SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter1 帝国ダークマジック

7:吸血鬼

「ごめんなさい」
突然の言葉に、その場にいた5人は思わず唖然として動きを止めた。
特に理由もなく紀美子が突然謝ったのだ。
すぐに理解できるという方が不思議である。
「何が?」
リーナの騒ぎの直後、すぐに理事部入りした実沙が不思議そうに聞き返す。
「私……」
言いにくそうに視線を彷徨わせてから、そのまま紀美子は俯いた。
「リーナの時、全部任されていたのに……」
「赤美っ!?」
紀美子が全て言い終わらないうちに百合の怒鳴り声が響いた。
「な、何?」
「あんた、あれだけ言ったのに……!」
「あ、あたしじゃないよっ!!」
言葉の意味を理解して慌てて首を横に振る。
あの後、紀美子が目を覚ます前に決めたのだ。
今回のことは、彼女には全てを話さないようにしようと。
絶対に傷ついて、自分を責めるから。
「あんたしかいないでしょっ!口が軽すぎるわよ!」
「だから違……」
「姉さんと言えばそうですけど、姉さんじゃありません」
きっぱりと発せられた否定のようでそうでない言葉に、全員が紀美子に視線を向ける。
「ど、どういうこと?」
後輩の言葉の意味が理解できずに静まり返る中、いち早くそこから抜け出した沙織が不思議そうに聞き返した。
「……聞いたのは姉さんと、美青先輩からです」
「え?」
「あたしっ!?」
赤美が僅かに目を見開き、自分の名が出たことに驚いた美青は滅多に出さないほど大きな声を上げる。
身に覚えがなかった。
確かに、寮で部屋が隣同士であるから一緒に帰るということはあるが、そのことを口にした覚えはあれから一度もなかったというのに。
「姉さんと美青先輩の話を、聞いてしまったんです」
はっと目を見開いて、赤美と美青が顔を見合わせる。
「あの時!?」
「あんた、あの時聞いてたの……?」
「ごめんなさい」
俯いたまま紀美子が謝る。
「あの時って、何?」
鋭い瞳で百合が睨んでくる。
このまま嘘をついたりすれば、毒殺されそうな眼差しだった。
「昨日の夜、美青の部屋の玄関先であの時のこと、話してたんだけど」
「特にに物音も聞こえなかったもんだから、まさか紀美ちゃんが聞いてたなんて……」
全てを言い終わらないうちに、気まずくなったのか2人は口を閉じてしまった。
誰も口を開くことなく、室内がしんと静まり返る。
「本当に、すみません」
再び沈黙を破ったのは、紀美子が口にした謝罪の言葉だった。
「しかも私、実沙先輩以外の皆さんのこと、あいつに……」
途中で言葉を切って、紀美子は両手で顔を覆ってしまった。
声が震えて、言葉にできない。
ただ心にあるのは、仲間の正体をばらしてしまったという罪悪感。
「あーっ!もうっ!」
ばしんっと実沙が思い切り紀美子の背中を叩いた。
驚いて反射的に顔を上げ、自分を叩いた先輩を見上げる。
「いっつまでもメソメソ気にするもんじゃないよ。あれは紀美ちゃんのせいじゃないんだから」
いつもの表情――理事部に入ってからよく見せる笑顔で、実沙が言った。
「みんなも!隠し事っていつかはバレるもんでしょ!それとも隠し通せると思ってたわけ?」
そう言う彼女の口ぶりは、まるで自分はそう思っていなかったと言わんばかりのものだった。
「それに誰かが悪いって決めつけるなら、赤美、あんただっ!」
「そうだよ……って、ちょっと待てっ!何であたしっ!?」
びしっと人差し指を突きつけて言う実沙に、一瞬同意しかけたものの、慌てて赤美は反論した。
「だってそうじゃん。赤美がしっかりしないから、紀美ちゃんが余計に責任感じるような性格になっちゃったんでしょ?大方、家事とか全部押し付けてたんじゃない?」
「う゛……。い、今はそんなこと関係ないでしょうが!」
「ところがどっこい、あるんだな~。こういうときこそお姉ちゃんならしっかりして、励ましてあげるもんじゃん。それができないんじゃダメダメだね~」
「うるさーいっ!ってかそれ意味わからんわっ!絶対今は関係ないっ!!」
完全に怒っているらしく、赤美が実沙に向かって怒鳴り散らす。
何処でそんな戦法を身につけたのか、変わらぬ口調で実沙は平然と言い返していた。
「でもわかるなぁ。実沙の言いたいこと」
ぽつりと美青が呟いた。
「わかるって?」
「あたしさ、外国に姉兄いるじゃない?でその姉兄もね。姉さんはともかく兄さんたちは頼りにならなくて」
語りながらふうっと大きなため息をつく。
「そういえば、お兄さんたちに愛想が尽きて、こっちの親戚頼って出てきたんだっけ?」
「そう!もうあんな家、二度と戻りたくないね!」
仕送りをしてくれる姉兄に向かって酷い言い様だが、それだけ当時の美青にとって、兄たちの行動は腹が立つものだったのだろう。
「とにかく紀美ちゃん」
沙織に呼ばれ、呆然と姉と実沙の言い合いを見ていた紀美子が慌てて振り向く。
「あたしらはこの通り気にしてないんだし。だから紀美ちゃんも気にすることないって」
「でも……」
「それでも納得いかないんならさ」
赤美の怒鳴り声を無視して、実沙が後ろから紀美子に声をかけた。
「次で挽回すればいいじゃん。ね?」
「実沙先輩……」
「名誉挽回!汚名返上!それでプラスマイナスゼロだよ♪」
にっこりと実沙が笑う。
その顔につられ、思わず紀美子も微かに笑った。
「あ、ようやく笑った!」
「え?……ええ。ありがとうございます、先輩」
「いいのいいの。かっわいい後輩だしね」
「はいはい」
ぱんぱんと百合が手を叩く。
当然、まだ喚き散らしている赤美は完全に無視して。
「これについての議論はおしまい。さっさと仕事に戻ってちょうだい」
理事部の仕事。それは百合に回ってくる書類の整理などを手伝うこと。
最近では中等部の生徒会の活動に近いことまでやり始めていた。
「自分から言い出したくせに」
「何か言った?実沙」
「いえ、なーんにも」
睨む百合の言葉をあっさりと流し、実沙は与えられた書類を手に取った。
「あ、そうそう。その書類急ぎのやつだから。今日中に終わらなかったら泊まりこんで徹夜で手伝ってもらうわよ」
突然の百合の一言に、あれだけ騒がしかった室内が一瞬しんと静まり返る。
「え、えええええええええええええっ!???」
その沈黙を破って最初に声をあげたのは、未だ1人で怒鳴り続けていた赤美だった。



