SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter6 鍵を握る悪魔

5:小さな犯人

我に返ったときには、もう子供はこちらを見て怯えた表情を浮かべていて。
隣ではミスリルとマルロウの舌戦が、さらに低く静かな口調で繰り広げられていた。
しかし、何故か子供の様子が気になってしまったペリドットの耳に、2人の言葉は届いていない。
困惑した若草色の瞳は、ただ怯える子供を見つめていた。
「そこまで言うのなら」
隣から聞こえた、ここに突入してからの一番大きなミスリルの声で、ペリドットは漸く意識を引き戻した。
見れば、ミスリルはあの紫の粉末を乗せた手を突きつけるように伸ばしていた。
「この薬を飲んでみてください。今すぐに」
ミスリルのその言葉に、マルロウはその余裕の表情に初めて動揺を覗かせた。
もちろん、それを見逃すミスリルではない。
「飲めないのですか?」
目を細めて尋ねる。
その言葉に、マルロウは返事を返さなかった。
いや、返事をすることができなかったのだろう。
「では、今までの主張は嘘、ということになりますね」
薄っすらと笑みを浮かべて言うミスリルの、今までの主張というのが何なのか、意識の逸れていたペリドットにはわからない。
ただ、それを悟らせないようにマルロウを睨めば、ふとその額に冷や汗が浮かんでいることに気づいた。
「あれぇ?なーんか汗掻いてるみたいですけどぉ?」
今までの話を全て聞いていたふりをしてそう指摘してやれば、マルロウは今度は本気で狼狽したようだ。
眼鏡の奥の瞳が見開かれ、表情が誰の目に見ても明らかに強張る。
「こ、これは部屋が暑いからだ!決して焦っているからでは……」
「なら……」
ミスリルが伸ばした手の甲に、傷に触らない程度にペリドットが手を重ねる。
「これ、飲んでみてください」
2人声を揃えて、にっこりと笑みを浮かべて言ってやれば、マルロウはぎりっと唇を噛む。
2人の要求を飲むことのできないマルロウの様子に、室内にいる患者たちがだんだんと騒ぎ始めた。
その患者たちを宥めようと、慌てて助手が彼らの前に行き、これはタチの悪い悪戯だと弁解をする。
しかし、先ほどまでとは明らかに表情を変えたマルロウを見ていると、そんな言い訳を信じることできなかったのだろう。
疑り深い患者はすぐに席を立ち、診療所を出て行き始める。
そうではない者たちも、その場に残ってはいるが、不安そうな、疑わしげな視線をマルロウに向けていた。
「い、言いがかりだっ!私は……」
それでも尚マルロウが言い返そうとしたそのとき、彼の足元から、唐突に大きなため息が聞こえた。
妙に響いたその音は、室内の視線をそれを発した小さな子供に集めるには十分だった。
「……もういいよ、お父さん」
「ネ、ネヴィル……?」
唐突に声を発した彼の子供であるらしい少年の名を、マルロウは動揺した声音で呼ぶ。
ゆっくりと顔を上げた少年の顔には、先ほどまでの怯えた表情ではなく、子供とは思えないような冷たい表情が浮かんでいた。
「だってもう十分あの薬、この街に広まったもん。だから……」
少年の顔に、ふんわりとした笑顔が浮かぶ。
その顔を見た瞬間、マルロウの顔が恐怖で引き攣った。
「ひ……っ!」
小さく悲鳴を上げ、マルロウは子供から離れようとする。
しかし、それは叶わなかった。

「お前はもう用無しだ」

子供とは思えない、冷たいその声が響いたかと思うと、少年はマルロウに向かい、ゆっくりと腕を伸ばした。
その瞬間、その腕から何かが放たれる。
その『何か』を、ペリドットとミスリルは正確に見抜いてしまっていた。
「ネヴィルさ……」
マルロウの言葉が途中で途切れる。
そのままどさりと音を立てて、彼の体が床に倒れた。
きっと、周囲にいる患者たちには、何が起こったのかわからなかっただろう。
彼らが認識できたのは、マルロウの体を中心として広がる、赤黒い血黙り。
「うわあああああぁぁぁぁぁっ!!!」
「きゃあああああああっ!!!」
誰かが叫んだ瞬間、病気や怪我のためにここを訪れていたはずの患者たちが、外に向かって一目散に逃げ出していく。
その光景を視界の隅で認識しながら、ミスリルは信じられない思いでマルロウだったモノと、彼の命を奪った子供を見つめていた。
子供の手から伸びているのは、赤黒く染まった長い爪。
その爪がゆっくりと元の長さに戻っていくのを、ペリドットは見た。

