SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter6 鍵を握る悪魔

10:呪文書

静かに本を捲る音が響く。
昔の、薄汚れたような色の紙で造られた歴史書。
それを捲りながら、ふとリーフは呟いた。
「精霊は世界の頂点じゃない、か……」
側で別の資料を調べていたミューズが、その呟きに声を上げる。
2人は今、精霊神が語ろうとしなかった『聖域大戦』について、既存の書物に少しでも手がかりがないかどうかを調べていた。
「マリエス様の言葉が気になる?」
「ん?……ああ。気になるって言うか、引っかかるって言うか……」
自分の中に宿った、このもやもやとした感情は、そのどちらとも違っているような気がした。
けれど、ミューズがこちらのそんな心情に気づくはずもない。
再び手元に目を落とした彼女は、少し落胆した様子で呟いた。
「無理もないです。私たちは、ずっと精霊は神様と同じ存在だって、そう教わってきたんですもの」
「……そう、だよな……」

インシングでは、世界中のほとんどで精霊神と七大精霊を祀る精霊信仰が根付いている。
それはこの世界には精霊を越える存在などいないという考え方で。
まさに今ミューズの口にした、精霊は神様という考えだったのだ。
その信仰を、他でもない精霊神自身が否定した。
普通の人間ならば、そこで悲しみやら憤りやらを感じるのだろうけれど、自分の中に宿った感情は、そういったものとは関係なく湧き出てきたような感じがした。

思わず考え込みそうになったそのとき、ふと耳に入った鈴の音に、リーフは顔を上げた。
心地よく響くその音色は、間違いなくこの部屋の棚に取り付けてある、入口からの呼び出しを知らせるベルだ。
この部屋は王族と管理係に任命された特定の司書しか立ち入ることを許していないため、中にいる人間を呼び出すためにそんな仕掛けが設置されていた。
「ベル?」
「私が行くわ」
リーフよりも先にその音を認識していたらしいミューズが、軽い動作で席を立ち、扉へ向かう。
「失礼いたします」
短く返事をして扉を開けた途端、よく聞き慣れた男の声が耳に届いた。
「エルト?どうしたの?」
「リーフ様とミューズ様にお客様です」
「私たちに?」
「はい。ご友人のペリドット=オーサー様と名乗っておられました」
「えっ!?」
聞こえた名前に、リーフも驚いて顔を上げる。
「わかりました。では、兄様を呼んできますので、あちらの休憩室にお通しして」
「よろしいのですか?」
「ええ」
この部屋の外は、城の関係者以外は立ち入り禁止とされている区画だ。
そこに一般人を通していいのか、彼には判断がつかないのだろう。
自由兵団の副団長であり、自分たちの剣の師でもある彼は、ペリドットは面識がなかったはずだから。
「心配しないで。彼女は兄様の恩人だから、心配はいりません」
「はっ。わかりました」
はっきりとした了解の意を最後に、ミューズが静かに扉を閉める。
彼女がくるりと振り返るのと同時に、リーフは読んでいたページに紙製のしおりを挟み、本を閉じた。
「兄様」
「聞いてた。ずいぶん早いな」
答えながら、手元に置いた懐中時計へと視線を落とす。
ペリドットが無の精霊が住まう神殿に出かけたのは、精霊神に会った直後だ。
それからまだ3時間しか経っていない。
試練は終わったのだとして、こんなに早く帰ってくるということは。
「ええ。たぶんいつものパターンだと思います」
いつものパターン。
即ち、呪文を継承することはできたものの、実際に使うために何かが必要になったということだ。
でなければ、ネヴィルという悪魔の所在が判明して、その国にまだ行ったことがなく、船が必要になった、というところか。
「やれやれ……。あいつらもホント大変だよな」
タイムのときから定番になってしまっているその行動に、リーフは深いため息をつく。
ルビーの予想どおりなら、これがあと1回はあるはずだ。
「今度は何でしょうね?ペリートさんだから、オーブでしょうか?」
「魔法の水晶以上のオーブがあるとは思えないけど、まあ、レミアの剣って前例があるからなぁ」
「とにかく行きましょう。急いでいるだろうから、待たせたら悪いわ」
「だな」
軽く返事を返して、もうひとつため息をつく。
本を傷めないように細心の注意を払いながら閲覧用の机に置くと、ミューズと連れ立って、決して狭くはない部屋を出た。



