Chapter1 帝国ダークマジック
5:魅惑の魔道士
「赤美っ!書類っ!」
「はーいはい」
百合に呼ばれ、赤美は慌てて手元の書類を彼女のところへ運んでいく。
「まったく。どこが会議のためだってぇ?」
「何か言った?」
「え?な、なーんにも?」
慌てて誤魔化し、作り笑いを浮かべる。
それを見た美青は彼女の側にいるのにもかかわらず、大きなため息をついた。
あの時、アールたちが撤退してしまった後のこと。
「まあ、これで同じ立場だね、百合」
ミスリルと名乗った少女の肩を叩いて、ルビーが勝ち誇ったように笑った。
「まさか、本当にそうだなんてねぇ」
意外そうに呟くレミアを見て、ミスリルがため息をつく。
「私もまさか自分が異世界の人間だなんて思ってなかったわよ」
「まあ、あたしたちも最初はそうだったし」
ルビーが教室で百合に読ませたメモ。
あれは“時の封印”を解くための詠唱。
百合が仲間であるのならば、そしてあの夢を見ているのならば、あれを読めば覚醒すると判断してのことだった。
「人には『推測で物を考えるのはよくない』とか言っといて」
「こっちには確信があったから。ね?レミア」
「まあね」
呆れたようにレミアが言葉を返す。
「とりあえず、これで一安心ですね」
「そうでもないわよ」
セレスの言葉をきっぱりとミスリルが否定した。
「どういうこと?」
「あんたたち、いつもこうやって校舎裏で相談してたんでしょ?」
「そうだけど……」
「誰かに見られる、って思わなかった?」
呆れたと言う視線でルビーを見ながらミスリルが尋ねる。
「あ……。そういえば……」
「考えてなかった、かも……」
「……やっぱりね」
「何でそこであたしを見るのよ」
ルビーの言葉に、ふうとミスリルがため息をついた。
「それで、ちょっと提案があるんだけど」
「提案?」
「そう、作戦会議の場所について」
ミスリルのその言葉が始まりだった。
彼女が言った提案とは『理事部』の発足。
『雨石百合は理事長になったばかり』という事実を利用し、彼女の友人たちで彼女を補佐するという少人数制の部活を作ると言い出したのだ。
もちろん、職員も理事長のその提案に文句をつけることはなく、その計画は実行に移された。
部員は百合自らが選ぶと言う方法で。
そして現在に至る。
確かに作戦会議や相談は楽になった。
しかし、理事長の雑務まで手伝わされているのだから、不満もひとつも言いたくなる。
「しかたないでしょ?表向きそういう部活なんだから」
百合にあっさりとそう言われ、返す言葉が出なかった自分に腹が立った。
「それにしても……」
不意に沙織が口を開いた。
「平和だね」
「どこが」
「姉さんは黙ってる」
妹にきっぱりと言われ、やっぱり返す言葉がなくておとなしく口を閉じた。
「確かに。最近あいつら、ぱったり来なくなったし」
「昨日までは中間だったから助かったけど、いくらなんでも日が空き過ぎてると思わない?」
ソファに体を預けたまま沙織が問いかける。
口調は軽いが、その言葉は真剣だった。
「向こうが攻めてこなければ、残りの2人を探す機会もないままになってしまいますしね」
「この辺に住んでるとは思うけど」
資料を扱いながら呟かれた紀美子の言葉に、百合は手を止めてため息をつく。
アースに移住したとき、何らかの要因で行方不明になってしまったミューク――美青の母以外は全員がこの街に移り住んだと言う記録がある。
引っ越していない限りこの街にいるはずだ。
「行方不明になったミューク。その娘であるあたしでさえ、この学園にいたことだしね」
狙ったわけじゃないんだけどと付け足して、美青は苦笑してみせる。
「じゃあ、やっぱり残りの2人も……?」
「ここの生徒だっていう可能性、ありますよね」
しんと室内が静まりかえる。
可能性はあったが、確実にこの学園に入っているという保証はない。
この学園の近くに公立の小、中学校だってあるのだ。
私立であるこの学園より、そちらにいる可能性の方が高いのではないだろうか。
「オーサーはともかく」
突然今まで会話に参加していなかった赤美が口を開いた。
「フルーティアなら探せそうだけどね」
「どういうこと?」
軽い口調で言われた言葉をどう思ったのか、百合が訝しげな表情で聞き返す。
「あたしたちがレインがあんただって気づいた要因は2つ。ひとつは誰も気づかなかったあたしたちの脱走に気づいたこと。でもこんなの、場合によっちゃ誰だって気づくから、予想にしかならないけど」
