SEVEN MAGIG GIRLS

Last Chapter 古の真実

32:姉と妹

ぱたんと静かに扉を閉める。
部屋を出たルビーは、大きなため息を吐き出した。
「お疲れ」
声をかけられ、顔を上げる。
一緒に部屋を出てきたタイムが、そこにいた。
「あんたも」
「あたしはほとんどしゃべってないしね。あんたの方が疲れたでしょ、いろいろと」
歩きながらタイムが苦笑を浮かべた。
否定はできない。
肉体的な疲れよりも、心労がだいぶ溜まっている。
理由なんて考えるまでもない、あのもう1人の自分のせいだ。
自分のあんな弱い面を叩きつけられて、正直思い切り叫びながら走り回りたいくらい……何と言うか、心がぐちゃぐちゃになっている。
それでも何とか平静を装っているのは、たぶん、自分の中に生まれた自覚のせいなのだと思う。
今は、目の前のやるべきことを、何としても片づけなければならない。
それが、本当に、何よりも最優先なのだ。
『あれで良いのか?』
そんなことを考えていると、不意に側から声がした。
顔を上げて振り返ると、そこにはいつの間にか青年の姿があった。
「ウィズダム」
「いいの?ミスリルの側にいなくて」
タイムが首を傾げながら訪ねる。
『今は、仲間たちと思考している方が良いだろう。それよりも……』
宙に浮いたままこちらへやってきたウィズダムは、顔を2人の側へ寄せると、耳打ちをするのかように声を抑えて尋ねた。
『真実を話していない部分があるだろう』
すうっと、ルビーは無意識のうちに目を細める。
「リーフの話?」
『お前たちの話もだ』
ルビーは静かに視線を落とす。
先ほどは話を合わせてくれていたけれど、彼にはそう言われるだろうとは思っていた。
『リーフ=フェイトは……』
「ミルザの転生体だって素直に話して、それこそ理解が追いつくと思う?」
大昔の破壊神という存在ですら、理解の枠を越えたものだろう。
そこにご先祖様が、現代では友人である王子様になっています、なんて話をしたら、確実に頭がショートをする。
自分とタイムはよく受け入れることができたなと思っているくらいなのだ。
「『継承』の話だって同じ。下手に話して余計な混乱を呼ぶ必要はないし、背負う必要もないよ」
あれこそ、本当にする必要がないと思う。
だって、破壊神の復活なんてことか起こらなければ、自分たちだって知らずに終わっていたことなのだ。
無理に話す必要はないだろうし、それに。
「あたしたちだけでいい。そう決めたから」
この選択は、思い描いていた未来を全て捨てなければならないものだ。
そんな選択をするのは、自分とタイムだけでいいと、本気でルビーはそう考えていた。
それを聞いたウィズダムがタイムを見る。
視線に気づいた彼女は、苦笑を浮かべながらも頷いた。
「そうね。あたしもそれでいいと思う」
『本心か?』
ふと、ほんの一瞬だけタイムの顔から表情が消えた。
「……ええ」
少しだけ、返事が遅れた。
気づいたけれど、ルビーは何も言わない。
自分だって、そうだから。
本当は、ずっと『ここ』にいたい。
今からでも、選択が変更できるのであればと、考えてしまうことだってある。
けれど、もう自分は見てしまった。
それを選んだ先にいる、可能性の自分を。
だからもう、選び直そうだなんて思えない。
「それに、セレスとミューズにはこれからもうひとつ大事な話をしないといけないし。あたしたちだって、まだ大仕事がひとつ残ってるし」
『大仕事?』
ウィズダムが不思議そうに聞き返してくる。
答えるよりも先に、隣から声がかかった。
「さっきの精霊神法よね?」
「やっぱタイムも?」
「ええ」
答えると、タイムは自身の手に目を落とした。
「無我夢中で形にしたけれど、まだ安定してない。何度か試してみて、定着させないと」
「本番で不発とか制御失敗とかになったら、洒落にならないしね」
破壊神と対峙して、いざ戦いが始まったときに精霊神法が制御できないなんてことになれば、仲間全員が危険に晒されることになる。
それだけは、避けなければならない。
ぎゅっと拳を握り締める。