結局仕事は終わらず、6人は本当に学園に泊り込んだ。
書類は予想以上に多く、全て書き終わって整理をするまでに明け方近くまでかかってしまったのだ。
もっとも、そこまで時間がかかった原因の半分に赤美が絡んでいるのだが。

遠くで鐘の音が聞こえる。
「ん……」
制服のままソファに横になっていた百合が目を覚まし、もそもそと起き上がった。
「朝……」
ぼうっとしたまま扉の上にかかっている時計に目を止める。
短針は8時と9時の間、長針は6を指していた。
「え……?8時半っ!?」
それはこの学校でホームルームが開始される時間だったはずだ。
「う、嘘っ!?ちょっと!みんな起きてっ!!」
理事長室の床には赤美、美青、沙織の3人が昨晩中等部の部活動用の合宿棟から運んできた布団がいくつか敷かれていた。
その上で寝ている実沙を含めた4人と向かいのソファで寝ている紀美子を慌てて起こす。
「ん~……、もうちょっと……」
全員が慌てて身支度を整える中、赤美だけがいつまでも布団から出ようと寝せずに寝返りを打つ。
「姉さん!何寝ぼけてるの!もう8時半過ぎてるのよ!」
「うう……って、ええっ!?」
さすが妹というべきか、紀美子の一声で赤美はがばっと起き上がった。
「うわ!髪ぐちゃぐちゃ!」
「それはみんな一緒!直してる時間はないわ!走るよ!」
ばたんっと勢いよく百合が理事長室の扉を開ける。
全員が出たのを確認してから、律儀にもしっかりと扉を閉めた。

