Chapter7 吸血鬼
30:封鎖された王都
月明かりとランプの光に包まれた城内のあちこちから、鎧が軋む音が聞こえる。
たくさんの兵士や軽装の騎士が行き来するその中を、軽鎧に身を包んだ少女が歩く。
少女の姿を見ると、周囲の者たちは道を開け、礼を取った。
その建物の一番奥――兵舎の中で、指揮官室と位置づけられている場所の扉を開けると、その中にいた騎士たちが顔を上げる。
少女の顔を見ると、彼らはその表情をそれまで以上に引き締めた。
「ミューズ殿下、お疲れさまです」
礼を取る彼らに手だけでやめていいと合図を送ると、少女――ミューズはきつい目つきのまま尋ねた。
「南門の警備は?」
「エルト副団長が向かわれています」
「東西は?」
「第二、第三師団長がそれぞれ任に着いておられます」
「そう……。港はどうか?」
「今のところ異常はありません」
ここはエスクール王国の最北端にある王都だ。
街の北には港があり、そこに異常がないと言うことは、今のところ周囲の門の警備は万全ということになる。
ほんの少しだけ安堵した彼女の元に、別の騎士が近づいてきた。
「ミューズ様。他国から海上閉鎖についての質問上が届いておりますが」
「外交部門の副長に。陛下にお伝えするかどうかはそちらの判断に任せると伝えて」
「はっ」
指示を伝えれば、騎士は礼を取り、そのまま部屋を出ていく。
扉が閉まったことを確認すると、ミューズは再び指揮官らしき騎士たちを振り返った。
「城下町の民は?」
「今のところ先の騒動以降被害はないとの報告です。ハンターギルドにも協力を申請し、街中の警備を依頼しております」
「わかった」
ハンターと呼ばれる人たちは、今では危険な仕事を中心とした何でも屋のようになっているけれど、本来は賞金稼ぎの集まりだ。
だから彼らを統括しているギルドも、報酬さえ用意すれば、緊急時にこうして国に協力をしてくれる。
民が危険に晒される可能性がある今、王都の警備に妥協をすることは許されない。
だからミューズは迷わずギルドに警備協力の申請を許可した。
こういう事態に関しては、冒険者である彼らの方が知識を持つ者が多い可能性もある。
それに街の中を彼らに任せることができれば、騎士団や兵士たちは街の外に意識を集中できる。
「いざとなったら、街の人間はできるだけ城に避難させるようにとギルドに伝令を。城へのルートへの警備には自由兵団からも人員を出しなさい」
「はっ」
「城への避難を前提に、城の警備に当てられる配置も考えおくように」
「承知いたしました」
今考えられるだけの指示を伝える。
父王が公務から退き、兄が帰ってこない今、彼女がやることは他にもある。
やり残したことがないかもう一度確認をすると、彼女は側にいる女性騎士に顔を向けた。
「引き続き警戒を。門を破られてはならない。よいな?」
「はっ」
女性騎士が礼を取る。
それを見ると、彼女は「戻る」と一言だけ告げて部屋を出た。
扉を閉めて、けれどすぐには歩き出さずに足を止める。
周囲に誰もいないことを知ると、それまでずっと心に留めていたため息を吐き出した。
「一体、何が起こっていると言うの……?」
今、王都に襲いかかっている事態が起こったのは、本当に突然だった。
驚いている間もなく、彼女は自由兵団という名の騎士団の団長として、そして今公務に就いている王族として、各所に指示を出すことになった。
考えている暇などなかった。
ただこの街の人々を、この城に住む父を守るために必死でやっていることだけれど、1人になる時間ができた今、心から思う。
「せめて兄様が帰ってきてくだされば……」
異世界に行っている兄が戻ってきてくれたなら、きっともう少し余裕が持てると思う。
けれど、今の自分には異世界に行く手段もなければ、異世界に行ける友人たちに連絡を取る時間もない。
仕方なく、もう少し1人でがんばろうと、気を引き締めるために深呼吸をしたときだった。
「殿下っ!!」
呼ばれた声に、はっと顔を上げる。
見れば、廊下の向こうから近衛兵が1人、こちらに向かって走ってくるところだった。
「どうした?」
「城内に侵入者が現れました!」
「侵入者!?」
警備体制は先ほど確認したばかりのはずだ。