ひとつ息を吐き出すと、ルビーは顔を上げて側に浮かぶ青年を見上げた。
「ウィズダム。あんたも、あたしたちが隠した真実をあいつらに言うのは引き続き禁止とする。いいね?」
『……承知した』
妙にあっさりと答えると、ウィズダムはふわりと後ろへ下がる。
その姿が消えかかっていることに気づいて、ルビーは足を止め、振り返った。
「戻るの?」
『問いを投げかけられても困るからな』
今ここでウィズダムが戻ったところで、ミスリルたちの質問責めに合うことは考えなくともわかる。
それを回避するためだろう。
ウィズダムはミスリルの元に戻ることなく、すうっと空気に溶けるように姿を消した。
「勝手な奴」
「まあ、仕方ないんじゃない?」
タイムが肩を竦める。
「……そうね」
今だからわかるけれど、彼だってずいぶんと我慢しなければならない立場にいるはずだ。
それに気づいてしまったら、文句を言うことなんてできなかった。
「止まれ」
不意に、兵士に声をかけられ、足を止める。
話しているうちに、目的の扉の前に着いていたことに気づく。
「客人、ここは王族の皆様の居室区画である。即刻引き返していただこうか」
ルビーがちらりとタイムを見る。
タイムは静かに頷くと、前に出た。
「リーフ殿下の治療をした者です。殿下の診察に参りました」
背後の扉――リーフの部屋の入口を護る2人の兵士は、ぎろりとこちらを睨みつける。
全く信じていない、疑っていますとばかりの視線を向けられ、肩を竦める。
「申し訳ないが、王族の以外の者を通すことはできない」
タイムはため息をつくと、困ったように眉を寄せたままこちらを振り返った。
自国の王子が、それも王太子になることが決まっている者が、よりにもよって城下町で瀕死の重傷を負って運び込まれたのだ。
警戒することは間違っていないし、気持ちだってわかるつもりだ。
「よい。その方々はお通ししろ」
さて、どうやって説得しようと考えていると、知った声が背中から聞こえた。
「ディ、ディオン副団長!?」
「その方々は殿下のご友人だ。お通ししろ」
「か、かしこまりました」
兵士たちが慌てて頭を下げ、扉の前から下がる。
それを見届けると、ディオンと呼ばれた壮年の騎士は、こちらに向かって頭を下げた。
「ご無沙汰しております、ルビー様、タイム様。部下が失礼をいたしました」
「お久しぶりです、エルトさん。助かりました」
「こちらこそ。殿下を助けていただき、ありがとうございます」
頭を上げたディオンは、2人に向かって微笑むと、そのまま脇を通り抜け、リーフの部屋の扉に手をかける。
扉を静かに広くと、もう一度軽く頭を下げた。
「どうぞ、殿下の下へ」
「ありがとうございます」
2人もぺこりと頭を下げる。
この男性は、この国の王族直属の騎士団である自由兵団の副団長――つまりリーフの副官だ。
帝国占領時代から自分たちのこともよく知ってくれていて、この城を尋ねる度にいろいろと便宜を図ってくれる。
「あとでミューズ王女と妹が来ると思いますので」
「かしこまりました」
扉が閉まるまで、ディオンは頭を下げ続けていた。
かちっと扉が閉まる音を聞いた途端、ルビーは思わずため息を吐き出した。
「助かった……」
「もしかしたら、ミューズ王女が呼んでおいてくれたのかもしれないね」
同じようにため息を吐き出したながら呟いて、タイムが苦笑する。
けれど、その顔は部屋の奥を見た瞬間に引き締まった。
窓から少し離れた場所に、ベッドが置かれている。
王族と聞くと天蓋つきのベッドを想像してしまいそうだが、必要以上の贅沢を望まない彼らしい装飾品はないベッドの上で、リーフが眠っていた。
静かにベッドに近づいたタイムが、布団の下から彼の腕を出し、脈を測る。
それから、鼻と口元に手を近づける。
「どう?」
側に近づいてから、ルビーは少し声を抑えて尋ねた。
ちらりとこちらを見たタイムは、すぐにリーフに視線を戻すと、ふうっと息を吐き出す。
「正直専門じゃないからはっきりとは言えないけれど、呼吸も安定しているし、もう大丈夫だと思うよ。あとは、本人の体力次第だけど……」
そこまで言って、タイムはため息をつく。