すっと赤美は沙織を指した。
「2つめ。確証となった要因。沙織が感じた反属性の拒否反応」
「あ……!」
何か気づいたというように紀美子が声を漏らした。
「フルーティアは闇の格闘家!」
「だから例の夢を見てれば紀美が探し出せる可能性はあるってこと」
紀美子――セレスの生まれ持つ属性は光。
それはフルーティアが生まれ持った闇の魔力の反属性だ。
「なるほど。確かにその手があるわね……」
「夢、見てればの話だけどね」
わかっているとは思ったが、一応付け加える。
「……本当、あんたってこういうときだけは鋭いよね」
感心したように言って、美青はため息をついた。
ぎろっと赤美が彼女を睨む。
「ちょっと!それ、どういう意味?」
「そのまんまの意味」
「美青ぉ~」
「そういうところがあるからそう言われるのよ、姉さん」
先ほどまでの知的な表情をあっさり捨てた姉の姿を見て、紀美子は呆れてため息をつく。
そのすぐ側で、沙織は苦笑しながら書類を揃え始めた。
「あ、そうそう」
暫くして、百合が思い出したように口を開いた。
「明日なんだけどね。紀美ちゃんのクラスに編入生が来ることになってるの」
「こんな時期にですか?」
「ってか、よく編入試験受かったね」
沙織が感心したように呟く。
初等部の頃から在籍している彼女たちから言わせればそうでもないが、この学園の編入試験は一般で言わせれば難しい。
初等部の時からエスカレーター式で進級しているのだ。
途中編入はそれなりの覚悟がいる。
中学、高校の受験期に受けるのならばまだしも、そうではない者――特に学年の途中から入ってくる生徒用の試験は、入試より難しくなっていると聞いている。
「私も驚いたわ。まさか、あれをパスできる奴がいるなんて」
学年トップの成績を誇っている百合が言うのだ。
試験は相当難しいに違いない。
「数学はそんなに難しいとは思わなかったけど……」
「そりゃあんたが信じられないほど数学得意だからでしょうが」
小声で呟いた美青に、思わず赤美がツッコミを入れた。
「とにかく、そういうことだから。何かあったらいろいろ手伝ってあげてね、紀美ちゃん」
「はい、わかりました」
百合の言葉に、紀美子は笑顔で返事をする。
ふと、赤美は気づいた。
沙織の表情が真剣なものになっていることに。
「沙織~?どうかした?」
声をかけられ、はっと顔を上げる。
「え?何が?」
「なんか怖い顔してたけど?」
「そう?気のせいじゃない?」
適当に誤魔化し、沙織は止めていた作業を再開した。
この時期に編入、ねぇ……。
このとき感じた嫌な予感。
その予感が的中していたことに、そのときの彼女は気づくことはなかった。
翌日、百合の言ったとおりに1人の少女が中等部2年B組に編入した。
「巻啼里奈です。よろしくお願いします」
地毛らしい茶色い髪を頭の後ろで結い上げた少女。
愛らしい笑みを浮かべてぺこりと頭を下げたそのしぐさをきっかけに、彼女は中等部2学年でたちまち有名になった。
紀美子と並ぶ美少女だという噂も手伝って、その日の放課後には他の学年にも話が広まってしまったらしい。
「なぁなぁ。紀美ちゃんと巻啼さん、どっちが可愛いと思う?」
「俺はやっぱり紀美ちゃんかなぁ~」
「でも巻啼も捨てがたいぜ」
放課後までの間にそんな会話を廊下でしていて、赤美の被害にあった生徒が何人いたことだろう。
「腹が立つ!」
「あんたが言われてるわけじゃないでしょうに」
1人で怒っている赤美に百合が呆れたような視線を投げる。
「……にしても、すごい子だね編入生」
「本当。たった1日で学年中に噂が広まってるらしいよ」
「えっ!?いくら何でも、早くない?」
美青の言葉に驚いて沙織が尋ねる。
「歩き回ってるみたい。結構あちこちで目撃されてる」
「クラスに馴染もうって気はないってこと?」
聞き返すと、さあねと軽い返事が返ってきた。
編入生のその行動が頭に引っかかる。
聞き出すのを諦めると、沙織はそのまま考え込んだ。
「それにしても……」
美青がパソコンのキーボードを叩いていた手を止め、顔を上げた。
「紀美ちゃん、遅いね」
「そういえば……」
「赤美、ちゃんと伝えたんでしょ?今日の昼休み、集合って」
百合の問いに当たり前だと言う顔をして赤美が頷く。
「この騒ぎだから、捕まっててもおかしくないと思うけど……」
「遅くなりましたっ!!」
