Chapter4 ダークハンター
6:目的地
「……で、話とは何だ?」
肩甲骨の下まで伸びた髪を風に預けている友人に声をかける。
屋上の金網に背を預けるようにして、彼女――赤美は振り返った。
「沙織のことなんだけどね」
迷わず切り出した赤美の言葉に、英里は僅かに眉を顰める。
「沙織の?」
「そう。正確には、今のあいつの精神状態」
きっぱりと言われる言葉に、ますます眉を顰めた。
「精神状態って、そんなに酷いのか?」
「まあね。中学上がってからはまだしも、初等部の時はかなり酷かったよ」
腕を組んだまま赤美が言った。
さらに表情を崩した英里に、気づかれないようため息をつく。
英里が知っている昔の沙織は10年ほど前、母親を亡くして泣いていた小さな少女だ。
一緒にいてくれる約束を破ったと泣いていた、小さな少女。
「その直後だったらしいからね。同じ約束したあいつの父親が交通事故で……」
そこまで言って、赤美は言葉を切った。
「とにかくあいつ、小さいときから約束破るとか、そういうのに敏感だったらしいから」
初等部の頃もそう。
滅多に人と話をしなかった彼女が、約束を破るという話になったときだけ妙に口を出した。
入学したときから何度か同じクラスになっていたから、知っている。
「今みたく比較的誰とも話せるようにするのに、どれだけ苦労したことか」
大きくため息をつく赤美に、英里は僅かに表情を緩めた。
それもすぐ元の真剣なものに戻ってしまったけれど。
「……それで?」
本題だけを求めてくる英里に、赤美に微かに笑みを浮かべた。
すぐにそれを引っ込めて、真剣な表情で彼女を見る。
「今のあいつは脆いよ。たぶん、あたしたちの想像以上に。もしかしたらガラス細工並みかもね」
妙にあっさりと言葉を口にしているけれど、瞳はとても真剣で、英里は思わず息を呑んだ。
「あとひとつでも何か要素が加われば……壊れるまではいかなくても、ひとつのことしか見えなくなって突っ張るかもしれない」
元々のあいつは、それほど脆い奴だったから。
「だから……」
言いかけて、赤美は視線を床に落とし、目を閉じた。
もしかしたら、本当に言うべきか迷っていたのかもしれない。
疑問に思った英里が聞き返そうかと口を開いた瞬間、顔を上げて目を開くと、赤美は真っ直ぐに彼女を見た。
「絶対あいつから目を離さないで。今の精神状態じゃ、何やるかわからないから」
その真剣すぎる表情に、一瞬押された。
けれどすぐに頷いて、真っ直ぐに彼女を見る。
英里の言葉を聞いていくらか安心したらしい。
赤美は顔に笑みを浮かべると、「よろしく」とだけ告げて校舎へと戻っていった。
その表情がすぐに曇ってしまったことに、英里は気づいていなかったけれど。
「……ア、フェリアっ!」
「うわっ!?」
突然耳共で響いた大声に、思わず声を上げた。
驚いて横を見ると、先ほど神殿の奥へ消えたはずのレミアがそこに立っていた。
その顔は何故か驚いたような表情のまま固まっていた。
それは滅多に大声を出さないフェリアがあんな反応を見せたからなのだから、当の本人はそのことに気づいていない。
「レ、レミアっ!?」
「な、何?その反応。まるでお化けでもみたかのような」
だんだん不機嫌な表情になる彼女を見て、フェリアは慌てて首を振った。
「か、考え事をしていたからな。それに、もっと時間がかかると思っていたし……」
実際どれくらいの時間が経ったのかは、太陽も星も見えないこの場所ではわからないのだけれど。
「ふーん。まあ、いいけど」
疑いの眼差しを向けてから、レミアは足元に下ろしていた荷物を開けた。
「ちょっと待った。本当にもう終わったのか?精霊神法取得の試練」
聞いてから、あることに気づいて声をかけた。
修行の間の時間は、精霊が操作することによって現実とのずれが生じる。
魔妖精の事件のとき、ティーチャーがそう言っていたのを思い出したのだ。
「んー、まあねぇ。これで終わってなかったら何のために傷だらけになったってのよ」
そんな彼女の動揺に気づかず、レミアは取り出した地図を広げるとあっさりと言った。
「傷だらけ……、っ!?」
よく見れば、レミアは体のあちこちに傷を負っていた。
そのほとんどが細かいかすり傷程度のものだったけれど、中には血が滲んでいるものもある。
「お前っ!!どうしたんだその傷っ!!」
「え……?」