それを見たルビーは、ふっと笑ってその肩を軽く叩いた。
「何落ち込んでんの。あれ以外じゃ、リーフは助からなかったかもしれないでしょ」
「……わかっては、いるんだけどね」
「それに、それを話すためにわざわざ2人をここに呼んだんじゃない」
「……うん」
気落ちした様子のタイムが頷いたそのとき、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
ルビーが扉に向かって声をかける。
「失礼いたします」
入ってきたのは予想どおり、自分たちがここに呼んだ2人――セレスとミューズだった。
「早かったね」
「姉さんが早めに来いって言ったんじゃない」
「まあ、そうなんだけどね」
少し苛立ったようなセレスの言葉に、ルビーは苦笑する。
「お話とは、なんでしょうか?それも、ここで」
ミューズが眠ったままのリーフの様子を窺いながら尋ねる。
ルビーは2人に座るように促した。
ベッドからは少し離れた場所に設置されていたソファセットに移動し、セレスとミューズが壁側のソファに、タイムがその向かいに腰を下ろす。
ルビーは何故か座ることなく、タイムの背後に立った。
タイムがちらりと後ろを振り返る。
視線が合うと、ルビーは無言で頷いた。
「リーフに関わることだからね。2人には言っておかなくちゃって思って」
口を開いたのは、タイムだった。
その言葉に、セレスとミューズの背筋が、自然と伸びる。
「それに、もうリーフが起きるなら、本人にも言わないといけないことだし」
「兄様に、ですか……?」
ミューズが思わずと言った様子で尋ねた。
その不安そうな顔には、これから告げられる言葉への不安が、ありありと浮かんでいた。
タイムが、軽く深呼吸をする。
それから、まっすぐに2人の目を見て、口を開いた。
「まず、リーフの怪我は治ってる。そこは心配しなくて大丈夫よ」
安心させるように前置きをする。
これは嘘ではないから、本当にリーフは大丈夫だ。
今のところは。
「ただ、問題はこれからね」
「これから、ですか?」
ミューズが首を傾げる。
不安そうなその顔を見たルビーが口を開いた。
「セレス。回復呪文の仕組みは?」
「え?えっと、魔力で再生能力を促進させて傷の修復を……、っ!」
途中で何が気づいたセレスが、言葉を止めて息を呑む。
「セレスさん?」
それを見たミューズが、不安そうにその名を呼んだ。
無意識だろう、口元を右手で押さえたセレスは、そのまま恐る恐るといった様子で口を開いた。
「タイムさんの回復呪文も、同じ……?」
「そういうこと」
ルビーが頷く。
どういうことなのかわからないと言わんばかりの表情を浮かべていたミューズをちらりと見やってから、タイムへと視線を向ける。
それを見たタイムは頷くと、セレスへと視線を戻し、問いかけた。
「普通の傷を治す程度なら、回復能力をちょっと促進させる程度だからほとんど問題はないけれど、致命傷を治すとなったらどう?」
「限界を超えた再生能力を引き出すことになる、ということでいいですか?」
「そのツケは、どこから来ると思う?」
何かに気づいたらしい、セレスの顔色がさっと青くなる。
膝の上に置かれた両の手がぎゅっと握りしめられ、スカートに皺を作っていた。
「あ、あの。すみません」
2人の会話を聞いていたミューズが、おずおずと手を挙げた。
「私には、よく……」
「ああ……。えーっとね」
ミューズの様子に気づいたルビーは、どう説明をしたものかと天井を仰ぐ。
本来は剣士である彼女が、回復呪文の仕組みに疎いのは仕方がない。
回復呪文の根本的な仕組みは、実はアースの知識が入ってしまうのだけれど、そこまで理解する必要はないだろう。
インシング風に説明するならきっとこうだと思い至って、ルビーはミューズを見て口を開いた。
「再生能力の大元って、つまりはその人の生命力なの。今回のリーフの場合、その生命力を膨大に使って致命傷だったはずの怪我を治したんだよね。で、生命力を消費してるってことは、つまり、その分寿命が短くなるってこと」
「寿命が……?」
