SEVEN MAGIG GIRLS

Last Chapter 古の真実

7:ばれた秘密

ノックもせずに理事長室の扉が開く。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい。百合先輩」
入ってきた百合に気づき、声をかけたのは鈴美だった。
「ああ、百合。お疲れ」
「本当に疲れたわ」
どさりと椅子に腰を下ろした百合は、大きなため息を吐き出した。
セレスが結界を解いた後、案の定外に駆けつけてきていた警察が学園の敷地内に押しかけてきた。
理事長である百合は、戻ってからすぐにその対応をすることになり、理事長室に戻らずに職員室へ向かった。
そして漸く解放されて戻ってきたのだ。
「さて……」
もう一度ため息を吐き出してから、顔を上げる。
視線を向けたのは、部屋の中央にある応接セット。
紀美子に手当てを受けていたらしい新藤が、縮こまるようにして座っている。
その周囲を取り囲むように、理事部のメンバーがいた。
各々が新藤の向かいのソファに腰を下ろしていたり、彼の座るソファの後ろに、警戒するように立っている。
隣に腰を下ろした紀美子が、心配そうにその顔を覗き込んだ。
「先輩、大丈夫ですか?」
「あ、うん。へーきへーき」
声をかけられた新藤は、びくりと肩を跳ねさせながら顔を上げ、慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべる。
「やせ我慢はよくないよー?あとで病院行った方がいいって」
「そう、だよな。うん。そうする」
実沙がソファの背もたれに腕を置き、新藤の顔を覗き込むような体勢でそう言えば、新藤は視線を泳がせながら、こくこくと頷いて答えた。
それを見て、百合は三度ため息を吐く。
狼狽える気持ちはわかる。
それでも、それを必死に誤魔化そうとしているのは、彼なりに気を遣おうとしているのだろうか。
「それで」
口を開こうかと思ったそのとき、部屋の隅から声が響いた。
「どうしようか、これ」
どすの利いたその声に、新藤がびくりと体を震わせる。
声の主を見た実沙が、思い切りため息を吐き出した。
「それセキちゃんが言う?」
呆れたように質問を返され、赤美は不機嫌な表情のまま視線を逸らす。
「しょうがないでしょ。体が勝手に反応してたんだから」
「その後もほぼ勢いだっただろ、お前」
「う……」
陽一にまで指摘され、さすがに気まずそうな表情になった彼女をも見て、実沙がもう一度、今度はわざとらしくため息を吐き出した。
「あたしも陽くんも、バレないようにせっかく演技してたのにねぇ」
「演技……してた……?」
「セキちゃん何その反応!?案外バレてなかったっしょー?」
実沙がぶーぶーと文句を言う。
赤美は視線を逸らすと、側に寄っていって彼女をぽかぽかと叩き出した。
痛い痛いという声を聞きながら、百合はこめかみを押さえようとする手を必死に留めて、代わりに軽く机を叩いた。
「それで」
その音と声に、室内の視線が百合に集まる。
「何か質問は?」
百合と目が合った途端、新藤はびくりと体を震わせたかと思うと、まるで蛇に睨まれた蛙のように動かなくなってしまう。
「いや、こういうときにそういうの聞いても『ありすぎてわかんねぇ』っていうのが普通だって」
「そう言うなら説明して上げなよ、赤美」
「あたしが!?なんで!?」
さすがに見かねたのか、普段は彼に対して今の百合と似たような態度を取る赤美が口を挟んだ。
その彼女に向かい、美青がぽつりとそう提案した途端、赤美は大声を上げた。
それを聞いた沙織が、それまでの仇を見つめるような表情を崩し、くすりと笑みを零す。
「そうだよねぇ。率先してばらしたんだもんねぇ」
「赤美先輩がリーダーなわけですし、適任だと思います」
「鈴ちゃん!?おどおどしているふりしながら言っても目が笑ってるんですけど!」
にっこりと笑う鈴美に向かって、赤美が叫ぶ。
それを見た新藤が目を丸くしている。
それはそうだろう。
普段は昔のままの「大人しい内気で気弱な少女」を演じているけれど、鈴美は、本当はもっと気が強く、クールというか無愛想で、芯の強い女性だ。
それを知らない、そして赤美の性格をよく知っている新藤が、2人のやりとりを見て驚くのは当然のことだった。
「でも姉さん。新藤先輩は、知る権利もあると思うわ」
そのまま喧嘩を始めそうだった赤美を、紀美子の声が制する。
