Intermission - 第8の血筋
1:編入生
ある2つの家系に伝わるひとつの“約束”があった。
精霊がその2つの家系にした、守られるかどうかわからない約束。
その時が来るのを楽しみにしていると、ひとつの家系の少女は言った。
どうせこれはただのうわべだけの約束だと、もうひとつの家系の少年は精霊を罵った。
元々両者はひとつの家系。
別れてしまったのは、一体何の因縁だったのだろう。
そして精霊とこの約束をした、永遠の眠りについてしまった少年と少女は知らない。
約束が果たされる時が異世界で訪れたということを。
“証の子”。
それが精霊が彼らにした約束。
そして精霊神が大昔のとある人物の願いを叶えた、ある意味とてつもなく残酷な約束。
その理由は精霊神しか知らないけれど。
「転校生?」
どさっと赤美は持っていた資料をテーブルに置きながら聞き返した。
たった今まで印刷室へ行っていたから、理事長室でされていた会話を知らないのだ。
「そう。今日あたしたちのクラスに転校生が来たんだけどね~」
「どうも騒がしいと思ったら、そのせいだったんだ」
とんとんと肩を叩きながら赤美はソファに腰を下ろした。
「そういえば、陽一のときもすごかったもんね」
「あ、あの時は大変だった……」
小さく笑いながら言う美青の言葉に、陽一は大きなため息をつく。
陽一は、一般から見れば美青年の類に数えられるような顔立ちをしている。
学園内の女子から言わせれば、男子の中でアイドルと騒がれる紀美子が現れたようなもので、彼らの学年を中心に毎日のように教室に女子生徒が押しかけてくる騒ぎとなった。
彼が編入してから2週間でその騒ぎが収まったのは、女子生徒たちが押しかけることに飽きたというわけではなく、同じクラスに赤美がいたことが原因だろう。
度重なる押しかけに席の近い彼女が巻き込まれないはずもなく、3、4日ほど前、ついに彼女の怒りは頂点に達した。
「いい加減にしろーっ!」
高等部の校舎中に響いたと言われるその叫びの次に彼女が口走ったのは、一般生徒からすればとんでもない事実。
「あんまりそんなことしてると、こいつの彼女にぶっ飛ばされるよ!」
これが元で別の騒ぎが起こった責任を、彼女は取るつもりはないらしい。
代わりに妹から光の制裁を受けることにはなったのであったが。
「あたしの方が大変だったって。あの呪文受けて生きてる自分が不思議よ、本当」
「姉さん、何か言った?」
「な、何でもありません」
悪魔の微笑を見せる妹の視線から逃れるために、赤美は素早く親友の後ろに隠れる。
「ちょっと、赤美……」
美青が赤美を睨むけれど、赤美は一向に彼女の後ろから出ようとはしない。
赤美の言うあの呪文とは、ルーズ戦で完全に使い方をマスターしてしまったしらい光の精霊神法のことだ。
姉へのお仕置きとして使うには少々強力すぎる気もするのではあるが、それくらいやらなければこの男嫌いの姉は大人しくなってはくれないらしい。
「それで、話を戻すけど」
ぱんっと手を叩いて、理事長席に座っている百合が口を開いた。
「つまり、どういうこと?沙織」
視線を向けられて、沙織は「うん」と小さく頷く。
「あの子、魔力を持ってる気がする。ほんのちょっとだけど、あたしに似た力を感じた気がしたんだ」
「ええっ!?」
突然の言葉に驚いて声を上げた赤美を綺麗に無視して、百合はそのまま考え込む。
「あんたと同じ、ね。でも違和感は感じなかったと思うけど」
百合が言う違和感とは、彼女たちが目覚めたての頃、自分のものと反する属性を宿す者に対して感じた拒否反応のこと。
これまでの戦いで既にその反応を感じないほどに熟練してしまった彼女たちが、今更それを感じることはほとんどないに等しい。
それでも全く感じないわけではないから、百合は考え込む。
「でも確かに魔力は感じた気はするよね」
ソファの背もたれに腰掛けて「んー」と呟きながら実沙が言葉を発する。
「でも敵とは限んないよ?陽一みたいな奴だっているわけだし」
「でも陽一先輩って特例中の特例ですよ。味方と判断するのも危ないと思うんですけど」
控えめに言う鈴美の言葉に、紀美子が不本意ながらも頷いた。
確かに、陽一のように彼女たちにとっては味方で、手伝うためにこちらの世界にやってきたような者もいるけれど、それは彼女たちが知る限り彼ただ1人だけ。
他の仲間と言える者たちは全てインシングで生活しているはずだ。
それにアールやミューズなら、真っ先に声をかけてきてもおかしくはない。
それよりも、今まで多かったのは。
「ダークマジック時代は2回も混じってたよね。帝国側の人間がさ」
呟くように、それでも真剣な口調で言われた赤美の言葉に、室内の空気が重くなる。
「どっちにしても、あたしたちの知らない奴がここに来たって時点で、何かの前振りには変わりないんだろうけど」
漸く美青の後ろから抜け出して、ため息をつきながらソファに腰を降ろした。
今まで全てそうだった。
自分たちの知らない誰かが異世界からこの世界に降り立ったとき、必ず何かが始まった。
