Chapter7 吸血鬼
19:書の守人
広い草原の中に、1本だけ伸びる街道。
決して整備されているわけではないけれども、そこには馬車が通れるようにと草が刈られ、道らしき物が作られている。
あるいは、人がそこばかりを通るがゆえに、草が伸びないだけかもしれない。
その街道から少し外れた場所に生えた草が、唐突に揺らめいた。
風が吹いたわけでもなく揺れたその場所に、一瞬遅れて何かが現れる。
何の前触れもなく、その場所に降り立ったのは、人間。
それぞれ異なる色の髪を持つ、3人の女だった。
そのうちの1人が目を開け、その明るい桃色の瞳で真っ直ぐに街道の伸びる先を見つめる。
「この村ですわ」
その声に、残りの2人も目を開いた。
「ここがカースの村。ミスリル様とリーフ様があの頃滞在されていた村です」
明るい桃色の瞳と髪を持つ少女が示す先にあるのは、村。
おそらくはそんなに大きくはないその場所を見て、残りの2人のうちの1人――ベリーはすうっと目を細めた。
「ここが」
「すまないな、リーナ。二度も案内してもらって」
「いいえ。これくらいかまいませんわ」
残る1人――アールの言葉に、明るい桃色の髪を持つ少女は首を横に振る。
彼女たちがジパングから戻ってきてすぐに自分のところに来たときには、もうなんとなく予想がついていたのだ。
2人がここに連れてきて欲しいというのは。
自分がミルザ関係で関わった国はあと2つ。
そのうちのひとつ、エルランドに関わったときはアールが一緒にいた。
だから義姉がエルランドに案内してくれという可能性はほぼないと言っても間違いなく、だとするならば、あとはミスリルとリーフが旅をした、このゴルキド以外になかったから。
「それで、この村からミスリルたちはどこへ行ったの?」
「そうですわね……」
少し考え込むような仕草をした彼女は、ふと何かを思いついたのか顔を上げる。
「ちょっと一緒に来ていただけますか?」
そのままこちらを振り返ってそう言ったかと思うと、返答を待たずに歩き出した。
その姿を見て、一瞬だけベリーとアールは顔を見合わせる。
けれども、リーナの行動が手がかりに繋がるなら文句を言うはずもなく、2人もそのまま彼女を追って歩き出した。
すたすたと、リーナは迷わずに村の中を歩いていく。
その足は真っ直ぐに村外れへと向かっていた。
その先には小さな家が建っている。
その家の前に、人がいた。
「イール様!」
アールと同じくらいの年齢に見えるその人物に向かい、リーナは手を振りながら声をかける。
その声に、家の前で家事をしていたらしいその人物が振り返った。
「リーナさん!?」
長い、明るめの茶色の髪を持ったその女性は、リーナの姿を見て一瞬驚いたような顔を見せた後、嬉しそうに微笑んだ。
「ご無沙汰しておりますわ、イール様」
「ええ、お久しぶり。元気だったかしら」
「ええ。イール様こそ」
「私はいつでも元気よ」
笑顔で挨拶を交わす2人を、ベリーとアールは少し離れたところからぽかんと見つめていた。
リーナは誰とでも割とすぐに打ち解ける。
アールも義妹のそんな性格は知っていたけれども、この国の、こんな外れの村にまで友人がいるとは思っていなかった。
「あら、そちらは?」
ふと、女性がこちらに気づいたらしい。
首を傾げる彼女の言葉に、ほんの少しだけこちらを振り返ったリーナはにっこりと笑った。
「ええ、こちらはわたくしの姉と友人ですの。アールお姉様とベリー様です」
突然紹介をされ、ベリーは驚きながらも頭を下げる。
それを見てにっこりと笑った女性もぺこりと頭を下げた。
「ベリー様は、ミスリル様のご友人でもあるんですのよ」
「ミスリルの?そうなんですか」
リーナの紹介の言葉を聞き、女性が驚いた顔をする。
それだけで、彼女がミスリルの知り合いだと言うことは見当がついた。
そして、ベリーは気づく。
この女性が誰で、ミスリルとどんな関係であるかということに。
「リーナ?」
「ああ、ごめんなさいお姉様」
けれど、アールにはわからなかったらしい。
彼女がリーナに声をかければ、リーナは思い出したようにこちらを振り返った。
「こちらはイール=レムーロ様。ミスリル様のご友人で、『例の双子』のお姉様、と言えばおわかりですか?」
『例の双子』という言葉を紡いだリーナの声が、若干小さくなったような気がした。
その声に、彼女の目に浮かんだ色に、アールは答えに思い当たり息を呑む。
「まさか、『虐殺の』……」
「ええ、そうです」
彼女が皆まで言う前に、イールと呼ばれた女性が自らそれを肯定する。
その言葉に、ベリーは自分の予想が正しかったことを悟る。
「ミスリルの友人と言うことは、あの子たちはあなた方にもご迷惑をおかけしたんですね。すみません」
「いえ……」
少し悲しそうな表情を浮かべたイールが、頭を下げる。
その謝罪に、ベリーは首を横に振った。
ミスリルとリーフから話を聞いたから、彼女の胸中は知っているつもりだ。
