SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter5 伝説のゴーレム

26:黒い翼

嫌な音を立てながら彼の背に広がったのは、真っ黒な翼。
見覚えのある、魔族と呼ばれる種族に属する者たちが持つものと同じそれ。
「邪天使……?」
思わず以前自分たちの目の前に現れたその種族の名を呟く。
「天使?違うな」
その声の反応するかのように言葉を返して、翼を生やした彼が目を開く。
ばさっと一度羽ばたくと、自身を包みこむように体の前に翼を動かし、うっとりとそれを見つめた。
「……僕は変化に成功した」
目の前に持ってきた翼を、愛しい者にでも触れるかのような手つきで撫でる。
その姿に異様なものを感じて、思わずミスリルは息を呑んだ。
「僕は人から『神』になった。この翼はその証拠だ」
「神?」
何を言っているのだろう、彼は。
いくら精霊が存在するこの世界であっても、神――神族の存在は誰にも確認されていない。
そんな種族が本当に存在するのかなどわからないし、何より黒い翼を持つ種族と言ったら邪天使以外存在しないはずだ。
存在しないはずなのに。
「翼を持つ種族なんて、神くらいしかいないだろう?」
顔に薄く笑みを浮かべて紡がれた言葉を聞いて、ふいにひとつの可能性が頭に浮かんだ。
もしかして、彼は邪天使の存在を知らないのではないか。
聞くところによると、元来彼らは人間界に住むことを好まないのだという。
帝国時代、マジック共和国の邪天使隊にいた者たちも、実力者であったイセリヤの命に従っていただけで、部隊の解散と共に魔界に帰っていったとアールに聞いた。
かつての帝国が世界支配を始めたとき、この国は早々に降伏しており、アールが成人してから出来たという邪天使隊の襲撃は受けていないはずだ。
元々知名度の低い彼らの種族をアビューが知っている可能性は低い。
「だから僕は神だ。世界で唯一の絶対的な、ね」
翼を広げてくすりと笑うその表情は、まるで子供のようだった。
そう考えて、ふと気づく。
そういえば、口調も心なしか幼くなっている気がする。
姿を変えたアビューを見つめたままぐるぐると考え込んでいると、ふいに彼は視線を動かした。
それを追って目を向けた先には、トロルの胸に乗ったまま呆然とした表情でこちらを見下ろしているリーフがいる。
その姿を認めた途端アビューの意図に気づき、ミスリルははっと表情を変えた。
「リーフっ!避けてっ!!」
その声にリーフは体をびくっと揺らして我に帰る。
漸く現状を認識して目を大きく見開くと、一瞬後には剣をトロルの胸に突き刺したまま左に飛んでいた。
その直後、槍に似た形をした岩がたった今までリーフの立っていた場所に突き刺さった。
その衝撃に、もう動かないはずのトロルの体が揺れる。
突然のそれに落ちそうになるのを座り込むことで何とか耐えて、リーフはごくっと息を呑んだ。
ミスリルが声をかけるのが一瞬でも遅かったら、彼はあの岩に貫かれていただろう。
あんなものに貫かれたら、確実に助からない。
「……くそっ!」
小さく舌打ちをすると突き刺さった岩の側、トロルの傷口に刃を沈めたままの愛剣に飛びつく。
そのまま引き抜こうと力を入れて、動きを止めた。
トロルの体は硬直を始めていて、突き刺さったままの剣はぴくりとも動かなかった。
「ちょっと、マジかよ……」
「リーフっ!?」
再びミスリルの声が耳に届く。
慌てて剣を握った手に力を入れて思い切り引っ張る。
けれど剣はやはりトロルの体に沈んだままぴくりとも動かない。
「リーフっ!?何してるのっ!!」
言葉を耳にするのと同時に地面が割れるような揺れを感じて、彼は声のした方へと視線を向ける。
再び何かしようとしているアビューに向かい、その行動を邪魔するように簡単な呪文を放ちながら焦った様子でこちらを見上げるミスリルと目が合った。
「剣が、抜けない……っ!!」
「何ですってっ!?」
剣を引き抜くことを優先して言った言葉は重要な部分がかなり抜けていて、それでもこの祠に入る前とは違い、冷静さを取り戻した彼女はその言葉が示す意味を悟ってくれたようだ。
下級呪文で相手の動きを邪魔することはやめずに、ミスリルはぎりっと下唇を噛んだ。
いくらなんでも硬直が始まるのが早すぎる。
まさかこれも、種換の秘薬の副作用だとでも言うのだろうか。
「副、作用?」
ふと頭を過った言葉に、一瞬だけ呪文を放つことを止めてしまった。
その隙を突いてアビューの腕が再び動く。
今度は自分でそれに気づいたリーフは、反射的に剣から手を離し、先ほどの岩の陰に飛び込んでいた。
次の瞬間、彼がたった今まで立っていた場所に、先ほどよりも小さい槍状の岩が暴風雨を思わせるかのような勢いで襲い掛かった。
既に循環していないはずのトロルの血が噴き出す。
それをまともに浴びそうになったリーフは、とっさにマントを引いて頭部を庇った。
一瞬の油断で相手に行動を許してしまったミスリルは、目を見開いてその様子を見つめていたが、マントの下から現れたリーフの無事を確認すると、ほんの少しだけ力を抜いて小さく安堵の息をつく。
