Chapter7 吸血鬼
16:異文化の国
ジパングに上陸して、そろそろ1週間が経とうとしていた。
この1週間、様々な場所を見て回り、文献を調べたけれど、めぼしい手がかりはなにもない。
そもそも、ミルザがほとんど関わらなかったらしいこの国には、ミルザにまつわる記録自体が極端に少ない。
あっても、せいぜい異国の勇者として伝わっていて、詳しく書かれている物はほとんどなかった。
「鈴」
それを承知の上で、文献を読んでいたベリーに声がかかる。
顔を上げれば、そこには買い出しに行っていたらしいアールの姿があった。
「どうだ?」
「さっぱりね。お手上げだわ」
読んでいた本を閉じ、ため息をひとつ吐き出す。
「ここまで記述がないなんて……」
「この国は、あまり外との交流がなかったからな」
周囲を見回しながらため息をつくアールを見て、ベリーも周りを見回した。
この国は他国に比べて家屋も衣装も特殊だ。
例えるなら、そう、アースの昔の日本と中国を足して2で割ったようだ、とでも言えばいいのか。
西洋の雰囲気を感じる場所はどこにもなく、そのためか、ベリーはここがインシングではなく別の異世界のようだと、そんな感覚まで持ち始めていた。
そんな馬鹿げた考えに自分で呆れ、もう一度ため息をつく。
それを見て何を思ったのか、アールはくすりと笑みを零すと、薄く笑顔を浮かべて言った。
「それよりも、そろそろ昼だ。食事は取らないと体に毒だぞ?」
「わかっているわ」
自分は朝からずっとここにいるから、アールはそれを心配してその言葉を投げてくれたのだとわかっている。
けれど、まだ途中までしか読んでいない手元の本を読み終わらないうちに席を立つ気分にはなれなくて、再び本を開いた。
それを見たアールの目が、途端に細められる。
「鈴」
「はいはい」
少し低くなったその声を聞いて、逆らうことはあっさりと諦めた。
素直に椅子へ本を置いて席を立つと、漸く微笑んだアールと共に部屋を出る。
ふと、扉を閉めようとしてあることに気づき、そのままくるりと振り返ってアールを見つめる。
視線に気づいたらしい彼女は、不思議そうにベリーを見つめ返した。
「どうした?」
「だいぶ慣れたのね、名前」
最初は慣れなくて呼び間違えていたり、呼んでも気づかなかったりしたというのに。
1週間経った今、ごく自然に呼ばれていることに気づいて、思わずそう声をかけた。
一瞬きょとんとした表情を浮かべたアールは、少ししてから漸く言われた言葉を理解したのか、苦笑する。
「さすがにな」
その笑みに、なんとなく寂しそうな雰囲気を感じた。
何故そう思ったのかは、わからない。
尋ねようにも、アールはそのまま歩き出してしまって、タイミングを失ってしまった。
後にその話を仲間たちにしたとき、察しのよいルビーやペリドットにその理由に気づかなかったことを暫くからかわれることになるのだけれど、そのときのベリーがそんなことを考えられるほどの余裕を持っているはずもなかった。
階段を下りて、廊下の先へと向かう。
2人がいたのは、ジパングにある町のひとつ、比較的大きな街だと思われる場所の宿だった。
廊下の先にはフロントを兼ねた食堂があって、滞在中はずっとここで食事をしていたのだ。
この国の通貨は世界で唯一別のものだけれど、事前にリーナが多少の用意をしてくれていたので何とか宿に泊まることはできていた。
その後も、ベリーとアールで交互に仕事を探し、路銀を稼いで過ごしている。
「それにしても、驚いたな」
食堂の空いている席に座った途端、アールが口を開いた。
「何が?」
「お前が、こんなに簡単にこの国の文字が読めるなんて思わなかった」
突然何かと思って尋ねれば、小声でそんな言葉が返ってくる。
それを聞いて、ベリーは小さくため息を吐き出した。
「アースで私たちが育った国に似てるのよ、ここの文字。あの女の塔に入ったときに、もしかして、とは思っていたけれど」
「なるほどな」
「私の方こそ、あなたがここの文字を読み上げてくれたときは驚いたわ」
納得するアールに、そう返す。
本当は多少は予想していたから言うほど驚いてはいなかったけれど、彼女が予想以上にこの国の文字に精通していたこととには純粋に驚いたのだから、嘘ではない。
「私は幻術を使うだろう。あの術はこの国独自の呪文だ。呪文書はほとんどこの国の文字なんだよ」
「へぇ……」
「まあ、そちらと違って言葉が違うわけではないから、法則性さえ掴んでしまえば簡単なんだがな」
「そうね。それは思ったわ」
インシングでは、国や民族ごとに言葉が違うということはない。
それはこの世界のほとんどの国が、ダークマジック帝国という国の影響を受けて発展してきたことに由来するのだろう。
ゴルキドやトランストン、スターシアさえ、元々は当時のダークマジックから独立した、あの国の領土だった国だ。
