Chapter1 帝国ダークマジック
11:妖精-神殿に眠る者
エスクール城下の西に位置する森。
精霊の森と呼ばれるこの森の入り口付近に、今はもう枯れてしまった古井戸がある。
その側に崩れ落ちた古い家があった。
ぼろぼろに崩れて外見を留めてはいないが、それは確かに家だと証明するように古い家具が埋もれていた。
井戸の底でミューズと別れた3人は、その崩れ落ちた廃屋の側に立っていた。
「ここが、妖精の森」
タイムが小さく呟く。
「不思議な感じがします。温かい力が満ちているような、そんな感じ」
「何かキザっぽいセリフねぇ」
「どこがよ。それに、他に言葉が思いつかないんだから仕方ないじゃない」
ぽつりと言ったルビーを、物凄い目でセレスが睨む。
人前では滅多に見せない表情。
おそらく幼馴染みである3人だけでいるから見せたのだろうと、どうでもよさそうなことをタイムは頭の隅で考えた。
「まあ、確かに何か、外とは感じ違うと思わない?」
「そ、そりゃ思うけどさ」
タイムにまで言われ、もはや何も言えなくなったらしい。
あっさりとルビーが肯定する。
「この力……。たぶん、これがここが迷いの森とされる原因じゃないかしら」
両手を広げてこちらを振り返りながらセレスが言った。
「これが?」
「だって井戸の中では感じなかったのよ?なのに外に出た途端これだもの」
「ああ、言われてみれば」
確かに、古井戸を通じた地下通路では、この不思議な温かさは感じなかった。
「だからそれしか考えられないと思うの」
「その通りでございます」
突然辺りに聞いたことのない声が響いた。
反射的に3人はそれぞれの武器に手をかける。
「そんなに警戒しないで。私はあなた方の敵ではありません」
再び辺りに声が響いたのと同時に小さな光が現れる。
それは一瞬だけ強く発光すると、空気に溶けるかのように消え去った。
そして現れたのは、薄いオレンジにも見える桃色の髪を持つ小さな少女。
「ようこそお越しくださいました。ミルザの血を引きし者」
呆然とする3人に向かい、小さな少女は軽く会釈をする。
小さいと言っても、おそらく年齢的には自分たちとそう変わらないのだろう。
体が小さいのだ。
人間をそのまま小さくして、人形にしてしまったかのように。
「私の名はハニー。この森に住む妖精の1人にございます」
「妖精、あんたが?」
驚き、問いかけたタイムに、ハニーと名乗った妖精は笑顔で頷いた。
「ミューク様。我らはあなた様がお出でになるのをずっとお待ちしておりました」
しっかりとタイムを見てハニーが言った。
「あたしを?」
「はい。あの方を目覚めさせる資格を持つのはあなただけ。タイム=ミューク様。あなただけにあるのです」
「あの方?」
思わずセレスが聞き返す。
しかし、ハニーはそれには答えなかった。
ただ、微かに笑って頷いただけ。
「どうぞこちらへ。テヌワンの者、一同歓迎いたします」
テヌワン――それはエスクールに存在すると言われる妖精の村の名前。
「でも、この力……。大丈夫なの?」
「ご安心を。これはミルザが作り出したもの。彼の血を引く皆様ならば関係ありません」
ルビーの問いにあっさりと答え、再びハニーは自らを光に包む。
おそらくは道標となるため、3人が後を追いやすいようにするために。
「はぐれずについてきて下さい」
それだけ言うと、光は静かに移動を始めた。
すうっと移動する光の後を3人は進んでいった。
穏やかな森だった。
大抵の場合、森の奥には魔物の類が潜んでいるものである。
しかし、この森は何処まで行ってもそんな気配は感じず、ただ風だけが吹いていた。
しばらく行くと、森が僅かに開けているのが目に入った。
その手前で光は消え、その中から再びハニーが姿を現わす。
「ようこそ」
一礼して顔を上げた。
「私たちの村、テヌワンへ」
「ここが……」
一歩進み出て、辺りを見回す。
開けた場所は村の広場に当たるような場所だった。
周りの木々の枝に小さな家が乗っている。
「ここが、妖精の村」
ぽつりとセレスが呟いた。
「そうです。そして、皆さんが訪ねていらしたのは、あちら」
