべきかと」
「ミューズさん……」
ティーチャーがくるりとアールへと体を向ける。
「いかがですか?アールさん」
「私が反対する理由はない。いいか?」
「任されたのはお前たちだ」
「わかった」
フェリアの答えに、アールは頷く。
彼女がミューズに視線を戻すと、彼女はほっと息を吐き出した。
それを見て、安堵の表情を浮かべたティーチャーは、けれどすぐに顔を引き締め、全員の前にひらりと踊り出る。
「とりあえず部屋に入りましょう。リーフさんの体に触ります」
「ああ、そうだな」
頷いたフェリアが、再びリーフに肩を貸す。
そのまま彼女たちは、先ほどまで話をしていた談話室に向かって歩き出した。

2020.01.03