Chapter3 魔妖精
5:旅講座
「だから、やっぱりその辺は教えとかないとやばいんじゃないか?」
「やはりそう思うか」
「第一あいつ、こっちの金持ってんのかよ」
「いや、今回は急なことだったからおそらく……」
転移を終えた途端にそんな会話が耳に飛び込んでくる。
不思議そうに顔を見合わせながら、2人は自分たちが現れた広間のすぐ側の談話室へ入った。
「ただいま」
軽く扉をノックして声をかけながら開けると、中にいた2人が驚いたようにこちらを見た。
「タイム!ティーチャー!」
「何?その驚きようは?」
じとっとした目で睨むと、リーフは慌てて首を横に振る。
「ずいぶん早かったな。試練というから、もっと時間のかかるものだと思っていたぞ」
それをフォローするつもりなのかそうではないのか、フェリアも驚きの表情を完全に消さないうちに問いかける。
「そんなに時間経ってませんか?」
「2時間くらいだ」
「それだけっ!?」
リーフが取り出した懐中時計をこちらに向けながら答える。
それを聞いたタイムは驚きの声を上げた。
「やっぱり試練の間って現実と時間の流れがずれてたのよ」
「だから出てきたときの感覚がおかしかったわけね」
「何の話?」
リーフの問いに、ふわふわと浮いたままティーチャーが説明を始める。
「セレスさんも入ったと思うんですけど、精霊の神殿には精霊神法専用の修行の間ってところがあるんです。あそこ、精霊様が作り出した空間みたいですから、おそらく時間の流れが操作されていたんだと思います」
「だから、あたしたち自身は1日とちょっとくらい行ってたつもりなんだけど、実際はそんなに時間が経っていなかったってわけ」
仲間が待っているのを知っていて、敢えて言わなかったのか。
それともセレスから聞いていると思って説明しなかっただけなのか。
「たぶんあたしたちが急いでいるのを知っててそういう風に空間を作り変えたけど、報告するのを忘れてたってところでしょうね」
「いくらなんでも水の精霊が忘れるか?」
「それが……、ウンディーネ様結構明るい方だったので」
困ったような表情をしてティーチャーが言う。
その隣でタイムが大きなため息をついた。
「ところで一体何の話をしてたわけ?」
今度はそちらが説明する番だとでも言いたげに、タイムは椅子に座って問い詰めるように口調で尋ねた。
ティーチャーはそんな彼女の前、テーブルの上にちょこんと腰を下ろす。
「簡単に言うと『冒険者の心得』についてだ」
「冒険者の心得?」
「そうだ。この世界を旅する上で必要となってくるものの話をしていた」
異世界アースで生まれ育ったタイムが知っているはずのないもの。
旅の仕方、必要な道具、その他もろもろ。
「知らないだろ?そういうの、お前らは全然」
「そうだけど……」
「私もよくは知りません」
妖精族は基本的に自分の住んでいる場所から離れることはない。
知らなくても問題がない環境で暮らしているのだから、ティーチャーが知っているはずもないのだ。
「セレスとペリドットはオーブでの空中移動だったし、基本的にはこの国の中が行動範囲だから問題なかった。ルビーは聞いた感じずいぶん詳しかったから、必要ないと思ったし」
「レミアは仕事でこっちに来ることが多いから私が叩き込んだ。だが、今回はあいつもルビーもここにはいない」
それは即ち、先導したりアドバイスしてくれる者が誰もいないということ。
「お前、どうせ俺たちは連れて行かない気だろ?」
「……っ!?」
タイムの目が驚きに見開かれた。
それを見て、リーフは小さくため息をつく。
「セレスとペリートがそうだったからな。もしかして、って思った」
ちらっと隣でため息をつくフェリアを見て、彼は続ける。
「確かに、フェリアはともかく俺はお前らの実力から見て足手まといだ。そんな俺がついていっても負担をかけるのはわかってる。だから、ついて来るなと言われたらついていかない」
「リーフ……」
「でもそれならそれで、余計に心得くらいは覚えてもらわないとってことだ。それにお前、こっちの金持ってないだろ?」
「う……」
確かに持っていない。
法国ジュエルのときの経験を生かして、レミアとフェリアが時折こっちで仕事をして資金を稼いでいたけれど、その金は全て理事長室に備え付けられた専用の資料室の奥にある、魔力によって鍵をかけた金庫の中だ。
あの騒ぎの後、資料室の奥まで行かずにインシングに来た彼女たちに、その金を取ってくる余裕があったはずがない。
「金がなければ何もできないのは何処の世界でも同じだろう。どうする気だった?」
「それは……」
考えていなかったのだろう。タイムは言葉を返すことが出来ずに口籠る。
ティーチャーはそんな彼女とフェリアたちを交互に見ておろおろとしていたが、特に口を挟もうとはしなかった。
旅や冒険は――国内だけとは言っても――フェリアやリーフの方がずっと慣れている。