ミューズの表情が、不安そうなものに変わる。
それを見たルビーは、頷きながらため息を吐き出した。
「これが光の属性系統の呪文のだったらまた事情が違ったんだけど、タイムのは水だから」
「え?」
ぽろりと零れた呟きに反応したのはセレスだった。
「水だからってどういうこと?普通の回復呪文だって、同じでしょ?」
その問いを聞いたルビーは、しまったと思いながら、目の前に座る親友に目を落とす。
視線を感じて振り返ったタイムは、肩を竦めた。
呆れたと言わんばかりのその表情に言い返すよりも先に、タイムはセレスたちに向き直ってしまう。
「各属性に、裏属性というか、もうひとつの性質がある話は知ってる?」
「そういえば、前にベリーが言っていたような……」
「光の裏の性質は、慈悲とか慈愛とか、そういうのらしいよ。癒しの力の大元もね」
そういえば、以前ベリーは闇の精霊ダークネスからその話を聞いたと言っていたような気がする。
彼女とよく一緒にいるセレスなら、その話を聞いていたとしても不思議はないのかと納得しながら、ルビーは小さく安堵の息を吐き出した。
「光属性の系統だったら、属性の加護みたいな、つまり外部の力でリーフの傷を癒せたんだけど、水の裏属性は『恵み』なの」
そんなルビーの様子に気づいているのかいないのか、タイムはそのまま話を続けた。
「恵みの力は、与えられた者の力を促進する……つまり内部の力を増殖させること。だから水の系統の回復呪文は、対象者の生命力を使ってしまう」
「でも、回復っていう固有属性以外の回復呪文なんて、今まで聞いたことが」
「ああ。タイムのは、ウンディーネ様と契約したから使えるようになった精霊魔法の一種だから」
タイムの肩が僅かに揺れたことに気づいて、ルビーはさらりと嘘をついた。
それを聞いたセレスが声を上げる。
「精霊魔法、って精霊神法のことじゃなかったの……!?」
「精霊神法がそう呼ばれてるから、あたしたちの認識がごっちゃになってるだけ。本来はティーチャーの妖精魔法と同じ、精霊族が独自に使う呪文の総称らしいよ」
これは本当だ。
妖精魔法も精霊魔法も、大昔の人間が、自分たちとは違う彼らの呪文を区別するためにつけた呼び名であるらしい。
もっとも、タイムの使った呪文は『継承』をしたことで使うことができるようになった神法であるから、その部分については嘘なのだけれど。
「姉さんが、タイムさんに使ってたのも?」
「ああ……。うん、そう。あれは火の精霊魔法。火の裏属性を利用したやつ」
セレスの問いに、少し動揺しながらも返事を返す。
まさか自分に矛先が向くとは思わなかった。
ルビーの動揺に気づいていないのか、セレスは不思議そうに首を傾げる。
「火の裏属性?」
「力だって。暴力とかそう言うのじゃなくって、えーと?統率力とかそっち系?」
言いながら首を傾げてしまうのは、どう言葉にすればよいのかよくわからないからだ。
属性としての要素は理解している。
けれど、説明しろと言われると難しい。
かつて火の女神が司ったのは、そんな力だったのだ。
「詳しい仕組みはサラマンダー……様にでも聞いて。とにかく……」
ルビーがぽんっとタイムの肩に手を乗せる。
後は任せたという合図のつもりだったのだけれど、その意図は正しく伝わってくれたらしい。
ちらりとこちらを見たタイムは、小さく頷くと再び口を開いた。
「話を元に戻すけど、さっきも言ったように、リーフの傷はリーフ自身の寿命を削り取って治している。だから、リーフは先代の国王様ほど長い時間は生きられないかもしれない」
「いや、ここの先代の王様ってだいぶ長生きじゃなかったっけ?」
先代国王が長生きで、そして元気だったからこそ、当代のリミュート王が即位するのがたいぶ遅くなったとか、今は対して重要ではない情報が頭の中でぐるぐると回る。
後ろで百面相をしているルビーをほったらかしにして、タイムは話を続ける。
「もうひとつ。リーフ自身の生命力を使って傷を再生させているから、完璧には治せていないかもしれない」
「ど、どういうことですか?」
動揺して尋ねたのはミューズだった。