ハニーが指したのは村の奥。
木々を開いて作られた道の奥にある石造りの神殿。
「あの場所が、かつて女神様が住んでいた場所です」
「女神……妖精神ユーシス?」
問いかければ、ハニーは静かに頷いた。
どうやら妖精たちは妖精神のことを“女神”と、そう呼んでいるらしい。
「ミューク様」
突然呼ばれ、驚いてタイムはハニーを見た。
「どうぞ神殿へ。あなたの手助けをするべき者が中であなたを待っているはずです」
「サポートフェアリー」
確信を持って告げれば、ハニーはにっこりと笑って頷く。
視線を戻して、タイムはじっと神殿を見つめた。
あそこにいる。
あたしを助けてくれる妖精が……。
「タ・イ・ム」
ぽんっと肩を叩かれた。
振り向くと、悪戯を思いついたような笑顔を浮かべたルビーがすぐ後ろに立っていた。
「何か迷ったりしてるわけ?」
「迷う……?」
「そんな顔してるけど?自覚なし?」
にやにやとルビーが笑う。
絶対に何か企んでいる。
そう、タイムは悟った。
「何を考えているか知らないけど……」
突然表情を隠して言うタイムに、ルビーは驚いたような顔をした。
「あたしを脅そうって言うなら、それは無駄なことだと思った方がいいかもよ」
顔を上げてにっと笑う。
それを見て、ルビーも満足そうに笑った。
「何だ。平気そうじゃん」
「当然。それに、ここでやめたりしたら、何のためにここまで来たかわかんないじゃない」
「まあ、それもそうだよね」
くすくすとルビーが笑う。
付き合いが長いからわかる。
きっとルビーは自分の動揺に気づいていたのだろう。
母親が、今自分を待っているという妖精に拒絶されたという事実があったから。
確かにほんの少し動揺していた。
きっと彼女はそのことに気づいていたのだ。
おかしなところで勘がいいから。
「たぶん今、私たちは神殿に入れないんじゃないかと思います」
2人のやり取りの理由に感づいて、くすくす笑いながらセレスが言った。
「そうでしょう?ハニーさん」
「はい」
突然問いかけられて一瞬きょとんとしたものの、ハニーは静かに頷いた。
「今のあの場所には結界が張られています。サポートフェアリーの力を継ぐ者とミュークの当主たる証を持つ者の2名しか入ることができません」
「ってわけだから」
再びこちらを向いて、ルビーはにこっと笑った。
「行ってきなよタイム。収穫なしで帰ってきたら許さないからね」
「誰に向かって物言ってんのよ」
親友の軽い言葉を受けて、タイムは不敵な笑みを浮かべる。
「大丈夫。ちゃんとやることはやってくるから」
それだけ言うと、タイムは神殿の方へ足を向けた。
神殿の中は思ったより明るかった。
誰も入れないというわりには内部は綺麗で、とても出入りがない場所とは思えなかった。
「神殿に入ったらまっすぐに進んで下さい。そこにあなたが探す方がいます」
神殿に向かう前に聞いたハニーの言葉。
それを頼りに神殿の中を進む。
しばらく進むと大きな広間に出た。
何もない、ただの広間。
その中で目についたのは、広間の奥。
壁際に設置された祭壇と、その上に設置された大きくはない台座。
よく見ると、その台座の上には丸いガラスのような半球が乗っている。
恐る恐る近づくと、タイムはゆっくりとガラスを覗き込んだ。
「あ……」
ガラスの中にいたのは金の髪を持つ少女。
まぶたを閉じて眠っているかのように見える妖精だった。
実際、眠っていたのかもしれない。
彼女――ガラスの中の妖精は呼吸していることすら感じさせないほど、ぴくりとも動かなかった。
何より、ガラスの中は時の流れを感じさせない、そんな雰囲気に包まれていた。
「封印された、妖精……」
呟くように言ってみる。
おそらくこの妖精がそうなのだ。
この妖精を起こすことができれば、契約の再開を宣言することができれば、弱くなった魔力が戻る。
ごくりと息を呑んで、手を伸ばして慎重にガラスに触れる。
触れてみると、それはガラスではなく魔力でできた膜だったことがわかる。
ゆっくりと目を閉じて、息を吸い込んだ。
「我、ミルザの血を引きし者」
水晶の記憶から引き出した呪文。
