Last Chapter 古の真実
18:隠された歴史
この世界における、神々の住まう世界が『神界』と呼ばれている世界だ。
この神界は、大きく2つの地域に分れてる。
ひとつはごく普通の神族が済む地域。
もうひとつは、創世記に誕生した、この世界の誕生や維持に関わる最高位の神々が住まう『聖域』。
この世界の創世記、まだ人間が国という集団を作り始めたばかりの頃、この聖域でひとつの諍いが起こった。
ある神族が、人間は滅ぼすべきだという意見を出し始めたのだ。
そもそも神界では、この世界は一度滅んだ大地に創造神が降臨したことで再誕した世界なのだという伝承が残っている。
そして、人間の滅亡を発案したその神族は、旧世界の記憶を保持していると主張していた。
それによると、旧世界を滅ぼしたのは人間であり、同じ過ちを繰り返す前に、人間は滅ぼすべきだというのだ。
神々は言った。
人間はまだ文明を持ち始めたばかり。
世界を滅ぼすと決まったわけではないのだから、見守っていくべきであると。
しかし、記憶があると主張する神もまた、自分の意見を譲ろうとしなかった。
そのうち、聖域は2つに分れて争うことになる。
最高神が世界を維持するために生み出した4人の創造維持神。
人を見守るべきだと主張する創造、誕生、死を司る三神と、それに仕える元素を司る女神たち。
人を滅亡させるべきだと主張した終焉を司る神と、それに仕える神魔と呼ばれた神々。
2つの勢力に分れた神々は、ずいぶんと長い間冷戦を続けていた。
けれど、それは唐突に打ち破られる。
終焉側の神魔が、創造側の女神が守護していた存在に手を出してしまったことをきっかけに。
落とした火種は瞬く間に聖域に、そして神界全体に広がった。
精霊界も巻き込んだそれは、地上に異変を起こすほどであったという。
やがて、長い時をかけて、その大戦は終結した。
終焉の神を封印した、創造側の女神たちの勝利という形で。
それが神界と精霊界で今も伝えられている、『聖域大戦』という伝説の全てだ。
『ですが、この大戦で創造側の女神様たちも、そのほとんどが命を落とされてしまいました』
セラフィムが話を終えると、今度はマリエスが口を開いた。
『聖域の神々は、創造維持の神。つまり、世界を支える“柱”であった方々です。柱を喪った世界は、想像以上のスピードでバランスを崩し、崩壊の道を歩み始めてしまいました。そこで、その方々の代わりを、もともとは聖域の女神様たちの眷属として生み出された私たちが、今日まで担ってきたのです』
「じゃあ、まさか精霊信仰って言うのは……」
『私たちの力を高めるために、私たちが人間に意図的に広めたものです』
ルビーが全てを尋ねるより早く、マリエスが予想通りの答えを返した。
『実体を持たない私たちがバランスの崩れた世界を支えるためには、人々から発せられる祈りという名の魔力が必要でした』
胸の前で祈るように手を組んで、目を閉じたマリエスは語る。
その様子は、まるで何かに懺悔しているかのように見えた。
「そうして世界は持ち直し、創造側の女神たちの加護の下で健やかに成長していきました。しかし、1000年前に事件は起こります。終焉の神、いえ、破壊神の復活の兆しが世界を襲ったのです」
再び口を開いたセラフィムの言葉に、違和感というか、何か引っかかるような感覚を覚えた。
何となく、聞いたことのあるような、それ。
「1000年前?」
「はい。1000年前です」
その時代は、自分たちにとっても関係がある時代ではなかったか。
「それって、まさか……」
『はい。勇者ミルザの時代です』
ルビーの、ほんの少しだけ震えた声で発せられた言葉を、セラフィムはあっさりと肯定した。
隣でタイムが息を呑んだ気配が伝わってくる。
どくんと心臓がなったような気がした。
目を閉じていたマリエスが、不意に顔を上げ、こちらを見た。
その双眸が、真っ直ぐにルビーとタイムを見つめる。
『この世界において、魂は循環します』
一瞬、何の話だろうと思った。
けれど、今この場で、この精霊の長が関係のない話をするとも思えなかった。