このときの彼女たちは知る由もない。
この寝坊と遅刻が、ある意味で幸運なものだったということを。



「すみません!理事部の仕事で遅れました!」
そう大声で言いながら、紀美子は慌てて教室に飛び込んだ。
その瞬間、背中を悪寒が走り抜ける感覚を受けて、足を止める。
何の感覚だろうと辺りを見回すけれど、視界に入るのはいつもの教室の風景だけ。
確かにリーナのときの微かな魔力とは違う違和感を感じるのに、違うと思うところは何もない。
「金剛」
声をかけられ、はっとして顔を上げる。
「どうした?」
「い、いえ。何でもありません」
「そうか……。なら座りなさい。事情は理事長から聞いているから」
「はい。すみません」
素直にそう謝ってから席に着く。
それでも、一度感じた違和感は消えなかった。
むしろ教室の中に入ったことで、先ほどより強くそれを感じる。
何かが、おかしい。
「紀美ちゃん紀美ちゃん」
とんとんと肩を叩かれ、紀美子は肩越しに後ろを振り返った。
「鈴ちゃん、何?」
「おはよう」
思わず肩をがくっと落として、そのまま椅子から落ちそうになる。
いくら遅刻してきたからといって、ホームルーム中にそれを伝えるためだけに呼んだのだと言うのだろうか、この子は。
呆れてそれを口に出そうとしたときだった。
突然今まで感じなかった強い悪寒が背中を走り抜けた。
驚いて、思わず勢いよく振り返る。
視界に入ったのは、突然の彼女の動きに驚いて思わず動きを止めた鈴美だった。
「金剛?どうした?」
教壇から声をかけられ、はっと紀美子は我に返った。
「いえ、何でもありません。すみませんでした」
素直に謝って、再び前を向く。
そっと、自分の肩に手を触れる。
先ほどの感覚。
それは確かにここから来たものだと、自分の魔力が伝えている。
間違いない。
さっきの感覚、あれは沙織が百合に対して感じたものと同じものだ。

ホームルームが終わって担任が出て行くと、すぐに紀美子は後ろを振り返った。
「鈴ちゃん、おはよう」
先手を打ってか、先ほどのことは気にする様子も見せず、彼女は鈴子に笑いかける。
「お、おはよう」
流されるまま鈴美ももう一度挨拶を返した。
「さっきはごめんね。驚いたでしょ?」
「う、うん。どうかしたの?」
「気にしないで。ただの静電気だから」
にっこりと笑ってさらりと笑顔で相手の問いかけを流す。
そんな態度が時々赤美に似ていると部活の先輩たちに言われていることを、紀美子は知らない。
「静電気?」
「そう。静電気」
不思議に思って聞き返された言葉も、紀美子はさらりと流した。
「ところでさっき、何か用だったの?」
いつも通りの口調で問いかける。
おそらく鈴美は、紀美子が自分を警戒しているなど思いもしないだろう。
「うん、あのね……」
そっと、鈴美が紀美子に顔を近づけた。
「何か、教室中が変な気がするんだけど。突然いなくなっちゃった巻啼さんがいた時みたいに」
一瞬、紀美子の表情が変わった。

この子、やっぱり……。

紀美子でさえ微かに感じるだけの違和感に鈴美は気づいた。
そして、リーナの存在を覚えていた。
あの直後、ペリドットが特殊な呪文を使って『魔力を持たない人間』から関連する一切の記憶を完全に奪い去ってしまったはずのリーナのことを。
間違いない。この少女――荒谷鈴美は確実に魔力を持っている。
それも、紀美子が悪寒を感じる属性の魔力を。
「……確かに、何か変な感じするよね」
瞳に冷たい光を宿らせて、それでもいつもと変わらぬ口調で紀美子は頷いた。
辺りを視線だけで見回す。
それでようやく教室を入った途端に感じた違和感の正体に――目に見える部分のところだけだが――気づいた。
カーテンが、それも滅多に触られることのない暗幕が引かれていた。
いつもなら騒がしくなる休み時間だというのに誰も、ただの1人も席を立とうとしない。
「どうりで暗いと思ったら……」
「ああ、あれ」
紀美子の視線の先にあるものに気づいたらしく、鈴美も視線をそちらに動かす。
「私が来たときにはもう閉まってたの。開けようとしたら先生まで怒るし、何でかな?」
口元に手を当てて鈴美は首を傾げた。
「暗幕……。日の光を、遮る物……」
そういえば、ここに来る途中の廊下も暗かった気がする。
中等部の校舎の廊下の窓は日陰側に面していて、そこからは日の光が入ってこないのだ。
「でも大丈夫かな?」
突然、鈴美が呟いた。
「何が?」
「みんな。先生もそうだったんだけど、何か、顔青くない?」
「顔が、青い……?」
言われて、紀美子はクラスメイトの顔を見た。
そういえば、電気の光だけで気づきにくかったが、確かに周りの友人たちの顔は青い。
ふいに、紀美子の脳裏に昨日のある光景が蘇った。