かつて、母がこの場で唱えたはずのもの。
「我今ここに、この空間を統べし精霊神に願わん」
僅かに開いた視界の先に、しまっていたはずの魔法の水晶がひとりでに膜の上に浮き上がり、漂っているのが見えた。
「この日、この時、この場に眠りし1人の妖精。この長き時の眠りより解き放たんことを」
浮いている水晶が薄っすらと光を放ち始める。
「時の眠りにつきし者よ。我、祖と汝らが女神の誓いを引継ぎし者。今ここに、我宣言す。祖と女神の誓いを、再び汝と交わさんことを」
水晶から湧き出る光がだんだん強くなる。
視界の端でそれを確認して、大きく息を吸い込んだ。
「我が名はタイム=ミューク。精霊の勇者の血を引きし、水の力を持つ者なり」
かっと水晶が強く輝いた。
眩しさに思わず目を瞑った。
手で触れていたはずの膜が消え去るような感覚を感じる。
それでも手は動かさずに、じっと光が収まるのを待ち、耐えた。
耐えなければならない。
そんな気がしたから。
光が消える。
辺りが静まる。
しかし、タイムはなかなか目を開けず、そのままの体勢で動かなかった。
あまりにもその光は強かった。
瞼を閉じていても瞳に影響を与えるほどに。
「我、承諾す」
突然室内に声が響いた。
驚いて目を開き、台座を見る。
まだはっきりしない視界に入ったのは、金の髪を揺らした妖精の少女。
先ほどまで封印の中で眠っていたはずの妖精が、しっかりと立ち上がってこちらを見ているのがわかった。
「我、承諾す」
再び妖精が口を開く。
「我らが女神と汝が祖の誓い、再び汝と交わすことを」
ゆっくりと妖精が手を上げる。
そして、伸ばしたままのタイムの手に触れた。
一瞬、何かが体を走り抜ける。
光の影響でぼやけていた視界がはっきりする。
真っ先に視界に飛び込んだ妖精は、笑っていた。
「我が名はティーチャー。汝を助け、共に戦おうと願う者」
そこまで言うと、ぱっと触れていた手を離した。
「よろしく、タイム」
にっこりと笑う。
誓いの言葉を言っていたときは明らかに違う笑顔。
それは、まだ幼い少女のような印象を与える笑顔だった。
ティーチャーの封印を解いたことで、神殿内に入ることができる者の制限はなくなったらしい。
神殿にかけられていた結界が自然に解けた。
それを知ったタイムは、外で待っているルビーとセレスを呼ぶために一度神殿の外へ出た。
戻ってくると、神殿の中の印象が先ほどとは全く違っていることに気づいた。
神殿内は先ほどより明るくなっており、廊下の左右にいくつか部屋があることが窺える。
あの広間は神殿の一番奥にある場所だったのだ。
その広間の手前、比較的広い談話室のような部屋でティーチャーは3人を待っていた。
「へぇー。あんたが封印されてた妖精」
「はい。ティーチャーといいます」
まじまじと自分を見るルビーに、ティーチャーはにっこりと笑い返す。
「よろしくお願いします!ルビーさん、セレスさん」
「こちらこそ」
「よろしくお願いします、ティーチャーさん」
ペこりと頭を下げるティーチャーに2人が笑って言葉を返した。
小さいためか、それとも年齢のためか、彼女の仕種が微笑ましいのだ。
ティーチャーの年齢は13歳。
妖精の年齢は人間の2年で数えられているという。
そのため彼女は人間で言えば彼女は26歳ということになる。
封印されていたのだから、実際はずっと生きている年月は長いのかもしれない。
しかし、封印されていなかった年月はたったの26年。
妖精にしては幼い、そう言える年齢だった。
「覚えてない?」
話の途中、不意にティーチャーが言った言葉にタイムは首を傾げた。
「うん。ぼやぁっとお母さんみたいな人は覚えてるみたいだけど、それだけ」
あっさりと言うティーチャーに3人は顔を見合わせた。
どうやら彼女は封印される前のことをほとんど覚えていないらしい。
聞こうと思っていたのに、それでは聞き出すことなどできない。
彼女が何故封印されていたかなど。
「それより」
ぱんっとティーチャーが手を叩く。
テーブルの中央――空中に浮かんだまま、にこにこと3人を見回した。