にも関わらず、部外者の侵入を許したことに驚きを隠せない。
「警備は何をしていた!」
「そ、それが……」
つい兵士を怒鳴りつける。
肩を震わせた兵士が、答えを告げようとしたそのときだった。
「そこまで」
その兵士の目の前に、突如として切っ先が現れた。
背後から突然伸びたその先には、グローブをはめた拳がある。
どうやら刃のような爪を取り付けたナックルらしい。
びくんと体を震わせ、息を呑んだ兵士は言葉を呑み込んだ。
「申し訳ないけど、静かにしてもらえる?別に襲撃しに来たわけではないから」
そう告げる声に、聞き覚えがあった。
落ち着くように意識して見れば、兵士の後ろから見えるのは、二束にまとめられた、膝ほどまでの長さの紫の髪。
兵士より背の低い少女の顔も、ミューズがよく知る少女のもの。
「ベリーさん……?」
「え……?」
「こんばんは、ミューズ様。騒ぎにしてしまってごめんなさい」
あっさりと兵士を解放した少女は、前に出ると悪びれもなく告げる。
それは間違いなく、自分のよく知る人だった。
「まさか、侵入者というのは……」
「こいつと私だ」
また別の声がして、ミューズは驚き、兵士へ視線を戻す。
兵士の後ろから、その背に姿を隠すように立っていたらしい女性が、ゆっくりと姿を見せた。
その人物を見て、ミューズはその目を大きく見開く。
「アマスル殿下!?あなたまで……っ!?」
そこにいた女性は、友好国であるマジック共和国王の姉。
彼の国の国王補佐官でもあるアールだ。
休暇を取って旅に出ているなんて、彼女にしては珍しい話を耳にしていたけれど、まさかベリーと一緒だったとは思わなかった。
「すまない。明日の朝まで待とうと提案はしたんだが」
「そんなにのんびりしていられないでしょう?この状況じゃね」
ベリーの口調に、ミューズは僅かに目を見張る。
その口振りだと、彼女はこの街の事態を知っているのだろう。
「ミューズ殿下……、あの……」
兵士の声に、ミューズははっと彼を見る。
予想もしなかった人物の登場で、彼のことをすっかり忘れていた。
軽く咳払いをすると、表情を引き締めて彼を見る。
「警戒を解きなさい。皆にもそう伝えるように」
「し、しかし」
「問題ない。この方は私と兄上の友人と……」
「ミューズ殿下」
友好国の要人だと、そう伝えようとしたそのとき、アールがミューズを呼んだ。
何かと思ってアールを見れば、彼女は真剣な表情のまま、右の人差し指を自身の口元に当てる。
「今の私はアール=ニール=MKだ」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
数回それを頭の中で反復して、理解する。
つまり、今のアールは個人としてここにいて、国は関係ないのだと、そう言いたいのだ。
「わかりました」
その意を汲み取って頷くと、ミューズはもう一度兵士を見た、
「お二人とも、私と兄上の友人だ。問題ない」
「し、しかし……」
「この方々は、1年前の解放戦争の際の協力者だ」
部外者を警戒する兵士にはっきりとそう告げれば、彼は驚いたようにベリーたちを見て息を呑んだ。
この城の近衛兵は、ほとんどダークマジック帝国との解放戦争の後に入団した者たちだ。
自由兵団と違い、彼女たちと共に戦っていない彼らに、彼女たちの顔を知るものは少ない。
知っていたとしても、ミューズやリーフの友人としか認識していないだろう。
「おそらく、城までは地下水道を通って来られたのでしょう?」
「ええ。構造はリーフ殿下に教えてもらって、知っていましたから」
街中に警戒令を出している今、正面から入ろうとしたなら、必ず自分の耳に入るはずだ。
それが無かったということはそうなのだろうと尋ねれば、ベリーはあっさりと頷いた。
「そういうことだ。皆に侵入者はいないと伝えよ」
「か、かしこまりました」
近衛兵が礼を取り、その場を去っていく。
その姿が廊下に向こうに見えなくなるのを待っていたかのように、ベリーはこちらを見ると、軽く頭を下げた。
「ごめんなさい、ありがとう」
「謝るくらいなら最初から普通に訪ねてきてください」
「正攻法では城下にも近づけそうになかったものだから」
その言葉に違和感を覚えた。