「媚薬よ」
「媚薬、ですか?」
手にしていた資料を脇に置きながら告げられた百合の言葉に、紀美子は首を傾げた。
「そう。吸血鬼族が自分の“餌”を捕らえやすくするために使う薬。あの女はそれを持っていた」
そう言われて、ふと捕まったときのことを思い出す。
「そういえばあの時、顔に何かかけられました」
「たぶんそのせいね」
「でも、魔族の薬を奴らが手に入れるなんて、できるの?」
不機嫌な表情のまま赤美が尋ねる。
「忘れた?イセリヤは魔族だよ。帝国の中に吸血鬼がいても不思議ないって」
彼女の問いに答えた実沙は、確かにそう言っていた。
帝国に吸血鬼がいても、不思議なことなどないのだと。

「じゃあ、今は……」
「紀美ちゃん、先生来たよ」
鈴美に声をかけられ、紀美子は前を振り返る。
いつのまにかチャイムが鳴っていたらしい。
この授業の担当教師が教壇の上に立っていた。
しかし、紀美子はそのまま席に着いてしまうようなことはしなかった。
気づいてしまったからにはここにはいられない。
この原因を突き止めなくてはならない。

それでも納得いかないんならさ、次で挽回すればいいじゃん。

頭に浮かぶのは、昨日明るい笑顔で告げられた実沙の言葉。
仲間は全員上の学年の生徒で、今はここには自分1人しかいない。
もしここで何もせずに、リーナのときの二の舞になってしまったら。
そんな不安もあったから、決めた。
「先生」
立ったまま紀美子は手を挙げた。
「どうしました?金剛さん?」
「ちょっと具合が悪くて。保健室に行ってもいいですか?」
机に両手をついて、具合の悪そうな口調で尋ねる。
「……我慢しなさい」
「熱があるのかもしれないんですけど」
「我慢しなさい」
「倒れたら先生が責任とって下さるんですか?」
何を言われても言い返した。
何とかして、ここから出なければならない。
「……金剛さん」
しばらくのやり取りの後、突然教師が口調を変えた。
「そういえばあなたは洗礼を受けていなかったわね」
そう言って、教師は懐から何かの液体が入った小瓶を取り出した。
「だから体調が悪くなったんだ。今、私が直してあげましょう」
言葉と同時に信じられないことが起こった。
教師の体の色が変化したのだ。
目にも明らかなほどの青い色に。
「せ、先生っ!?」
驚いて鈴美が声をあげる。
「あら……?何故驚くの?荒谷さん。あなたも洗礼を受けたのならば、そんな反応しないはずよ?ねえ?みなさん」
光の宿っていない目で、教師が教室全体に響き渡る声で問いかける。
その言葉と同時に生徒が全員、一斉に立ち上がった。
その肌は、すでに教師と同じように青く変色してしまっている。
「……やっぱり」
「さあ、あの方のためにその2人に洗礼を。全員でその者たちを捕まえろっ!!」
一斉に生徒が動いた。
「鈴ちゃん!そのままにしてて!」
叫ぶと同時に、紀美子は隣の男子生徒の椅子を掴んだ。
そのまま襲いかかってくる生徒を振り払おうとそれを振り回す。
こういうことは慣れてはいなかったが、何とか鈴美に当てることなく周りの生徒を薙ぎ払った。
「鈴ちゃん!」
椅子をクラスメイトに投げつけて、紀美子は後ろを振り返った。
鈴美はがたがたと震えていた。
顔を真っ青にして、一言も言葉を発することができない状態で。
このままではまずい。
そう判断して身を翻すと、座ったままの鈴美の腕を掴んだ。
「きゃああっ!?」
思わず鈴美が叫ぶ。
紀美子の腕を振り払おうと、無我夢中で腕を思い切り振った。
「鈴ちゃん!鈴ちゃんってば!」
「いやああっ!来ないでっ!!」
思いも寄らない力に、思わず掴んでいた腕を離してしまう。