後宮の入口でたまたま出会った壮年の騎士に、リーフたちの所在を尋ねて数分。
城内から渡り廊下で繋がる図書館の入口で待たされたペリドットは、彼の案内で図書館の最奥近くへと通された。
「こちらでお待ちです」
騎士が示したのは、一番奥にある感情そうな扉ではなく、そこから少し離れた場所にある小さな扉だった。
似たような扉がところどころにあることを考えると、そこはこの図書館内にいくつか設けてあるという休憩室だろう。
図書館内は本の痛みを防ぐために飲食を禁止となっているけれど、何しろ城の敷地の一角を使ったここはかなり広い。
だから一定間隔でこういった部屋を置いて、食事まではいかないものの、飲み物くらいは飲めるようにしてあるのだと、以前リーフが言っていた。
「ありがとうございます」
律儀に扉の隣に立つエルトに礼を言って、中へと入る。
一応礼儀正しくしていようと思ったのに、その考えは扉を開け、中にいる友人を見た途端に綺麗さっぱり消え去ってしまった。
「リーフ!ミューズちゃん!」
「よお」
「お帰りなさい、でよろしいですか?」
「うん、ただいま」
椅子に座ったリーフが軽く手を挙げ、その側に立つミューズがにっこりと笑う。
そんな2人のささやかな心遣いが嬉しくて、ペリドットも笑顔を返した。
けれど、すぐに状況を思い出すと、ひとつ大きく息を吸って真剣な目で2人を見る。
「さっそくで悪いんだけど、お願いがあるんだ」
「何だ?船か?それとも同行?」
間髪入れずにリーフが聞き返してきた。
たぶん予想はしていたのだろう。
仲間たちが彼らやアールにそう言った頼みごとをするのは、もうパターンになってしまっていたから。
けれど、ペリドットの頼みはそうではなかったのだ。
「どっちもはずれ。あのね、探して欲しい本があるの」
「本?」
「うん。ええっとね。とりあえず無の神殿での試練は終わったんだよ。だから、もういつでも精霊神法を覚えられるんだけど……」
「けど?」
「呪文書が、行方不明なんだって」
言いにくそうにそう伝えた途端、リーフの言葉がぴたりと止まる。
濃緑色の瞳が、何を言われたのかわからないとばかりにぱちぱちと瞬いた。
「……は?」
「だからね。呪文書がノア様のところになかったんだよ。何でも、ミルザが何を意図したのか、エスクールの王様に預けたんだって。だからこの城のどこかにあるんじゃないかってことで、それを探してほしいの!」
「探すって……まさか……」
「十中八九、この図書館、でしょうね……」
ぴたりとリーフの動きが固まる。
ミューズも、何だか渋い顔をしていた。
当然といえば当然だ。
だって、マジック共和国ほどではないにしても、この図書館だって全ての区域を総合してみれば、かなり広い。
「……この中からたった1冊探せって……」
「大変なのはわかってるよ!でもお願い!呪文書がないとせっかく資格貰っても、精霊神法使えない!」
ぱんっと手を合わせて、さらに頭を下げて懇願する。
それを見たミューズは、少し逡巡したあと、重い息を吐き出した。
「わかりました。じゃあ、司書を呼び出して……」
「いや、それは駄目だ」
きっぱりとミューズの提案を却下したのは、リーフだった。
「え?」
「何で?」
「国に関わることならともかく、これは俺たちの私情だ。そんなことで仕事を中断させられないだろう?」
「ですが、兄様……」
「それに、その呪文書を見つけたことによって利益を得るのはうちじゃない、マジック共和国だ。未だにあの国に反感を持つ人間は少なくない。内政的にも外交的にも、止めておいた方がいいと思う」
政治に関わる言葉が出た途端、ミューズの兄を見る目が変わる。