芯の通ったその声に、赤美は勢いよく彼女へ顔を向けた。
「だからってなんであたし!?」
「あんたがばらしたんでしょう」
収拾が付かない。
百合がそう判断して口を挟めば、その途端赤美の瞳がぎろりとこちらに向けられる。
珍しく完全に頭に血が上っているらしい彼女を、諌めようと口を開こうとしたそのとき。
「あ、あのさ。別にいいよ」
耳に届いた声に、百合は口まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
赤美から視線を外す。
それを向けた先には、戸惑ったような表情を浮かべたままの新藤がいた。
「助けてもらったわけだし、言いたくないんだろ?俺、別に誰かに言ったりしないし。だから……」
「駄目よ」
新藤の言葉を、百合はぴしゃりと遮る。
「他人に話さないなんて、保証はないでしょう?」
冷たく睨み付けながらそう言えば、新藤は驚いたような表情を浮かべた。
「百合先輩!」
見かねたらしい紀美子が、立ち上がって百合を睨み付ける。
「まあ、人間の心理としては、後から恐怖にかられて人に話す、と考えるのが妥当だろうな」
「……そうかもね」
「英里先輩に沙織先輩まで!」
「そんなこと……」
「しないって言い切れるの?」
言葉を口に仕掛けた新藤に向け、百合が強い口調で尋ねる。
「それは……」
その問いに、新藤は言い掛けた言葉を飲み込み、視線を逸らした。
それを見た百合は、わざとらしく息を吐き出す。
「保証が無い以上、こちらの事情を話した上で、私たちの監視下に置かせてもらいます」
「百合先輩!?」
「それは、さすがにやりすぎじゃない?」
その言葉に紀美子が驚きの声を上げ、実沙も目を丸くして百合を見る。
驚いたのは2人だけではない。
その場にいる全員が同じだった。
それをわかっているだろうに、百合はそのまま2人を睨みつける。
「なら、あなたたちは今すぐに今の生活を捨てて、向こうに戻れるの?」
その言葉に、紀美子も実沙もぐっと言葉を呑み込んだ。
わかっている。
正体がばれた以上は、このままここに残るわけにはいかない。
騒ぎになる前に、インシングへ渡るべきだ。
けれど、こちらで関係を築いた友人だっている。
黙り込んだ友人たちを見て、百合はもう一度ため息をついた。
「誰かに話されてしまうかもしれない以上は、悪いけど軟禁させてもらうしか無いわ」
「けど先輩!そんなことしたら……」
紀美子が声を上げたその瞬間、ばんっとテーブルを叩く音がした。
テーブルを壊してしまうのではないかと思うくらい強いそれに、体を震わせ、言葉を止める。
無意識のうちに振り返った先には、姉がいた。
テーブルに手を叩きつけたまま、百合を睨みつけている。
「さすがにそれは反対だわ」
その声が、妙に室内に響いた気がした。
「セキちゃん?」
「こん、ごう……?」
実沙が目を丸くして赤美を呼ぶ。
それに釣られたのか、新藤も彼女の名を口にした。
その声に、赤美は応えない。
ただじっと、百合を睨みつけている。
百合も黙ったまま赤美を見つめた。
やがて、根負けしたのか、ふうっとため息をついた。
「どうして?」
「どうして?本気で言ってるわけ?」
百合を睨みつける目が、ますます鋭くなる。
「今あんたが言ったのと同じ理由だよ。あたしたちの正体見たから軟禁するって、そしたらその間、こいつの生活どうなるわけ?こいつ、大学決まってんだよ?」
赤美の言うとおり、新藤は推薦で大学を決めている。
三学期になって登校しているのは、サッカー部の後輩たちを指導するためだ。
「3月いっぱいで解放できるならまだしも、あんたの家の事情考えたら、それ絶対に無理でしょ?」
百合の家は複雑だ。
自分たちの親と違い、彼女の父親は元々こちらの世界に住んでいたインシング人で、ゆえに彼女には自分たちと違ってこの世界に親戚がいる。
それは私立学校の経営をしていて、祖父の遺言に従い経営権を引き継いだ百合の後見人に誰がなるのか大いに揉めた、なんて話も聞いていた。
そんな事情を考えれば、百合があっさりとインシングに移住できるなんて思えるはずなどない。
そうなれば、百合の事情に決着が付くまでの間、新藤は軟禁され、大学に通うことができなくなるだろう。
彼の推薦は成績じゃない。
サッカー部のキャプテンとしての実績が評価されて勝ち取ったものだ。
いきなり大学に通えないとなれば、それが彼の大学生活にどれだけ影響をもたらすかもわからない。

