Chapter6 鍵を握る悪魔
30:終わりの始まり
神殿の広間の空気が震えてことに気づいて、ティーチャーは顔を上げた。
一瞬遅れて、広間の中心に数人の少女が姿を見せる。
彼女たちの足が完全に床に着いたことを確認してから、笑顔で声をかけた。
「お帰りなさい」
その途端、全員が驚いたように顔を上げる。
「ティーチャー」
「お帰りなさい。みなさん、無事で何よりです」
にこりと笑いかければ、相手も笑い返してくれる。
そう思っていたティーチャーは、その場にいる誰もが複雑そうな表情を浮かべたことに首を傾げた。
「どうかしました?」
「……うん、ちょっとね……。それよりも、ミスリルちゃんは?」
ずいっと身を乗り出してきたペリドッドに驚き、思わず身を引く。
けれど、彼女の心境を知っていたから、すぐに気を取り直して笑って見せた。
「ご無事です。先ほど一度目が覚めたんですよ!」
「ホントっ!?」
「ええ。すぐに眠っちゃいましたけれど、もう大丈夫です」
「そっかぁ……。よかったぁ……」
へなへなとその場に座り込むペリドッドを見て、思わず微笑む。
彼女は本当にミスリルのことを心配していたから、彼女が助かったと聞いて安心したのだろう。
さらによい話を伝えようと、ティーチャーは口を開こうとした。
けれど、結局その言葉は伝えられずに終わってしまう。
ベリーが、座り込むペリドッドの肩を叩き、声をかけたからだった。
「ペリート、安心するのはまだ早いでしょう?」
その声の深刻さに、思わず口にしかけた言葉を飲み込む。
彼女の言葉に心当たりがあるらしいペリドッドは、すぐにはっとした表情で顔を上げた。
「そうだった!ティーチャー、ルビーちゃんとタイムちゃんは?」
「え?ふ、2人とも、ミスリルさんのお部屋ですけど……」
「ありがと!あたし、ちょっと行ってくる!」
そう告げるなり、ペリドッドは広間を飛び出して行く。
それを呆然と見送ってしまってから、ティーチャーは漸く我に返った。
慌ててまだその場に残っている少女たちへと顔を向ける。
「何かあったんですか?」
「……まあ、ね」
歯切れの悪い返事を返したのは、レミアだった。
その深緑色の瞳は、迷いの色を怯えている。
伝えてもいいものかどうか、判断がつかないと考えているのかもしれない。
「あの……?」
もう一度声をかければ、漸くその瞳がこちらを向いた。
その目に、何かよくないものを感じ取って、ティーチャーは無意識のうちに息を呑んだ。
「……ふぅん」
神殿の一室に、声が響く。
それを発した少女は、今の今まで話をしていた友人に背を向け、窓の外を眺めていた。
そのすぐ側には、ミスリルの眠るベッドがある。
ペリドッドがここを出る前に比べて、だいぶ顔色の良くなった彼女は、今は穏やかな表情で眠っていた。
その反対側には、彼女と共にここに残っていたタイムが、神妙な表情で座っている。
「そいつ、そんなこと言ってたんだ」
「うん……」
長すぎる間の後、漸く口を開けば、力のない返事が帰ってくる。
その返事に、ひとつ息を吐き出すと、少女――ルビーはゆっくりとペリドッドを振り返った。
「準備は終わってる、か……。何の準備かは、言ってなかったんだよね?」
「うん……」
問い返せば、ペリドッドは神妙な顔で頷く。
「他には?何か言ってなかった?」
「ええっとね……」
ペリドッドが首を捻るような動作をする。
暫くして、何か思い出したのか、「あっ」と小さく呟いて顔を上げた。
「殺されてしまえって言われた……」
「誰に?」
「わかんない……。あの方、としか言ってなかったと思う」
「あの方、ね……」
ふるふると首を振るペリドッドから、視線を外す。
それをそのまま足元に落として、ぽつりと呟いた。
「そいつが今回の事件の黒幕だったってこと?」
「そうだと、思う……」
タイムの問いに、ペリドッドは素直に頷く。
彼女たちの言うとおり、ネヴィルはその何者かの意志によって動いていたと考えるのが正しいのだろう。
けれど、どうにも引っかかった。
それだけではないような、そんな焦燥感に捕らわれる。
あの悪魔の言動を考えれば、気になることがどんどん湧いてくるのだ。
「……一概にそう考えるのは間違ってるかもしれない」
その考えが形になったと自覚した途端、特に意識したわけでもなく、そう呟いていた。
「え?」
その言葉が聞こえたのか、ペリドッドが不思議そうにこちらを見る。
「ネヴィルは、イセリヤやルーズのことも知っていると言っていた。そして、奴がそう言った途端、ウィズダムが慌てた……そう言ってたよね?」
「う、うん」
「もしかしたら、ネヴィルはあの2人と何か関係があったのかもしれない」
「えっ!?」
「確かに、その可能性はあるわよね」
驚くペリドッドとは逆に、タイムは納得できるという表情で頷いた。
「そうだとすると、今までの戦いだって、ひとつの接点が見えてくる」
「接点?」
「そう。ネヴィルが、魔妖精以外の全てを繋いでいる」
「全部って、でもあいつ、イセリヤとルーズ以外のことは何も言ってなかったよ?」
「『種換の秘薬』」
「え……?」
告げた言葉が予想外だったのか、ペリドッドが驚きの表情のまま動きを止める。
それを一瞥すると、ルビーはひとつ息を吐いてから続きを告げた。
「あいつがばら撒いたグールパウダーは、もともと『種換の秘薬』が元になって作り出された薬だって、前にミスリルが言ってたでしょ?」
「あ……っ!?」
そこまで説明して、漸く気づいたらしいペリドッドが、小さく声を上げた。
