Chapter2 法国ジュエル
3:来襲
京都の山で不思議な光が二度目撃された翌日。
北海道のとある街で、旅行シーズンだというのに奇跡的に宿が取れた沙織と百合は、テレビで報道されたニュースを見て呆然としていた。
「……っ!」
我に返るなり、突然沙織が立ち上がる。
「沙織!」
そのまま荷物を掴み、駆け出していこうとした彼女を、振り返りもせずに百合が呼んだ。
「何処に行くつもり?」
「決まってるでしょっ!!」
叫んで、ぎっと睨み返した。
わかっているはずなのに、敢えて聞いてくる彼女にいらいらしていたのかもしれない。
無意識のうちに、自分の中に複数の感情が生まれてくることを感じていた。
焦りと不安と。
そしておそらく、これは憎しみ。
「京都に行くっ!今なら、まだ……」
「これは生放送じゃないのよ。昨日の午前中の出来事だって言ったキャスターの話、聞いてなかったわけじゃないでしょう?」
静かな口調でそう言われて、沙織は押し黙る。
わかっている。
あれは昨日の午前中の出来事で、報道内容が事実であれば、たった5分で決着のついた戦い。
『怪奇事件』と騒がれるほどのものだ。
すでに警察が現場を調べていることはわかりきっている。
今更行っても、きっと何も見つけられない。
そんなことはわかっているけれど。
「遺体とかは、1つも見つからなかったみたいね」
ぽつりと、テレビから目を逸らさずに百合が続ける。
それを聞いて、沙織ははっと顔を上げた。
「ってことは……」
「ペリートとベリーのことだから、うまく逃げてるでしょう」
あっさりと結論付ける百合のに微かな不満を抱きつつも、沙織はほっと安堵の息をついた。
その口調とは裏腹に焦る百合の心には、気づかないままで。
「まあ、とにかく」
自身の不安を打ち消すかのように、ため息をついて小さく呟く。
「もう1組と合流する必要だけはありそうね」
振り返って言った言葉に、沙織が表情を変えた。
そして、小さく頷いて荷物を開ける。
連絡を取るために通信機を探しているのだ。
1人ひとつずつ、持って別れた通信機を。
「あった」
手に当たった小さな機械を取り出すと、沙織は迷わずそれのスイッチを入れる。
百合が持っているものとアンテナの先だけ色の違うそれを耳に当てて彼女を見ると、小さく頷いてボタンを押した。
操作方法は簡単で、話をしたい相手のアンテナと同じ色のボタンを押すだけだ。
そうすれば、そのまま呼び出し音が響くようになっている。
『はい、こちら紀美です』
ぷつっと小さな音がした後、通信機の向こうからノイズに混じった声が聞こえてきた。
それでわかることを知っているから、あえて最後まで名を告げずにいつも呼ばれている名で出たのだろう。
相手の声が小さく震えていることに、沙織は気づいてしまった。
「こちら風上。紀美ちゃん、平気?」
『沙織先輩!?』
『それはこっちのセリフ。あんたこそ、妙な考え起こしたりしなかったでしょうね?』
突然相手の声が変わった。
おそらく紀美子の小さな叫びを聞いて、側にいた人物が通信機を奪い取ったのだ。
「私がそんなことを許すと思う?美青」
いつのまにか近くに来ていた百合が、通信機に向かって呆れたように言った。
『百合!?……そうだね。あんたがいるんじゃ大丈夫か』
妙に納得したという感じの言葉が向こうから返ってくる。
そんな会話に不満を抱きつつも、小さくため息をついて沙織は口を開いた。
「ニュース見た?」
紀美子にした質問から、連絡した理由はわかっていたのだろう。
小さなため息が聞こえ、次いで「見た」と一言、言葉が返ってきた。
『5分くらいだったってね。向こうは相当強いってこと?』
「そうなるでしょうね」
表情を変えて百合が答える。
音量を上げて耳から離しているから、彼女にも向こうの言葉が聞こえているのだ。
相手側はそんなことはできない場所にいるらしく、言葉を返してくるのは美青だけだった。
「とにかく、相手の力量がわかった以上、ばらばらに行動する必要はないわ。合流したいの。あんたたち、何処にいる?」
『え……』
ふと、返答が途絶える。
不思議に思って耳を澄ますと、通信機から微かな会話が聞こえてきた。
ノイズに紛れて、何を言っているかはほとんどわからなかったけれど。