気に入らない奴だ。
小さな頃から、たぶん嫌いだった。
だけど。

「あたしたちの事情で、こっちの世界の人間の人生潰すのは断固反対」

してはいけない。それだけは。
そう思っているからこそ、譲れない。

しんと室内が静まりかえる。
じっと赤美を見つめていた百合が、もう一度、小さくため息を吐いた。
その口を開こうとした、そのとき。
「いい加減落ち着けお前ら。悠司が怯えてるだろ」
その空気を切り裂いたのは、凜とした男の声だった。
赤美と百合に釘付けになっていた視線が動く。
それが集まった先にいたのは、呆れたような表情を浮かべた陽一だ。
ずっと黙って成り行きを見守っていた彼は、がりがりと頭を掻くと、わざとらしく盛大なため息を吐き出した。
「もういい。俺が話す」
「陽一先輩!?」
吐き出された言葉に、紀美子が驚きの声を上げる。
一瞬だけ彼女を見た陽一は、薄く微笑むと、すぐに元の表情に戻り、友人たちを見回す。
「全員、悠司に事情を話すことについては反対してないだろ?」
その問いに、答える者はいなかった。
実沙は困ったように笑って首を傾げ、鈴美はただ黙って彼を見つめ返す。
紀美子は戸惑ったように頷いて、沙織は困惑したような表情を浮かべるだけだ。
赤美と百合は揃って顔を背け、それを見た美青はため息を吐いていた。
「なら、俺が話す。いいよな?」
各々の反応を肯定と受け取って、陽一はもう一度口を開く。
「私は構わないが、お前はいいのか?」
そんな彼に問いかけたのは、英里だった。
今まで敢えて話に入らないようにしていた彼女が、じっと陽一を見つめる。
その瞳を見つめ返して、陽一は肩を落とした。
「正直な話、俺だってある意味部外者だ。だから、本当なら俺が口を出すことじゃないんだろう」
英里とは違い、理事部の中で唯一彼女たちと血の繋がりを持たない陽一は、完全に部外者だ。
だから今まで、黙って成り行きを見つめてきた。
「でも、だからこそ、俺の方がしがらみなく話が出来ると思うんだが?」
わざと首を傾げて尋ねる。
一瞬驚いたように目を丸くした英里は、ふっと表情を崩すと、仕方が無いと言わんばかりに薄く笑った。
それを好意的な笑みだと受け取ると、陽一も苦笑を浮かべてみせる。
「なんだかんだで、俺だいたい立ち会ってるしな。お前らの関わった事件」
「あー、確かにねぇ」
実沙がにやにやと笑いながら同意する。
何を思い出しているのか、心当たりは大いにあったけれど、無視を決め込む。
「ただ俺1人だと、少し偏りがある可能性もあるけど……」
「なら、私が同席します」
名乗り出たのは、紀美子だった。
ほんの少しだけ驚いた陽一が、心配そうに彼女を見る。
「いいのか?紀美」
「はい」
彼の心配をよそに、紀美子ははっきりと頷いた。
「本当なら、私と姉さんがお話しするべきだと思いますし」
彼女と赤美は、新藤とは幼馴染みという親しい関係にある。
両親を亡くしたばかりの頃には、本当に一時だったけれど、彼の家に世話になったこともあるらしい。
そんな関係の彼に、今までずっと秘密にしていたことを話す。
少し困ったようなその表情は、話すことへの迷いではなく、どう話したらよいか戸惑っているからだろう。
「ありがとう」
そんな彼女の思いを汲み取って、陽一は安心させるように笑ってみせる。
それを見た彼女は、ほんの少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐにほっとしたような笑みを返した。
彼女にもう一度笑みを向けてから、陽一は視線を移す。
「悠司も、とりあえずそれでいいか?」
「え、あ、ああ……」
陽一に見つめられ、新藤はこくこくと頷く。
状況が飲み込めているかどうかはわからなかったが、彼にとってはこのままここに居るよりはずいぶんマシだろう。
「じゃあ、隣借りるぞ。その間に、赤美、百合。お前たちのそれ、結論を出しておけ」
陽一に視線を向けられ、赤美は口を噤み、百合はふいっと視線を逸らす。
「いいな?」
陽一が少し低めの口調で凄むと、赤美は反応しなかったが、百合はほんの少しだけ肩を跳ねさせた。
2人の反応にため息を吐き出すと、陽一は新藤を促し、紀美子と3人で隣の部屋へと消えていく。
扉が完全に閉まると、それを待っていたかのように実沙がため息を吐き出した。
「……ああいう表情を見ると、未来の王様なんだなって思うよねぇ」
「ええ。本当、ああいうときはかっこいいわ」
実沙の傍で鈴美が感心したような笑みを浮かべる。
それを聞いた実沙は、驚いたように彼女を見つめた。
「鈴ちゃん?」
「何ですか?実沙先輩」
「紀美ちゃんが嫉妬するよ?」
「大丈夫。そういう意味は全くないから」
引いたと言わんばかりに大げさに体を反らす実沙を見て、鈴美はため息をつく。