忘れてた。この子、こういうの全然駄目だったんだ。

舌打ちをして、きっとクラスメイトを睨む。
先ほど投げつけた椅子で怯んでいた彼らは、もう態勢を立て直してしまっていた。
あの様子では、いつ襲ってくるかわからない。
「仕方ない……」
呟くと、紀美子は何処からともなくあの杖を取り出した。
覚醒してから今までの経験で気づいた。
これを通してならこのままでも呪文が使えるということに。
ただし、使えるものは低レベルのものに限られてしまうが。
「光の精霊よ」
目を閉じて息を大きく吸い込む。
「我が姿は仮のもの。真なる姿はインシングに住まいし者。今ここに、この秘宝を通し、我に汝の力を貸し与えん」
ロッドの先端に取り付けられた水晶球が光り出す。
それを通して確かに手に魔力を感じた。
「光よ!その力を持って、我が姿を消し去らん!」
水晶球が強い光を放った。
それは瞬く間に教室中を白い世界へと変える。
たった一瞬、けれどもその一瞬の強い光が、その場にいた紀美子以外の全員の視力を少しの間奪った。
強い光に目がくらんでしまえば、誰も行動することなどできない。
紀美子が庇うように立っていた分、目に入った光の量が少なかった鈴美も、それは変わらなかった。
「鈴ちゃん!来てっ!」
「紀美ちゃ……きゃあっ!?」
動けないでいる鈴美の腕を掴んで無理矢理立たせると、紀美子はそのまま教室の扉を乱暴に開け、廊下に走り出た。
「紀美ちゃん?ねえ、さっきの、さっきの何?」
走りながらも、まだ視界がはっきりしないらしく、目を擦りながら鈴美が問いかける。
けれど、今はこれに答えられる余裕などなかった。
「黙ってついてきて!あそこに行けば安全なはずだから」
それだけ言うと、紀美子はできるだけ走るスピードを上げた。



中央管理棟にある理事長室。
まだ今朝の名残が残っているこの場所に、紀美子と鈴美は駆け込んだ。
「ごめんね鈴ちゃん。大丈夫?」
「うん、平気」
ようやく視界がはっきりしてきたらしい。
しっかりと紀美子の顔を見て、鈴美は頷いた。
「あの、紀美ちゃん」
窓の近くで何かを確認している紀美子に、鈴美は控えめに声をかける。
「さっきの光、何だったの?」
ふと、紀美子は動きを止めた。
聞かれるとは思っていたけれど、答えることは出来なくて、口を噤んだ。
今、この子に本当のことを話してしまってよいのか、わからなかったから。

「あれは魔法ですよ。そのお嬢さんが使ったね」

自分たち以外誰もいないはずの室内に突然響いた声に、目を見開いて振り返る。
鈴美も驚き、言葉を失ったまま恐る恐る視線を動かした。
彼女たちが背を向けていた場所――扉の前に、いつのまにか金髪の、紫の服を着た男が立っていた。
「そうでしょう?セレス=クリスタ嬢」
確信を持った口調で名を尋ねながら、にこりと男が笑いかける。
その口には、鋭い2本の牙が覗いていた。
この世界の人間は持つはずのないそれを見て、紀美子は瞬時に悟る。
リーナのときも、今回も、黒幕はこの男なのだと。
「あなた、誰?それにセレなんとかって、一体……」
「とぼけても無駄ですよ。リーナ=ニール嬢から全て聞いてきましたからね」
リーナ=ニール。
その名前に、紀美子は心臓が高鳴ったのを感じた。
彼女が目の前の男にその情報を教えたのだとしたら、その情報を漏らしたのは自分ということになるのだから。
「……全部、お見通しってワケですね」
「き、紀美ちゃん!?」
思いもよらなかった紀美子の言葉に、驚いて鈴美が彼女を見る。
「ええ、隠しても無駄だということですよ」
「そうですか」
目を伏せて、紀美子は何処からともなくあの小さな杖を取り出した。