「みんな異世界に住んでるんでしょう?異世界ってどんなとこ?やっぱりインシングとは違うの?」
封印されていたとはいえ、普通の妖精以上の知識を彼女は身に付けていた。
どうやって知ったのかはわからない。
ただ、インシングという世界のこともミルザという存在も、自分たちが女神と呼ぶユーシスのことも、全て彼女は知識として知っていた。
「科学の世界ってとこ?」
「カガク?」
「魔法が存在しないんです。代わりに馬車より早くて自動で動く乗り物とか、そういう機械が溢れている世界っていう感じです」
「へー♪」
目を輝かせながらティーチャーが3人の話に聞き入る。
アースの人間にとってインシングが『魔法』というものが存在する未知なる世界であるのと同様に、本来インシングの人間にとってアースは『科学』という力が飛び交う未知の世界だ。
好奇心旺盛な者ならば、興味を持つのが当たり前なのかもしれない。
ふと、窓の外を見てタイムははっと動きを止めた。
太陽がちょうど真上に到達しようとしている。
いつの間にかミスリルたちとの約束の時間になろうとしていたのだ。
「ルビー。セレス」
タイムの呼びかけに2人は話をやめて彼女を見る。
「時間が……、みんなを探しに行かないと!」
その言葉に、2人は初めて近づいているタイムリミットに気づいた。
「時間?」
不思議そうに首を傾げてティーチャーが尋ねる。
「あたしたち、今日の昼までにアースに帰らないといけないの」
「アースに?」
やっぱり不思議そうに聞き返すティーチャーに、タイムはしっかりと頷いた。
「その前に別行動している仲間と合流しなきゃいけなかったのに」
「大丈夫!」
ぱんっと手を叩いてティーチャーが言った。
その顔には楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「私が送ってあげる!」
「送るって?」
「妖精の使う魔法は人間のものとはちょっと違うんですよ」
聞き返すルビーに、にっこり笑って説明する。
妖精魔法。
それは彼女たちだけが使える特別な呪文。
「でも、ミスリルさんたち、何処にいるかわかりませんよ」
「問題ないです」
恐る恐るという感じで発せられたセレスの言葉を聞いても、ティーチャーはきっぱりと言い切る。
「問題ないって……」
「皆さんと同じ“気配”を探せば大丈夫」
「気配?」
「うん。やっぱりミルザが関係してるのかな?たぶん人間にはわからないと思うんだけど、皆さんには独特の“気配”があるんです」
タイムの問いに答えながら、ティーチャーは3人を見回して続けた。
「だから同じ気配を辿ればきっと送れると思います」
そこまで説明して、にっこりと笑った。
よく笑う子なんだなと、ルビーが思わず感心してしまうほどの笑顔で。
「頼んでみよう」
タイムが静かに言った。
その言葉に、セレスは思わず彼女の顔を見る。
不安そうに瞳を揺らすセレスに気づいて、タイムは笑みを浮かべた。
「このまま闇雲にみんなを探しても時間がかかるだけでしょう?だったらイチかバチか」
「そうだねぇ。他に方法がないわけだし」
あうとため息をつきながらそう言って、ルビーはまだ不安そうな妹を見る。
「そうですね……。わかりました」
年上2人がそう言うのならば、自分だけそれに反対することは出来ない。
自分たちに時間がないのは事実なのだから。
そう考えて小さくため息をつくと、セレスは渋々ながらもその提案を了承した。
神殿の大広間の奥に祭壇の上に、3人は固まって立つ。
その足元には光で魔法陣が描かれていた。
3人のちょうど目の前、先ほどまで自分が眠っていた台座の上にティーチャーが降り立つ。
彼女は静かに目を閉じて、精神を集中させた。
「……見つけた」
やがて、ティーチャーが目を開け、静かに呟く。
「南部の村に1つ、城下の近くに、4つ」
「合計5つ?」
彼女が感じ取った気配の数に、セレスが不思議そうに首を傾げる。
「どうして?4人は一緒にいるみたいだし。その南部のもう1人は……?」
「セレス」
考え込むセレスにルビーが声をかけた。
「今はアースに戻ることが先決」