それに彼女は、一番の形で彼女たちに協力してくれた。
だから、ベリーはそれ以上の言葉を求めない。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
目を向けた先には、リーナがいた。
じっとこちらを見つめる彼女に、ベリーは静かに頷く。
それを見てにこりと薄く微笑んだリーナは、まだ頭を上げようとしないイールに声をかける。
「イール様。今日はお願いがあってまいりましたの」
「私に?何でしょう?」
その言葉に、イールは漸く顔を上げた。
不思議そうな瞳がリーナを見つめる。
その目を、リーナは逸らすことなく見つめ返した。
「あのとき、ミスリル様とリーフ様が探していた場所がありましたわよね?わたくしたち、そこへ行きたいんですの」
「“竜”のいた場所に?」
「はい」
イールが一瞬驚いたように目を見開き、聞き返す。
ベリーが静かに頷けば、彼女は戸惑ったようにこちらを見た。
「でも、あそこにはもう何も……」
「いろいろ調べた結果、あそこにもうひとつ、何かが隠されていることがわかったんだそうです」
リーナがそう告げれば、イールは驚きの表情を浮かべる。
この国の人々は長い間、あの場所に眠っているのは伝説のゴーレムの召喚術だと思っていた。
その場所にもうひとつ何か別の物が隠されているなんて、想像もしていなかったのだろう。
「ベリー様は、それを取りに行かなければなりません。ですから、もう一度古文書を読ませていただきたいんです」
リーナがそう告げれば、イールの驚きの表情が彼女へと向けられる。
「わたくし、あのときついて行きませんでしたから、ずいぶんと記憶が曖昧で。場所を確認したいんですわ」
リーナが苦笑するような表情を浮かべて告げれば、イールは一瞬だけ目を逸らした。
少し考えるように視線を彷徨わせてから、その瞳をリーナへと戻す。
「ええ、わかりました」
はっきりと告げられたその言葉には、もう迷いはなかった。
それを聞いたベリーは、思わず口を開いた。
「いいんですか?大事な文献なんじゃ……」
「そうでしたけれど、もうあの場所に“竜”がいないのならば意味はありませんし」
伝説の呪文とされたそれは、もうそこにはない。
ならば、この古文書にはもう意味がないのと同然。
そうイールは告げる。
確かに、そこに記されているものがその場所にないのなら、それはもう『宝のありかを示す物』としての役割は持たないだろう。
アースで育った自分や、魔法学に関わっているアールやリーナならば、歴史的な資料として残すべきだと思いつくだろうけれども、彼女はそこまでは思い至ないようだった。
「それに、ミスリルの友達なら、断る理由はありませんよ」
にっこりと笑ってそう言ったイールの言葉に、ベリーは思わず目を丸くする。
ミスリルはあの性格だったから、実は親しい友達があまりいないのだ。
学園の理事長の孫であったこと、そして今は自分が理事長だということも、起因しているのかもしれない。
加えて、少しきついという印象を与えるあの態度が、周囲を遠ざけてしまう原因となっていた。
打ち解けてしまえば、実はそんなことはない。
ちゃんと周囲のことは考えているし、予定外の出来事の対処は苦手らしく、それが起これば慌てるし、ちゃんと年頃らしい一面もあるのだけれど、当の本人はそれをあまり人には見せないようにしていた。
実際にベリーも、理事部に入るまでは『雨石百合は怖い人』という印象しか持っていなかった。
その彼女に、自分たち以外にこんなにも親しそうに見える知り合いがいたことに驚いた。
「そもそもあの古文書自体、弟たちが勝手に持ち出してきたものですから」
呆然としているベリーにどんな印象を持ったのか、イールは困ったように笑う。
その声にベリーが我に返ったときには、彼女は既にこちらに背を向け、家の扉を開いているところだった。
家に招き入れられ、入ってすぐの居間と思われる部屋に通される。
イールは手早くお茶の準備をすると、すぐに2階へと上がっていった。
そう時間のかからないうちに下りてきた彼女は、手の中に1冊の本を持っていた。
「これです」
「ありがとうございますわ」
分厚いそれはずいぶんと古い物なのか、表紙はぼろぼろだった。
それは表紙だけではないらしい。
リーナは慎重に、やはりぼろぼろになってしまっているその本を捲っていく。
一度読んだ本のため、大体の場所は覚えているらしい。
「あった。ここですわ」
リーナは迷わずあるページを開き、目を走らせてから口を開く。
もう一度、内容を確認するように目だけで文を追ってから、顔を上げた。
「読み上げますわよ」
「ええ、お願い」
リーナの言葉に、ベリーはしっかりと頷く。
隣に座っているアールも頷いたことを確認すると、イールに許可を取ってからそれを読み上げた。
人形師ギルドの存在する島の中央、呪いの名を持つ塔の南。