自分が口を挟むべきではないと、そう考えてのことだったのかもしれない。
「まあ、金の方は俺が何とかするとして、問題は旅の方だな」
さすがは王子と呟いたフェリアを一瞥してから、リーフはタイムに視線を向ける。
「アースみたいに交通手段が発達しているわけじゃない。町と町がくっついて存在してるわけでもない。エスクールはそんなにでかい国じゃないし、中央の森はちょっとした魔力が働いているから、ドーピングしまくって突っ切れば、馬1頭でも一晩あれば南の方から城下の周辺まで来れるけど、他の国はそうじゃない」
「な、何でそのことっ!?」
「セレスに聞いた」
驚いて聞き返した言葉に、あっさりとリーフは答える。
それは始めて彼と出会ったとき、やむを得ずと言ってルビーが取った王都までの移動手段だ。
その時に一緒にいたのはセレスとタイムだけ。
他の4人は、それについての詳しい事情は知らないはずだった。
この分だとセレスが話しているかもしれない。
そう考えながら、タイムは小さくため息をつく。
同時に頭の隅に何か引っかかるような感覚を覚えたけれど、敢えてそれには気づかないふりをした。
余計なことを考えている余裕はないと思ったから。
「だから準備が必要ってわけ。まあ、フェリアを連れてくなら心配はないと思うけどな」
そこまで言い切って、リーフは口を閉じた。
「どうするつもりだった?」
ずっと黙っていたフェリアが、静かな口調で尋ねる。
思わずぎゅっと拳を握る。
決めていた。
水の神殿に入ったときから、試練を受けたときから、ずっと決めていた。
2人で相談して決めた。
「あたしとティーチャー、2人で行くつもりだった」
その言葉に「やっぱりな」と呟きながら、リーフがため息をつく。
「もし途中でルビーさんたちを見つけたら、この神殿まで送るつもりだったんです」
テーブルの上に立ち上がって、タイムの代わりにティーチャーが説明する。
「その時、ここに誰もいなかったら、もしあの人たちに何かあっても対応できる人がいなくなってしまう。だから、おふたりには残ってもらおうって決めたんです」
「なるほどな……」
ただ単に足手まといだと言われては納得できない。
けれどこの理由なら、完全にではないけれど納得はできる。
「勝手に決めてしまってごめんなさい」
「いや、別に。責めてるわけじゃないし」
頭を下げたティーチャーを見て、慌ててリーフが首を降る。
「でも、なら余計に指導が必要ってわけだ」
「教えることでもないんだがな」
そうフェリアは呟いたけれど、リーフはそれを無視して立ち上がった。
そのまま部屋の隅の棚の方へと歩き出す。
棚の上に手を伸ばして何かを取ると、すぐに戻ってきて元の椅子に腰を下ろした。
「さっきちょっと書庫とか回らせてもらって見つけた。ちょっと古いけど、この世界の地図だ」
そう言って手にした紙をテーブルに広げる。
大きな羊皮紙に、いくつもの大陸が書かれた地図。
それを見て、思わずタイムは声を漏らした。
「どうした?」
「ううん……」
フェリアの問いに、地図を見回しながらタイムは答える。
「インシングにある国はひとつの大陸全てを領土にしている国ばかりだって話は聞いてたけど、本当だとは思わなかったから」
地図に記された大陸ひとつひとつには、たったひとつの国の名前だけが書かれていて、他の国の名前はない。
「ダークマジックが他の大陸も領土にしていたという話もあるぞ」
「かなり昔の、な。300年前のシルヴァン帝国独立を最後に、全部の大陸が帝国から独立、国としてひとつの大陸を支配してる。この国だって、最初はそんな感じだったし」
「そうなのか?」
「まあ、他の国みたいにここは領土だったわけじゃないけどな。先住民のいなかったこの大陸にマジック共和国に住んでた奴らが移住してエスクールを造ったんだ。似たようなもんだろ」
言いながらリーフは地図を見回す。
「ここが俺たちが今いるエスクール王国。こっちが、これではまだダークマジックになってるけど、今のマジック共和国。んでエルランド王国はここだ」
とん、と他の国より小さめな大陸に指が下ろされる。
そのまま地図の上をなぞっていたリーフの指が、妙に縦に長い大陸で止まった。
「ここがエルランド……」
「エスクールよりマジック共和国の方が近いんですね」
ティーチャーの言葉に、リーフは「ああ」と短く答えながら頷く。
「だからっていうのもあるんだが……。はっきり言うと、今我が国とエルランド王国間には船は1本も出ていない」
「えっ!?」
タイムとティーチャーだけでなく、フェリアまでもが驚き、リーフを見る。
「国内の情勢、マジック共和国との関係。その辺りが回復してきたから俺は国を離れられるわけだけど、他の外交や航路はそこまで復活していないんだ」
「そうだったのか?」
港のない南の方に住んでいたためか、知らなかったらしいフェリアが思わず問いかける。
