Chapter6 鍵を握る悪魔
24:代用品
「ネヴィルかどうかは、わたくしたちには判断できませんでしたけど、悪魔の翼を持った女が城下に現れたことは事実ですわ」
表情を引き締め、口を開いたリーナの言葉に違和感を覚える。
「判断できないって、どうして?」
リーナとアールには、ネヴィルの特徴を教えてあったはずだ。
なのに、どうしてそんな言い方になるのか。
「だって、わたくしたちは、ネヴィルを男の子だと思っていましたから」
「あ、そっか……」
「私たち、あれからまっすぐこちらに戻りましたものね」
自分たちの中でネヴィルの姿を直接見たのは、ペリドッドとミスリル、そしてミューズだけだ。
その中で、体を変える前と後、両方の姿を見た者はペリドッドだけなのだ。
彼女がそれを伝えなければ、他の者たちがネヴィルの姿を知ることができるはずもない。
先ほどまでの騒ぎで、それをすっかり失念していた。
「じゃあ、どうしてここに?そういう場合は普通、様子見じゃないの?」
不思議そうにそう尋ねたのはベリーだった。
相手が何者かわからないうちは、慎重に行動するべきだ。
アールがそう言っているのを知っていたからこそ、横から口を挟んだのだ。
「ええ、普通はそうなのでしょうが……」
一瞬だけ、リーナの視線が迷うように動く。
けれど、それは本当に僅かな間で、その赤に近い桃色の瞳はすぐにこちらに向けられた。
「その女は、例の診療所に立てこもりましたの」
告げられた言葉に、ペリドッドが小さく声を上げる。
その場所がどこのことか、彼女にだけはすぐにわかった。
「あの建物は、爆発の可能性のある薬物がないかを調査してから焼き払う予定でしたので、あの騒ぎの後も残してあったのですわ」
「焼くって、どうして?」
「焼却処分が一番確実だからでしょ?隠し扉があった場合だって、物自体を焼き払っちゃえば、探す手間も省けるだろうし」
「ええ、そうです。あんな薬がまだあるなら、使える形で残しておくわけにはまいりませんから」
ルビーとリーナの説明に、納得する。
建物を燃やせば、不審な燃え残りはすぐに気づく。
薬品だって、焼却処分が一番確実なはずだ。
土に埋めるという手もあるけれど、自然界への影響を考えれば選ぶことなどできない。
いくら中心都市とはいえ、この世界で作物を作っていない集落なんてないも同然なのだから。
「んじゃ、建物自体は立入禁止とかにしておいたのに、その女が侵入してきて騒ぎになったってとこ?」
「はい」
リーナの説明を簡潔に纏めて聞き返せば、彼女は迷うことなくはっきりと頷く。
「こちらの近衛が立ち退きを命じに行ったのですが、その者たちは、良くて重症で戻ってきました」
良くて重症ということは、酷い者は命を落としたということか。
以前会ったときと変わらないその残虐ぶりに、思わず拳を握り締める。
「意識を留めていた者に聞いたところ、その女は言ったのだそうです。『自分の家に帰ってきて何が悪い』と」
「家……っ!?」
「ええ。その女は、はっきりとそう言ったそうですわ」
真っ直ぐな瞳に見つめられて、ペリドッドは慌てて記憶を辿る。
以前、ミスリルと共にあの診療所を訪れたとき、確かネヴィルは、自分で殺した医者のことを名前で呼んではいなかった。
そう、名前で呼んではいなかったのだ。
だったら、何と呼んでいたのか。
確か、『お父さん』と、そう呼んでいたのではなかったか。
「……そっか。あたし、確か2人にはそういう話したんだっけ?」
「ええ。それでわたくしもアール姉様も、彼女があの悪魔の関係者だと思いましたの」
仲間たちを呼び出す前に、アールとリーナに事の経緯を話したとき、確かにその話をした覚えがある。
だからこそ、2人は迷わず判断したのだ。
その女が、ネヴィルの関係者であるのだと。
「なるほどね。それで早急にペリートに連絡を、ってことになったわけだ」
「ええ。最初はエスクール城に伺いまして。そうしたら、皆様こちらにいらっしゃるとのことでしたから」
だからここに来たのだと、リーナは手短に説明する。
本当は先にペリドッドを追いかけてスターシアに飛ぼうと思ったらしいのだが、行き違いになってしまった場合の伝言をしようと思ったらしい。
その判断は正しかったと言うことになる。
ペリドッドもミューズも、既にここに帰ってきていたのだから。
「うん、状況はわかったよ」