『今何処にいる?あたしたちは、福島だけど』
暫くして、漸く返事が帰ってきた。
「北海道。じゃあ落ち合うのは青森辺りで……」
『待ってくださいっ!』
今まで話に入ってこなかった紀美子の声が通信機から響いた。
どうやら美青と交代したらしく、彼女の声はもう通信機からは聞こえてこない。
『その、今は合流できないんです』
「合流できない?どうして?」
『それは……』
『赤美がいない』
再び通信機の向こうの人物が変わる。
『こっちは今2人。あたしたちは、あいつを探しに南にいこうと思ってたとこだから』
言いにくそうだった紀美子の手から、通信機を奪ったらしい美青が続けた。
「ちょ、ちょっと待ってっ!」
動揺した様子で百合が沙織から通信機を奪う。
「赤美がいないって、どういうこと?」
震えた口調で問われた言葉に、相手は一瞬言葉を切った。
『言葉通り。あたしたち2人と赤美は別行動だよ。最初から、ね』
告げられた言葉に、2人は顔を見合わせた。
「ちょ……っ、そんな話、聞いてないわよっ!」
『当たり前でしょ?言ってなかったんだから』
慌てて言い返す百合に、あっさり美青が返す。
同時に今まで押し殺していた感情が一気に表情に表れた。
沙織の心に必要以上に不安を与えまいと努力して築いた仮面が、音を立てて崩れていくような気がする。
それがわかっていたけれど、予想もしていなかった事態に、やはり動揺を隠し切れなくて。
ああ、自分も心は弱い方かも、などと冷静に自分を見てしまった分、まだ平常心は残っているのかもしれない。
『あたしたちに文句言われても困るよ。あの日、紀美が起きたときには、赤美は1人で出ちゃった後だったし、それ以降ずっと電源落としてくれてるみたいで、連絡まったくつかないしね』
小さくため息をついて、美青はこちらの様子には全くかまわずに続ける。
『だから……』
こちらが答えずにいると、ふと、トーンを落とした声が聞こえてきた。
『合流は少しだけ待って。絶対、あいつも連れてくから』
「……わかった」
「百合っ!?」
躊躇わずに返事を返した彼女に、沙織が驚いたような視線を向ける。
「ただし、期限は5日よ。あの子が見つからなくても、5日経ったら福島の……。そうね。郡山あたりまで戻ってくること」
『……やれやれ。そんなの勝手に決めると、また赤美が“リーダーはあたしだ”って怒るよ?』
微かな笑い声と共に聞こえてくる言葉に、百合は口元を綻ばせた。
「文句あるなら勝手に消えるなって伝えてちょうだい」
『了解。じゃ、また5日後』
その言葉と同時に、通信機からぷつっという音が響いた。
向こう側が通信を切ったのだ。
それを確認してスイッチを切ると、百合は黙って通信機を沙織に返した。
「それで、これからどうするの?」
簡単に荷物を纏めてしまった沙織が、まだ自分の荷物を整理している百合に尋ねる。
「本州に帰るわ。このままここで5日間過ごすわけにはいかないし」
ぎりぎりまで粘って本州に渡れなくなりでもしたら、それこそ問題だ。
向こうにあれだけ強調したというのに、自分たちが遅れてしまっては示しがつかない。
「そっか。また交通手段確保しないといけないわけね」
ここまでの道のりを思い出して、沙織は小さくため息をついた。
ふと、部屋に響いた扉を叩くに、2人とも手を止める。
「お客様、ちょっとよろしいでしょうか?」
扉の向こうから聞こえた声に、顔を見合わせた。
この話し方からすると、おそらく声の主は宿の従業員だ。
「何でしょう?」
百合がチェーンをかけたまま扉を開いて、外を伺う。
外に立っていたのは、見るからに優しそうな中年の女だった。
「お客様に伝言があるのですが、中に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」
丁寧に聞く女に、百合は困ったように沙織を振り返った。
気づけば、その時には既に彼女は閉じられていた窓を全開にしていて、腕にはしっかりと“魔法の水晶”を変形させた腕輪をつけている。
先ほどまでテーブルの上に置いたままで、外していた腕輪を。
百合の方は最初から水晶を変化させた指輪を身につけていたから、いざという時にすぐに逃げ出せない心配はない。