実沙もわざとだったようで、「だよねー」と言いながら楽しそうに笑った。
「さて。じゃあこっちも話をしないとね」
美青の言葉で、その場に緊張が戻る。
「だから……」
「そっちじゃなくて」
再び口を開こうとした赤美を遮って、美青はゆっくりと全員を見回した。
「新藤の件でみんな頭から飛んでるみたいだけど、あの空の穴はどうするの?」
彼女の言葉に、百合がはっと顔を上げる。
その様子を見て、赤美がこっそりため息をついた。
「今、塞がってるのは一時的にでしょ?」
「だよ。たぶん、内開きの扉の上から板を被せて、板の上から壁に釘を打ちつけた、って状態だと思う」
美青の問いに頷いたのは実沙だ。
「だから向こう側からは開きっぱなし。何度も板を叩かれたら釘が抜けちゃうよ」
それも急拵えの板だ。
板その物もとても脆くて、耐久性も期待できないだろう。
「ウィズダムは、完全に閉じるならば、インシング側からゲートを閉じる必要があると言っていたな」
「うん。向こう側に行って扉を閉じて、閂しなきゃ」
がちんと閂を金具に押し込む動作をしてみせる実沙を見て、あっ、と声を漏らしたのは沙織だった。
「ねえ。閂ってことは、向こう側から閉じちゃったら、もうこっちからゲートを開けないってこと?」
「たぶん、そうだと思う」
実沙の答えに、全員が驚き、息を呑む。
「そしたら、新藤のこと以前の問題だね」
真っ先に口を開いたのは、赤美だった。
「あたしたちは今選ばなきゃなんないわけだ。こっちに残るか向こうに戻るか」
向こう側でゲートを閉じてしまったら、こちら側からあけることはできない。
それはつまり、こちらから向こう側に連絡を取ることもできなくなるということ。
ゲートを閉じるなら、向こうに戻るつもりの人間は、向こう側に戻っていなければ、戻れなくなるかもしれないということだ。
「でも、魔物たちの湧き出る原因を突き止めれば、また開けることは出来るでしょ」
「どうだろうな」
百合の希望的な言葉を否定したのは、英里だった。
「英里?」
沙織が不思議そうに英里を覗き込む。
英里はちらりと沙織を見てから、眉間に皺を寄せたまま視線を落とした。
「ゲートという呪文は、本来はアースとインシングという異世界同士を行き来する物ではなく、人間界と魔界や妖精界を繋ぐためのもの。人間ではなく、魔族や妖精たちの扱う呪文だったはずだ。異世界――別の人間界と繋がったのは、それこそお前たちの母親がアースに逃れてからで、本当なら魔族と繋がりのない人間には伝わってすらいないものだった」
「そうなの?」
「うん。あたしたちの家に伝わってのは、ミルザやご先祖様たちが、魔界とかに行ったりしていたからだね」
沙織の問いに答えたのは実沙だった。
7人の中で紀美子に次いて魔法に長けている彼女は、一族に伝わる呪文について、他の面々よりも知っていることが多いのだ。
「たぶん、ミルザがユーシスに教わったものが伝わったんだと思う」
補足するようにそう言ったのは美青だった。
「じゃあ、アールやリーナは?」
「イセリヤがこっちを侵略したくて広めたんでしょ」
イセリアは魔族だった。
元々ゲートの呪文を知っていた彼女が、先代を追うために研究を重ね、異世界への道を突き止めたとしても不思議はない。
「で、つまり?」
一通りの話が終わるのを見計らって、赤美は英里に続きを失う。
英里は頷くと、再び口を開いた。
「こちらとあちらを繋げたのは精霊だ。別の人間界へ扉を繋げることなど、相当なイレギュラーな事態だっただろう。そしてその扉は、いつでもお前たちがあちら側に戻れるように20年間保たれていた」
ミルザの一族は、インシングにとっては精霊の加護を直接受けている特殊な存在。
精霊もそれを失うわけには行かなかったから、先代たちを異世界に逃し、そこへ繋がる道を保ち続けていた。
「そんな特殊な扉を一度完全に閉めてしまったら、人間の手で再び開くことが出来ると思うか?」
本来は繋がるべきではない世界同士を繋ぐ道だ。
今まで繋がっていたことだって、奇跡に近いことなのかもしれない。
「可能性は低いんだって考えた方がよさそうだね」
いつもの口調で、けれどいつもよりは落ち着いた声で、実沙が呟く。
「でも、少し前もゲートが開かなくなったことがあったけれど、その時は元に戻ったわよ?」
「あ、そういえば。なら、そこまで心配する必要ないんじゃない?」
鈴美の問いに、沙織が首を傾げる。
けれど、英里は静かに首を振った。
「あの時はどうしてそんなことになったのかはわからないが、おそらくは今回とは事情が違うだろう。同じと思って楽観視しない方がいいと思うぞ」
「となると、やっぱりここで決断しないといけないんじゃないかしら」
鈴美の呟きに、百合はごくりと息を呑んだ。