暫くぶつぶつと小声で何かを呟いていたペリドッドが、顔を上げた。
そのまま、いつものような明るい笑みを浮かべて、口を開く。
「じゃあ、さっそく行こうか」
「ペリート様!?」
リーナのとっては嬉しい提案のはずであるのに、彼女は何故か驚きの声を上げる。
それに不思議そうな表情を返せば、彼女は少し迷うような間を置いて、おずおずと尋ねた。
「いいんですか?精霊神法は、確か……」
「うん。もう解決してるから、大丈夫」
リーナが何を心配しているのか、早々に悟ったペリドッドは、彼女を安心させるように笑顔を浮かべてみせる。
おそらく、自分がいない間にスターシアでの経緯を誰かが彼女に話したのだろう。
そして、自分が今何をしているのかまで話し終わらないうちに、レミアが暴走を始めたに違いない。
だから状況がわからずに、事態が収まるまで呆然としている以外になかったというわけだ。
「それに、その女、間違いなくあいつだと思うからね。だったらいい加減に決着つけなくっちゃ!」
「でもペリート、まだミスリルさんの治療法が……」
「そんなのっ!あいつふん縛って聞き出してやるっ!!」
焦った様子のセレスに、力強く言い返す。
ウィズダムが時間がないと言っていたのだから、もうそれしか手がない。
だからそれをやるのだと、そう意気込んだだけのつもりだったのだけれど。
途端に室内の声という声がなくなる。
予想もしなかった反応に、思わずこっちが驚いてしまった。
「あれ?みんなどうしたの?」
「……あんたがそんなことを言うなんて、と思っただけよ」
「そういう力押しは、ルビーかレミアの担当だと思ってたから」
ベリーとタイムの言葉に、周囲がうんうんと頷く。
それに講義しようとするより先に、レミアの怒声が静寂に包まれかけた空間を引き裂いた。
「ちょっとタイムっ!あたしをルビーと一緒にしないでよっ!」
「……そんなこと言っても……」
「あんた、冷静さをなくしたときのそういうとこ、普段のルビーとそっくりよ」
「ベリーっ!!」
「なぁに、レミア?あたしに似てると嫌なわけ?」
挑発するような口調でルビーが声を書けた途端、ベリーとタイムを睨んでいた深緑色の瞳がぎろりと彼女に向いた。
再びばちばちと火花が弾けている様まで見えそうなほどの睨み合いを始めた2人に、セレスとティーチャー、リーナが止めようと慌て出し、残りのメンバーが呆れてため息をつく。
まさに一触即発の状態に戻ってしまった2人を何とかしないと、再び話が止まってしまいかねない。
そう思い、いつもは傍観組のペリートが、珍しく喧嘩を止めようと口を開いたときだった。
「あー、はいはい。悪かったよ」
「え?」
突然ルビーが視線を外し、両手を挙げて降参のポーズを取った。
あまりに突然すぎるそれに、ペリドッドはもちろん、睨みつけていたレミアまでもが間抜けな声を上げてしまう。
いつもならば、ルビーはそれを見て、おかしそうに笑っただろう。
けれど、今の彼女には、ふざけようと言う姿勢は見られなかった。
「さっさと行ってくれば?ペリートも戻ってきたわけだし、いつまでもここにいる理由の方がないんじゃない?」
あまりにもあっさりとそう言って、さっさと部屋を出ていこうとする。
その手が扉にかかったのを見て、呆然としていたセレスが我に返った。
「……って、姉さんは?」
「あたしはここに残るよ」
「えっ!?」
予想もしなかった発言に、思わすが声を上げる。
「ちょっとっ!!こんなときにどうしてっ!?」
「全員でここを空けて、もしも何かがあったらどうする気?」
そのままの勢いと形相で詰め寄ったレミアに、ルビーはいつもよりも少し強い口調で尋ねた。
その途端、レミアの表情が直前までとは別の驚きに変わる。
みるみるうちに見開いた深緑色の瞳は、真っ直ぐに見つめる赤から勢いよく離され、ルビーの背後の扉、その向かい側にある部屋へと向けられた。
きっと彼女だけではなく、ここにいる何人かが失念していた。
あちらの部屋には、ミスリルがいるのだ。
彼女の意識は相変わらず戻っていない。
もしもここに1人残して何かあった場合、どうなるかなんて想像に容易い。
「まあ、ミスリルにはウィズダムがついているから、他の誰かよりはマシだろうけど。それでも不安は残ると思わない?」
「ルビー……」
薄っすらと笑みさえ浮かべて、ルビーは尋ねる。
少なくとも、彼女だけはその可能性を失念してはいなかったのだ。