沙織が頷いたのを見ると、百合は小さくため息をついて一度扉を閉めた。
チェーンを外すと、僅かな間を置いてから覚悟したように扉を開ける。
「どうぞ」
「失礼いたします」
女が部屋に入ったのを見届けると、そのまま早足で沙織の側まで戻り、腰を下ろした。
沙織は窓の枠に腰掛けて、外から入り込む風を受けている。
「それで、伝言って何ですか?」
礼儀正しく正座して、百合が静かに女に尋ねる。
当の女は沙織が気になるのか、口を開こうとはせずに、ちらちらと窓の枠に座りっぱなしの彼女を見た。
目を閉じている彼女の顔は、風に吹かれた髪によって覆われてしまっていて、女の方からは全くと言っていいほど見えない。
「伝言って、何ですか?」
もう一度、今度は強い口調で尋ねた。
尚も自分を見ようとしない沙織に小さくため息をついて、女はまっすぐに百合を見た。
「はい。昨日の事件はご存知でしょうか?」
「昨日って、あの京都で起こった怪奇事件?」
初めて口を開いた沙織に驚きながらも、女は何故か考え込むような仕種をした。
それから顔を上げて、小さく「はい」と返事をする。
「あれが何か?」
そんな女の様子に僅かに眉を寄せながらも、平静を装ったままの百合が静かに聞き返す。
「あの事件を起こしたと名乗る方から伝言を預かりまして」
ぴくっと沙織が表情を変えた。
百合も気づかれない程度に目を細める。
「伝言?私たちに?」
「ええ。もしあなた方が仲間だったら、伝えてほしいと」
「ふーん」
興味のない様子を装って、沙織は座ったまま足を組んだ。
普段からスカートなど穿かない彼女だ。
ちょっとくらい行儀の悪い座り方をしても、あまり問題はなかった。
「それで?その内容は?」
「はい。ええっと」
女は慌てた様子で、ずっと手に握っていたのだろうくしゃくしゃになった紙を取り出す。
一瞬だけ見えてしまったその紙に記されたものを、2人は見逃さなかった。
「次の1の日までに本拠地に戻ってきてほしい、だそうです」
女が告げた言葉に2人とも、今度ははっきりとわかるほど目を細める。
彼女が伝えてくれた伝言。
そのどこがおかしいのか、一度聞いてしまえばはっきり理解できた。
「そうですか」
小さくため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、お礼をしないといけませんね」
百合が静かに言ったのと同時に、窓に座っていた沙織も立ち上がった。
「?お客様?」
女は突然立ち上がった2人を不思議そうに見上げる。
ふと、突然首筋に感じた冷たい感触に、視線を動かした。
視界に入った銀色の刃に、思わず目を大きく見開く。
しかし、普通の人間ならば確実に現れるだろう恐怖の感情が、女の表情に出ることはなかった。
刃を見つめた瞳を静かに動かすと、その先には、先ほどまで何も持っていなかったはずの沙織が立っていた。
その左腕にあったはずの腕輪が、跡形もなく消えている。
「お、お客様、一体これは……」
「もうやめれば?最初っからバレバレなんだよ。あんたの芝居」
きっぱりと言われた言葉に、女は思わず押し黙る。
「一体何の……?」
「その1、日付の言い方が向こうとこっちでは微妙に違う」
沙織がその言葉を口にした途端、女の目が僅かに見開かれる。
「その2、この世界、この国の人間は、絶対にそんな着物の着方をしない!」
その言葉に、女は自身の胸元に視線を落とす。
それでも女は首を傾げるだけで、何も疑問は感じていないようだった。
「この国には妙な決まりがあってね。あんたの着方は、簡単に言ってしまえば死に装束。生きている人間は絶対しない着方なのよ」
はっきりと告げられた事実に、女は再び表情を変えた。
「極めつけは、その手に持った紙だね」
さらに剣を首筋に近づけて、沙織が続ける。
ちらっと視線を向けると、百合は小さく頷き、彼女の言葉を引き取った。
「どうしてこの世界じゃ存在もしないはずの異世界の古代語を、あなたが読めるのかしら?」
その言葉に、女は完全に下を向いて動きを止めた。
しばしの間、沈黙が室内を包む。
やがて、部屋には聞いたことのない男の声が響き渡り始めた。
低くて重い笑い声が。
「……っ!?こいつ、男っ!?」