ずっと細められたその瞳は、兄ではなく1人の施政者を見つめていた。
「それは、世継ぎとしての判断ですか?」
「ああ。エスクール王家のリーフ=フェイトの判断だ」
『王家のリーフ』という言葉に、ペリドットが僅かに目を瞠る。
リーフがそれを口にするとき、そこには普段の彼からは想像も出来ないほどの強い意志があった。
1人の男としてではなく、エスクールという国を継ぐ、次期国王として。
それがどんな意味を持つのか、アースで育ったペリドットには、想像することしかできない。
けれど、それにとても重いものが圧し掛かっていることはわかっていたから、異議を唱えようとは思わなかった。
「わかりました。ですが、私たちだけでやるとなると、何日かかるかわかりませんよ?」
「考えがある」
どこか呆れを含ませた声で尋ねるミューズに、リーフは人差し指を立て、はっきりと答える。
その考えに心当たりがないのか、ミューズは不思議そうに兄を見た。
「当時の王がミルザをかなり重要視していたのは、伝説にも歴史書にも残っているだろう?城の公的な記録にも、同じ事実が残っている」
確かに、当時のエスクール国王は、帝国の支配者を倒した勇者をかなり優遇していたといわれている。
王立図書館の閲覧を、それこそ王族しか入れないはずの部屋まで許したり、専用の船を与えたりなど、その贔屓ぶりは凄かったらしい。
それらは全て民間に伝わる伝説から勝手に想像された偽りか、事実に大幅な脚色をされた話だと思っていたのだが、リーフの口ぶりから考えると、どうやらそうではないようだ。
「だから、ミルザから託された本なら、こっちの区画にあるはずなんだ」
こっちの区画――即ち、一般人は立ち入り禁止の、城の関係者のみ閲覧が可能とされる本が置かれている区画だ。
「しかも世界に一冊しかない貴重な本だとしたら、禁書室に保管されている可能性が高い」
「禁書室って……?」
「私たち王族以外では、管理係の司書しか立ち入りを許していない部屋のことです」
不思議そうに首を傾げたペリドットに、ミューズが簡潔に説明する。
「あの部屋は確か搬出入管理帳があったな」
「ええ。紛失記録もありました」
「なら、まずはそこから当たるぞ」
がたっと音を立ててリーフが椅子から立ち上がる。
頷いたミューズは、さり気なくその椅子を戻してその後を追った。
ついていこうとしたペリドットが、真っ先に部屋の扉に声をかけたそのときだった。
「あ、悪いペリート。ここで待っててくれ」
「ええ~?あたし行っちゃ駄目~?」
リーフの言葉に、思わず不満の声を上げる。
「王族と管理係以外は立ち入り禁止だって言ったろ。セレスだったら入れてもよかったんだけどな……ひぎっ!?」
にやりと笑ってそんなことを言ったリーフの背中を、ミューズが思い切り叩く。
不意をついた、あまりにも力強い攻撃に、リーフは思わず無様な悲鳴を上げた。
「もう!兄様!すみません、ペリートさん。すぐに戻ってきますから」
「う……ん……。仕方ないもんね。わかった、待ってる」
本当に申し訳なさそうなミューズに、これ以上困らせるのはよくないと、ペリドットは素直に了承する。
ぺこりと頭を下げると、ミューズは涙目のリーフを引き摺って部屋を出て行った。
ばたんと、少し乱暴に扉が閉まる。
それがもう開かないことを確認すると、ふらふらとテーブルの側に寄り、先ほどリーフが座っていた椅子を引き出して腰を下ろす。
そのまま俯いて、ふうっとため息をつくと、顔を上げ、すぐには開かないだろう扉を見つめた。
「待ってるから、早くしてよね……」
ぽつりと呟いたその言葉が、既に禁書室に行ってしまっただろう2人に届くことはなかった。

2006.07.12