「日常生活には支障はないと思う。だけど……」
「何らかの障害が残るかもしれない、ということですね?」
セレスの問いに、タイムは頷いた。
「障害……?」
聞き慣れない言葉に、ミューズが不安そうにタイムを、そしてセレス見る。
それを見て、ルビーは再び息を吐き出した。
「まあ、心臓は逸れていたけど、その近くの内臓に大ダメージを負ったわけだしね。すぐに完全回復っていうのが、そもそも無理だろうね」
「大量失血に加え、傷の再生をしたときにだいぶ体力も消耗したと思うから、暫くは絶対安静というか、起き上がることもままならないかもしれない」
本来ならば助からない怪我だったのだから、それは仕方のないことだろう。
それでも、タイムは俯いてしまう。
もしかしたら、力不足のせいだと思っているのかもしれない。
「あとは、もしかしたら何かしら後遺症が出る可能性もある」
これほどの怪我をして、本当に何も影響を遺さずに治せたという自身が、これまで回復呪文を使うことが出来なかったタイムにあるはずがない。
『継承』した力であっても、万能ではないのだから。
「そうなったときには……」
「私が支えます」
タイムが言葉を全て告げる前に、それに被せるように声が帰ってきた。
タイムとミューズが驚いたように顔を上げる。
「セレスさん……」
真っ直ぐにタイムを見つめるセレスの瞳には、強い意志の光が宿っていた。
それを見つめて軽く息を吐き出したルビーは、それでも敢えて問いかける。
「いいんだね?セレス」
「はい」
問いかけに間髪を入れずに答えた妹の姿を見て、ルビーは小さく微笑んだ。
姉の表情の変化に気づいていないのか、セレスはそのまま言葉を続ける。
「リーフさんが生きていてくれるんだもの。なら、他に恐いものなんて何もないわ。助けられないって思ったとき、本当に恐かったから……」
セレスが胸の前で祈るように両手を組む。
当時のことを思い出しているからだろう、その手は僅かだったが震えていた。
「だから、私は大丈夫。私が、あの人を支えるの」
そうはっきりと言ったセレスは、そのまま姉へと目を向ける。
突然、それも睨み付けるような視線を受けて、ルビーは思わずびくりと肩を震わせた。
「反対したって無駄よ、姉さん。もう決めたから」
とてもすがすがしい表情でそう言い切った妹に、目を丸くする。
暫くぱちぱちと瞬きを繰り返した後、ルビーは呆れたように息を吐き出した。
「そんだけ覚悟があるんなら、反対するわけないでしょ」
そう答えた途端、今度はセレスが目を丸くした。
「リーフの人柄は嫌ってほど知ってるし?今更反対する理由なんてないわ。あんたが後悔しないならそれでいいと思ってるよ、最初から」
「え?」
セレスの黄色の瞳が、ぽかんとこちらを見つめている。
あまりにも長いことそうやっているから、どうしたのかと思ったそのとき、タイムの小さな笑い声が耳に届いた。
思わず睨みつければ、いつの間にかその青い瞳がこちらを見ていた。
「あんたがセレスとリーフの交際に反対してたの、本当に最初だけだったよね」
「そう、だったの?」
嘘だと言わんばかりのその問いかけに、ルビーは少しだけ苛立ちを覚える。
「あのねぇ。そりゃ、おもしろくないから時々絡んだかもしれないけど」
「時々どころじゃなかったんじゃない?」
「……うっさい」
タイムにそうツッコミを入れられ、一瞬言葉に詰まってしまう。
確かに、おもしろくないとは思っていた。
たった1人の家族を、突然現れた他人に取られたのだ。
それもそいつは王族で、結ばれたら結ばれたで、セレスはきっとすごく苦労するだろうと、そう考えていたことがあったのも本当。
セレスと一緒にいたいという我が儘で、王子としての立場を放り出して学園に留学してきたときも、この男は何を考えているのだと、そう思った。
それでも、日常生活を共にするようになって、その中でリーフという青年を見ていて、感じたのは最初のその印象とは違うものだった。
学園で暮らし、学び、その目で見たアースの、日本制度を、エスクールで使えないかと、国に帰る度にミューズに相談していたことを知っている。