アースでの生活を捨て、インシングに帰るか。
インシングを捨て、アースに残るか。
ずっと先でいいと思っていた決断を、今しなければならない。
ゲートを閉じてしまったら、もうこちらには戻ってこられないのかもしれないのだから。

ゲートを閉じずに原因だけ探す選択だってあるのだろう。
けれど、それにはゲートの出口で向こう側から溢れてくる魔物たちを防ぐ者がいなければできない選択だ。
慣れない者たちが魔力のないこの世界で、無限に溢れ出す魔物を相手に防衛戦をするのは、厳しすぎる。

がたっと音がして、全員が顔を上げた。
視線を向ければ、美青が立ち上がったところだった。
「ちょっと寮に帰ってくるわ」
「美青ちゃん?」
「実家に電話してくる」
一言だけそう言うと、美青はじゃあねと軽く手を振って部屋を出ていった。
その後ろ姿を見送ってしまってから、実沙が不思議そうに首を傾げる。
「なんで帰るの?事務室前に電話あるじゃん」
「美青の実家はシンガポールだからでしょ?」
赤美の言葉に、実沙は訳が分からないと言わんばかりの顔をする。
その頭の上に、大量のはてなマークが見えた。
「公衆電話で国際電話してたら、テレカ何枚使うかわかんないし、そもそも事務室前のだと先生とかもいっぱい通るし。帰って電話した方が安全でしょうが」
「ああ、そっか」
そこまで聞いて、漸く納得したと実沙がぽんっと右手の拳で左の手のひらを打つ。
美青には姉兄が居る。
姉からは、高校を卒業したらシンガポールに戻るようにとさんざん言われているらしい。
それを、おそらくは説得するために電話をしに行ったのだ。
長くなるだろうから、公衆電話からかけるなんてできるはずもない。