思わず叫ぶと、レミアは顔を上げ、それで始めて気づいたというように体中を見回した。
「あらら。本当どうしたんだろう?」
「誤魔化すなっ!!」
「別に誤魔化してなんか……わっ!?」
腕を捕まれ強引に引き寄せられ、思わず声を上げる。
「フェリ……」
「いいからちょっと見せろ」
厳しい声で言われて、思わず黙り込む。
そのまま比較的酷い傷の治療を始めるフェリアに、レミアはため息をついた。
そのため息の意味を読み取りながら、フェリアは心の中で自分に呆れた。
無意識のうちにルビーの言葉を気にしている自分がいる。
レミアの行動に妙に敏感になっている自分がいる。
流されすぎだ……。
そう思ってため息をつくと、途端に上から不機嫌そうな声が降ってきた。
「呆れてるんならそういえば?」
「そうじゃない。まあ、自分には思いっきり呆れたけどな」
「は?」
「こっちの話だ。……終わったぞ」
一通り大きな傷を治療して、腕を放した。
細かな傷はほとんど皮膚が切れている程度だから、おそらくは大丈夫だろう。
「それで、次の目的地はわかってるのか?」
「まあね」
言いながら、レミアは一度丸めてしまった地図をもう一度広げた。
2人で覗くことができるように、それをそのまま床に置く。
「世界地図?」
覗き込んだフェリアが首を傾げる。
レミアが広げたのは彼女たちが持っていた3枚目の地図。
国の配置と大体の町や洞窟などが書き込まれている世界共通の地図だった。
発行しているのは各国の王家だから、その国の探検家の知識や行動範囲によって多少の差は出てくるのだけれど。
「精霊神法は取得したけど、ひとつ問題ができちゃって、ここ行かなきゃならなくなったの」
ため息をつきながら、レミアは地図に記された国のひとつを指す。
それを見て、フェリアは大きく目を見開いた。
「トランストン共和国っ!?」
一瞬にして青褪めたフェリアを見て、レミアはため息をついた。
「何?この国何かあるわけ?」
「いや、国自体は問題はないが、取り入れてる制度が……」
「そんなこと言ったらあんた、どうして日本の政治には怯えないのよ」
「それは……」
返す言葉が思いつかず、フェリアはそのまま黙り込んだ。
そんな彼女を見て、レミアはもう一度ため息をつく。
彼女の言う制度とは、政治のことだと分かっている。
トランストン共和国という国は、この世界で唯一王政を捨て、完全共和制を取り入れた国だ。
国を治めるのも国王ではなく、民間から選挙で選ばれた大統領なのだという。
尤もその呼び方はアースでのものであるから、インシングではどう呼ばれているか知らないが。
「その国の政治体制なんて、民間人には結局のところ関係ないよ。実際暮らしててどう?関係あった?」
「いや、なかったと思う」
「でしょ?」
それは彼女たちが暮らしているのが比較的安定している国だからなのだが、レミアの頭の中にその事実はないらしい。
「それで、あたしが取得した精霊神法って魔法剣なのね。だけどこれ、威力が強すぎて並大抵の武器じゃ耐えられないらしいの」
「耐えられないって、でもお前の水晶なら……」
「残念だけど無理らしいよ。不完全なあたしの“魔法の水晶”じゃね」
「そうか……」
そう言って頭を下げかけ、気づく。
「不完全?」
顔を上げて聞き返すと、レミアは楽しそうな笑みを浮かべた。
「このトランストン共和国のどこかに、ミルザは自分の剣を封印したらしいの」
もう一度地図を指して、続けた。
「その剣はこの呪文に耐えられるように強化するために、水晶の一部を使って強化したものらしくって、それと水晶が融合できさえすれば……」
「“魔法の水晶”でも耐えられるようになる、ということか」
「そう言うこと」
フェリアの言葉に頷いて、レミアは笑みを浮かべた。
手早く地図を纏めると、荷物の中へ押し込む。
「そういえば……」
ふと感じた疑問に、フェリアはそのまま荷物の確認を始めたレミアに声をかけた。
「水晶の一部というのは?どう見てもお前のそれ、かけているようには見えないが」
レミアの腰の下がっている剣を指しながら尋ねる。
確かに剣に傷などないし、アースで腕輪になっているときも本来の水晶玉の形をしているときも、傷ついている様子はなかった。
「聞いた話じゃ、これには“核”って呼ばれる魔力の強い中心部分があって、精霊に頼めばそれを取り出してくれるんだって」
「じゃあミルザはそれを?」