「まさかこんなに早く嗅ぎつけられちゃうなんて、思ってなかったんだけどなぁ」

唐突に耳に届いた幼い声に、2人は我に返った。
見つめた先にいた幼い子供は、自らの爪についた血をぺろりと舐め取っていた。
愕然とするミスリルの横で、ペリドットは呆然とその少年を見つめていた。
それでも頭は冷静で、先ほどまで感じていた違和感の正体を分析する。
その先にある結論に辿り着いたとき、ペリドットは無意識に言葉を発していた。
「……やっぱり」
我に返ったミスリルの視線が自分に向く。
けれど、そんなことには気づかないまま、ただ子供だけを見つめているペリドットは、ぐっと拳を握り締めていった。
「やっぱり君、子供じゃない……!」
ペリドットの言葉に、ミスリルは驚いたように目を瞠り、目の前に立つ子供を見る。
僅かに俯いた子供は、しかしその言葉を聞くと、心底おかしそうに笑い出した。
そんな彼を、ペリドットは若草色の瞳を鋭くして、睨むように見つめる。
「何がそんなにおかしいのさっ!」
「あはははっ!だっておねえちゃんっ!子供の僕に向かって子供じゃないって……あはははははっ!!」
「だって雰囲気が子供っぽくないし!それに……」
笑いながら言い返す子供の言葉に腹が立ったのか、ペリドットの顔が怒りに歪む。
その顔のまま、彼女は何故か右手で勢いよく床を示した。
「あんたの影!どう見たって大人のだっ!!」
ペリドットがそう言い放った瞬間、子供はぴたりと笑うのを止めた。
驚いたミスリルが、子供の足元を見る。
そこには、確かにどう見ても子供の背丈ではない――そもそも子供と同じ形ですらない長いシルエットが焼きついていた。
「これは……っ!?」
愕然としたミスリルの声が耳に届く。
それを無視して、ペリドットは睨みつける瞳をそのままに、強い口調で言い放った。

「あんたは魔族……。ううん、悪魔だっ!!」

何故そう思ったのかなんて、正直のところわからない。
ただ直感で、そう思った。
変身する悪魔なんて聞いたことなかったけれど、その少年は確かに人ではなく悪魔なのだと、ペリドットの意識の奥底がそう告げていた。
「……へぇ」
てっきり反論するかと思った子供は、小さくそう呟くと、楽しそうな笑顔でペリドットを見る。
「どうやら全部忘れちゃったわけじゃないんだね?おねえちゃん」
わざとらしい物言いに、どういう意味だと問い返そうとしたそのときだった。
ぱちんと、どこからともなく指を鳴らす音が聞こえた。
その直後に、診療所の人から叫び声が飛び込んできた。
「えっ!?」
「何っ!?」
突然の人の異変に、2人の気が一瞬逸れる。
その瞬間、前方から響いたガラスの割れる音に、2人は慌てて視線を戻した。
しかし、先ほどまでそこにいたはずの子供の姿は既にそこにはなく、室内には気持ち悪くなるほどの鉄の匂いと、その発生源であるマルロウの死体だけが残されていた。
「逃げたっ!?」
「くっ!追うわよっ!」
「う、うんっ!」
言葉と共に、ミスリルが開け放たれたままの扉から駆け出していく。
それを追おうと踵を返した直後、ペリドットは目の前にあった障害物にぶつかってしまった。
「~~~たぁっ!」
思い切りぶつけた鼻を押さえて、顔を上げる。
見れば、そこにあったのは見慣れた薄黄色のスカーフと、青い服。
右側のみに流れる長い髪は、ついさっきここから飛び出したはずのミスリルのものだとわかって、ペリドットは抗議の声を上げようとした。
しかしそれは、次の瞬間彼女の肩越しに街の様子を目にした瞬間、音にならずに消えてしまう。
「な、何……?これ……」
目に入った光景は、この診療所の中よりも酷いものだった。
先ほどまでこの診療所の側で列を作っていた病人たちは逃げ惑い、そうすることができなかった人々が、マルロウとそう変わらない姿で道に倒れている。
あちこちから悲鳴が上がり、必死に逃げる人たちを追いかけているのは、この辺では見ることのないタイプの魔物――いや、怪物だった。
結界の張ってあるこの街にどうやって入り込んだのか、怪物たちは次々と人を襲い、殺し、中には喰らっているものまでいる。
愕然とその光景を見つめていたミスリルは、ふと怪物の中に人間の衣服のような布をその身に絡ませているものがいることに気づき、目を見開いた。
「まさか……」
「そのまさかだよ、大地のおねえちゃん」
唐突に耳に届いたその声に、2人はぎくりと体を強張らせる。
次の瞬間に視線を向けたのは屋内でも街でもなく、診療所の屋根だった。
聖職者区の色彩に合わせるためか、下から見ると真っ白に塗られている屋根の上から、幼い少年が顔を覗かせている。
浮かんでいた笑みは、少年のそれでは、決してなかったけれど。
「言っただろう?あの薬はもう、十分この街に広まったって」
くすくすと笑いながら告げられた言葉に、ペリドットは愕然として街へと視線を戻し、ミスリルは少年を睨みつけたまま拳を強く握った。

それでは、あの街の人たちを襲っている怪物は、元は人間だったというのか?

