Chapter2 法国ジュエル
8:精霊神
体が浮いたような錯覚を覚えて、次の瞬間には足は床をしっかりと踏みしめた。
一瞬の出来事。
ほんの少しだけ体を電気に触れたような衝撃が襲ったけれど、それも本当に一瞬。
景色がぶれたかと思うと、次の瞬間、彼女たちは薄暗い場所に立っていた。
「着きました」
そう言って、彼女たちの中心にいたセレスが静かに目を開ける。
「ここが精霊神を祭った部屋?」
思ったよりも暗いことと予想以上に何もなかったことに驚いたのか、ルビーがぽかんとした表情で室内を見回す。
「そう。で、あれが精霊神を祭った像だ」
リーフが指したのは、部屋の真ん中に設置されている石像。
人と同じ大きさの女神像だった。
「祭られてるってのはわかるけど、どうやったら会えるわけ?」
石像に背を向けて、ルビーがリーフに問う。
しかし、その質問にリーフとミューズは被りを振る。
2人の反応に、ルビーは小さくため息をつく。
「肝心の会い方がわからないんじゃ、どうしようも……」
『心配はありませんよ。マジックシーフ』
唐突に聞こえた言葉に驚き、勢いよく振り返る。
女神像に光が宿っていた。
先ほどまでなかったはずの白い光。
その光が徐々に集まり、石像を覆い隠すように人の姿を象っていく。
石像が完全に光に呑まれ、代わりにそこに現れたのは若い女。
しかし、全身に光を纏ったその女が人間でないことくらい、誰の目にも明らかだった。
彼女たちはその光景に、思わず呆然と立ち尽くしてしまう。
『初めまして』
やがて、光が完全に石像に集まると、ようやく女は目を開き、告げた。
『我が名はマリエス。人々が、精霊神と呼ぶ者です』
微かに笑ったその女性は、薄っすらと透けているかのように見える。
おそらくそれは、彼女が実体でなく精神体であるから。
彼女の本体は別の場所にいて、精神だけをここへ飛ばしているのである。
『セレス=クリスタ』
「は、はいっ!?」
突然名を呼ばれ、思わずセレスは背筋を伸ばす。
その様子を見て、マリエスは微かに笑みを浮かべたけれど、そのことには誰も気がつかなかったようだ。
気がついたとしても、それを口にできるかどうか。
『私たちはあなたを待っていました』
言われた言葉の意味がわからず、セレスは首を傾げる。
「私を、ですか?」
『そうです。光の精霊神法のたった1人の継承者。その資格を持つあなたが来るのをずっと待っていました』
「精霊神法?」
無遠慮にもペリドットが聞き返す。
他の4人も疑問に思ったに違いない。
伝承に残されたミルザだけが使える呪文は“精霊魔法”のはずである。
しかし、今マリエスは、別の言葉を口にした。
精霊神法、と……。
『精霊魔法の正式な名前です。これは私たちが彼に与えた特殊なもの。だから人間たちの魔法とは違う……呼び方を区別しているのです』
やはり微笑んでマリエスが説明する。
その言葉にリーフがほんの一瞬だけ表情を変えるが、何故そうしたのか自分でも気づいていないのか、すぐに元に戻る。
「私しか、継承できないのですか?」
ふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。
確かにペリドットの属性は無だけれど、だからこそ彼女も継承できるのではないかと思えたからだ。
『精霊神法は使い手を選びます。ひとつの呪文が、たった1人の使い手を。5つのうち4つの呪文に選ばれたミルザは、特殊だったと言ってもいいでしょう』
「4つっ!?」
この言葉には、今まで黙っていた他の3人も声を上げる。
ただ、リーフだけはこのことを知っていたのか、あまり驚いてはいなかったけれど。
『そう、4つです。現在この世界に存在する精霊神法は5つ。そのうちひとつは、彼にはどうしても継承できないものだった』
それが何かは、マリエスは語ろうとはしない。
おそらくまだ時期ではないのだ。
もしくは自分たちにも必要ないものなのだろうと判断して、ルビーは一歩前に出る。
「マリエス様。私たちが見つけた魔法書には、その精霊神法の詠唱文は書いていませんでした。継承するとしても、どうしたらいいのかさっぱりわからないのですが」
その言葉にマリエスは浮かべていた笑みを消す。
『まず、これを』
そう言って差し出された手の中に光が溢れた。
光が収まると同時にその手の中に現れたのは、1枚の金属製のカードと古びた地図。