「輪廻転生、ってやつですか?」
『はい。誕生神と死の女神に見守られながら、魂は巡り、生まれ変わるのです。それが、どんな存在であっても』
どくんと、また心臓が鳴った。
無意識のうちに、下唇を噛む。
「何の因果か、その時代に神魔の生まれ変わりが数人、同時に魔界に誕生しました。そして、何のきっかけか、神魔であった頃の記憶を思い出してしまった」
再び口を開いたのはセラフィムだった。
「思い出した神魔たちは、破壊神の封印を破り、彼の神を復活させようとしました。それを阻止しようにも、聖域に残った神々は、神魔たちのせいで崩れ始めた世界のバランスを保つことが精一杯で、魔界に降りることは叶わなかった」
聖域大戦で失われた神々に補充のような制度がないのならば、聖域に住まう神族はごくわずかになっていたのだろう。
ただでさえ七大精霊が代わりをしなければならなかったという状況なら、残った神々も聖域から離れるわけにはいなかったということなのだろうか。
なんとなく、胸にざわざわとしたものを感じる。
必死に話を追いながら、気になって仕方のないことがある。
「ですから、聖域で唯一維持の役目を持っていなかった、創造神の血を直接引いた女神が人間界に降りました。しかし、魔界の魔族たちを引き連れた神魔に破れ、命の危機にあったところを、人間の男に助けられたそうです」
「ちょっと待って!」
話が進むほど、胸のざわつきが酷くなっていく。
気がついたら、セラフィムの言葉にストップをかけていた。
タイムの視線が、自分に向いたのがわかる。
彼女だけではない。
その場にいる全員の視線が、ルビーに向けられていた。
「どうしました?」
セラフィムが穏やかな表情のまま、首を傾げて尋ねる。
「1000年前の魔族って、その……」
『そうだ』
口を開いたのは、サラマンダーだった。
その炎のような色を宿した瞳が、真っ直ぐにこちらを射抜く。
『神魔の生まれ変わりとは、イセリヤとルーズのことだ』
音になったその言葉に、ルビーは顔を伏せ、目を閉じた。
「あいつらが……」
驚きよりも、やはりという気持ちが勝っていた。
たぶん、エルザの頃から感じていた予感というか違和感は、これだった。
全部、自分たちの始祖と言うべき勇者の時代から、いや、それよりもずっと昔から、始まっていたのだ。
ルビーが黙り込んでしまえば、タイムも言葉を発することはできなかったのだろう、
しんと辺りが静まりかえる。
その場を支配しかけた沈黙を切り裂いたのは、セラフィムの息を吐き出すような、わざとらしい声だった。
耳に入ったそれに、顔を上げる。
目の前にいるセラフィムに視線を投げれば、彼はふっと小さく微笑んでから、続けた。
「人間界に降りた女神は、もう破壊神と戦うことの出来る状態ではありませんでした。ので、聖域はその子供に、役目を引き継がせることを決めました」
セラフィムの瞳が、こちらに向けられる。
その首がこてんと、とてもわざとらしく傾げられた。
「もう、その子供というのが誰かはおわかりですね?」
女神の息子。
1000年前に現れた、英雄の名前。
そんな存在は、1人しかいない。
「ミルザ、ですか」
「はい」
精霊に選ばれた勇者、ミルザ。
魔王イセリヤを倒し、法王ルーズを封印した人間界の英雄。
自分たちの、祖先。
『彼は私たちが“選定した”勇者ではありません。彼は創造神の血を引く、半身半人の存在だったゆえに、戦う役目を押しつけられた子供だったのです』
彼を『選んだ』とされている精霊神が、自らの口で、言葉で、はっきりと語る。
それは知られざる真実。
人々の間で語り継がれてきた伝説の中に隠された、本当の物語。
「けれど、彼は結局、破壊神を倒すことは出来ずに、封印することに留まりました」
セラフィムが、マリエスの言葉を引き取り、続きを語る。
それはどこにも遺されていない物語。
いくつもの困難を乗り越え、全てを救ったとされている勇者の、語られていない敗北の物語だ。
だって、子孫の自分たちですら、ミルザが破壊神と戦った話なんて、知らない。