不思議な力に包まれた、入ったものが奥まで辿り着くこと叶わずに吐き出される謎の森。その森の奥地、古の種族が眠りし地へ向かう扉あり。
琥珀と金の色を持つ者、その扉の前に立ち、珠を捧げん。
珠は古の種族を飲み込み、命を宿さん。宿った命、消え去った扉と共に眠りにつき、己の主を待たん。
リーナが読み上げたそれは、かつてミスリルに重要だと思われる部分と伝えて読み上げた場所と同じ部分だった。
「最後の数行は後から書き足されたと思われる部分です。ミスリル様は、その部分から封印を解く方法を知ったと仰っていましたわ」
最後にそう付け足して、顔を上げた。
「呪いの名を持つ塔?」
「この村のことですわ」
ベリーの問いに、リーナは迷うことなく答えた。
その答えに同意するようにイールが頷く。
「ええ。この村には昔、塔があったそうです。人形師ギルドが、今の王都に移る前に本部にしていたらしくて。老朽化で取り壊されたらしいのだけれど」
「それから、こちらの謎の森」
リーナが開いたままテーブルに置いた古文書の一文を示す。
ベリーには読めなかったけれど、おそらくそこに、今リーナが口にした言葉が書かれているのだろう。
「ここはミスリル様が、この国の妖精の森のことだと特定されています」
リーナの言葉に、驚いたのはベリーだけではなかった。
「この村の南に、妖精の森があるということか?」
「ええ。あの山に沿ってある森がそうだというお話ですわ」
驚き、思わず尋ねたアールの問いに、リーナは窓の外を示す。
この村から見える山。
その麓に広がる森が、妖精の住まう森だとはっきりと告げる。
「まあ、位置はいいとして、問題はこの後の記述ですわ」
リーナの手が、再び古文書に落とされ、その指先が古代語の一文を示す。
先ほどのリーナの言葉を思い出し、ベリーはそこに示されているだろう一文を口にしてみる。
「『琥珀と金の色を持つ者、その扉の前に立ち、珠を捧げん。珠は古の種族を飲み込み、命を宿さん。宿った命、消え去った扉と共に眠りにつき、己の主を待たん』?」
「ええ。わたくしは同行しませんでしたから、ミスリル様が何をなさったのか知りません」
「行ってくれていれば助かったんだが」
「何を仰いますの!あの時はお姉様が、用事が済んだら絶対に戻ってこいと仰ったんですのよ!」
リーナの言葉に、アールは驚いたように顔を上げた。
「そうだったか?」
「忘れるなんて酷いですわ!わたくしもついていきたかったのに!」
完全に忘れているらしいアールに向かい、リーナが手を振り上げて怒る。
ぶんぶんと子供のように手を振り回す彼女をアールは必死で宥めようとし、イールはそんな2人を見て目を丸くしていた。
その傍で、ベリーはじっと古文書を見つめていた。
「珠、ね……」
ぽつりと、誰にも聞こえないような声で呟く。
ミスリルはこのヒントだけで竜の祠の中に入り、ウィズダムと出会っている。
だから、この珠というのは安易に手に入る、もしくは自分たちが最初から持っているものである可能性が高い。
今でこそ『ミスリルの持っている珠』または『珠に見える何か』と言われれば、ブローチと一体化したらしいウィズダムの宿る珠が思い浮かぶけれど、彼女がここを訪れたのはそれを手に入れる前の話だ。
だとすると、彼女の持つ球体状のものは、ひとつしか思い浮かばない。
「ベリー」
古文書を見つめたまま考え込んでいると、隣から声をかけられた。
顔を上げて視線を向ければ、アールが心配そうにこちらを見ている。
リーナとの口喧嘩はなんとか収まったらしい。
先ほどまで怒っていたはずのリーナも、今は真剣な表情でこちらを見ていた。
「何とかなりそうか?」
「そうね……。これだけヒントがあれば」
アールの問いに、あまり間を置かずに答える。
一度大きなため息を吐き出すと、ベリーは再び古文書に視線を落とした。
「駄目なら、一度向こうに戻ってミスリルに答えを聞いてくるわ」
封印を解いた彼女ならば、竜の祠への入り方も知っているはずだ。
もしもこの方法がだめなら、一度アースへ帰って聞いてくるしかない。
いや、この方法が使えるのだから、今回はこれまでよりも肩の力を抜いて挑めるはずだ。
そんなことを考え、もう一度ベリーはため息をつく。
その姿を見つめていたイールは、不思議そうに首を傾げた。
「最初からそうした方が早いんじゃありませんか?」
その言葉に、ベリーの肩が僅かに揺れる。
「……今戻るのは、気まずいんです」
「あら、喧嘩でも?」
自然を取り繕って答えようとした言葉は、けれども搾り出すような声になってしまった。
それを聞いても、イールの調子は変わらない。
気遣うような口調のまま再度尋ねられて、ベリーは視線をテーブルへと落とした。
「ええ……、まあ、そんなところです」
本当は喧嘩などではなかったけれど、正直に話すわけにもいかず、視線を落としたまま曖昧に答えを返すことしかできなかった。