Chapter1 帝国ダークマジック
23:玉座の間
ダークマジック帝国。
その城下の中心にそびえ立つ、代々の皇帝が住居としてきた美しき皇城。
その中心部にあたる謁見の間。
皇帝の玉座があるその部屋に1人の女が立っていた。
全身に黒を纏うその中で、オレンジの髪だけが映えている。
体を動かすたびに、その動きにあわせて長いスカートとマントが揺れた。
この人物こそ、現在事実上のダークマジックの主権を握る魔族の女。
ミルザの時代とまったく変わらない姿をした、大僧正の地位につく人物。
イセリヤ=ダマーク。
勇者たちの憎むべき仇。
「あの小僧は何処へ行った!」
誰もいない謁見の間にイセリヤの叫ぶ声が響く。
今の彼女の中にあるものは焦りと苛立ち。
大僧正という地位を手に入れても、彼女だけでは何もできないというのが現状だった。
この地位と飾り物の皇帝がいて、初めて全てを手中に収めることができる。
大僧正とはそういう地位。
無理矢理とはいえ皇帝に同意をさせなければ、全兵士を動かすほどの命は出せない。
そして、今のこの状況。
20年前のあの時でさえ起こることのなかった城下の住民の反乱。
自分が動けば訳は無いとわかっているけれど、そんなことをすれば反大僧正派の大臣たちに今の地位を奪われることなど百も承知。
それならば反逆の罪を着せて処刑してしまえばいいと考えつつも、突然沸いた『ミルザの血を引く者たちが異世界に存在する』という問題に、そんなことに手を回している暇などなくなってしまった。
自分の計画のためには世界で1、2を争うこの国の魔法学の力が必要だというのに。
それを失ってしまっては、今自分がここにいる意味などないというのに。
ぎりっと歯を食いしばる音が静かな広間に響いた。
とりあえず、今は何とかしなければならない。
その突然の反乱を。
「ずいぶん焦ってるみたいじゃない。イセリヤ閣下」
突然、誰もいないはずの室内に声が響いた。
イセリヤ以外の女の声が。
「……何者だっ!!」
ばっと振り返ったイセリヤの視界に入ったのは、玉座の隣に立つ真っ赤な髪を持つ少女。
イセリヤにとって見覚えのある、計画を遅らせる原因となった憎むべき女の顔。
「ミルザの子孫……」
その言葉を聞き、ふんと少女が鼻で笑う。
「敗北者なんて、あんたに取っちゃ覚えとく価値もないものだと思ってたんだけと」
胸の前で組んでいた手を離して、そのまま腰の方に伸ばす。
腰の鞘から短剣を抜いて、少女はイセリヤを睨んだ。
「なるほど……。貴様がアマスルの言っていた新たなマジックシーフか」
落ち着いた様子で確認するように言うイセリヤの言葉に、ほんの微かだが少女――ルビーの表情が動いた。
「よもや私が気づかぬルートでここまで来るとは……。先代より頭が切れると見る」
「挑発しているつもりなら、やめてといた方がいいと思うけど?」
びゅっと空を切って、短剣の切っ先をイセリヤの方へ突きつける。
「挑発?そんなつもりはないがな。それよりも……」
小さく笑うと、イセリヤはルビーの手に視線を移した。
正確には、その手に握られている短剣に。
「この剣、魔法の水晶だな?」
「だったら何?」
「……そうか。未だにそれを武器にしているとは」
くくくっと不気味にイセリヤが笑い出す。
「それさえあれば、我が念願はいともたやすく達成される」
呟くように言うと、先ほどまでの焦りの表情は何処へ行ったのか、余裕のある笑みをこちらに向けた。
「……っ!?」
その笑みに寒気を背中に感じ、ルビーは思わず数歩後退る。
イセリヤが顔を上げた瞬間、冷たい風が室内を吹き抜けた。
その瞬間から部屋の空気が変わったことを、肌で感じ取ることができる。
「さあ、小娘」
ゆっくりとイセリヤがこちらに向かって手を差し伸べる。
「その水晶をこちらに渡せ。そうすれば命だけは助けてやるぞ」
「……誰が」
再びルビーがイセリヤを睨んだ。
「誰が渡すか。今ここで約束破ってあんたに力を貸すくらいなら、とっととここから逃げ出してるわ」
「ふん。そうか……」
イセリヤが静かに手を下ろした。
「ならば、貴様を殺して奪い取るっ!!」
どんっというくぐもった音が空間に響いた。
その瞬間から、さらに空気が変化する。
城の中から戦場の空気へと。
この瞬間、ルビーの中にひとつの感情が生まれた。