「これではいずれまた、破壊神の封印が解かれることがあるかもしれない。それゆえに、聖域の神々は彼に選択を迫ります」
セラフィムの両手が、大げさに掲げられる。
まるで天秤のように見えない何かを掲げるような動作に、自然と視線が引き寄せられる。
「神界に上がり、封印が解かれたときに再び破壊神と戦う運命を受入れるか。運命を拒絶し、自身の血を引く子孫を残すか」
セラフィムが掲げた腕の片方をがくんと降ろし、片方を高く掲げる。
その瞳が、こちらを見て、笑った。
「結果は、もうお察しのとおりです」
ミルザは後者を選んだ。
天から与えられた運命を拒絶し、それを子孫へ受け継いだ。
だからこそ、生まれたのだ。
この国に遺る、『ミルザの血を引く勇者の一族』という『役割』が。
いつか、ミルザの果たすことのできなかった使命を、果たすために。
『そして今、破壊神が再び目覚めようとしています。ミルザが遭遇せず、ずっと人間界に潜んでいた神魔の手によって』
ふと頭をある人影が過ぎった。
ミルザの時代から、ずっと潜んできた、神魔。
「まさか、ペリートが戦った、あいつ?」
「え!?」
ぽつりと呟いたそれが誰のことかわかったのか、タイムが驚きに息を呑んだ。
『はい。仰るとおりです』
マリエスが、神妙な表情で頷く。
『ネヴィル=デイヴィス。彼はミルザの時代から、ずっと記憶を留めたまま生きていました。そして、再び魔族として転生したイセリヤに接触し、その記憶を蘇らせた』
他人の体を乗っ取り、限界が来たらその体を捨て、新たな体に乗り移る。
そうやって、あの悪魔は長い時を生き続けてきたと言っていた。
少なくとも、ペリドットからはそう聞いていた。
『そして、いくつもの手順を踏んで、ついに破壊神の封印を解いてしまった』
予想もしていなかった言葉に、ルビーは目を見開いた。
既に事がそこまで進んでしまっている。
「じゃあ、今この世界に起こっているのは……!?」
「破壊神の意志による、魔物の活性化。及び、特定の人物の魂の抹消の準備です」
はっきりとそう答えたのは、セラフィムだった。
その目が静かにこちらを見つめる。
「その特定の人物というのも、あなた方は気づいていると思いますが」
そう、気づいていた。
アースに襲ってきた魔物の群も、ラピスの岬で襲ってきた魔物たちも、みんなただ1人を狙っていた。
「どうして、リーフが破壊神に狙われてるの?理由がない!!」
『いいや、理由ならある』
叫んだルビーの言葉を遮ったのは、サラマンダーだった。
驚いてそちらを見れば、サラマンダーはふいっと視線を逸らしてしまう。
代わりに口を開いたのは、側にいたウンディーネだった。
『先ほどお伝えしましたよね?魂は巡り、生まれ変わると』
どくんと心臓が鳴ったような気がする。
輪廻転生。
ここで、その話がされた、意味は。
「リーフ=フェイト=エスクールは、ミルザ=エクリナの魂を宿しています」
セラフィムの口から紡がれたのは、予想どおりの言葉だった。
それはたぶん、いつの頃からか感じていた違和感。
そんなこともあるのだと流していたそれが、ここに来て初めて、全ての予兆であったことに気づく。
『彼が狙われているのは、ミルザの記憶が甦ることによる驚異を削ぐためでしょう。本来、彼は誰よりも魔力を操る力に長け、また人間界で数少ない、聖域神族を殺せる術を持つ存在でしたから』
「リーフが……」
『実際に、彼は生まれながらに持っていなかった魔力を操る力に目覚めています。これは普通の人間には起こりえない現象です』
「魂に強い力が宿っているから、あなた方と出会うことでそれが揺り起こされたんでしょうねぇ」
妙にあっさりとした口調で言われたセラフィムの言葉が、耳に残る。
自分たちに出会わなければ、リーフがこんな風に狙われることなどなかったのだと、そう言われているような気がした。
「まあ、ミルザの記憶が甦ったところで、彼が脅威になるとは思えませんけどねぇ」
『セラフィム様』
「はいはい。失礼しました」
マリエスにぎろりと睨みつけられ、セラフィムは降参とばかりに両手を顔の横に上げた。
「ちょっと整理させてください」
