Last Chapter 古の真実
25:襲撃者 前編
時は少し戻って、エスクール王国の王都。
城下町からは、通常のような活気は消えていた。
人々の往来はあるのだが、誰もがどこか気落ちしているようで、覇気がない。
それもそうだろう。
国中に魔物が溢れて、もうひと月は経つ。
街道でも尋常ではない数の魔物に襲われてしまうため、他の街へ行くなど、とてもではないができる状態ではない。
王都の門もずいぶん前に封鎖して以来、軍が他の街へ救援に行く以外では開かれることはなくなっていた。
そうなると、問題は様々なところに現れる。
一番の問題は、食料だった。
今の状態では、門の外に農作業に行くことは不可能だ。
幸い王都では、門の中の一区画が農業地区になっていたし、それ以外にも他国から侵略された際に籠城できるように、ふた月は保つよう調整された備蓄がある。
かつて帝国に侵攻された際の経験を元に王都全体に指示していたそれのおかげで、民間でも多少の備蓄はする習慣が培われていたから、今のところ普段通りとは言えないが、飢えることはなく暮らすことはできていた。
しかし、他の集落――特に小さな町や村はそうもいかない。
村の外に作業に行けなくなると、打撃を受けるところもあるはずだ。
それに、問題は食糧だけではない。
「いつになったら、街の外に出られるようになるんだろうなぁ」
ふと耳に入った言葉に、彼は足を止めた。
被った外套のフードはそのままに、意識だけを気づかれないようにそちらへ向ける。
「魔物の異常発生だろう?本当に軍は何してんだよ」
話をしているのは、商人風の男たちだった。
恐らくは、いくつもの街を渡り歩く行商人だろう。
「原因不明だって話だろ?」
「何処から湧いてるのもわからないってな」
「早く突き止めて、なんとかして欲しいもんだぜ」
男の1人が盛大なため息を吐き出す。
そのまま頭をガシガシ掻いたかと思うと、その顔をある方向に向けた。
「だいたい、この国の王太子様とやらは何処に行ったんだよ」
びくりと、彼は肩を跳ねさせる。
「帰ってきてるはずだぜ。7日前にミューズ殿下の演説があっただろ」
「そういや……。でも、普段は表だって指揮を執る殿下が、人前に姿を見せないっておかしくないか?」
「そういやそうだな。何かあったのか……?」
商人たちの会話を聞きながら、彼はフードを両手で掴み、深く被り直すと、早足でその場から立ち去った。
そのまま、近くの酒場へと向かう。
まだ開店準備中になっている札を無視して、扉を開いて中へと入った。
入るとすぐに、カウンターの掃除をしていたらしい店主が顔を上げる。
「いらっしゃいませ。お客様、すみません。まだ掃除中でして……」
「すまない、俺だ」
そう言って、彼は被っていたフードを取った。
その下から現れた顔を見て、店主はその目を大きく見開く。
「リーフ殿下……!?」
「しっ!声が大きい」
口元に人差し指を当てながら制止の声をかければ、店主は慌てて片手で口を押さえる。
扉の外の様子を伺ってから、小さく安堵の息を吐き出すと、勢いよく頭を下げた。
「も、申し訳ありません」
「いや、いいんだ。突然すまない」
同じように外の様子を伺っていたリーフは、往来の意識がこちらに向いていないことを確認して、胸を撫で下ろした。
その姿を見て、店主は首を傾げる。
リーフが街を歩くときは、いつも自由兵団の団長服を身に纏い、堂々としていた。
こんな、まるで隠れて行動しているかのような服装でやってくることなど、まずない。
それを知っている彼が、その姿を疑問に思うのは当然だった。
「しかし、何故そんな姿でこちらに?お帰りになられているとは伺っていましたが……」
「事情があって、今はお忍びなんだ。ミューズにも黙って出てきてる」