恐怖という感情が。
今までの、どの戦いにおいても自覚することのなかった感情が。
「は……っ」
吐き捨てるように口を開いた。
「やれるもんならやってみれば?」
「ふん、ずいぶん強気なことだ」
挑発的な口調に、相手は微かに口元に笑みを浮かべた。
「それがいつまで続くか楽しみだな」
不意にイセリヤが笑みを変えた。
ゆっくりと右手が振り上げられる。
「はあっ!!」
それが降り下ろされる同時に、衝撃波が放たれた。
本能的にそれを受けることは危険と察知して、ルビーは横へ飛んだ。
その瞬間、すぐ隣にあった玉座が粉砕される。
原型を留めないほど粉々に。
「これは……」
当たったら、ただじゃすまない。
そう考えて、あることに気づいた。
もし、今あの隠し通路の入口が開いていたら。
「……さすが魔族ってところ?」
ぎゅっと短剣を握り締めて、わざと挑発するような口調で言った。
「それは褒め言葉か?それとも……」
にやりとイセリヤが笑った。
「ただの強がりか?」
こちらの心をすべて見透かしているかのような言い方。
気に食わない。
それが最初の感想だった。
この女は気に食わない。
今も、これからも。
そして、今までも。
「さあね」
立ち上がって、吐き捨てるように返してやる。
「ただ言えることは」
右手の短剣を体の後ろで左手に移して、詠唱を始める。
口の中での小さな詠唱を。
「あたしはあんたが気に食わないってことっ!!」
言葉と同時に炎が吹き上がった。
「フレアストームっ!!」
体に纏わりつくかのごとく、燃え上がった炎を放つ。
目の前の敵に向かって。
「……ふん」
小さく呟くと、イセリヤは腕を前に突き出した。
襲い掛かる炎の嵐が動きを止める。
イセリヤの腕の周りで、静止する。
「なっ!?」
「返すぞ」
その一言とほぼ同時に腕を払った。
先ほど止められた炎の嵐がこちらに向かって戻ってくる。
「く……っ」
慌てて右手を前に出し、すばやく呪文を詠唱した。
「フレイムウォールっ!!」
迫り来る炎の嵐を防ぐため炎が壁のように吹き上がる。
「甘いな」
不意にイセリヤの言葉が耳に飛び込んできた。
同時にぐんっと両腕に衝撃が襲い掛かる。
「……っ!?」
思わず集中を途切れさせそうになりながら、何とか呪文を維持するよう力を込める。
「なん、で……」
何でこんなに、圧力が……っ!?
明らかに違う。
自分の魔力だけではない。
相手の、イセリヤの魔力が、加えられている。
「いつまでそうやっているつもりだ?」
その言葉に、ルビーははっと視線だけで振り返った。
いつのまにかイセリヤが目の前に回り込んでいる。
しまったっ!?
気づいた瞬間、背中に衝撃が走った。
炎とは別の、魔力による衝撃が。
ほぼ同時に集中が完全に切れた。
炎の壁が消滅する。
「……っ!!」
力を振り絞って、横へ飛んだ。
炎がすぐ側を擦り抜ける。
その直後、巨大な爆発音が耳に飛び込んできた。
爆風が体に襲い掛かる。
その両方が収まったとき、漸くルビーは起き上がろうと顔を上げた。
「……っうぁっ!?」
力を入れようとして背中に激痛が走った。
おそらく先ほど直接魔法弾を打ち込まれたためだろう。
炎の熱さがなくなって、より実感できる。
体が重い。
背中が、熱い。
それより何より、何かが流れ落ちる感覚がある。
それはおそらく、自分の血。
「最初に大口を叩いていたわりには張り合いがないな」
くくくっと笑うイセリヤの声が耳に入った。
「さすがに人間。力は無くした、というところか」
「うる、さい……」
ぐっと腕に力を入れ、起き上がる。
少しでも体を動かそうとすると背中の傷に痛みが走るが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
このまま動かないでいれば、確実にやられる。
「あんたが何を言いたいのかは知らないけど」
片手にまとめて握っていた短剣を両手に持ち替える。
「あたしがそう簡単に諦めると思ったら、大間違いよ」
「……ふん。さすがと言うべきか?先代よりは根性があると見える」
吐き捨てるように言うと、再び腕をこちらに伸ばして小さく笑った。
「まあ、それが何処までもつか楽しみだがな」
「……うるさい」
ぎゅっと短剣を握る手に力を込める。
この状態で次の一撃を避けきれるかどうか、わからない。