誰かに質問でもするかのように手を挙げ、そのやりとりを制止したのはタイムだった。
ちらりと横を見れば、彼女の顔には困惑が満ちていて、次々と語られる話に混乱しているのだろうことが窺える。
「つまり、今この世界に起こっている異変はその封印された破壊神が復活したせいで、リーフはそいつに狙われていると言うことですか?」
『はい。そのとおりです』
マリエスが静かに頷く。
少しの間、タイムはそれを見たまま固まっていた。
やがて、片手で額を押さえ、大きなため息をつく。
「話が、頭に入ってこない」
「わかる。あたしもそうだもん」
正確には、理解が追いつかないと言うべきなのだろう。
話としては、タイムがマリエスに尋ねたことが要点で間違いない。
たぶん、今はそこでうだうだといろいろ考えていても仕方がない。
タイムが口を挟んでくれたことで漸く動き出した思考を必死に回転させて、考える。
「これはつまり、あたしらよりもリーフをなんとかしないと駄目ってこと?」
「いいえ。彼には無理です」
そうして漸く出した結論は、セラフィムに一掃されてしまった。
驚いて顔を向ければ、彼は困ったように微笑んだ。
「今の彼では、たとえミルザの記憶が甦ったとしても、破壊神を倒すことはできません」
何だか引っかかる言い方だ。
そう思って視線で尋ね返せば、彼は心得ているとでもいう風に頷いて、続けた。
「聖域の神々は、魔力の影響を受けません。魔力を用いた攻撃では、彼らを殺すことは不可能です」
「魔力の影響を受けない?」
「つまり、魔力では傷をつけることさえできない存在、というわけです」
その言葉に、息を呑む。
そんな存在がいるなんて、考えたこともなかった。
「そもそものところ、神族というものは、神魔と呼ばれる種族を除けば、魔力を扱う力を持ちません。代わりに神力という魔力に似た力を扱います」
インシングにおいての魔力というものは、空気のように辺りを漂っている力だ。
魔力を持っているという言葉は、それを扱う力を持っているという意味を示す。
魔力の影響を受けない神々は、当然ながら、それを扱う力を持っていないということなのだろうか。
「下級神族であれば人に近い存在になるので、魔力の影響を受ける者もいますが、高位の神々にはまずいないでしょう。最高位であればなおさらです」
自身の説明に補足をつけるようにそう言ってから、セラフィムは一度言葉を止めた。
少しだけ視線を落として、息を吸い込む。
俯いてしまった彼の表情を見ることはできなかった。
すぐに顔を上げた彼は、もう先ほどのような、笑みを湛えた表情に戻ってしまっていた。
「リーフ=フェイトはただの人間。たとえミルザの記憶が甦ったとしても、その肉体に神力を操る力はありません」
魔力や神力と言ったものを操る力は、その肉体に宿るもの。
ただの人間として転生した彼には、その身に眠っていた魔力が目覚めることはあっても、もう神力を扱う力はない。
その肉体には、神力を扱うことのできる要素は、何もないのだから。
「だから驚異にならないってことなのか」
「まあ、それだけではないんですけど」
『セラフィム様!』
マリエスが咎めるようにセラフィムを呼ぶ。
先ほどよりは余裕が出来てきたからこそ、その異様なやりとりに気づいたけれども、今は気にしないようにする。
これ以上何か衝撃的な発言をされたとしても、理解できる自信もない。
「そこで重要になってくるのが、ミルザの血を引くあなた方です」
突然にっこりと笑ったセラフィムが、そう言った。
驚いて、「え?」と言葉を零して彼を見る。
「ですよね?サラマンダー、ウンディーネ」
どういう意味かと尋ねようとした途端、彼はその場にいた精霊たちに向かって言葉を投げる。
一瞬だけ彼を睨みつけるように見たサラマンダーは、小さく息を吐き出しながら、肯定の意を示した。
『ミルザの血を引いているということは、お前たちには聖域神の血が流れているということだ』
『神族の血が流れているのであれは、神力を扱うことができます。そのために、私たちはミルザにはもうひとつ、残すものを託しました』
