Chapter6 鍵を握る悪魔
7:手がかり
ぱたんと扉が閉まる音がして、その場にいた全員が顔を上げる。
暫く待ってみれば、すぐに目の前の扉が開いた。
「タイム!ティーチャー!」
扉の向こうに立つ人物を見た途端、ずっとそわそわした様子だったペリドットが席を立つ。
彼女の姿に気づいたタイムは、すぐには答えずに静かに扉を閉めると、自分の左肩に座るティーチャーに気づかうような視線を向けた。
無理に呼び出して来てもらってから、ずっと魔力を使い続けたティーチャーはさすがに疲弊していて、顔色は少し悪かった。
その様子に気づいたルビーが、今にも飛び掛りそうなペリドットを無言で制す。
驚きの表情を向けた彼女を一瞥すると、真っ直ぐにティーチャーを見て、静かに尋ねた。
「ミスリルは?」
「とりあえず、治療はしました。けど、初めて見る症状で、治せたかどうかはまだ……」
その答えに、ペリドットがあからさまに沈んだ表情になる。
それを見たティーチャーも、本当に申し訳なさそうな表情になってしまって、顔色の悪さも加わって、見ているだけで痛々しかった。
「やはり、精霊神殿の方にも来ていただいた方が……」
「でも、街も大変なことになっているんでしょう?要請しても、こちらにまで手を割けないんじゃありませんか?」
「そう、でしたわ……。ごめんなさい」
セレスの言葉に、リーナは沈んだ様子で謝罪する。
それに首を振って礼を言うと、セレスも小さく息を吐いた。
今、王都は混乱していた。
ネヴィルの合図と共に発症し、怪物と化した人間が、住民を無差別に襲い始めたのだ。
その騒ぎの沈静化と、可能ならば治療をするために、精霊神殿から聖騎士団はもちろん、神官たちも借り出されているという。
精霊神殿の神官といえば、国内では最も高位の法術士だ。
病床のシルラに代わり、謁見の間で指揮を取っているアールの判断は妥当だろう。
ちなみにそのシルラは、ティーチャーの治療が間に合い、発症を免れていた。
ミスリルの応急処置が功を称し、もう数時間もすれば意識が戻るだろうという話だ。
「ペリートさん。どんな薬か、本当にわかりませんか?」
だいぶ疲労が溜まっているだろうに、そう尋ねるティーチャーは本当に一生懸命だった。
いくら妖精神の血を引く身であっても限界は近いだろうに、それでも尚頑張ろうとするのは、自分を仲間と認めてくれたミスリルを助けたいからだ。
「ううん……。口移し、だったから……」
あの時のことを思い出し、思わず顔を歪めながら、ペリドットは首を振る。
あの後、倒れたミスリルをこの城まで運んだのはペリドットだ。
ウィズダムのことなどすっかり忘れ、転移呪文を使ってこの城に戻ったときには、もうルビーたちもこちらにやってきていて。
それに気づいた瞬間目に入ったティーチャーに泣きついて、今に至る。
共に戻ってきたウィズダムは、人型のまま黙って腕を組み、部屋の奥の壁にもたれていた。
「……ねぇ」
不意に、黙って話を聞いていたルビーが口を開いた。
その場にいる全員の視線が、ルビーへと集中する。
「それって、本当に薬だったの?」
「え……?」
「だって、ペリートもウィズダムも、見たわけじゃないんでしょ?」
その言葉に、ペリドットははっと目を見開く。
そのとおりだった。
自分はミスリルが『何かを飲まされた』ところを見たわけではない。
ただ彼女が苦しそうに、何かを吐き出そうとするような咳を繰り返すから、そう判断しただけだ。
「……うん。実際、ミスリルも吐き出したわけじゃないし……」
「じゃあ、薬とか、そういうもの以外が原因ってことも考えられるんじゃない?」
「でも別に、人間じゃないからって、唾液が毒なんてことは……」
『奴は特殊な悪魔だ。人間の体に奴の唾液は毒だと、そう考えてもおかしくはないと思うぞ』
困惑したティーチャーの言葉に割り込んだのは、知っているものよりもずっと低い男の声。