強くなるために、魔法剣の特訓をしていた時期以外にも、自分たちから戦いの技術を学んでいたことも知っている。
そのうえで、セレスを蔑ろにせずに大切に接していたことも、知っている。
だから、半年経った頃には、セレスとリーフの仲を反対する理由なんてないと、そう判断したのだ。
「こんなんでも、あたしはあんたの姉さんだし。妹が不幸になったら許せないと思って悪いか」
「……ううん。悪くないよ」
唖然として言葉を失っていたセレスは、ゆっくりと首を横に振る。
その瞳が真っ直ぐにこちらに向いたかと思うと、ふわりと笑った。
「ありがとう、姉さん」
久しぶりに見た気がするそれは、日溜まりのような笑顔。
それを見た途端、顔に熱が集まった気がして、思わず視線を逸らす。
きっと、今の自分の顔は真っ赤になっているに違いない。
照れた顔を隠しながら、内心で安堵した。
再会してから、セレスはずっと思い詰めたような表情をしていたから。
あんな風に笑えるのではあればきっともう大丈夫だろう。
「ミューズ王女も、大丈夫?」
タイムが、ミューズに話しかける声が聞こえた。
頬を両手で覆いながら視線を上げると、ミューズのきょとんとした顔が目に入る。
「え?ええ。兄上が選んだ方ですから。反対する理由も……」
「そっちじゃなくって、リーフの後遺症の話」
ミューズが一瞬動きを止める。
頬が赤くなったかと思うと、軽く咳払いをした。
おそらくは、自分たち姉妹のあの話の後だから、釣られてそう答えてしまったのだろう。
悪いのはこちらで、彼女ではないのだから、申し訳ないことをしたと思う。
咳払いのあと、軽い深呼吸をして、ミューズは口を開いた。
「正直、まだ飲み込めていません。ですが、今までも私たちは兄妹で支え合ってきましたし、それはこれからも変わりません」
そう告げる声には、不安が混じっているように思えた。
けれど、ミューズは続ける。
少しだけ彷徨った視線は、すぐこちらに向けられた。
代わりに彼女は困ったように笑う。
「それに兄上は不在のことの方が多かったですし。あまり今までと変わらないような気もしますし」
「ご、ごめんなさい」
「あ、いえ。兄上が勝手をしているだけで、セレスさんのせいではありませんから」
反射的に謝罪してしまったセレスの意図を汲み取って、ミューズは慌てて首を振った。
「そちらの世界に行って学んだことが、国の政策に役立っていることもまた、事実ですし」
そう言って、ミューズは苦笑する。
それが、彼女がリーフの異世界留学をやめさせられなかった理由なのだろう。
ここ1年ほどでエスクール王家が予定しているとして打ち出した施策は、彼がアースで暮らさなければ思いつかなかっただろうことも多かった。
制度を整えるところから始めなければならないため、実現にはまだ時間がかかりそうではあるけれど、リーフはそのための勉強にも手を抜いてはいなかったはずだ。
「ですから、私も大丈夫です」
「なら、いいんだけど」
肩を落としたタイムを見て、ルビーは何度目かのため息をつく。
リーフの怪我を完璧に治せなかったことを気にして、ずっと落ち込んでいるのだ。
「はいはい、落ち込まない。つーか、助けたあんたが落ち込むのはおかしい。ここでの落ち込み担当はあたしでしょう、普通」
ぱんぱんと軽く肩を叩く。
驚いた顔でこちらを振り返ったタイムを無視して、ルビーは改めてセレスとミューズに向き直り、頭を下げた。
「改めて謝罪させて。あたしがリーフに大怪我を負わせた。本当にごめんなさい」
突然のそれに驚いたのか、セレスが息を呑む。
「あれは姉さんじゃ……!」
「ううん。あたしだよ」
ルビーは首を横に振って、はっきりとそれを否定する。
「あれはあたし。ほんの少しボタンを掛け間違ってしまった先にいるだけの、あたし自身」
あの黒い服装のルビーは、確かにここにいる自分ではない。
けれど、もしかしたら、ほんの少しのきっかけでたどり着いたかもしれない未来の自分だと断言することができる。
本当に一歩、ほんの一歩だけ別の方向へ進んでしまっていたなら、自分はあの未来にいたかもしれないのだ。