サラマンダーの言葉を引き取り、ウンディーネがそう告げる。
彼女の言葉で、それが何を示しているのか、何となくわかった。
『少しでも神力を扱うことのできる者が、魔力で力を増強することによって扱うことのできる神法。かつて破壊神と戦った神々が生み出した、その術を人間界に』
それはこの2年の間に、仲間たちが必死に探していたもの。
精霊たちが、守り続けていたもの。
「確か、彼はそれを精霊神法と呼びましたね」
セラフィムが告げた言葉に、やはりとルビーはため息を吐き出した。
それならば、今まで伝え聞いていた伝承にも、納得がいく。
「じゃあ、精霊神法が、ミルザの一族しか使えないっていうのは……」
『神力を扱う力を宿した者でないと、発動することが不可能であるからです』
タイムの問いに答えたのは、マリエスだった。
そのやりとりを見つめていたルビーは、ふと視線を外して天井を仰いだ。
ずっとずっと、この世界を回って探していた答え。
それが今、全て与えられた。
達成感や満足感なんて、何もない。
何となく湧き上がってきたのは、もやもやとした感情だった。
この感情は、なんと言えばいいのだろう。
「さて」
ふと、耳に届いた声に、ルビーは視線を戻す。
視界に入った黒衣の魔道士は、相変わらずにこにこと笑っていた。
「ここまでのお話で、今の世界に起こっていること、リーフ王子が狙われている理由が理解いただけたかと思います」
理解は出来たかと聞かれたら、答えはノーかもしれない。
けれど、事態の把握は出来たと言えるだろう。
だから、ルビーは頷いた。
それを見たセラフィムはにっこりと笑ったこと思うと、不意にその笑みを消した。
「本当の本題は、ここからです」
声から、穏やかさが消える。
びりっとした空気が、辺りを駆け抜けたような気がした。
いや、たぶん、気のせいではないだろう。
ごくりと息を呑んで、無意識に姿勢を正す。
視線が合った途端に、彼は再びにこりと笑った。
その笑顔は、それまでと同じ笑顔ではないような気がした。
「ご存じのとおり、精霊神法は5つしか完成していません。聖域大戦の際、火と水の精霊神法が未完成のままだった結果、創造側の神々は重大な被害を被りました」
どうして未完成だったのかは伝えられていないのか、彼は語らない。
ただ事実だけを、淡々と話し続ける。
「戦うことのできる神族がいない今、5つの精霊神法が扱えたとしても、破壊神を倒せる確率はだいぶ下がってしまっています。それなので私が、マリエスにあなた方2人だけをここにご招待することを提案しました」
途端にぱっと笑って告げられた言葉が、一瞬理解できなかった。
「えっと、どういうことですか?」
ルビーが完全に思考停止に陥っている側で、タイムがおずおずと手を挙げて尋ねる。
セラフィムは答えることなく、ちらりと隣に立つマリエスを見た。
彼女は、何か思うところがあったのだろうか、静かに目を閉じたと思うと、小さく息を吐き出す。
その目がゆっくりと開かれ、真っ直ぐにこちらを見つめた。
『あなた方に、未完成の精霊神法を完成させていただきたいのです』
静かに、けれどはっきりと耳に届く声で、告げられた言葉。
思いもしなかったそれに、言葉を失う。
「あたしたちが?」
「そんなこと、できるんですか?」
『はい』
震えそうになる声を、無理矢理押さえ込みながら、尋ねる。
マリエスはこちらを見つめたまま、はっきりと答えた。
『半神族であったミルザの血を引くあなた方であれば、この場所でなら、サラマンダーとウンディーネの受け継いだ女神様の力を引き継ぐことができます』
マリエスが、側に控える火と水の精霊を示す。
釣られるように視線を向ければ、彼らは神妙な面持ちで頷いた。
『その力を受け継いで、精霊神法を完成させていただきたいのです。今度こそ、全ての世界を脅かす破壊神を倒すために』
隣に立つタイムを見る。
その途端に、その青い瞳と視線がぶつかった。
黙って見つめれば、彼女はこくりと頷いた。
考えていることは同じ。
精霊神の願いを、断る理由はない。
何よりこのままでは、きっと元の生活に戻ることも出来なくなってしまうだろうから。