『これは精霊の洞窟の場所を示した地図と、その封印を説くための鍵です』
「鍵!?これがっ!?」
ルビーが驚きの声を上げる。
マリエスの手にある物はどう見てもただの金属製のカードだ。
確かにアースならば、これが鍵と言われても何の疑問も感じない。
しかし、ここは『カードーキー』と言うものなど、存在しないに等しい世界。
彼女が驚くのも無理はないだろう。
『そう。精霊の洞窟には結界が張ってあります。これを示さない限り洞窟の奥への道は現れず、そこはただのほら穴に過ぎません』
「でも、それを示せば奥への道が現れる。そういうことですね?」
ペリドットの問いに、マリエスは静かに頷く。
『ただし、洞窟の奥へと進める者は、ミルザの一族の者と彼と良い関わりのあった種族の者だけ』
「関わりのあった種族?」
『それ以外の者は洞窟の入口で弾かれ、奥へ進むことはできないでしょう』
やはりまだ時ではないというのか、投げかけられた質問を軽く流し、マリエスは言葉を続ける。
『光の精霊神法の呪文書は光の精霊の住む神殿に預けられているそうです。精霊に会い、彼女の出す試練を乗り越えた者だけが、その呪文書を浮け取ることができます』
「試練……」
呟いて息を呑んだのは、おそらくフェイト兄妹のみだろう。
精霊神と会わなければならないという時点で、3人はすでに予測していた。
伝説の呪文の継承が、そんなに楽ではないということを。
「マリエス様」
やがて、セレスが口を開いた。
部屋中に響く、はっきりとした声で。
「その洞窟の場所を教えてください」
『……巨大な力を持って、己の正義を貫く自身がありますか?』
突然の問いに、彼女たちは驚いたようにお互いの顔を見合わせる。
そんな質問が出るなど予想していなかったのだから、仕方がないといえば仕方がない。
「正義かどうかはわからないけれど」
誰より先に口を開いたのは、やはりセレスで。
「あの男を、復讐だといって仲間を連れ去り、道具のように扱っているあの男を、私は許すことなどできません」
許させない理由は、それだけではなかったけれど。
その言葉に、マリエスはやわらかい笑みを浮かべる。
それは、どこか安心したという笑み。
『あなたの考えは、いつまでもかわらないのですね』
「え?」
『いいでしょう。受け取りなさい。この地図に全ての洞窟の位置が示してあります』
そう言ってマリエスが手を動かすと、宙に浮いていた地図と鍵が降下を始めた。
ゆっくりと下りてきたそれは、セレスの前まで来るとぴたりと静止する。
恐る恐る手を差し出すと、地図と鍵を包んでいた光が消え、ぽとんと軽い音を立てて手の中に納まった。
『全てが終わったら光の精霊にそれを返してください。そうすればあなたたちが試練を追え、洞窟を出た後、結界は全て元に戻るでしょう』
「ありがとうございます!」
ようやく試練を受ける資格を与えられたことを実感したのか、セレスは弾かれたように礼を言う。
『あなたたちの行く末に、精霊たちの加護がありますように』
静かにそう告げると、マリエスの姿は光に溶け出す。
全ての光がなくなったとき、そこには元通り、1体の女神像が佇むだけの暗い空間へと戻っていた。
「無理を言って、すみませんでした」
エスクール城の入口で話をする者が5人。
入ったときと同じように結界を破って出てきた彼女たちは、定まった目的地へと向かうべく地上へと戻ってきていた。
「いや、いいよ。こっちも貴重な体験ができたし」
頭を下げるセレスに、リーフが笑って答える。
「親父に許可を求めてたりしたら、こんな体験できなかったかもしれないからな」
「兄様!!」
呆れたような、けれどしっかりと兄を戒める口調で、ミューズは彼の名を呼んだ。
呼ばれた本人は「別に減るものでもないのだからいいじゃないか」と軽くあしらっている。
「あんた……。最初の印象とだいぶ変わってきたわ」
「そういうお前もな」
呆れ口調でルビーが言うと、小さくため息をついてそう返す。
どうやらルビーは、リーフをもっとまじめな人間だと思い込んでいたらしい。
しかし、いざ故郷が平和になると、今までの重荷がいくらか軽くなったせいか、彼の元々の性格が次第に表へ出始めている。
それでも、やはりあの混乱の時代をスパイとして潜り抜けただけのことはあって、同世代の青年よりはよっぽどしっかりしてはいたけれど。
「あ、そうだ。ひとつ聞いていい?」