「そういえば、あの双子は確か、子供から薬をもらったって話だったわね」
「エルザだって、ネヴィルと会っている可能性は否定できないよ。あの薬の製法は、人間界では完全に失われているはずだから」
そもそも、あの秘薬のことは、ミルザの一族にのみ伝えられていた情報だったはずだ。
その内容も、効果についてのものがほとんどで、精製方法は伝わっていないのだ。
自分たち以外で情報を得ることが出来るのは、考古学者や古代史の研究をする魔道士くらいのものだろう。
ただのハンターだったエルザが、自らの力だけであの薬の情報を得ることが出来たなんて、どうしても思えなかった。
「……まあ、これはあくまであたしの仮説で、証拠なんて何もないんだけどね」
ここまでの話は、あくまで今までの状況から導き出した推論に過ぎない。
それを示す証拠は、何ひとつないのが現状だった。
それを調べる術も、当の本人たちがいない今では、もうない。
だから、結局のところ、今は何もできないのだ。
「なんにせよ、今言えるのはひとつだけだよ」
「何……?」
はっきりとそう告げた途端、ペリドッドが不安そうな声で聞き返す。
そんな彼女を一瞥すると、ルビーは視線を窓へと戻した。
目の前に広がる森。
その向こうに見える青空を見つめながら、口を開く。
「今回の件はこれで終わりじゃない。むしろ、これから起こる何かの始まりにすぎなかったってこと」
その言葉に、ペリドッドがごくりと息を呑む。
その気配を感じながら、ルビーは静かに目を閉じた。
「それがいつ起こるかはわからないけど、覚悟だけはしておかなくちゃならない」
何が起こるか予測できない。
だからこそ、覚悟だけはしておかなければならない。
いつ何が起こっても、対処できるように。
「まあ、とにかく」
ふうっと息を吐いて、くるりと振り返る。
ポニーテールに結い上げた長い赤い髪が、その動きに合わせてふわりと宙を待った。
「今すぐに焦っても仕方ないしね。今は休む方が先決でしょ?」
にっこりと笑えば、まさかそんな言葉が帰ってくるとは思わなかったらしいペリドッドが、きょとんとした表情でこちらを見つめている。
そんな彼女の顔を見た途端、ぷっとタイムが小さく吹き出した。
タイムの笑い声につられるように、ルビーの笑みも深くなる。
「お帰り、ペリート。お疲れ様」
「……うん、ただいま」
暫くの間きょとんとしていたペリドッドが、漸く破願する。
まだ少し硬さの残る笑顔だったけれど、彼女が笑えることに安心して、ぐりぐりと頭を撫でる。
「わあああっ!ちょっとっ!何すんの!やめてよぉっ!!」
「あははっ!やっぱりあんたは落ち込んでるより笑ってる方がいいよ」
「ルビーちゃん……」
まだ頭をぐりぐりと撫でられたまま、ペリドッドがこちらを見上げる。
呆然としたような顔を浮かべる彼女に向かって笑いかければ、漸く硬さの取れた笑顔を浮かべた。
「……ありがと」
「どーいたしまして」
答えながら、ぐりぐりと頭を撫でる。
相当強い力で撫でていたから、そろそろ髪がぐちゃぐちゃになってきた。
「わーんっ!いい加減痛いよぉ~っ!」
「物凄い暗い顔して帰ってきた罰っ!我慢しろーっ!」
「わぁぁぁんっ!」
先ほどまでの暗い雰囲気とは一変、室内にペリドッドの泣き声が響く。
けれど、それは決して辛いものではなく、見ていて穏やかになれるものだった。
「……まったく。うるさいったらないわね」
側から聞こえてきた声に、2人のやり取りを見ていたタイムは視線をベッドへと移した。
そこに体を横たえたミスリルの目が開いていることに気づいて、思わず微笑む。
「ああ、目が覚めた?」
「ええ、これじゃ寝てられないわ」
悪態をつく彼女の声は、嫌悪感のあるものではなかった。
それどころか、久しぶりに目にする光景に、慈しみさえ感じる瞳を向けている。
「私が寝ている間に何があったんだか」
「ふふっ。いろいろあったみたいよ」
くすくすと笑いながら、答える。
すると、漸くミスリルの目がこちらを見た。
「いろいろ、ねぇ……。後で聞かせてもらえる?」
「もちろん」
「あーっ!ミスリルちゃんっ!!」
にっこり笑って答えた途端、ペリドッドの声が上がった。
驚いて顔を上げれば、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべたペリドッドが、今まさにルビーの腕から飛び出してきたところだった。
「ミスリルちゃんっ!よかったぁっ!目が覚めたよぉっ!!」
ベッドに飛びついて、顔を寄せる。
体に障るとまずいと思ったのか、抱きつくことはしなかった。
「ペリート……。ちょっとうるさい……」
「ご、ごめん!でも、ホントによかったぁ……」
ぎろりと睨まれ、一瞬竦みあがったものの、ペリドッドは本当に安心したようにその場に崩れ落ちる。
そのまま嬉しさのあまりに泣き出してしまった。
「あらら」
「まったく。子供みたいなんだからねぇ」
くすくすと笑いながら、ルビーが側に寄ってくる。
そんな彼女を見上げた途端、目が合った。
にこりと笑う彼女に向かって、微笑み返す。
ルビーの言うとおり、まだ全部終わったわけではないだろう。
でも、それを今から心配しても仕方がない。
覚悟をしておかなければならないとは思うけど、それは今でなくていい。
それでも今から覚悟が必要だと言うのなら、何もしなかった自分とルビーが背負うから。
だから、今だけは、疲れきった彼女に穏やかな時間を。
そう、心の底から願って、ルビーと2人で頷き合った。