それでも諦めるわけにはいかない。
そう、仲間が来るまでは。
「あたしたちはそれより、あんたがいつまでもつかを知りたいけどね」
謁見の間に突然別の声が響いた。
ほぼ同時にイセリヤの足元に魔法陣が浮かび上がる。
「何っ!?」
「爆裂陣っ!!」
聞き覚えのある声が飛び込んできた瞬間、イセリヤの足元が爆発した。
その衝撃と爆風に、思わずルビーは膝をつく。
今のは……。
「ルビーっ!!」
答えを出す前に名を呼ばれ、ルビーは反射的に振り返った。
巻き上がった煙の中を1人の少女が駆け抜けてくるのが目に入った。
「タイム……」
「間に合ってよかった。……大丈夫?」
棍を握ったまま心配そうに側に膝をつく。
それを見て、ルビーは思わず笑みを零した。
「当たり前じゃない。あたしを誰だと思ってんの?」
「あんただから余計に心配なんでしょうが」
呆れたようにタイムが言葉を返す。
「姉さんっ!!」
続けて、慌てた様子の声が耳に飛び込んできた。
「セレス」
同じように煙の中を駆け抜けてセレスが、そして城下に残っていたはずの仲間たちがこちらへ走ってくる。
「大丈夫?今治すから……」
「後でいい」
煙の方を睨んできっぱりとルビーは言った。
「でも……」
「くくくく……」
不意に耳に声が飛び込んできた。
驚き、ルビーとタイム以外の全員がそちらを見る。
突然、風が吹いた。
その風が煙を巻き込んで吹き飛ばしていく。
そして、姿を見せたのはこの国の影の支配者。
服が破れてはいたが、体の方には特に外傷は見られないイセリヤだった。
「な……っ!?」
「う、嘘……」
「さすがに今のは痛かったぞ?」
信じられないという目で自分を見ているセレスに向かい、にやっとイセリヤが笑った。
「返してやろう。……2倍にしてな」
言葉と同時に手が振り上げられる。
それを見て、セレスも手を前に突き出した。
「精霊よ!全てを守る力よ!今ここに、我に汝の力を貸し与えよ!我ここに、我らを守る盾を望まんっ!」
「爆裂陣っ!」
一瞬早く、強い光とともにセレスの前に光の膜が現れる。
その瞬間、爆撃が彼女たちを襲った。
しかし、それはすべて直前でセレスによって阻まれた。
阻まれているかのように、見えた。
ぴしっと何かに罅が入るような音がした。
はっとセレスが顔を上げる。
罅が入っていたのは、紛れもなく目の前の魔力の盾。
それを認識したのとほぼ同時だった。
ぱあんという破裂音とともに、魔力の盾が砕けたのは。
次の瞬間、爆撃が襲い掛かった。
それは全て1人前に出ていたセレスに直撃する。
「きゃあああっ!?」
「セレスっ!?」
吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたセレスの方を向いてベリーが叫ぶ。
「セレちゃんっ!!」
慌ててペリドットが駆け寄り、回復呪文を唱える。
「ごめんなさい。大丈夫……」
何とか意識だけは手放さずに、セレスはペリドットの服を掴んで起き上がった。
「ちょっと、マジ?」
「大マジでしょ。あたしもさっき、同じような手ではじき返されたから」
レミアの言葉に痛みを堪えながら立ち上がって答えたルビーを、驚いたようにミスリルが見た。
「ちょっと!どうしてそういうことを早く……」
「言ってる暇がなかったじゃない」
きっぱりと返すルビーに、ミスリルは言葉を飲み込んだ。
セレスが呪文を放ったのは、ルビーが駆けつけた自分たちに気づく前だ。
説明している時間があったはずがない。
「どうだっていいわ」
聞こえた声に視線を動かした。
「呪文が弾き返されるなら、この手で行くまでよっ!!」
視線の先にいたベリーが、吐き捨てるように言って腕を振り上げる。
その手の先にあるのは、いつのまに詠唱していたのか、魔力で生まれた黒い炎。
それを放とうと手を振り下ろそうとした瞬間、ベリーの視線が僅かに動いた。
「ダークフレアっ!!」
黒い闇の炎がイセリヤに向かって勢いよく飛んでいく。
「馬鹿め」
呟いて笑うと、イセリヤはもう一度手を伸ばした。
しかし次の瞬間、それは驚愕の表情に変化する。
彼女の目の前で炎が2つに割れたのだ。
「何……っ!?」
「レミアっ!!」
「わかってるっ!」
いつ2人がそんな戦略を立てたのかはわからない。