「だから、あたしはここに残るよ」
迷うことなく、はっきりとそう言えるのは、彼女の強さかもしれない。
自分たちを信頼してくれて、だから守りに回ろうとする。
それは彼女の血筋ゆえの性質なのか、彼女のもともとの性格が理由なのかはわからなかったけれど。
そう言ってくれる仲間がいるのは、とても心強いと思った。
「じゃあ、あたしも残るわ」
「タイムさん!?」
随分あっさりとした口調で言い切ったタイムに驚き、セレスが声を上げた。
たぶん、驚いたのは彼女だけではないだろう。
自分は、ルビーが言い出した時点で予想していたから、そんなに驚くことはなかったけれど。
「精霊神法を使えないルビーだけじゃ、心配だものね」
「……言ってくれるじゃん」
「本当のことでしょう?」
久しぶりに拗ねた表情を浮かべたルビーに、タイムが不敵な笑顔を向ける。
暫くそうして睨み合っていた2人は、不意にどちらともなく吹き出すと、声を上げて笑った。
その2人を見て、困惑した表情を浮かべていたセレスが、意を決したように顔を上げた。
「じゃあ、私も……」
「セレスはいいよ」
「でも……っ!!」
「治療が出来る奴は、そっちに行った方がいい」
全てを告げる前にあっさりと同行を拒否されて、セレスは困惑した表情を浮かべる。
彼女も、姉の言うことは理解できる。
攻撃組の方は、確実に怪我人が出る。
対して、居残り組はあくまで何かあったときのための保険だ。
何もない確率の方が高いのだから、これ以上戦力を割く必要はない。
けれど、それでも、ルビーとタイムは、2人とも回復呪文が使えないのだ。
本当に何かあったときのことを考え、1人くらいここに残った方がいい。
そんなセレスの考えを察したのか、ルビーはにっこりと微笑んだ。
その指がゆっくりと上がって、タイムの肩を示す。
そこには、成り行きを見守っていたティーチャーが、ちょこんと座っていた。
「大丈夫。こっちにはティーチャーもいるしね」
「え?……あ、そっか。はい!」
一瞬言われたことがわからなかったらしい彼女は、それでもちゃんと意味を理解して、頷く。
タイムがここに残る理由は、ルビーは精霊神法を取得していないからだ。
そのタイムも、正確には精霊神法は取得しておらず、それと同等の術を使うためにはティーチャーの存在が不可欠だ。
だから彼女が残ると言った時点で、ティーチャーもここに残ることが決まったも同然だった。
「だから、ペリート。この子もちゃーんと連れてってね」
「うん、わかった」
セレスを示しながら笑うルビーに、ペリドッドも笑顔を返す。
「その代わりっていうのもおかしいけど、2人とも、ミスリルちゃんのこと、よろしく」
「了解」
笑顔のルビーが、まるで警察官のように敬礼して了解の意を示す。
それにつられるように、ティーチャーも同じようなポーズを取った。
唯一それをしなかったタイムが、自動的に攻撃組に加わることになった仲間たちを見回して、最後にペリドッドを見る。
「気をつけて。4人で待ってるから」
「うん!」
力強い見送りの言葉に頷いて、くるりと彼女たちに背を向けた。
「それじゃあ、みんな!あたしとリーナちゃんのところに集まってっ!」
片方の手をリーナと繋いで、もう片方の手を高々と上げて、声をかける。
いつものように転移呪文でマジック共和国の城に直接飛ぶつもりだった。
その方法は、こんな状況では既に暗黙の了解となっていて、仲間たちも疑問を持つことなく2人の周りに集まり、お互いに手を繋ぐ。
「じゃあ、リーナちゃん、よろしく」
「ええ、かしこまりましたわ」
城内の状況は、リーナが一番詳しい。
だからアールの部屋に最も近く、この時間に一番人の少ない場所に飛んでもらおうと、彼女にそう頼んだそのときだった。
「待ってくださいっ!」
突然後ろからかかった声に、ペリドッドは振り返る。
そこにいたのは、突然残ると思われたミューズだった。
もともと彼女の同行はスターシアにいる間だけの約束だったから、声をかけることはしなかったのだ。
だから、彼女が声をかけてきたときには、もっと驚くべきだったのかもしれない。
「私も連れていて下さい!」
「ミューズちゃん?」
きょとんとした表情でその名を呼ぶ。
その反応に驚かせたと思ったのか、ミューズは少し声を抑えた。
実際は、彼女がそう言い出すことはペリドッドの予想の範囲内で、ミューズが考えたほど驚いてはいなかったのだけれど。