驚いて視線をやれば、今までそこにいるだけで、一言も口を開こうとしなかったウィズダムが、静かにこちらを見ていた。
「特殊な悪魔、ですか?」
『そうだ。奴は終わらぬ時を生きる、世界にただ1人の悪魔だ。奴の体液が毒という可能性は十分にある』
「ずいぶん協力的ね」
『主の危機だ。協力するのは当然だろう』
「……ふぅん」
はっきりとした物言いをするウィズダムに、何か思うところがあるのか、ルビーが訝しげな表情を崩そうともせずに返す。
そんな2人の様子に、今ここで話を折られてはたまらないと、ペリドットは身を乗り出すようにして尋ねた。
「毒ってどんな?見た感じ、あいつは普通の男の子だったよ」
『奴を一発で悪魔だと見破っておいてよく言う……』
「……」
ウィズダムの嫌味に言い返してやろうかとも思ったが、話が進まなくなる判断して、じっと堪える。
そもそも今日のように苛立ってさえいなければ、きっと「偶然」だと笑い飛ばすか威張るのだ。
そう思ったからこそ、言い返さずにじっとウィズダムを見つめる。
ウィズダムも、てっきりペリドットが言い返してくると思っていたらしい。
いささか拍子抜けした表情を浮かべると、すぐに顔を引き締める。
『……まあ、いい。先にも言ったが、奴は悠久の時を生きる悪魔だ。我らや精霊たちと同じように、寿命に制限などないと言っていい』
寿命に制限はない。
それは即ち、不死ということだ。
尤も、ウィズダムや精霊は殺されると死ぬというから、真の不死とは言わないのだろうけれど。
『だが、奴は一度死に、人として転生したようだな。魂と記憶は永遠でも、その体はあくまで人。人としての寿命しか持たぬ。よって、奴が生き続けるためには、人間から体を奪う必要がある』
「人から体を……っ!?」
『おそらくは生きたまま相手の魂を殺して乗っ取るのだろう。ミルザの生きた1000年前から、奴はそれを繰り返して命を繋いできた』
魔力で肉体の老化は防げても、それは完全ではない。
見た目の年齢を保ち続けることはできても、永遠に肉体を保つことはできない。
そうやって限界を迎えるたびに、人を襲い、魂を殺し、体を乗っ取り続けた悪魔。
それがネヴィルという存在だと、ウィズダムは言うのだ。
ペリドットが見た影は、おそらく彼の最初の姿、もしくは魂が持つ本来の姿が映し出されたものなのだろう。
『そして……、ここから先は推測だが、おそらく奴の今の器はもう限界なのだろう。奴の体からは微量の腐敗臭がした』
「ええっ!?」
とんでもない言葉に、ペリドットが大声を上げる。
一緒にいた彼女は、ウィズダムの嗅ぎつけたその臭いには気づかなかったのだ。
『人間の嗅覚ではまだ嗅ぎ取ることはできないだろう。大地の加護を持つ私だからこそ気づいた、と言ってもいいほど微量だったからな』
ペリドットの反応に気づいたウィズダムが、フォローするように言う。
まるで自分は犬だと言わんばかりの彼の言葉に、ルビーは一瞬納得する。
しかし、すぐに彼は本当は竜なのだと言うことに気づいて、首を傾げた。
『とにかく、そう言った臭いがしたということは、奴の体はもう腐り始めているということだ』
こちらの反応に気づいているだろうに、その疑問に触れようとはせず、確信を告げるウィズダムを思わず睨んだことに、誰か気づいた者はいただろうか。
『既に腐り始めた肉体、さらに、この国の王や国民が飲んでいた薬の原料。ミスリルはそれを同時に飲まされたと、そう考えるのが妥当だろう』
「薬の原料?」
「あっ!?」
何故ここでそれが出てくるのかわからずに尋ね返した瞬間、ペリドットが大声を上げる。
「そういえばあいつ、あの薬は自分の体から造ってるって言ってたっ!!」
「えっ!?」
「ペリートさんっ!それ、本当ですかっ!?」
「う、うん。間違いないよ」
凄い剣幕で詰め寄ってくるセレスに、ペリドットは僅かに狼狽しながらしっかりと頷き返す。