美青は、既に決めていた。
こちらに残るか、あちらに帰るか。

「あんたも決めなよ、百合」

赤美の言葉に、百合ははっと彼女を見る。
その赤みを帯びた黒い瞳は、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

「残るのか、行くのか」

その言葉に、ごくりと息を呑む。
「あんたたち、それでいいの?」
向こうに戻ったら、こちら側に戻れないかもしれない。
それで本当にいいのか。
そう尋ねた声が、震えているような気がした。
「別に」
あっさりと言い放ったのは、赤美だった。
「紀美が卒業したら向こうに行くつもりだったし。紀美だって、陽一が戻らなきゃならない以上同じでしょ」
陽一は向こうの世界に存在する国の王子で、次期国王だ。
修行と称してこちらの世界に来ているが、やがては戻らなければならない。
紀美子も、その恋人である以上、彼を追いかけて向こうに戻ることを決めているだろう。
「それにー。あたしたちはこっちに親戚いるわけじゃないしねぇ」
「私たちがいなくなって心配してくれるのは、クラスメイトくらいでしょうね」
頭の後ろで腕を組んだ実沙が、ずいぶんと軽い口調で言う。
それに同意したのは鈴美だ。
ずいぶんとあっさり決断した2人の姿を見た英里が苦笑する。
「理事部全員失踪は笑えないと思うが」
「でもまあ、このまま魔燐学園消失よりはマシなんじゃない?」
身寄りのない人間が9人消えたところで、世間にそう大きな影響はないだろうが、小中高一貫の私立学園が怪物に襲われ全滅したなんてそれこそ大騒ぎになってしまう。
「そーゆーわけで、寮に残ってる家具とかの話を除けば、捨てなきゃいけないもの持ってるの、百合ちゃんだけっぽいよ?」
にっこりと笑った実沙の、しかし笑っていない言葉で問いかけられ、百合は言葉を失う。
俯き、黙り込んでしまった彼女を見てため息を吐き出した赤美は、ふいっと視線を逸らすと、実沙へとそれを向けた。
「実沙。あれいつまで持ちそう?」
「わかんないけど、たぶんそんなに時間ないと思う」
実沙から笑顔が消える。
真剣な表情になった彼女は、真っ直ぐに窓の外に広がる空を見つめた。
「もしかしたら、明日には向こう側からこじ開けられちゃうかも」
一見穏やかに見える空だけれど、自分たちにはわかる。
この世界には存在しないはずの魔力が、空の一転から零れ始めている。
実沙と同じ場所を見つめてから、赤美は百合に向き直った。
「だって。考える時間はそんなにないみたいよ?せいぜい悩んだらいいんじゃない?」
静かにそう告げると、赤美は百合に背を向け、歩き出す。
「赤美先輩。どこへ?」
鈴美の声に、赤美は足を止め、振り返った。
「ここの屋上。ちょっと頭冷やしてくる」
そう答えると、彼女は先ほどの美青のようにひらひらと手を振って部屋を出ていった。
その様子を見ていた英里が、こっそりとため息をつく。
気づいた実沙は心の中でほんの少しだけ笑うと、それには気づかれないように百合へと視線を向け、にっこりと笑った。
「百合ちゃんも、冷やした方がいいかもね。頭」
実沙の言葉に、百合はびくりと肩を震わせる。
そのまま俯くと、そのまま何も言わずに部屋を出ていった。
残された沙織と英里が顔を見合わせ、実沙と鈴美はやれやれと肩を竦めさせていたことなど、知らないまま。

2017.02.27