アールが始めてこの地を踏んだとき、起こったのは勇者の子孫の登場というどこの漫画でもありそうなできごと。
リーナのときもベリーが倒した吸血鬼ラウドのときも幻零のときも、そして法王ルーズのときも、全てそれがきっかけに新しい何かが起こっている気がする。
だからこれも、きっと始まり。
新しい何かが始まる前触れ。
それが自分たちにとって、必ずしも良いものだとは言えないけれど。
「とりあえず様子を見た方がいいと思うよ」
こんなときだけ妙に回りくどい赤美に変わって、美青が口を開く。
「でもそれは……」
「確かに今まで何度もそれで失敗してるけど、それが確実だと思う。相手が敵か味方かわからないしね」
あっさり言われた言葉に、思わず沙織は押し黙った。
「確証も何もないうちに動いて、敵じゃなかったらどうするのー?」
いつもの口調で実沙が言う。
「けど、基本的に“時の封印”は精霊に関わる人間以外は使えないはずだよ。……リーナがどんな手を使ってここに潜り込んだか知らない限りは」
真剣な口調で言う沙織に、百合は小さくため息をつく。
「マジック共和国が今更ここに刺客を送り込んでくる理由はないわ。それに、そのリーナは解放戦争の前に……」
言いかけて、百合は言葉を止めた。
いくらかつての敵とはいえ、今は仲間である女の義妹を悪く言うことに戸惑いを感じたのかもしれない。
「とにかくしばらく様子を見る。それでいいわね?」
そう言って百合が視線を飛ばしたのは、沙織ではなく赤美。
魔燐学園の生徒とであるときは専ら仲間たちを仕切っている百合だけれど、こういう面での決定事項は必ず赤美に確認を取ることにしているらしい。
それは百合が、彼女をリーダーだと認めている証。
代々の決まりではなく器的に十分だと、そう考えて認めているということ。
静かに赤美が頷くと、がたんっと音を立てて沙織が立ち上がった。
「……監視してる」
それだけ言うと、周りが止めるのも聞かずに彼女は早足に部屋を出て行く。
ばたんっと勢いよく扉が閉じられた後、暫く時間が経ってから誰かが深いため息をついた。
「急に感情的になっちゃって、どうしたんだろうね?さおちゃん」
首に巻きついてくるポニーテールの先端を邪魔そうに払いながら、扉を見つめて実沙が呟くように言った。
ふと、その言葉に赤美が表情を変えたことに気づいて、鈴美は不思議そうに声をかける。
「どうかしました?赤美先輩」
「ん?……ちょっとね」
小さく笑ってそう返すと、赤美は再び険しい表情をして沙織が出ていった扉に視線を戻した。
何だろう?この妙な胸騒ぎ。
突然感じた奇妙な感覚。
以前にも感じた気のするおかしな感覚。
それが何かはわからなかったけれど、妙に気になって。
気になったけれど、どうしても沙織を追う気に離れなかった。
何故追う気に慣れなかったのかも、彼女にはさっぱりわからないままだったけれど。
「……あ」
思わず声に出してしまって、近くにいた少女が振り返ったときはどうしようかと思った。
火傷の後を隠すためらしい白い包帯を巻いた右手。
地毛だという茶色に近い黒い髪を、紀美子と同じくらいの長さで切り揃えた少女。
彼女が話題の編入生だ。
「こ、こんにちは。えーと……」
「……半田。半田英里だ」
冷たい声で、それでも名乗り直してくれた彼女の口調は、まるでアールのよう。
女であるというのに男口調で話す彼女に、クラスメイトは面白がって近づいてはいたけれど、この様子ではすぐに連中は飽きたらしい。
もしかしたら、少女の持つこの雰囲気が連中を退けてしまったのかも知れないが。
「そうそう。あたしは風上沙織」
仲良くしよう。
少なくともそうしているふりをしよう。
そう思って、不本意ながらも手を差し出した。
「よろし……」
「お前たち」
言いかけた言葉を、ぴしゃりとした声で遮られる。
表情を変えて目の前の少女を見やれば、彼女も険しい顔つきをしていた。
「お前たち……」
もう一度、今度は先ほどよりも心なしか低い声で少女が口を開く。
「インシングの人間だな?」
「……っ!?」
何も言っていないというのに、ばれた。
驚愕で沙織の表情が微かに崩れる。
「わからないと思ったのか?この世界に存在しないといわれる魔力をその腕輪に纏っていて」
沙織ははっと左腕にしていた腕輪に視線を落とす。
これは魔法の水晶を変化されたもの。
魔力の塊のようなものだ。
「……あんたは……」
「答える必要はない」
言いかけた問いが、再び遮られる。
「何ですってっ!」
「勘違いするな。私も素性は明かさない。代わりに、お前たちの素性も詮索しようとは思っていない」
きっぱりと言うと、少女はそのまま沙織から視線を外した。
「私はある人物を追ってこの異世界にきた。それだけだ」
それだけ告げると、少女は完全に沙織の方へ背を向ける。
ふと、顔だけ微かにこちらを向けて、冷たい口調で言い放った。
「私に関わるな」
告げられたのはそれだけ。
その言葉だけを残し、少女は廊下の向こうへ消えていった。
こちらを一度も振り返えらずに。