「……我、インシングの勇者の血を受け継ぐ者。今ここに、我にかかりし“時の封印”を解かん」

ロッドから光が溢れる。
その光が瞬く間に紀美子を包んだ。
「紀美ちゃん!?」
鈴美の驚く声が聞こえる。
それを認識して目を開いたときには、彼女は姿を変えていた。
「あなたの言うとおり、私は勇者の血を継ぐ者です」
鈴美の隣に歩み寄りながら、セレスは静かな声で言った。
「随分と潔いですね」
僅かに目を細め、男が感心したように呟く。
「ばれているのに、これ以上隠してどうなるんです?」
「ご友人の前なのに?」
男の言葉に、ふっとセレスが笑う。
「同じことじゃありません?」
「まあ、そうかもしれませんが」
そう言って、男も顔に笑みを浮かべた。
「き、紀美、ちゃん……?」
後ろから声をかけられて、セレスは表情を変えずに視線だけを動かした。
「紀美ちゃんが、あの人たちの仲間だったの?」
小さく尋ねるその声には、明らかに怯えが踏まれていた。
無理もない。
魔力は本来ならばこの世界には存在しないはずの異質な力だ。
説明も弁解も、する必要がないと思ったから。
「……ここから、動かないで」
それだけ言って、視線をそらした。
「おやおや?ご友人を逃がさないのですか?」
「ここから出た方が今はもっと危ないでしょう?」
楽しそうに言う男に、あくまでセレスは冷静に言葉を返す。
そして、いつのまにか手にしていた杖の先を床につけ、目を閉じた。
「我、この術を使役する者。使い手として封じられし眷属に告ぐ。今ここに、汝らの力、全てを守る力とせん」
ぼおっと床に魔法陣が浮かび上がる。
「え……!?」
驚く鈴美をしり目に、セレスはゆっくりと目を開いた。
「結界陣!」
床に浮かび上がった光の魔法陣が強く輝いた。
思わず一瞬だけ鈴美が目を瞑る。
恐る恐る目を開いたときには、床に浮かび上がっていた魔法陣はすでに消え去っていた。
その代わりに、自分たちを取り囲むように薄い光の膜のようなものが張られているのが目に入る。
「ここから動かないで」
もう一度はっきりそれだけ言うと、セレスはその光の外に進み出た。
「潔いだけでなく、威勢もいいと見る」
くくっと男が小さく笑った。
そして、ふと何かを思いついたような表情になる。
「申し送れました。私の名はラウド=ドパラ。イセリヤ閣下の右腕に値するバンパイヤでございます」
「バ、バンパイヤ……?」
「そうですよ。アースのお嬢さん」
鈴美の問いかけに、ラウドと名乗った男はにっこりと優しそうな、それでもどこか冷たい笑みを浮かべて答える。
そして、その笑顔のまま視線をセレスに移す。
「クリスタ嬢。威勢がいいのは結構。だが、果たして1人で私に勝てますかな」
「……どういう意味?」
微かに表情を変え、聞き返す。
「私たちはドラキュラとは別の種族です。彼らの弱点は確かに光。ですが……」
不意にラウドは先ほどとは別の笑みを浮かべた。
「私たちバンパイヤの弱点は闇。逆に光は傷を癒す力を持つ属性なのです」
「な……っ!?」
そこで初めてセレスの表情が変わった。
「ご存知なかったようですね」
にやりとラウドが笑う。
「知っていますよ。あなたの属性は光だということはね」
「……っ!?」
知られていても不思議はない。
だが、今回ばかりは驚かないわけにはいかなかった。
「さて、その状況でどこまで戦えますかね?」
「……さあ?やってみなくちゃわかりませんよ?」
「そうでしょうかね?」
くすりと笑い、ラウドがこちらに向けて右手を上げる。
「サイレンス」
セレスが大きく目を見開く。
慌てて杖を前に突き出したときには、もう遅かった。
ラウドの手から何かが飛び出す。
その何かは空中で透き通った鎖に姿を変え、そのままセレスに向かっていった。
「あ……」
鎖がセレスの首に巻き付いて、見えなくなる。
喉を抑えて2、3歩後退りした彼女の顔は、真っ青になっていた。
「紀美ちゃん!?」
光の膜から出ないように気をつけながら鈴美が叫ぶ。
それでも、セレスは返事を返さなかった。
いや、返すことが出来なかった。
「これであなたの唯一の攻撃方法は封じさせていただきましたよ、マジックマスター」
勝ち誇ったようにラウドが笑った。

嘘……そんな……。
こんな、こんなことって!?

自分の攻撃手段が、奪われた。
弱点の話だけではない。
この状態では詠唱などできない。
彼女は魔力を行使するための言葉を、封じ込められてしまったのだから。

remake 2002.11.10