「わかりま……」
「ちょっと待ってください」
何の抵抗もなく答えを返そうとしたその瞬間、予想外の人物が、ルビーの言葉を遮った。
驚いて、それでもそれは隠して、不満そうに声を主を睨みつける。
何でそうしてしまったのかはわからないけれど、素直に驚いた顔を見せたくないと思ってしまった。
「何ですか?」
「いえ、ちゃんと考えてからお返事が欲しいなぁと思いまして」
睨みつけられた本人であるセラフィムは、へらっとした笑顔を浮かべてそう答えた。
それは、何も考えずに答えたのだと決めつけられたようで、ルビーはセラフィムに向ける眼光を鋭くする。
セラフィムは肩を竦めると、それまで浮かべていたへらへらとした笑みを消した。
「聖域神族の力を受け継ぐことは、簡単なことではありません。精霊神法を作ったから、役目は終わりというわけにはいかないんです」
「え?」
「ですよね?マリエス」
くるりと体ごといる精霊神へと体を向けたセラフィムは、にこりと微笑んで尋ねる。
声をかけられたマリエスが、ほんの一瞬だけ目を見開いたような気がした。
『……はい』
やがて、彼女は静かに頷いた。
『女神様たちの力を受け継ぐということは、その責も受け継ぐということ』
その瞳が、ゆっくりとこちらを見る。
『力を受け継いだのであれば、あなた方には人間界を離れていただくことになるでしょう』
言葉が、頭に入ってこない。
思考が凍り付いてしまったかのように、動かない。
「人間界を離れるって、どういうことですか?」
言葉を発せずにいるルビーの横から、声が聞こえた。
タイムが、困惑した表情のまま、真っ直ぐにマリエスを見上げていた。
『我々と同じ場所で、世界を維持するための存在になる、ということだ』
耳に届いたのは、セラフィムよりも低い男の声。
視線をそちらへと向けて、漸くそれが誰だか認識する。
それは、サラマンダーの声だった。
『もちろんすぐにではありません。もしものときのために、ミルザの血は後世に遺さなければならない。ですから、力の後継者が成長するまでは、人間界で暮らしていただいてかまいません』
少し慌てた様子のウンディーネが口を挟む。
きっと、自分たちを気遣ってくれたのだろう。
「……つまり、子供を産んだら、人としての人生を捨てろということですね」
けれど、あっさりとそう言い放ったセラフィムのせいで、台無しになっていた。
『セラフィム様!』
ウンディーネがぎろりとセラフィムを睨みつけた。
その容姿のせいか、あまり恐怖を感じないその視線を受け、セラフィムは困ったように笑う。
「怒らないでくださいよ、ウンディーネ。こういうことははっきりと話してしまった方がいいものです」
ウンディーネは言い返すことなく黙り込む。
たぶん彼女も、本当はセラフィムと同じように考えているのだろう。
ぼんやりと、動かない頭でそんなことを考えた。
「さて、考えてください」
そんなルビーを現実に呼び戻すかのように、セラフィムはわざとらしくぱんっと手を打つ。
無意識に肩を跳ねさせて、反射的に彼に視線を向けた。
目が合う。
セラフィムの顔からは、それまでの道化のような表情は、綺麗に消え去っていた。
「女神の力を受け継げば、七属性分の精霊神法が揃い、破壊神を倒すことの出来る可能性が高くなります。ですが、引き換えにあなたたちは、家族や友人を捨てなければならなくなります」
捨てなければならないかもしれないなんて、こちらに来るときに降りかかったときのような、生半可なものではない。
捨てなければならない。
そう、はっきりと告げられる。
選んでしまったら、今度こそ、もう二度と戻ることはできない。
「受け継がずにここを出れば、家族や友人と過ごす未来が待っています。しかし、破壊神を倒せる可能性は下がります。あいつは相当力を溜め込んでいるようですから、もしかしたら、勝てないかもしれませんね」
にこりと笑って、彼は告げる。
もうひとつの選択肢を。
「さあ、あなたたちはどうしますか?」
向けられたその瞳は、とても冷え切っていて、笑っていないように見えた。