それではまるで、正攻法で王都に入ってきたわけではないと言っているように聞こえたからだ。
もしかすると転移呪文かもしれないと思ったけれど、今この街には強力な結界を貼っていて、出ることはできても入ることはできないことを思い出す。
「近づけそうにもなかったって、どちらから入ってこられたのです?」
だから尋ねた。
そうすれば、ベリーは一瞬戸惑ったように視線をさまよわせて、けれどすぐにはっきりと答える。
「精霊の森まで行って、そこの古井戸から地下を通って」
告げられた言葉に、ミューズは思わず目を丸くした。
先ほどは兵士を誤魔化すために地下水道を通ったのだろうと口にしたのだけれど、それがまさか本当だったなんて思わなかった。
「朝まで待って、貴殿と連絡を付けてからにしようと言ったんだがな」
「この状況だと待てない、というお話になったんですね」
「ああ」
ミューズの問いに、アールが頷く。
外からこの街を見たのなら、きっとこの街を包む異常に気づいたのだろう。
だからこそ、彼女たちは強行突破に近い手段でここまで来た。
「門が閉鎖されているだけなら、朝まで待ってもよかったんだけどね。城下を囲んだ壁。あそこから少し離れた森にやっかいなのが大量に隠れていたから、そうもいかなくて」
ベリーが呟いたその言葉に、ミューズは息を呑み、その目を大きく見開いた。
「森の中に奴らが……っ!?」
それは今、この街を脅かしている原因。
街を封鎖し、結界を張り、異常なまでの警戒態勢を取らせているもの。
姿が見えなくなったとは思っていたけれど、そんなところに潜んでいたなんて、考えたくもなかった。
「やはり、この警備は奴らのせいか」
ミューズの驚きを察したアールが、目を本の少しだけ細めて尋ねる。
その問いに、ミューズは頷くことで肯定の意を返した。
「一体何が起こっているの?」
「私にもわかりません」
ベリーの問いに、ミューズは首を横に振る。
「数日前に奴らが突然やってきて、街の者を襲い始めたんです」
本当にそれは突然で、最初は何が起こっているのかわからなかった。
城下に降り、光景を目の当たりにしたときには、理解ができずにその場に立ち尽くしてしまった。
悲鳴を聞いて、やっと指示を出すことができたのだ。
「城下に進入した者は何とか倒し、残りの者たちが入ってこられないように門を閉鎖して、現在に至ります」
「だが、それだけでは他から来た者が餌食になる可能性もあるだろう?」
「わかっています。それを防ぐために港から兵を出し、海から南下させてトリスに駐留させています」
「そこで旅人や冒険者を規制していると?」
「はい。どうしても、という場合には、兵が浜辺から数日に一度定期便を出すことで対応を」
トリスというのは、王都の隣に当たる街だ。
この国は大陸の中央の森を囲むように街道と集落が存在する。
東西に分かれるその街道の、北側の合流地点がその街だった。
その街なら、東西のどちらから旅人がやってきても制止できる。
王都に近いこともあり、それなりに栄えているから、かなりの人数の旅人を留めておくことも可能だった。
「間に合わなくて、被害者も出てしまっていたようだけど」
「それは……」
ベリーの指摘に、ミューズは思わず視線を逸らす。
王都に近づく旅人の規制を始めたのは、もちろん王都の門を封鎖した後だ。
兵士がトリスに着くより早く街を出発してしまった旅人が、何人か奴らに襲われ、犠牲になったという話は、ミューズの耳にも届いていた。
「ベリー」
「ごめんなさい。責めるつもりはないわ」
咎めるようなアールの声が聞こえた。
その言葉を受けたベリーが、ほんの少し口調を和らげ、謝罪を告げる。
「エスクールはこの緊急事態に十分対応していると言えるだろう。気に病むことはない」
「わかってはいる、つもりです」
できうる限りの行動はしたと思っている。
それでも、もう少し早く手を打てていればと思ってしまうのは、仕方のないことなのだろうか。
きっとそう思ってしまうのは、1人だったからだと思っている自分がいた。
「せめて、リーフ兄様が帰ってきてくだされば……」
2人であれば、もっと早く案を出せ、指示が出せたかもしれない。
そう思ってしまったから、ミューズは俯き、それを掠れた声で口にする。