ふと、何か思い出したらしい。
ルビーがリーフに視線を向ける。
「確か、マジック共和国の王族を、あんたたちが匿ってるはずだよね?あいつら、何処に……」
言いかけて、言葉を止めた。
リーフとミューズが揃って、地面を示していることに気づいたからだ。
エスクールの地下。
城ではなく、街の。
それが帝国占領時代のレジスタンスアジトを示すものだということなど、あの戦いに関わった彼女たちならば説明せずともわかってしまう。
「国にはまだ、あの国を快く思っていない者も多いですから」
それだけ言って、ミューズは口を閉じた。
彼女自身もあの国を快く思っていない者の1人なのかもしれない。
「それじゃあ、私たちはこれで失礼します」
ルビーの疑問で悪くなってしまった雰囲気を戻すように、セレスが笑顔を浮かべて言った。
「長居しちゃってごめんね」
それに続くように、あははと笑ってペリドットが告げる。
インシングの時間とアースの時間の流れは違えど、最初にルーズに襲われた彼女は、相当長い間城に居座っていたらしい。
「いいえ。あなた方ならいつでも大歓迎です」
ミューズがにっこりと笑って言葉を返す。
「そんなこと言っちゃうと、本当にいつでも遊びに来ちゃうぞ」
「ええ、お待ちしてます」
「公務に差し支えない程度にしてくれ……」
何があったのか、乗り気の妹とは違ってリーフの表情は微かに暗い。
それに気づいてセレスが慌てて何度も謝っているが、ルビーには何のことなのかわからない。
尤も、もうそんなことを気にしている余裕など、彼女たちにはないけれど。
アースでは『怪奇事件』と騒がれている今回の騒ぎ。
おそらく現場で自分たちのアース人としての姿が目撃されている可能性も、なくはないだろう。
早めに戻って手を打たなければ、向こうに帰ることさえ難しくなるかもしれない。
そのためには夏休みが終わる前に戻らなければならない。
そしておそらく、そろそろ7月が終わる。
試練がどのくらいかかるかわからないのだ。
早めに目的地へたどり着かなければならないのは必至だった。
「じゃあ、行こうか」
ルビーの言葉に、セレスとペリドットはしっかりと頷く。
セレスはフェイト兄妹に向かってもう一度だけ一礼すると、先に歩き出した2人に追いつこうと、早足で歩き出す。
「セレスさんっ!」
突然背中にかかった声に、振り向いた。
視界に入ったのは、何かを言おうか言わまいか、戸惑った様子で立ち尽くしているリーフの姿。
「あ、あの……。がんばってください!僕らも、ここで応援してますからっ!」
真っ赤な顔で投げかけられた言葉に、心なしか心が温かくなった気がした。
「ありがとうございます!おふたりも、復興がんばってください!」
思い切り叫び返すと、小さく笑ってセレスは2人に背を向け、仲間を追う。
何故か暖かくなった心を抑えながら、機嫌の悪そうな顔でこちらを見ている姉と、何故かいつも以上ににこにこ笑いながら自分を見ているペリドットと共に門を出た。
「本当は『僕は』って言いたかったんじゃない?兄様」
客人の背中が見えなくなった頃、ぽつりとミューズが呟いた。
「!?ミューズっ!?」
何故わかったと言う表情でリーフは妹を見る。
「数日といえど、兄様の接し方を見ていればわかります。ペリドットさんとセレスさんへの対応、明らかに違いがありましたから」
敏感なペリドットはまだしも、セレス自身はそのことに気づいていなかったけれど。
「もし……」
ミューズの指摘に真っ赤になって固まっていたリーフだけれど、暫く間を置いてから、漸く小さな声で語り出す。
「ここの戦いが終わる終わらない関係なしでいい。もし次、あの人に会えたら……」
「がんばってください。応援します」
意外な言葉に、リーフはミューズを見た。
そんな兄の行動がおかしかったのか、ミューズはくすくすと笑う。
「国を取り戻すことで頭が一杯で、女性に目もくれなかった兄様が恋愛感情を持つようになられて、父様はずいぶん安心なさることでしょうね」
「ミューズっ!?」
「冗談よ。父様への報告は兄様自身でしてください」
くすっと悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、ミューズはそのまま城の中へと消えていく。
1人残されたリーフは無意識のうちに空を仰ぎ、祈っていた。
彼女とその仲間たちに、精霊の加護があるようにと。