エスクールも、実際に領土であったことはなかったけれど、現在の国を築いたのはダークマジックから移住した開拓団だったという。
「ホント、人類の起源の全てがあの国にあるみたいな世界よね」
「ん?」
「いいえ、何でもないわ」
ぽつりと呟いた言葉をうまく聞き取れなかったのか、アールが不思議そうにこちらを見つめる。
それに首を振って答えると、ベリーはそのまま話の続きを促した。
僅かに首を傾げたアールは、ふと何かに目を留めてため息をついた。
視線の先を追う。
そこには、この宿を経営している一家の写真があった。
写真の下に、この国の文字で言葉が書かれている。
それを睨みつけるように見つめてから、アールはもう一度ため息をついた。
「たまに困るとすると、人名か」
その言葉に、ベリーはため息の理由を理解する。
「ええ。あれの解読は大変よ」
普通の文字は意味が決まっている。
それ自体がわからなくても、周りの文から創造することができる。
けれど名前はそうはいかない。
たまに予想もしない読み方で使われていたりするのだから、こればかりはベリーも頭を抱えた。
「解読してわかればいいんだがな」
アールの三度目のため息に、ベリーは視線を彼女に戻す。
「この国は人名表記がばらばらだろう。他の国では敬称がつかない場合は大抵名前かフルネームを書くが、この国はそうでないのに家名で書かれていたり名前で書かれていたり」
「ああ、そういえば」
この世界では文献に残るのは大抵ファーストネームだ。
『精霊の勇者』の伝説が良い例で、ミルザを始めとした名前の残っている人物は、そのほとんどがファーストネームで残されていた。
直系の子孫であるはずのベリーたちでさえ、彼の家名を知らなかったくらいだ。
「調べていると、それで見落とすことがあるんだ。そこだけがどうにも慣れなくてな」
「ああ、それは……」
ふと、言葉を口にしようとしたベリーの声が途切れる。
「名前の書き方で、見落とす……」
アールに同意しようとして、一瞬頭の中に走った文字。
そして、頭に中に蘇った、声。
『我の名はミルザ。ミルザ=エクリナ』
その声が聞こえた瞬間、ベリーはがたっと音を立てて席を立った。
「……っ!?まさかっ!?」
頭に浮かんだ文字と、言葉。
それが一致するならば、まさか。
「鈴?」
アールが不思議そうにこちらを見て呼びかける。
けれど、ベリーにはそれに答える心の余裕などなかった。
そのまま身を翻し、長い紫の髪を靡かせ、あっという間に食堂から駆け出していく。
「お、おいっ!?」
アールが慌てて呼び止めようとしたときには、もうベリーの姿は階上へと消えていた。
階段を駆け上がり、部屋へと飛び込む。
そのまま、先ほどまで読んでいた本を勢いよく手に取ると、ページを捲り始めた。
必死にページを捲っていると、ふと後ろに人の気配を感じた。
ほんの僅かに首を後ろへ向け、視線だけでその正体を確認する。
扉から入ってきた人物がアールだと確認すると、そのままページを捲る。
ベリーが一瞬だけ自分を見たことに気づかなかったらしいアールは、そのまま彼女に声をかけた。
「どうしたんだ?一体……」
「いた」
「え?」
アールが声をかけた途端、ベリーの手が止まる。
同時に口にされ言葉の意味を、彼女は一瞬理解できなかった。
「いたわ。ミルザよ」
「何?」
二度目の、今度こそはっきりと聞こえたその言葉に、アールは思わず問い返した。
ほんの少し考えるような間を置くと、ベリーはくるりとこちらを振り返った。
「忘れてたの。諸国の書物の記述、彼は全てミルザという名前でしか残っていなかったわ。私たちでさえ、ミルザの本名を知らなかった。だから気づかなかった」
書物の中でミルザを示す言葉は『精霊の勇者ミルザ』というものがほとんどで、彼の家名が記されたものは今まで一度も見たことはない。
少なくとも、エスクールを始めとするマジック共和国を発祥とした国々では。
「でも、エリクナの洞窟で、彼の残留思念は確かに名乗ったわ。ミルザ=エクリナって」
そう、あのとき、彼は確かにそう名乗った。
ならもし、彼がこの国に訪れた際にフルネームを名乗っていたとしたら。
東国や和国と呼ばれるこの国は、名前の書き方も書物の記し方も他の国とは違っている。
ならば、彼の名前の表記も変わっていると考えてもおかしくはなかったのだ。
「ここを見て」
「何だ?」
ベリーが持っていた本を、ページを開いたまま差し出す。
彼女の指が示した場所を、アールは覗き込んだ。
「『外つ国より、来訪者あり。彼の者は精霊に選ばれし勇敢なる者』、何だ?『宮を得る』……」
「『エクリナと名乗る』、だと思うわ」
アールが詰まった部分を、ベリーはさらりと告げる。
アースでも、昔の日本は外国の名前に漢字を当てて書いていた。
その文化を知る彼女だからこそ、この部分は戸惑うことなく解読できた。
驚くアールに簡単にそう説明すれば、彼女は納得したように「なるほど」と呟く。