「帰って来ないんじゃなくて、帰って来られないんだと思うわ」
「え?」
耳に入ったベリーの言葉に、驚いて顔を上げる。
視線が合うと、ベリーは小さくため息を吐き出した。
「異世界へのゲートが、開けないの」
彼女の告げた言葉の意味が、最初はわからなかった。
いや、理解したくなかっただけかもしれない。
「どういうこと、ですか?」
「詳しくはわからない。あちらの世界へ繋がる扉が、何故か突然開けなくなった」
震えを必死に押さえた声で尋ねれば、眉間に皺を寄せたアールが小さく首をある。
「開こうとした土地や私たち自身に何か起こったのかと疑ったが、国に戻って試させたところ、我が国の宮廷魔道士たちにも開くことはできなかった」
「たぶん、向こう側からでも同じでしょうね。だからリーフは帰ってこられないし、他のみんなもこちらに来られないんたわ」
「どうしてそんなことに……っ!?」
「わからない。でも、だからこそ私たちはここに来たの」
思わず声を上げて尋ねれば、ベリーは首を横に振る。
その紫の瞳が、そのまま逸らされることなく、真っ直ぐにこちらへ向けられる。
「精霊の間に入れてもらえないかしら」
ベリーの言葉に、ミューズは驚き、僅かに目を見張った。
「精霊の間に、ですか?」
彼女たちがその部屋の名を口にするとき、それが重大な意味を持っていると身に染みてわかっていた。
だからこそ、聞き返す。
決して今の状況を甘く見ているわけではなかったが、そこまでのことなのかと確認するために。
その問いに、ベリーははっきりと頷いた。
「精霊神なら……マリエス様なら、何か知っているんじゃないかと思うの。それに、この事態が、ゲートが開けないことと関係ないとは思えないわ」
今この国を襲っている事態と、異世界への扉が開けないと言う現象。
確かに、何か関係しているのかもしれない。
そう言われれば、確かにそんな気がしてくる。
「ここに来る前に闇の精霊に会ったが、彼は知らないと言っていた」
「だから、あとは精霊神に聞くしかないと?」
「ああ、そうだ」
アールの言葉に問いを投げれば、彼女もはっきりとそう答える。
ミューズ自身は、魔法学に詳しいわけではない。
魔法剣という呪文を使う上で、ほんの少し齧った程度の知識しか持たない。
精霊と繋がりの深い一族の人間であるベリーと、魔道士であるアールが言うのであれば、本当にそうなのかもしれない。
それに、とほんの少しだけ思った。
精霊神の宿る部屋にベリーを連れて行けば、精霊神が、この状況を打開するための何かをベリーに授けてくれるのではないかと。
「……わかりました。ご案内します」
迷った末にミューズが出した答えはそれだった。
その言葉に、ベリーがほんの少しだけ表情を緩める。
「いいの?本当はあそこは立入禁止だって聞いているわ」
彼女の言うとおり、本来の精霊の間は国王ですら立ち入らないことになっている場所だ。
そんなところに連れて行ってもらっていいのかと、心配しているのだろう。
「ええ。でもかまいません」
そんなベリーに向かい、はっきりと答える。
「責任は、全て私が取ります」
今回の事態に関する判断は、全て自分に委ねられている。
ならば、ベリーを精霊神に引き合わせることも、ミューズの判断に委ねられているということだ。
そう解釈したと言えば、文官たちも口を出すことはしないだろう。
父王はきっと、理解してくれる。
「ミューズさん……」
ベリーが、驚いたと言わんばかりの表情でミューズを呼ぶ。
その隣で、アールが厳しい表情でこちらを見つめる。
「ミューズ」
「わかっています」
彼女が何を言いたいかはわかっている。
同じ王族として、王家の伝えてきた決まりを破るという行為の意味を察してくれているのだろう。
「ですが、今はこの事態を収拾する方が重要です」
いつまでも、人々をこんなわけの分からない状況の中に置いておくわけにはいかない。
国民を守ることも、王族の勤めなのだから。
だからと言って、ベリーを利用する形になってしまうことに、心苦しさをほ感じていないわけではないけれど。
「ありがとう」
ほっとしたように、滅多に見せることのない笑みを浮かべたベリーに、ほんの少しだけ心が痛んだ。