その問いにしっかりと頷いてから、リーフは続けた。
「そっちは外交官長でもあるミューズの仕事だから、俺は口出しできないんだけどな。とにかく、今エスクールから直接エルランドに向かうのは無理だ」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
先ほどの、冒険者の心得のときとは打って変わった真剣な表情でタイムが聞き返す。
「簡単だ。マジック共和国まで飛んで、あいつに船を借りればいい」
「あいつって……」
「アールだね?」
タイムの問いに、リーフはしっかりと頷いた。
「あいつも王族だ。船1隻くらいなら王族権限で動かせるだろう。ここと違って、隣国であるマジック共和国なら航路の再開拓が終わってるだろうし」
それに、帝国時代に植民地としていたエルランドに行くための航路を、あの国は確保していたはずだ。
「ティーチャー。あんたも確かあの時、あの国に来てたよね?」
「う、うん。リーフさんたちと一緒に」
帝国解放戦争が終結した直後――正確には、エスクール王国のレジスタンスが国内を根城としていた帝国兵の植民地の長を倒し、再び国として再出発した直後。
アールを送り届けるため、リーフは帝国へ向かい船を出した。
レジスタンスの反乱に後から合流し、手を貸したティーチャーもそこに同乗していたのだ。
「ここからマジック共和国まで船で1週間はかかる。急ぐなら、そこまで転移呪文で飛んだ方がいい」
「1週間?解放戦争のときは3日くらいで着いてなかった?」
「あの時は、帝国の奴らが使っていた高速艇を使ってたから」
「高速艇?」
聞きなれない単語に、タイムが顔を顰めて聞き返す。
全て波や風任せであるインシングの帆船に、そんなものが存在するのだろうか。
言葉と当時にそんな疑問を持った瞳をリーフに向けた。
「今はもう全部廃船にしたみたいだけど、帝国時代、ダークマジックには魔法道具で改良を加えた高速艇があったんだ。あの時はアールが一緒だったから、動力部の調整はあいつに任せてそれで行ったってわけ。他の操作は普通の船と一緒だったしな」
リーフの説明に、タイムだけではなくフェリアやティーチャーまでもが感心したように頷いた。
「で、話を戻すけど。マジック共和国城下の港からなら、エルランドの玄関口兼王都までは2日、かかっても3日で行けるはずなんだ。ここから船を出すよりずっと早い」
地図に立てた指を動かしながら説明する。
旅と言っても国内を回るだけのフェリアよりも、幼少のころから政治や外交を学び、実際に何度か船に乗ったことがあるというリーフの方が船旅には詳しかった。
「どうだ?行けそうか?」
マジック共和国までの大体の距離を告げて、リーフは地図の上に浮いていたティーチャーに問いかけた。
短距離の移動ならともかく、長距離の転移は術者に相当の負担がかかるもの。
術者の力量によって飛べる距離の限界があるのも仕方がないことだ。
「がんばれば大丈夫だと思います」
「がんばればって、なんか頼りないぞ?」
「だ、大丈夫です!やってみせます!」
呆れたように言うリーフに、ぐっと両拳を握り締めて宣言する。
「私もこの距離ならなんとかなりそうだし、妖精は人より魔力が高いものなのだろう?だったら大丈夫だ」
そんな彼女の緊張を解すためにフェリアが声をかけたが、聞いていないらしい。
拳を握り締めたまま、ティーチャーは瞳の奥に炎を燃やして天井を見つめていた。
「んじゃ、移動手段は一応確保。次はいよいよ実践だな」
「実践?」
突然言われた言葉の意味がわからず、タイムが不思議そうに首を傾げる。
「さっきの話聞いてなかったのか?冒険者の心得!これから王都でみっちり仕込んでやる!」
「あ、あれ本気だったのっ!?」
「あったりまえだろ!ほら!行くぞ!ティーチャー、エスクール城下に飛んでくれ」
「は、はい」
立ち上がり、扉の方へ移動したリーフの側にティーチャーは飛んでいく。
タイムといえば、立ち上がらずに手で額を押さえ、大きなため息をついていた。
その肩に空色の手袋を嵌めた手が乗せられる。
「フェリア」
「付き合ってやれ。あいつ、珍しくお前らより上に立ててうれしいんだろう」
確かに彼が自分たちより有意に立つことなど、ほとんどない。
普段は理事部でお茶汲みなどやらされ、王子としての威厳さえ完全になくなっているくらいなのだから。
「……今回の件、解決したらルビーやミスリルに改善するよう告げる必要ありね」
「ま、その方があいつもストレスたまらなくっていいだろうな」
「ほら!何やってんだよ!時間ないんだろ!早く!」
テーブルの傍から動かずにこそこそ話していた2人に向かって、ばんばんと扉を叩いてリーフが叫ぶ。
狭い部屋なのだから叫ばなくても聞こえているのだけれど、興奮している彼はそれに気づかないらしい。
「仕方ない、付き合いますか」
再び大きくため息をついて、タイムは重い腰を上げた。