「ミューズ様にも、ですか?」
店主が目を丸くする。
帝国に占領されていた頃のレジスタンス時代から兄妹を呼く知る彼には、それすら驚きだったのだろう。
「殿下がそこまでなさるなんて、何かあったのですか?」
「ああ……」
リーフの視線が、宙を泳ぐ。
いくら旧知の彼であっても、今こうやってこっそり城を抜け出してきた理由を素直に話すわけにはいかなかった。
だって、この原因は、王都の状況をがらっと変えてしまう可能性のあるものなのだから。
「それよりマスター。教えて欲しいことがあるんだ」
「は、はい。私にわかることでしたら」
少し口調を堅くしてそう告げれば、店主は少し体を固くして頷いた。
怖がらせてしまったのなら申し訳ないと思う。
けれど、仕方がないのだと言い聞かせて、ここに来た目的を告げる。
「街の状況を教えて欲しい。それこそ、近衛兵ではわからないような裏の話や旅人たちの話も含めて」
その途端、店主が先ほどとは別の感情を乗せた表情を浮かべ、目を丸くする。
普段から王都を周り、民衆の生活をその目で見るように過ごしている王子や王女から、そんな頼みごとをされるとは思わなかったのだろう。
「殿下?」
「頼む。戻ってきてから城から出られなくて、俺はもちろんだが、たぶんミューズも、街の状況を把握できていないんだ」
店主に向かって頭を下げる。
驚いた店主が慌ててやめさせようとしたけれど、リーフは頭を上げようとはしなかった。
結局、先に折れた店主が、話すから頭を上げてくれと懇願し、ようやくリーフは彼の顔へと視線を向ける。
最初はあたふたした様子で、けれどだんだん落ち着いてきたのか、静かに自身が知る限りの街の現状を話す店主の言に葉は、リーフの想像を越えるような話も含まれていた。
予想どおり言えば、そうなのかもしれない。
その可能性を考えたからこそ、リーフは今日、こっそりと城を抜け出してきたのだ。
「そうか……」
「各店の備蓄品も、想定より早く減っています。このまま状況が長引けば、あと半月保つかどうかといったところですね」
最後にリーフが気にしているだろうと思ったのか、そう告げて、店主は小さく息を吐き出した。
ため息のようなそれに、彼の想いの全てが乗せられているような気がした。
リーフは静かに目を閉じる。
次期国王として、自分がするべきこと。
それを頭の中でぐるぐると考えながら目を開けると、リーフは席を立った。
「ありがとう、マスター。助かった」
「殿下……」
「やっぱり城にいるだけじゃ駄目だな。実際に見て確認しないと」
「そのお心遣いは感謝いたします。ですが、ミューズ様が城から出るなと仰るのは、理由があるのでは?」
「……ああ。わかってるんだ」
今回の魔物の大量発生が、本当に自分を狙ってのものならば、外に出ない方がいいということはわかっていた。
けれど、それはあくまで推測で、それが真実かはわからない。
そして、何よりも。
「わかってはいたんだけれど、どうしても自分で確認したかったんだ」
「殿下……」
「ありがとう、マスター。俺はこれで戻るよ」
心配してくれる店主に笑顔を返して、リーフは席を立つ。
「殿下!」
はっと顔を上げた店主は、出て行こうとする彼を慌てて呼び止めた。
「地下から戻られた方がよくありませんか?」
店主の申し出に、リーフはほんの少しだけ目を見開く。
この街には、有事の際に王族が安全に避難できるよう、下水設備とともに地下通路が整備されている。
その地下への入口のひとつが、この店の奥にあるのだ。
かつて、この国がまだダークマジックの支配下にあった頃に、レジスタンスの拠点への入口として使っていた、それが。
「理由があるのでしたら、奥の地下通路を……」