「柄の装飾に使って剣を強化したらしいよ。取り出したときの見た目はこのくらいの球体だって言ってた」
言いながらレミアは荷物から手を離し、右手の親指と人差し指で小さな丸を作った。
人差し指の先はほとんど親指の付け根まで届くほど丸まっていた。
「ずいぶん小さいな」
「元々“魔法の水晶”自体が手乗りサイズじゃない。“核”としてはちょうどいい大きさだと思うけど」
「まあ、確かにそうだが、剣の装飾には小さい気がしてな」
「いいんじゃない。邪魔にならなくて」
「確かにそうだが……」
「それよりフェリア。トランストンに行ったことある?」
突然振られた話にきょとんとしつつも、フェリアは首を横に振った。
「あるわけないだろう。あそこに行く船自体少ないのだし」
「そっか……。ならやっぱりマジック共和国まで行かなきゃ駄目か……」
「あっても私はあんな遠くまで転移できないぞ」
レミアの考えていることを予想したのだろう、僅かに眉を寄せてフェリアがきっぱりと言う。
「そうじゃなくって……いや、それもあるんだけど」
確認を終えた荷物を足元に置いて、レミアは続けた。
「風の精霊が、もしあたしたちのどっちかがトランストンに行ったことあるなら送ってくれるって言ってたから、もしかして、と思って」
そういえば、タイムとティーチャーもそうやって妖精神の神殿まで戻ってきた。
そんなことを考えながら、フェリアは小さく謝った。
「仕方ないよ。あたしだってまだ行ったことない国多いし」
「私たちは定住タイプのハンターだからな」
苦笑するフェリアに、レミアは「まあね」と笑って言葉を返した。
冒険者のように旅をしながら仕事をしている同業者はともかく、自分たちのような家のある者は他国に行く必要のある仕事をしようとしないから。
「じゃあとりあえずマジック共和国に送ってもらう。それでいいね?」
「というか、反対しようがないだろう」
エスクール城へ行ってミューズに頼んでもよかったのだが、つい数時間前地下へ不法侵入したばかりだったので、少し気まずい。
それが分かっているから、フェリアは苦笑しながらそう答えた。
レミアも困ったように笑うと、そのまま神殿の奥へ視線を向けた。
「お聞きのとおりです、シルフ様」
声をかけると同時に廊下に風が吹き始める。
それが1か所に集まったかと思うと、一瞬だけ強い風が吹き、初めてここに踏み入れたときのように精霊が現れた。
「あたしたちをマジック共和国の王都に送って下さい」
ゆっくりと目を開けた彼女に真っ直ぐに視線を向けて、レミアはしっかりと告げた。
にこりと笑うと、シルフはゆっくりと天井に向かって手を上げた。
その途端強い風が吹いて、2人と精霊の立つ場所を分けていた透明な壁が消える。
「壁……?」
呟いて、フェリアははっとレミアを見た。
すっかり忘れていたけれど、ここには壁があったはずだ。
それなのに、神殿の中にいたはずのレミアは何故自分に近づけたのだろう。
『あの壁は中に入る者は拒みますが、外へ出ようとするものは拒まないように造られています』
フェリアの心を読んだかのようにシルフが言葉を紡ぐ。
驚いてフェリアは目の前に浮かぶ精霊を見た。
視線が合うと、彼女はにこりと微笑んだ。
その笑顔が、ほんの少しだったけれど寂しそうに見えたのは、気のせいだったのかもしれない。
「……あたしたちをマジック共和国に送って下さい」
レミアがもう一度、今度はいくらか声のトーンを落として言った。
その顔は怒りで僅かに歪んでいたのだけれど、後ろにいたフェリアはそんな彼女の表情には気づかなかった。
『わかりました。2人とも、こちらへ』
笑顔を浮かべたまま、シルフは自分の前を示した。
同時にその床に緑色の魔法陣が浮かび上がる。
怒りを無理矢理引っ込めて振り返ると、レミアはフェリアに笑いかけた。
「行こう」
「あ、ああ」
慌てて近くに置きっぱなしにしていた荷物を掴むと、フェリアはレミアを追って魔法陣の中へ入った。
『ご武運を』
声が聞こえた瞬間、体が浮き上がったかのように足の裏から床の感覚が消えた。
次の瞬間には視界が揺らいで、フェリアは慌てて目を閉じた。
ふと、耳に何か声が飛び込んできた。
突然のことでそれは言葉としては聞き取れなかったけれど。
ただ、横でレミアが何かを叫んでいるような、そんな気がした。
おそらくそれは気のせいではない。
そう確信したのは、転移が終わってからのことだったけれど。