本来は綺麗な空色をしているはずのマントを脱ぎ捨てると、リーフは再び剣を抜きにかかる。
リーフがこれ以上標的にされないように、ミスリルはアビューを睨むと、彼が動き出すのを遮るかのように声をかけた。
「動けない人間をいたぶるなんて、『神』がすること?」
ぴたりとアビューが動きを止める。
ゆっくりとこちらを向けられた顔には、優越感を思わせる笑みが浮かんでいた。
「そうだよ。だって神には人を裁く権利が……いや、義務がある」
すっかり己を神だと信じ込んでしまった青年は、くすくすと笑って再び弟の体に乗るリーフへ呪文を放とうとした。
「ふざけないでっ!!」
それをミスリルがわざと大声で叫んで相手の注意をこちらに向けることで防ぐ。
「本当にあんたが『神』になったのだとしても、何もしていない人間を裁く権利なんてないわっ!」
「何もしていなくはない。少なくともあいつは……弟を殺した」
言葉と共に楽しげな光を宿していた瞳に影が落ちた。
それを見てミスリルは僅かに目を見開く。
「人を殺した人間は、裁かれなくてはならない」
「それはあんたたち兄弟も同じでしょう?」
先ほどよりほんの少し声のトーンを落として問いかける。
「違う。トヒルは既に人ではなく、僕は神だ」
「神様だからって無闇に人を殺していいわけではないわ」
強い口調で言い返すと、アビューは顔を隠すかのように俯いた。
その肩がだんだんと震え出すのを見て、ミスリルは思わず鞭の革紐を握っていた手の力を緩めた。
「無闇にではない」
不意に聞こえた低い声に、はっと彼の顔を見る。
俯いて僅かにしか見えないその顔は、笑っているように見えた。
「奴らは姉さんを異端と侮辱した罪人だ」
ゆっくりとアビューが顔を上げる。
露になったその赤い瞳には、暗い炎が浮かんでいて。
それを見た瞬間、ミスリルは無意識のうちに体を強張らせた。
その影響で鞭を握るために入れていた力が完全に抜ける。
僅かに口の端を持ち上げると、アビューは鞭に絡め取られた片手を勢いよく振り上げた。
「きゃあっ!?」
突然強い力で引かれたことによって腕を襲った衝撃に、ミスリルは思わず握っていた鞭を手放す。
彼女の手を離れた鞭は絡み取っていたはずのアビューの腕からも離れ、遠くの床に転がった。
「罪人には罰を与える。だから僕らは奴らに死を与えた」
「でも、あんたたちが“竜”を手に入れるために命を奪った人形師は、あの村のことには関係がなかったはずよ」
「神の所有物である“竜”に手を出そうとした。それが奴らの罪だ」
僅かに痺れる右腕を摩りながら強い口調で言い返せば、あっさりとそんな言葉が返ってきた。
なんて勝手な言い分だろう。
“彼”を欲したから死ななければならないなんて、そんなことあるはずがないのに。
そもそも“彼”はれっきとした命を持った存在だ。
“彼”を呼び出す言葉は精霊神法であるから、もしかすると精霊と同等の存在なのかもしれない。
そんな“彼”をモノ扱いするという言動。
そちらの方がよっぽど罪になるのではないだろうか。
「このままいっても平行線か……」
小さく呟くと、ミスリルはちらっとリーフを見遣った。
トロルの体の上にいる彼は、未だに一振りしか持っていない剣を引き抜こうと必死で、暫くは参戦できそうもない。
仮にも剣士なら予備の剣を持っておけと思ったが、一応自由兵団と言う名の私服騎士団に所属している彼だ。
国によっては、騎士は自分の剣に名をつけ、手放さないと言う習慣があると聞く。
だから彼も似たような理由であの剣を手放すことが出来ないのかもしれない。
そう考えて、文句は言わずにいることにした。
どの道今のアビューが相手では、彼には出番はないだろうから。
「どうやら、あんたには最初から話し合いをする気なんてないみたいね」
最初からわかりきっていたことだけれど、聞かずにいられなかった。
本当はトビューとも戦わず、説得で全てを終わらせたかったのだ。
彼らの姉を――双子を止めて欲しいと叫んでいたイールを知ってしまったから。
「お前たちだってその気はなかっただろう?」
「……ええ。最初はね」
冷たく返された言葉に、最後の部分を小さな声で付け足して答える。
「敵対すると決めた以上、もう、容赦はしないわよ」
右手を胸の前に持ち上げ、そこにあるブローチをぎゅっと握る。
先ほどのトビューとの戦闘で、思った以上に魔力を使ってしまった。
体力も、そろそろ限界だ。
あまり時間をかけている余裕は、ない。
「汝、大地と知恵を司りし者」
後ろへ一歩、足を動かす。
「精霊を従えし者」
言葉を紡ぐごとに一歩一歩確実に後ろへ下がっていく。
「彼の者を越えし聖竜族よ。大地の種族に命を与えし汝よ。」
詠唱に意識を集中しながらも、ミスリルは頭の隅で考えていた。

このまま上手く詠唱を完成させることができるだろうか。
もし途中で邪魔をされたら、“彼”を呼び出すどころではなくなる。
できれば気づかないでいて欲しい。
詠唱が完成するまで、今自分が紡いでいるこの言葉が示す意味に。

remake 2004.12.27