「ありがとう。だけど、いいんだ」
本当はそうした方がいいのだと、リーフ自身もわかっている。
わかっては、いたけれど。
「もう少し、街の様子を見てから戻りたいんだ」
妹や部下、友人たちに任せきりで、王都の様子が把握できないことに苛立ちを感じていたのもまた事実で。
だからせめて、こことの行き帰りだけは、街の様子をこの目で見たいと思った。
少しでも早く、今の状況を何とかするために。
そう言ってしまえば、店主が王族である自分に強く出られないことも承知していた。
「わかりました。どうぞ、お気をつけて」
「ありがとう。じゃあ、また」
頭を下げて見送ってくれる店主に礼を告げると、リーフは外套のフードを深く被る。
少し外の様子を眺めてから、もう一度店主に声をかけ、酒場を出た。
街ゆく人に顔を見られないように気をつけながら、早足に通りを歩く。
その間も、この状況に対する不満や不安が耳に入ってくる。
やはり、外に出て来てよかったと思う。
予想していたとおり、自分たちが思ったよりも状況は深刻だ。
このままじゃまずい。
なんとかして、解決方法を探さないといけない。
でも、それにはたぶん。
「ルビー……、タイム……」
あの2人を、見つけないといけないだろう。
あの2人がいなくなってから、友人たちは皆、冷静ではいられなくなっている。
なんとか虚勢を保っていても、少しずつ崩れていっているのがわかる。
それくらいあの2人――特にルビーは、彼女たちにとって支えなのだ。
「ホントに、お前ら、どこにいるんだ」
無事でいると信じている。
あのまま彼女たちが死んでしまったなんて、考えられないし、考えたくもない。
探しに行きたいのは、自分だって同じなのだ。
だから、本当に、どうか。
祈りながら、フードを深くかぶり直す。
心に焦りが生まれたのか、少し小走りに鳴り始めた、そのときだった。
「魔物が!!魔物が入ってきたぞ!!」
飛び込んできた悲鳴に、足が止まった。
「なんだって!?」
今この王都は、友人たちが強化した結界に覆われているはずで。
それなのに、一体何処から入り込んだというのだ。
いや、それよりも。
「誰か兵士を……!助けてくれ!!」
その声を聞いた瞬間、リーフは腰の剣に手を伸ばし、走り出していた。
「さがれ!」
叫んで、混乱して逃げまどう人々の中に飛び込んでいく。
今にも老婆に飛びかかろうとしていた狼のような魔物に向かい、剣を振り下ろす。
鮮血が飛び散り、魔物が悲鳴を上げる。
その瞬間、殺気が一斉に自分に向いたのを肌で感じた。
ぞわりとした悪寒が背中を走り抜ける。
けれど、怯んでいる暇なんてない。
「誰か!この人を連れて逃げてください!!」
フードが脱げてしまっていたけれど、かまっている場合ではない。
周囲に向かって大声で叫ぶ。
その声に気づき、こちらを振り返った男性が、驚いたように目を見開いた。
「リーフ殿下?」
ぽつりと呟かれた名前に、周囲にいた人々が驚きの声を上げ、こちらを見る。
「本当だ、殿下だ!」
「リーフ様!助けてください!!」
リーフに気づいた人々が、次々に声を上げる。
剣を振るいながら、リーフはそれに応える。
「戦える者は加勢してほしい!そうでない者は怪我人を連れて城か教会地区へ退避してくれ!それから誰か、兵士にこの状況を伝えてくれ!!」
気づかれてしまったのなら、もう隠れる必要はない。
いつもの調子で周囲に指示を飛ばす。
既に騒ぎを聞きつけて集まってきた冒険者やハンターたちが、リーフの声を聞いて加勢を始めている。
その声を聞いた誰かが呼びに行ったのか、それとも先に助けを求めていたのか、しばらくして、漸く兵士たちがその場に駆けつける。
「リーフ様!」
「民衆の安全が最優先だ!!1人でも多く逃がせ!!」