ベリーの声とともに、レミアは予め聞いていたかのように剣を抜いて床を蹴った。
そのまま黒い炎に突っ込み、それを抜ける。
「イセリヤっ!覚悟っ!!」
炎の中にいる間に回り込んだのか、抜けたときには入った場所から考えれば到底現れることのないの位置へ移動していた。
振り翳した剣を突き出す。
その瞬間、確かに手ごたえを感じた。
剣は確実にイセリヤの体のどこかに突き刺さった。
「く……」
耳に飛び込んだ声に、はっと顔を上げる。
視界に飛び込んだのは、余裕の笑みを浮かべたイセリヤの顔。
「……っ!?」
相手の表情を認識した瞬間衝撃が走った。
手に、体に、今まで感じたことのないような衝撃が。
それが何かを理解するより先に、強い力で弾き飛ばされる。
「レミアっ!?」
誰かが自分の名を呼んだ。
そう認識したときには、既に彼女の体は仲間とは反対方向の壁に叩きつけられていた。
「さて、これでお終いか?」
余裕の笑みを浮かべてイセリヤがこちらに視線を向ける。
その左腕からは確かに血が流れているというのに、痛みは一切感じていないようだった。
「冗談っ!誰が終わりになんかするもんかっ!!」
そう言って真っ先に前に出たのは、先ほどまでセレスの側にいたはずのペリドット。
「ペリートっ!」
咎めるような口調でミスリルが彼女の名を呼んだ。
「とにかく時間稼ぎだよ!セレス!あたしたちであいつ引き付けるから、その間にレミアの治療!」
小声で、それでも真剣な声でペリドットが言った。
その言葉を聞き取って、セレスはしっかりと頷いた。
たった1人、向こう側に飛ばされてしまったレミア。
その体からは、赤いモノが夥しく流れ出ている。
あれでは自分で動こうと思っても動くことなどできないはずだ。
治療をしなければならない。
そのためにイセリヤの注意を逸らさなければならないのだ。
「地の精霊よ。汝、我が声に応えよ」
静かにミスリルの声が響く。
「我らが前に立ち塞がりし者、我らに仇なす愚かなり者に、汝が力、汝が偉大さをここに示さん!」
音を立てて地面が揺れ始める。
「何だ……?」
「愚かなる者を、悠久の穴に閉じ込めんっ!!」
詠唱が完成する。
同時にさらに揺れが激しくなる。
「アースホールっ!!」
言葉と同時にイセリヤの足元の床ががくんと下がった。
壁となった場所が獲物を押し潰そうと襲い掛かる。
「地属性の最上級呪文か……」
呟くように言うと、イセリヤは床を蹴った。
壁が自分を押し潰そうとするより先に、穴となったそこから脱出してしまう。
「行けっ!!」
同時に聞こえた声。
何かがイセリヤの体に飛び掛ってくる。
オーブだった。
ペリドットのオーブが、イセリヤの着地するだろう位置を狙って飛んでくる。
それを見越して態勢を変えた。
「かかったねっ!」
言葉とともに、いつのまにか近くに移動していたベリーが飛び掛る。
「何っ!?」
床に足をつけたイセリヤの体に鈍い痛みが走った。
拳で直接殴られた痛み。
それだけではない。
ベリーの拳――ナックルは、そのとき黒い光を帯びていた。
「はぁっ!!」
続けて、思い切り蹴りを繰り出した。
元々ベリーは格闘家。
直接攻撃の方が性にあっているせいか、先ほど呪文を放ったときよりも行動が素早い。
確実に一撃ずつ、イセリヤの体に打ち込んでいく。
「この……っ」
「相手を1人だと思わない方がいいよっ!!」
耳に飛び込んできた声に、イセリヤがはっと視線を動かす。
紺を握ったタイムが打ち合いをする2人の側に飛び込んできた。
イセリヤに向け、勢いよく棍を振り下ろす。
それとベリーの一撃を何とか避け、一瞬安堵したイセリヤの背中に違和感が走った。
それは違和感ではなく痛み。
「あたしもいるってこと、忘れられたら困るわねっ!」
ルビーの短剣によってつけられた、傷の痛み。
「……っ!!!?」
一瞬にしてイセリヤの表情が変わった。
今までのどこか余裕のある表情などではなく、目にも明らかなほどの憎悪を顔に浮かべて背後にいるルビーを睨む。
「貴様はいつも私の邪魔をする」
小さく静かに、けれど確かに全員の耳にその言葉が届いた。
次の瞬間、体に衝撃が走った。
一瞬のうちに足が床を離れる。
体が宙を舞って、壁に叩きつけられた。
「……っぁ!?」
あまりの痛みに、声が出ない。
何?一体、今あいつは何をした?