「乗りかかった船ですもの。行かせてください」
「でもミューズ。あなた、国はいいの?」
「今は兄がいてくれますから」
ベリーの問いに、ミューズは僅かな笑みを浮かべて答えた。
国王の代行して仕事をすることの多い兄妹が、揃って国を離れることはできない。
だから、『留学』という名目で普段国を空けているリーフに代わって、普段はミューズが公務を行っているのだ。
けれど、今はリーフがその仕事を一手に引き受けてくれているはずだ。
リーフだって帰りが遅くなることを想定してくれているはずだから、少しくらい予定が長引いても問題ではない。
「私だって、あんなことをする人を、野放しにしておきたくありません」
ミューズはペリドッドに同行していたから、スターシアで起こったことをその目で見ている。
成人女性の姿を手に入れてしまったあの悪魔が、どれほど危険なものなのか、それを肌で感じているのだろう。
「それに、ペリートさん以外は私しか今のあの女の顔を知らないわけですし。いれば役に立つと思います」
「……うーん」
はっきりとそう告げるミューズの顔を見ながら唸る。
けれど、それは表面上だけのもので、ペリドッドの心は既に決まっていた。
ミューズは、不安定だった間の自分をずっと支えてくれたのだ。
ここで断ったら、その恩に仇で報いることになる。
だから、もし彼女がついてくると言い出したら、迷わずお願いしようと決めていた。
「……しょうがないなぁ」
暫く悩むふりをして、諦めたように息を吐き出した。
その途端、嬉しそうに輝くミューズの顔を見て、思わず笑みを浮かべる。
そのやり取りをすぐ側で見ていたベリーが、眉間に僅かに皺を寄せて尋ねた。
「いいの?」
「うん。もともとあたしが手伝わせちゃったのがきっかけなわけだし。ここで追い返した方が悪いよね?」
「ええ」
「なら、仕方ないもん。一緒に行こう」
にっこりと微笑んで、ペリドッドが手を差し出す。
それを見て、ミューズも、今度こそはっきりとわかる笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます、ペリートさん」
差し出された手を、しっかりと握って。
ミューズもまた、マジック共和国へと向かう輪の中に足を踏み出した。
リーナが杖を掲げると同時に、空気が歪む。
一瞬の、側にいるものには不快感すら与えるその感覚の後、仲間たちの姿はその場から忽然と消えていた。
「行ったね……」
「そうね……」
自らその場に残った2人が、ぽつりと呟く。
暫くの間、余韻に浸るかのように動くことなくその場に立ち尽くしていると、突然タイムが、何の前触れもなく口を開いた。
「それで?」
「ん?」
「一体これからどうするの?」
ごく自然に尋ねられた言葉に、首を傾げてみせる。
そんな風に無知を装っても、タイムには既に看破されていると知っていたけれど、とりあえず誤魔化してみたかった。
「何か確かめたいことがあって残ったんでしょ?」
「ああ、バレバレ?」
「こういうときにあんたが引くのは、何か他に気になることがあるときだけだし」
案の定、考えは既に筒抜けで、ご丁寧に理由までもついてくる。
姉妹であるセレスには全く気づかれないというのに、どうしてこの親友には気づかれてしまうのか。
それだけ彼女が、本気で自分のことを見てくれているという証なのだと思う。
見てくれているから気づいて、支えてくれる。
今回だって、自分がしようとしていることに気づいたからこそ、残ると言い出したのだ、彼女は。
「付き合い長いからね、これでも」
こちらの考えを見透かしたようにそう付け加える彼女に、思わず苦笑を零す。
「ホント、よく見てますこと」
「それだけ昔のあんたは危なっかしかったってことね」
「うわ!酷ぉ……」
さらっと嫌味を言ってくるタイムに抗議する。
けれど、彼女はくすくすと笑うだけで、この言葉を撤回してはくれなかった。
「まあ、いいや」
あっさりと諦めて、後ろを振り返る。
そこには、先ほどほんの少しだけノブを回したために、申し訳程度に開け放されたままの扉があった。
「付き合ってくれる?」
「もちろん、そのために残ったんだから」
不敵な笑顔を向けて尋ねれば、清々しいばかりの返事が、とても自然に帰ってきて。
そう答えてくれたことに感謝しながら、もう一度開きかけた扉へ手をかけた。