ばたんっと理事長室の扉が開いて、紀美子が勢いよく走りこんできた。
そのまま慌てて扉を閉める。
「お疲れ、紀美ちゃん」
「は、はい。すみません、遅れて」
苦笑しながら声をかけると、紀美子は慌てて頭を下げて謝った。
「この騒ぎじゃ仕方ないでしょう。気にしないで」
「いえ、その……。実は遅れた理由はこの騒ぎが原因じゃなくって……」
言いかけて、何を思ったのか、視線を逸らして口を閉じる。
「原因じゃなくて?」
表情を変えた赤美が睨むように妹を見る。
そんな姉を見て、おそらく何か勘違いをしているのだろうと彼女は考えた。
「その、実は……」
言っていいものか悪いものか迷っているという口調。
「何かあったの?」
続きを促すような口調で、静かに百合が聞き返した。
「……魔力を感じました。彼女から」
「彼女って、まさか……!?」
「はい。編入生の巻啼さんです」
赤美と美青が目を見開いて紀美子を見る。
百合も表向き平静を装っていたが、内心だいぶ慌てているようだった。
ただ1人、沙織だけが冷静なまま呟いた。
「やっぱり……」
「やっぱりって?」
素早くパソコンの電源を落として美青が尋ねる。
「おかしいと思ったのよ。この時期に編入なんて」
「別に、公立だとよくあることじゃない?」
不思議そうに発せられた赤美の問いに、沙織は首を横に振って答えた。
「あたしが言う時期っていうのはそう言う意味じゃないよ」
「じゃあ、どういう……?」
「アールが来なくなってしばらく経った。これってある意味絶好のタイミングじゃない?」
全員がはっと彼女を見る。
言われてみればその通りだというのに、どうして気づかなかったのだろう。
「紀美!拒否反応は?」
「感じてない」
「……ということは」
「オーサーじゃなければ、ダークマジックの人間ってことになる」
沙織の言葉に全員が息を飲んだ。
ダークマジックの人間が生徒として侵入した。
それはすなわち、自分たちがここの生徒だと気づかかれたということだ。
「そろそろばれるかもとは思ってたけど、こんなに早く……」
悔しそうに赤美が呟いた。
「後悔先に立たず」
顔をまっすぐに上げ、百合が口を開く。
「考えるくらいなら行動するべきね。紀美ちゃん」
「はい」
「巻啼里奈。彼女をしばらく見張る。いいわね?」
「はい。わかりました」
「一応何かあったらすぐに動けるように、私の方から手を回しておくから」
「了解」
全員の顔を見回しながら告げられた言葉に、美青と沙織がしっかりと言葉を返して頷いた。
「……ちょっと、百合」
「何?赤美」
「リーダー、あたし……」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「……」
一応プライドがあったのに。
そんな思いと共に告げた言葉は、あっさりと切り捨てられてしまった。
それから数日間、紀美子は授業が終わるまでの間、気づかれないように巻啼の監視を続けた。
何か行動を起こす素振りはない。
こちらに接触しようと言う様子も見せない。
そんな状態がしばらく続いていた。
このまま何も起こらなかった場合、どうしたらいいだろう。
そんなことを考えていたときだった。
「金剛さん」
よりにもよって監視対象である巻啼本人に声をかけられたのは。
「あ、はい。何ですか?」
何とか焦りを隠して、平静を装って答える。
「ちょっとお話があるんですけど、よろしいかしら?」
「ええ、いいですけど……」
「ああ、ここじゃあちょっと。他の女性の方には聞かれたくないものですから」
にこりと巻啼が笑って告げる。
そんな彼女の言葉と笑顔に何かが引っかかったけれど、誘いを断る理由もない。
「あ、はい。ちょっと待ってください」
立ち上がりかけたものの、座り直して机の中を探る。
そして中から1冊の本を取り出した。
「鈴ちゃん」
巻啼に見えないように隠し持っていた付箋を貼り付けて、紀美子は後ろの席で読書をしている友人を呼んだ。
「何?」
「この本、やっぱりまた後で貸して」
そう言って、持っていた本を差し出す。
「え……?」
「ごめんね。今日荷物多くって」
「うん。わかった」
尤もらしい理由を告げられて、断る理由を持たない少女は首を傾げながらも素直にその本を受け取る。
「お待たせしました。いいですよ」
「じゃあ、こちらに来て下さいます?」
相変わらずの笑顔を向ける巻啼に頷いて、紀美子は席を立った。