そのやり取りを無言で見つめていたルビーは、不意にふうっとため息をついた。
「なんか、とてつもない毒を飲まされたみたいね」
「何でそんなに冷静なの?」
タイムのその問いに、ルビーは小首を傾げてみせた。
「ペリートまで取り乱してるからじゃない?」
「と、取り乱してなんか……」
「ないって言える?」
「……」
少し睨むような目で見つめられ、ペリドットは思わず黙り込む。
いつも飄々としたペリドットの、滅多に見ることのできないその様子に、周囲は思わず目を丸くした。
「いつも冷静な方が取り乱すと、周りの方が冷静になると言いますけど……」
「ミスリルはここぞって時に弱いからね。まあ、ペリートがここまで取り乱したのにはびっくりだけど」
リーナの意外そうな言葉に、ルビーがすかさず嫌味を乗せる。
あまりにも隙のないその攻撃に、ペリドットはぷくっと頬を膨らませた。
「……いろいろなことが一気にありすぎたんだもん」
「頭がパンクしちゃったわけですね」
まるで子供のように膨れるペリドットに、セレスが苦笑する。
その言葉に、ますますペリドットが膨れる。
とても19とは思えない彼女のその仕種に、いつもの彼女が戻ってきたような気がして、周囲は内心ほっとしていた。
「で、そのいろいろって?」
唯一、そんな気持ちを抱かなかったらしいルビーが、にっこりと笑って尋ねる。
あまりにもタイミングのよさ過ぎるその問いと眩しすぎる笑顔に、瞬間的に彼女の意図を見抜いたタイムはため息をついた。
「……あんた、最初からそこに誘導するつもりだったのね……」
「……姉さん……」
「だって、単刀直入に聞いたって、答えてくれそうになかったし?」
そう答えたルビーの視線は、部屋の隅で壁に寄りかかるようにしているウィズダムに向けられていて。
『……』
あからさまな嫌味の視線と言葉に、しかしウィズダムは視線を逸らすだけで、答えを返そうとはしなかった。
「で、何があったの?そんなに特別な悪魔がいたなら、何もなかったってことはないでしょ?」
あっさりとウィズダムの反応を無視すると、ルビーは先ほどよりも真剣な表情で尋ねる。
「う、ん……」
そう答えるも、ペリドットはちらちらとウィズダムを気にするばかりで、なかなか先を口にしようとはしなかった。
「ウィズダムのことは気にしない。主の友達が知りたがってるんだよ。まさか止めたりしないよね?」
『……』
追い討ちをかけるように尋ねれば、ウィズダムはぎろりとルビーを睨んだ後、諦めたように視線を逸らす。
彼も早々に、今のルビーに何を言っても無駄だと悟ったようだった。
「……あたしも、よくわかっていないんだけど」
その反応を見て、漸くペリドットは重い口を開いた。
いつもの彼女らしさの消えたその声音に、ルビー以外の誰もが息を呑む。
「あいつ、あたしたちの調べてることの答え、知ってそうだった」
「えっ!?」
「どういうこと?」
「だからよくわかんないんだってば!」
問い詰めるわけでもなく、静かに問いかけたというのに、ペリドットは耐えられないとばかりに大声を上げる。
その反応に、本当に頭がパンク状態なのだと悟ると、ルビーは間を置かずに、ペリドットを刺激しないように謝った。
「ただわかるのは、あいつがイセリヤとかルーズに関係があって、今ここにいるのは、ミルザのミスが原因なんだって……。それであいつ、昔の記憶だか何かを思い出して、チャンスを待ってたって……そんな感じのことしかわかんない」
「わからないって……」
「そもそも、あいつと話してたの、ウィズダムだし。あたしとミスリルちゃん、聞いてただけだし……」
『わからずともよい。お前たちには関係のない話だ』
「……って感じで、ウィズダムは何も話してくんないし……」
タイミングよく割り込んできたウィズダムの言葉に、ペリドットは大きなため息をついた。