それが痛いほどにわかっているからこそ、自分のせいではないだなんて言って、逃げるつもりはなかった。
「だから、ケジメはきっちりつけてくる」
顔を上げ、ルビーははっきりとそう、決意を告げる。
「姉さん……」
セレスの心配そうな声が耳に届いた。
何を考えているかは、わかる。
けれど、答えは返さない。
ただ静かに、告げた決意を噛みしめていると、突然ミューズが立ち上がった。
タイムと2人、驚いて彼女を見る。
「兄上に変わってお願いします」
真っ直ぐにこちらを見たかと思うと、ミューズはそのまま深く頭を下げた。
「この国を、いえ、世界をどうか救ってください」
そんな風に頼まれるなんて思わなかったから、驚いた。
視線を落とせば、ソファに腰を下ろしているタイムも同じだったらしく、目を丸くしてこちらを見上げ青い瞳と視線がぶつかる。
タイムが肩を竦めてみせる。
それに苦笑を返してから、ルビーは再びミューズへと視線を戻した。
「もちろん」
はっきりとそう答えを返す。
拒否をする理由なんてない。
そのために、自分たちは力を『継承』したのだから。
「タイム」
「ええ」
声をかけると、タイムは立ち上がった。
彼女がソファから離れたのを見て、ルビーはふっと表情を緩め、セレスへ視線を戻す。
「じゃあ、あたしたちはそろそろ行くから」
「え?」
そう告げると、セレスは驚きの表情を浮かべる。
「行くって、どこに?」
どこか焦った様子で尋ねるセレスに向かい、ルビーは柔らかく微笑んで見せる。
「マリエス様のところに一度戻るわ。まだ精霊神法が完璧じゃないから、ちょっと調整したいし」
未完成のままここに来て、無我夢中のままに完成させた呪文。。
今のままではいざというときに使えないから、もう一度封印の森の神殿に戻り、最終調整をする必要がある。
そう決めて戻る選択をしたのだけれど、それでもセレスは不安らしい。
先ほどから何か言葉を口にしようとして思いとどまっているのか、口元がぱくぱくと不自然に動いていた。
気持ちはわかるし、ありがたいと思うけれど、だからと言ってやめるわけにはいかない。
ソファを回り、セレスに側へ寄る。
はっと顔を上げた彼女の頭にそっと手を乗せ、優しく撫でる。
驚きの表情を浮かべる妹に向かい、ルビーは薄く微笑んだ。
「明日迎えに来るから、準備しておいてよ」
このままいなくなるのではないと約束するつもりで、そう告げた。
それで漸く安心したのか、セレスの表情からほんの少しだけ緊張が抜けた。
「……うん」
返事をした妹に安心して、ルビーはそっと手を退ける。
名残惜しそうなその顔に気づかない振りをして、タイムを振り返った。
頷いた彼女が、そのまま部屋の扉向かって歩き出す。
2人揃って扉の前に立つと、ルビーはもう一度だけ振り返った。
「それじゃね」
「また明日、2人とも」
「はい」
「待ってるからね、姉さん」
しっかりと返ってきた答えに安堵して、扉に手をかけ、そのまま廊下へ出る。
タイムが扉を閉めると、ルビーは深いため息を吐き出した。
「……まったく。うちの妹はずるいんだから」
「何が?」
タイムが不思議そうに首を傾げる。
天井を仰ぐように上を向くと、ルビーは両手で己の両目を覆った。
「あんな声出されたら、残りたくなるじゃない」
「それはあんたがあの子の姉さんだからでしょ」
呆れたようにそう言われるが、反論なんてできない。
ルビー自身もそう思っているからだ。
「さてと。ちょうどいいからここで跳ぶ?」
そう言われて、顔を上げる。
ミューズが人払いをしたのか、部屋にはいるときはいたはずの警備兵の姿がない。
彼らが戻ってくる前にここから行ってしまった方が手間はかからないだろう。
「そうだね。行こう」
タイムに向かって手を差し出す。
ほんの一瞬目を丸くしたタイムは、ルビーの意図を悟ったのか、すぐにその手を取った。
「しっかり握っててよ」
「うん」
お互いに力を込める。
その状態のままルビーは頭の中に神殿の光景をイメージして、言葉を呟いた。
次の瞬間、空気が震えたかと思うと、2人の姿はもうその場のどこにもなかった。

2019.6.30