その声が女から発せられることに気づくと、沙織は思わず剣を手元に引いてしまった。
その隙に目の前の女――いや、男は着物を無造作に脱ぎ捨て、後ろへと飛ぶ。
しっかりと床に足をつけ、顔を上げた男は、先ほどの中年女とは比べ物にならないほど若く、美しい顔立ちの青年だった。
その胸には7つの水晶が嵌め込まれたペンダントが下がっている。
その中のたったひとつだけが、紫色に染まっていた。
「よく私の正体を見破ったな。褒めてやるぞ、ミルザの子孫」
驚いた様子で自分を見ている2人を、見下すように男が睨む。
「あんたが、法王ルーズ……!?」
「いかにも」
くくっと小さく笑って返された言葉に、百合は小さく息を呑む。
「イセリヤと繋がりがあったって話からこっちのことはバレてると思ったけど、まさかこんなにあっさり見つかるなんて……」
「先ほどこの場所から溢れた怒り。その感情に魔力が宿っていたのでな。あの2人よりは断定しやすかったぞ」
呟いた言葉に、得意そうな嫌味が返ってくる。
奴にこの場所がばれたのは、先ほど先走りそうになった自分のせい。
それを知った沙織は悔しそうに唇を噛んだが、すぐにはっと吐き捨てるように言葉を漏らし、顔を上げる。
「それにしても知らなかったね。まさか伝説の法国の王様が変態だったなんて」
わざと声を張り上げていった。
「……は?」
「な……っ!?」
突然の言葉に百合はきょとんとして彼女を見、ルーズは思い切り表情を崩した。
「だってそうでしょう?女の格好するなんてさ」
「何だと……」
あっさり言い捨てる彼女に、ルーズの表情がますます崩れる。
「貴様……。私を侮辱して、ただで済むと思うなよっ!」
「そっちこそっ!あたしたちがただでやられると思わない方がいいよっ!」
そう叫び返したのと同時に、いつの間にか腕輪に戻していた水晶を左腕ごと勢いよく突き出した。
口の中で素早く詠唱を完成させる。
最後の言葉が吐かれるのと同時に、沙織の腕輪がルーズの目の前で強い光を放った。
「……っ!?何っ!?」
突然の光に目を焼かれそうになり、ルーズは思わず腕で顔を覆い隠す。
「ミスリルっ!?」
何が起こったかわからずにいる百合の背に声がかかった。
振り返れば、先ほどまで隣にいたはずの沙織が――否、レミアが窓辺に足をかけ、こちらに向かって手を伸ばしている。
「何してんのっ!ここ出るよっ!」
その言葉の意図に気づいて、百合は指輪を嵌めた手を素早く、未だ光で視界がはっきりしないらしいルーズに向けた。
そして、同じように呪文を詠唱し、完成させる。
同時に指輪からレミアのものとは違う、それでも強い光が放たれた。
連続で襲うその光に、ルーズは再び開きかけていた目を再び覆い隠す。
その光の中で姿を変えた百合――ミスリルは迷わずルーズに背を向け、窓辺のレミアの手を取った。
あの光――“時の封印”を解く時に発する光は、時として目眩ましの道具になる。
その性質を利用して、2人は外へと逃れたのだ。
部屋の中では、思い切り戦えないことがわかっていたから。
ミスリルの手を掴んだことを確認すると、この場所が地上6階であるにもかかわらず、レミアは思い切り壁を蹴った。
それに引かれるようにして、ミスリルの体も宙へと飛び出す。
辺りには木があるわけでもなく、あるのはコンクリートと堅い車のみ。
普通ならば絶対に助かることのない高さだった。
そう、普通なら。
「風よっ!!」
落下しながらも、レミア空いている左腕を地面に向かって勢いよく振った。
同時に、地面からぶわっと風が巻き起こる。
巻き起こった風は2人を包むと、その落下速度を急激に落とした。
2人は無傷のまま、しっかりと地面に足をつけた。
「……っはぁ、びっくりした」
大きく息を吐き出して、ミスリルはその場に座り込みそうになる。
レミアの力を信じていないわけではないけれど、やはり高いところから飛び降りるという行為は怖いのだ。
「安心してる場合じゃないでしょ!行くよっ!」
手を離し、走り出すレミアの声に、ミスリルははっと今自分たちが飛び出してきた窓を見る。
まだ目がはっきりしないのか、その窓にルーズが姿を現す様子はない。
その事実に何処か疑問を感じながらも、ミスリルは先に行ってしまったレミアを追ってその場を後にした。