おそらく、戻ってくる以前から何度も尋ね、同じ答えしか返ってこなかったのだろう。
なるほど、ペリドットの疲弊の理由がどこにあるのか、何となくわかった気がする。
「ミルザのミスって……」
「わ、私は知らないよ!だって会った覚えなんてないもん!」
「ムキにならなくったってわかってるわよ」
視線を向けただけで慌てだしたティーチャーに、タイムは呆れたように言葉を返した。
ティーチャーは、この中で唯一あの時代を生きた命だ。
だから何か知っていると思われていると、そう感じてしまったのだろう。
ティーチャーがタイムと出会うまでの、決して短くはない時間を封印の中で眠ってすごしていたことは、ここにいる誰もが知っている。
母の顔すら忘れてしまっている彼女が、その眠りにつく前のことを覚えているとは思っていない。
「でも、私たちが知っていることだって、法国、くらいまでのことしか……」
セレスが困惑した表情でそう呟いたときだった。
「……『聖域大戦』」
『……っ!!?』
突然誰かが呟いた言葉に、ウィズダムが大きく目を見開く。
ばっと視線を向けた先にいたのは、冷たささえ感じる表情を浮かべたルビーだった。
「もしかして、それと関係あるんじゃない?」
あくまで周囲に向けて話しているはずなのに、その問いはウィズダムに向けて発せられているように感じられた。
「違う?」
いや、違う。
周囲に向けているように見せかけ、実は真っ直ぐにウィズダムに問いかけられていたのだ。
きっとウィズダムも、ここで狼狽すれば負けだと言うことに気づいていただろう。
けれど、彼にはどうしても、その焦りを隠すことはできなかった。
『何故、その言葉を……』
隠すことはできず、気づけばそう、疑問を口にしてしまっていた。
彼らしくもない震えた声で発せられた問いに、周囲の者たちが驚く。
そんな反応を気にすることなく、ルビーはにっと笑ってみせた。
「この国の南に山があるでしょ?その本当に奥地に廃村があってね。そこに残ってた古い本に書かれてた。まあ、古代語だったから中は読めなかったけど」
辛うじてタイトルが読み取れたのは、持ち主が書物の貴重性などを全く考えずに振り仮名を振っておいてくれたおかげだ。
まあ、もし古代語が読めたとしても、羊皮紙が溶けたかのようにくっついてしまっていた巻物状のあの書物を開くことは無理だっただろう。
村自体もだいぶ昔に放棄されたものらしく、建物もそのほとんどが原型を残していないような場所だったから、タイトルが読み取れただけでもかなりの成果だったのかもしれない。
「それで、その『聖域大戦』って何?聞いたことない言葉だけど、もしかして、そのネヴィルって悪魔に関係があるの?」
かかったとばかりににやにやと笑って尋ねるルビーから、ウィズダムは視線を外す。
けれど、一度追い詰め体制になったルビーには、そんな些細な抵抗が効くはずもない。
一向に外れない視線に、彼には再びルビーに視線を合わせると、睨みつけるような目で言った。
『関係があったとしても、人間が知る必要はない』
「そう。なら勝手に調べるよ」
『好きにしろ。どうせ調べられるはずがない』
明らかに拒絶の含まれたその言い方に、今まで飄々としていたルビーの表情が崩れる。
「どういうこと?」
『“聖域大戦”に関する資料は、生前にミルザが全て回収している。人間界には、ひとつも残っていないはずだ』
「ミルザが?」
ウィズダムの口から出てきた思わぬ名前に、その場にいる者たちが驚き、側にいる友人たちと顔を見合わせる。
「ふぅん。でも完全じゃないみたいね。1冊とはいえ、あたしが見つけてるわけだし」
『……』
ルビーの嫌味に、ウィズダムは言葉を返さなかった。
ただ、何かに伺いを立てるように窓の外を見ると、ぽつりと一言だけ呟いた。
『もし残っているとしたら、エスクールで最も大きな書物庫だけだろうな』