リーフの姿を見つけ、驚きの声を上げる兵士たちに大声で指示を出す。
彼らが来てくれたおかげで、だいぶ人々の救助は楽になったが、魔物の勢いは止まることを知らない。
まるで、王都に帰ってくるまでの間に遭遇した魔物たちのようだった。
「一体何処からこんなに……」
「で、殿下!宿です!」
魔物と対峙している兵士の1人が叫ぶ。
亜人型の魔物を切り捨てながら、リーフはその言葉に眉を寄せた。
「宿?」
「この先にある宿の倉庫から、魔物が出て来ています!」
それを聞いた瞬間、リーフはその目を大きく見開いた。
その宿は、おそらくレジスタンス時代にエスクールの自由兵団が拠点にしていた場所のひとつであった店。
その理由は、あの酒場と同様に地下通路への入口が隠されていたからだ。
確か、その入口が、宿の敷地の隅にある、小さな倉庫だったはず。
ということは、魔物たちが入ってきていると考えられるのは、ひとつしかない。
「まさか、地下通路なのか!?」
そこは、友人たちが最も危惧していた場所だ。
エスクールの西にある精霊の森。
そのどこかにある枯れた井戸と、この王都の地下に張り巡らされた通路は繋がっている。
結界を貼ったアールとリーナは、その詳細を知らないため、地下通路の出口には結界が届いていない。
けれど、そもそも精霊の森にあるその井戸に魔物が近づく可能性は、森に張られた結界の影響で、本当に僅かだろう。
自分たちが、そこから出入りを繰り返さなければ。
そう結論づけて、それよりも地上の結界を強化しなければと奮闘していた最中だった。
「殿下!!」
兵士の声に、はっと意識が現実に返る。
目の前に狼型の魔物が迫っていた。
「く……っ!!」
すんでのところでその牙を受け止め、斬り払う。
どしゃっと音が聞こえて、魔物が動かなくなる。
「ご無事ですか、殿下!」
「問題ない!気にするな!」
駆け寄った兵士に言葉を投げて、リーフはもう一度魔物の群に向き直った。
「あの場所を知っている誰かが、魔物たちを呼び寄せたって言うのか?」
偶然はあるかもしれない。
けれど、今ここにいる魔物たちに、見つけた井戸をわざわざ降りて、大群を呼び寄せて戻ってくるほどの知能があるのだろうか。
誰かがあの場所に魔物を呼び寄せていると考えた方が、まだ可能性があるような気がする。
「でも、あそこは……」
そもそもあそこにある井戸の底が、王都の地下に繋がっていることを知っている人間は限られているはずだ。
城に仕える人間と、それから。
そこまで考えたそのとき、突然強い殺気を感じた。
ほとんど反射的に剣を頭の上にかざす。
その瞬間、刃がぶつかる音が辺りに響いた。
剣に振れているのは、魔物の牙や爪ではなかった。
それは、剣の刃だった。
見たことのない装飾の、リーフの持つそれよりもずっと刃渡りの短い剣。
フードのついたマントで顔と体を隠した人間が、その右手に握ったそれを、リーフに向かって振り下ろしていた。
舌打ちをして、剣に力を入れ、押し返す。
相手も押し負けると判断したのか、そのまま後方に飛び退いた。
剣を振り切ったリーフは舌打ちをする。
「何者だ!?」
剣を構え直し、襲撃者を睨みつけた。
こんなときに、人間同士で戦っている場合ではないのに。
そんな思いを抱きながら、目の前の人物をまじまじと見る。
短剣を握っていた手。
マントの下から見えている足。
その肉付きを見る限り、恐らくは女、だと思う。
フードに隠れたその口が、ゆっくりと開かれた。
「リーフ=フェイト=エスクール」
「え?」
名前を呼ばれた瞬間、違和感を覚えた。
だって今、耳に届いた、この声。
それを、リーフは知っているような気がした。
「死ね」
口を開く前に、相手は再び地面を蹴った。