仲間が起き上がり、再び攻撃態勢を取ろうとしている姿が目に入る。
奇跡的にも放さなかった短剣を握り締めて、ルビーは体を動かそうとした。
「……うぁ」
それだけで痛みが走った。
おそらく最初に受けた背中の傷を思い切り打ちつけたせいだろう。
それに先ほどできた傷。
幻の時もそうだったが、自分は血を流しすぎている。
だが、ここで諦めるわけにはいかなかった。
何とか立ち上がって、参戦しなければ。
「ルビーっ!!」
耳に声が届いた。
立ち上がろうとしていた体に、重たい何かが圧し掛かった。
「……っ!?」
その重みに足に力が入らず、そのまま再び倒れてしまう。
それと同時に、耳に音が飛び込んでいた。
何かが弾けて爆発するような音。
そして、もうひとつ。
悲鳴……?
音が収まった事に気づくと、ルビーはゆっくりと目を開けた。
そして、飛び込んできた光景に大きく目を見開く。
視界に入ったのは、自分のよく知る青い髪。
しかし、その主が着ているはずの青い服は真っ赤に染まっていた。
「タイム……?」
自分に多い被さった親友はぴくりとも動かず、返事もしない。
タイムだけでなく、視界に入った仲間たちの誰もが床に伏せて、壁にもたれて、動かなかった。
何?
一体、何があった……?
「ふん。悪運だけは強いと見る」
不意に声が聞こえて、その方向へ視線を向けた。
その先には、腕や背中の傷から血を流しつつも、平然とした表情で立っているイセリヤがいる。
「まあいい。どうせここまでくれば、あとは何もできはしまい」
小さく笑って、余裕のある笑みでこちらを見る。
「貴様もすぐに後を追わせてやろう」
そう言って、イセリヤが静かにこちらに手を伸ばした。
後を、追う……?
心臓が大きな音を立て始めたのが感覚でわかった。
死への恐怖。
いや、違う。そうではない。
それは確かに恐怖だったが、自分の死へ対するものではなくて。
今、自分の心臓が大きく音を立てている原因は。
1人になることへの恐怖。
そう自覚した瞬間、頭の中を何かが通り過ぎた。
昔、自分が体験した何かが。
衝撃が走って。
痛みを感じて、気を失いかけて。
気づいたときには、誰もいなくて。
「……っ!?」
突然イセリヤが表情を変えた。
「これは……」
向けていた手を無意識のうちに下ろして、呟く。
空気が変わった。
今まで自分の魔力で包んでいたはずの空気が、突然変化を始めた。
熱い。
そう感じたのは、どちらが先だったろうか。
体が――額が熱い。
この場所に隠し事ができて以来、決して人前で外そうとはしなかった額のバンダナにルビーは触れた。
一度閉じた目を、ゆっくりと開ける。
何だろう?この感覚。
痛みも、何も感じなかった。
熱い。
それ以外の全ての感覚が、消え去ってしまっていた。
同時に浮かんできたひとつの言葉。
知らないはずの、いや、存在しないはずの言葉。
「紅蓮の炎よ」
静かにルビーが口を開いた。
そのまま、自分の上に覆いかぶさるように倒れていたタイムをどけて立ち上がる。
「この世に存在する全ての炎に属する者よ」
ひとつひとつゆっくりと、確実に言葉が紡がれる。
相手のあまりの変貌。
突然の、自分さえ知らない呪文。
それに呆気に取られ、呆然としていたイセリヤはようやく我に返った。
「これは、まさか……」
ルビーの周りに集まりつつある熱気に覚えがあった。
これはかつて、自分が体験した感覚。
「今ここに、我が手に宿り力とならん」
「まさか、あれは完成していたと言うのかっ!?」
驚愕の表情でイセリヤがルビーを見る。
開かれたその目に光が宿っていないことを察して、これが無意識の行動だと直感的に感じ取った。
「火を司る精霊よ。火に身を委ねし全ての者よ。その力、ただ一時我に集わさん」
だんだんと、しかし確実に室内の温度が上がっていく。
「またか……」
不意にイセリヤが呟いた。
「また、私の邪魔をするというのか、精霊神。そして……」
「フレイムオブディスピアレンス!!」
言葉とともに炎が巻き起こった。
これまでのどの呪文より赤く、熱い炎が。
「ミルザ=エクリナ」
それが、室内に響いた最後の言葉。
激しい爆音とともに、一瞬にして謁見の間は炎に包まれた。
誰も近づけないほど激しい炎に。