「その次は……、『彼の者は、この国を手中に収めようとしていた闇魔術の国の魔物を倒した者。国長は彼の者を丁重に迎え入れた』……と言ったところか」
「おそらくね」
ベリーが静かに頷く。
その指がひとつの単語を示す。
「この闇魔術の国。アースと同じ解釈でいいなら、当時のマジック共和国を指していると思うわ」
「魔物は、当時のイセリヤか」
「ええ」
この闇魔術の国が当時のマジック共和国――つまりダークマジックであるのならば、それ以外の答えはないだろう。
歴史の中でずいぶんと悪名の高い彼の国だけれど、それは全てあの女が関わっていた時期なのだから。
少しの間じっと文章を睨んでいたアールは、そこから目を放すと深いため息をついた。
「驚いた。まさか、当時の歴史について一番詳しいからと借りたままだった書物に、こんなにもはっきりと書いてあるとは」
「てっきりこの国の中の話と思ってスルーしてしまっていたけれど、この字の読み方が合っているなら、これは重要なヒントね」
「この後、この来訪者は何処に行ったんだ?」
「ちょっと待って」
アールに向けていた本を自分の方へと戻す。
先ほどアールが読んでいた文章の先を頭の中で自分たちの国の言葉へと変換のに、ほんの少しだけ時間が必要だった。
「えっと、『外つ国よりの来訪者。この国で最も魔術に強く関わる場所を尋ねることを申請す。国長、審議の上これを許す』、かしら?」
「この国で最も魔術に強く関わる場所?」
「だと、思うわ」
アールにそう答えてから、考える。
普通なら、魔力に強く関わると言われて出てくるのは精霊に関係する場所だ。
それはこの世界のほとんどの国が精霊を信仰しており、存在する生命体で最も上位に存在するのは精霊だと信じているためだ。
だから、この後は通常ならば精霊に関わる文献を探そうという話になる。
普段ならそれでいいのだけれど。
「ねぇ。この国は、確か精霊信仰じゃないのよね?」
「ああ。確か、独自に神という存在を信じているはずだ」
「神様、か……」
それはこの世界で滅多に聞かない言葉。
聞いたとしても、それは大抵精霊神マリエスか妖精神ユーシスを示していて、結局は精霊かミルザに関わる文献ということになる。
けれど、ここは和国だ。
神という言葉がその2人を指しているはずもない。
「何でも、この世界には精霊よりも上位の存在がいるらしい。それをこの国の人々は『神』と呼んでいる。世界はその神々によって創造され、保たれてするのだとか、そんな感じの話だったな」
「精霊より、上位の存在……」
聞いたことのある言葉。
その言葉に、ベリーは思わず眉を寄せた。
それを見たアールは不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いいえ。何でもないわ」
その問いにベリーは首を振る。
不思議そうな顔をするアールに余計なことを聞かれないうちに、話を進めてしまおうと顔を上げた。
「その場所はわかる?」
「確か幻は、この国の中心に神々を祭る神殿があると言っていたと思うが……」
「行ってみましょう」
一瞬戸惑ったようなアールは、けれど何事もなかったかのように答えた。
心情を察してくれたらしい彼女に心の中で礼を告げると、ベリーは本を閉じて立ち上がる。
「魔術に強く関わる場所についての記述は、この本にはないわ」
「それで何故、神殿に行こうという話になるんだ?」
「こういう場合、私たちの感覚なら精霊に関わる場所を連想するじゃない?この国ではそこじゃないかと思ったの」
「まあ、確かにそうだが」
「でしょう?」
アールもやはりそう考えていたらしい。
納得する彼女にそういえば、今度はテーブルに置き放していた地図に目を向ける。
「だが、地図を見る限り、ここからそこまでだいぶかかるぞ」
「かまわないわ。空振りでも」
はっきりとそう答えれば、アールの視線がこちらに向けられる。
それを見返すことなく荷物袋を手に取ると、出したままにしていた物を次々と中へと放り込んだ。
「ここでじっとしていて、無為に時間が過ぎてしまう方が耐えられないもの」
本当は1分1秒も無駄にしたくはないのだ。
ほんの少しでもいい。
手がかりを見つけたらそれを確かめに行きたい。
もしもそこが空振りでも、そこに何か、別の手かがりがあるかもしれない。
その可能性を、捨てたくない。
ほんの少しの間、アールは黙ってこちらを見つめていた。
1分も経たないうちに、その口からため息が零れる。
苦笑混じりのそれを吐き出すと、アールはほんの少しだけ表情を緩めて口を開いた。
「わかった。すぐに発つか」
「ええ」
「ならお前は荷物をまとめて置いてくれ。私はここと、食堂の支払いを済ませてくる」
「お願い」
顔も向けずに答えたというのに、アールは文句を言うことなく部屋を出ていく。
その後ろ姿に少しどころではない感謝を覚えながら、ベリーは手早く荷物をまとめた。