2人が教室を出て行ってしまってから、少女はようやく本の表紙に張られた付箋に気がついた。
そこに書かれていた文字に疑問を感じながら本を開く。
出てきたのは一通の真っ白な封筒。
顔を上げて、黒板の上にかけられた時計を確認する。
今は昼休み。5限目が始まるまでまだ十分時間はある。
「急がなきゃ」
そう呟いて本を鞄の中にしまうと、少女は慌てて教室を出て行った。
巻啼が紀美子をつけてきたのは、百合が仲間だと発覚する前、いつも自分たちが隠れて会議をしていた校舎裏だった。
「さきほど荒谷様に何をお渡ししていましたの?」
立ち止まった巻啼が振り返って尋ねる。
「借りた本ですよ。聞いてませんでした?」
その問いに紀美子はにこっと笑顔を浮かべて答える。
「本に貼り付けた物のこと、聞いたつもりだったのですけど」
呟くように言われた言葉に、一瞬紀美子は表情を変えた。
「……何のことです?」
「またまたおとぼけになって。まあ、いいんですけどね」
くすっと巻啼が笑った。
考えが全く読めない。
このお嬢様言葉の無邪気に笑う少女は、一体何を考えているのか。
「お話って、何ですか?」
笑顔で、それでも瞳には冷たい光を浮かべて紀美子が静かに尋ねる。
「そうそう、そうですの」
ぱんと手を叩くと、巻啼は楽しそうに笑った。
「実はわたくしとあなた、どちらの人気が高いか試したいと思いまして」
言葉の意味がわからなくて、一瞬唖然と目の前の少女を見つめる。
「……あなたの方じゃありません?」
暫くして漸く彼女の言葉の意味を理解すると、引き攣りそうになる顔に無理矢理笑顔を浮かべて返した。
「ご冗談を。金剛さん、アイドルってお聞きしましたわ」
「私はそんなつもりはありません」
別の意味で顔を引き攣らせてきっぱりと言い返す。
彼女にとってはそんな噂が迷惑なのだ。
「でも、わたくしははっきりさせたいんですの」
その言葉に呆れつつも言葉を返そうとして、気づいた。
巻啼の雰囲気が変化していたことに。
「巻啼さん?」
「まあ、結果は一目瞭然ですけど。これがあるかぎり」
ぱぁんと巻啼がもう一度手を叩く。
その音が静まるのと同時に、周囲の茂みの中から何かが飛び出してきた。
灰黄色の塊だと思ったそれは、みんな見覚えるあるクラスメイトで。
一見する限り、男子生徒のほぼ全員がそこにいた。
「な……っ!?」
「取り押さえてしまいなさいっ!!」
巻啼の言葉に従うようにクラスメイトが襲い掛かってくる。
1人2人ならまだしも、今ここにいるのはクラスの半分を占める約20人。
とても避けきれる人数ではない。
「放してっ!きゃああっ!?」
両腕を掴まれ、身動きができなくなるまで、そう時間はかからなかった。
「さてと」
手に何かの瓶を持って、巻啼がゆっくりと近づいてくる。
「教えてもらえますかしら?編入以来、あなたがわたくしを監視していた理由」
「……っ!?」
地面に跪く形で取り押さえられた紀美子の目が思わず見開く。
最初から気づかれてた……?
「な、何の話……?」
「とぼけても無駄ですわ。これでもわたくし、教室中に視線を送っていましたの」
そう言って、巻啼が笑みを浮かべる。
その笑顔は先ほどまでとは違う、冷たい笑み。
「実はわたくし、ある人たちを探しているんですの」
静かに巻啼が口を開いた。
「姉様をコケにした方々。異世界の勇者の血を引く女たちを」
「姉……様……?」
聞き慣れない――覚えのない単語に、思わず聞き返す。
「ええ、あなたもここの方なら知っていると思いますわ。ダークマジックのアール。そう呼ばれる女性です」
にっこりと笑顔を浮かべて返された言葉に、紀美子は無意識のうちに先ほどよりも大きく目を見開いた。
「じゃ、じゃああなたも、あの鳥人間の……」
「ええ、仲間ですわ。でも、あなたには関係ありませんわね」
「関係ないって……?」
気づいていないのだろうか、この少女は。
自分が彼女を監視していた目的を。
「だって……」
にっこりと巻啼が笑う。
「あなたはこれでわたくしの仲間になりますから」
そうして向けられた霧吹き型の小瓶。
「な……!?」
「最後に教えてあげますわ。わたくしの本名」
そう言って彼女が浮かべたのは、先ほどと同じ冷たい笑み。
「わたくしはリーナ=ニール=MK。ダークマジック『魔武道隊』を統治している者ですわ」
それが、認識できた最後の記憶。
直後に覚えた冷たい感覚を最後に、紀美子の意識は突然闇の中に閉ざされた。