「あの薬はね、僕が僕の体から造ったんだ」
信じられない思いで目の前で繰り広げられる光景に見入ってしまっていたペリドットの耳に、少年の無邪気とは程遠い声が届く。
「僕の意志で発症し、僕の言葉に従う忠実な下僕。どう?凄いでしょう?」
「何を……っ!!」
得意そうな少年の言葉に怒りを覚えたミスリルは、けれどその感情のあまりの強さに、それ以上の言葉を口にすることができなかった。
「はっ……しょう?」
怒りに震えるミスリルの横で、愕然とした瞳のまま街を見つめていたペリドットは、その言葉を耳にして、はっと我に返る。
もしも、あの子供の意志ひとつで、この街全体のあの薬の服用者が、一斉に怪物に変化してしまったのだとしたら。
「ミスリルっ!!」
ペリドットの焦った声に、ミスリルは驚き、それでも邪魔されたことを責めるような目で彼女に視線を移した。
そんなミスリルの腕を掴むと、ペリドットは珍しく青い顔で叫ぶ。
「もしみんながみんな悪魔化しちゃってるなら!シルラ君も……!!」
「あ……っ!?」
すっかり忘れていたらしいミスリルは、ペリドットのその言葉に表情を無くした。
もし彼の一声で、街中の患者が悪魔化したのだとしたら。
自分たちが持つこの薬の本当の使用者であるシルラも、悪魔になってしまっていると言うことになる。
「っ!いったん戻るわよっ!」
「うんっ!」
焦った2人が、子供の存在を忘れて城へ戻ろうとしたそのときだった。
「行かせないよ」
少年の笑みを含んだその声が、辺りに響く。
そう思った途端、突然街の人々を襲っていた周囲の怪物たちが、2人に向かって襲い掛かってきた。
「うわっ!?」
「くっ!?」
咄嗟に取り出したオーブで、鞭で、それぞれに伸ばされた怪物の手を叩く。
しかし、それは容赦なく、次々と2人に襲い掛かってきて。
「きゃあっ!?」
「ミスリル……うわあああっ!?」
背後から聞こえたミスリルの小さな悲鳴に気が削がれたその瞬間、ペリドットは怪物に腕を掴まれ、思い切り放り投げられていた。
「……っあぅ!?」
ぎりぎりのところで受身を取ることはできたが、突然放り投げられ、地面に叩きつけられた痛みを逃れることは出来なくて、一瞬全身に走った衝撃に思わず小さな悲鳴を上げる。
それでも堪えられない痛みではなかったから、僅かに頭を振ると、慌てた様子で顔を上げた。
「ミスリルっ!!」
放り投げられた自分とは違い、未だ襲い掛かる怪物の中心にいるミスリルは、呪文で周囲に壁を創り上げることで、何とかその場を凌いでいるようだった。
けれど、あの怪物の数と力から考えて、それは長くは持たないだろう。
何故か周囲にいた怪物は全員がミスリルに集中しているらしく、こちらには1匹も向かってこない。
壁が壊れる前にゴーレムを召喚するつもりだろうけれど、あれでは間に合わないことは目に見えていた。
「くそっ!」
オーブを翳して、呪文を唱えようとする。
しかし、それは思わぬ人物によって邪魔された。
「駄目だよ、おねえちゃん」
突然ペリドットの目の前に、あの少年が飛び降りてきたのだ。
「退いてっ!退かないと、君も一緒に吹っ飛ばすよっ!」
「どうぞ?できるものならご自由に」
「っ!!?」
少年の挑発に、ペリドットは思わず目を瞠り、唇を噛む。
「……本当にやるよ?」
「どうぞ。今のおねえちゃんに、僕を殺せるはずがないからね」
その自信はどこから出てくるのか、少年は余裕の笑みを浮かべていった。
その言葉に、ペリドットはオーブを構えたまま、先ほどよりもずっと強く唇を噛んだ。
根拠なんて何もない。
けれど、彼の言葉は事実であるような気がした。
「それに、僕は見たいんだ」
唐突な少年の言葉に、ペリドットは思わず構えていた腕を僅かに降ろし、尋ねる。
「見る?」
「そう……」
少年が静かに頷いた、そのときだった。

「インクラントアースドラゴンっ!」

怪物の中心から、ミスリルの聞き慣れない呪文を紡ぐ声が聞こえる。
それが彼女が継承した精霊神法であると気づくのに、ほんの少しだけ時間かかかった。
立ち上る光の柱に一瞬だけ目を奪われた後、ペリドットはぎっと目の前にいる少年を睨む。
「ミスリルが『あの人』を呼んだ!もう君に勝ち目はないよ!」
「いいんだよ、別に」
妙にあっさりとした口調で告げられた言葉に、ペリドットは驚き、目を瞠る。
「だって僕は、ずっとこれを待っていたんだから」
怪物たちの方へ視線を向け、光の柱を眺めていた少年が、ゆっくりとこちらを向く。
その青のかかった翠の瞳に見つめられた瞬間、ぞくりと、背中を冷たいものが駆け抜けた。
何が嫌なことが起こる直前に感じるような、悪寒。
悪魔であるこの少年の瞳を見つめた瞬間、ペリドットの背を駆け抜けたのはそれだった。

「ウィズダムと、おねえちゃんをね」

告げられたその言葉に、若草色の瞳が大きく見開かれた。

2005.12.17