確かに、その謎の5人目の“精霊の勇者の気配”が気にならないと言えば嘘になる。
しかし、今自分たちにそれに関わっている時間がないことを、ルビーは十分承知していた。
「4つの方にお願い、ティーチャー」
「まっかせてー♪」
タイムの言葉を受けて、ティーチャーがふわっと魔法陣の上に浮き上がる。
「我、今ここに願う」
静かにティーチャーが詠唱を始める。
「空間を越え、この者たちを望むし場所へ誘わん」
ぼうっと足元の魔法陣が光を放ち始めた。
「タイム」
最後の詠唱をする前にティーチャーが呼びかける。
「何?」
突然名を呼ばれたタイムは、不思議そうに彼女の顔を見た。
「私、ここで待ってるから。いつまでも呼んでね。絶対、力になる」
笑顔で、それでも真剣さが入り混じった表情でティーチャーが言った。
その言葉にタイムも笑みを浮かべる。
「もちろん。そのときはよろしく頼むね、ティーチャー」
にこっとティーチャーが笑った。
そして静かに目を閉じる。
「ムーブメントっ!」
かっと魔法陣が強く発光した。
一瞬にして広間が光に包まれる。
祭壇もティーチャーも。
そして、魔法陣の上に立っていた3人も。
全てが光に包まれた。
エスクール城下の隣町にあたる町。
その広場では現在、とんでもない事態が起こっていた。
4人の旅人――今日の早朝から村に滞在する少女たちが、帝国兵に囲まれていたのだ。
「ちょっと、本気でどうする?」
小声で聞くのは深緑の髪の少女――レミア。
「どうするって言ってもねぇ」
「ペリート!あんた、何てことしてくれたの!?」
「だってぇ~。あの場合はしかたないじゃん!」
ため息をつくベリーをよそに、ミスリルは膨れるペリドットを叱りつけた。
事の起こりは30分ほど前になるだろうか。
帝国兵に小さな子供がぶつかった。
転んでしまったその子供は、慌てて起き上がって謝った。
しかし運の悪いことに、ぶつかった帝国兵は性格の悪い人間だったらしい。
帝国兵は子供の服の襟を掴み、その場で手にかけようとしたのだ。
それを偶然目撃したペリドットは、その子供を助けるためにオーブを相手にぶつけてしまった。
そして現在の、この帝国兵に包囲された状況に至るのである。
「まあ、騒ぎを起こすのは問題だけど」
「もう起きちゃってるって」
冷静に言うベリーに、思わずレミアがツッコミを入れる。
「わかってるわ。だから……」
胸の前で組んでいた手を離し、ぱんっと右手で作った拳で左の掌を叩いた。
「捕まるわけにはいかないわけだし、やるしかないでしょう?」
「駄目よっ!」
今までペリドットを叱りつけていたミスリルが、急にこちらを振り返った。
「今ここで私たちが何かをして、もしあの3人にも何かあったらどうするの!?」
「その時はその時よ。向こうの心配だけして私たちまでやられたら元も子もないでしょう?」
うっと小さく呻いてミスリルが口籠る。
正直なところ、レミアはベリーとミスリルが同じチームに入ってよかったと思っていた。
冷静でしっかりしているのは確かだが、実はミスリルには根本的に弱い部分がある。
最初の計画通りに進めようとして、突然のトラブルになかなか対応できないという部分が。
彼女がそれを周りに悟られずにいるのは、自分を初めとしたミスリルの周りにいる者が――最も親しいと言える友人たちがそれをフォローしているからに他ならない。
普段で言えば、ルビーが中心となって。
そして今はベリーがルビーの代わりをしている。
知らない人間がそんなルビーの話を聞けば意外に思われるかもしれない。
しかし、こういう時――緊急事態で一番冷静なのは、意外にもセレスやミスリルではなくルビーなのだ。
「まあ、ベリーの言う通りだね」
剣に手をかけてレミアが口を開いた。
「このままあたしたちが捕まっても、向こうの足手まといになるだけだし」
軽い音を立てて剣を抜く。
「一掃する。いいね?」
鋭い目でレミアがミスリルを見る。
彼女は戸惑ったような瞳でこちらを見ていた。
「いいんじゃない?もっとも、もう心配する必要なんかないけどね」
レミアの問いに答えるかのように、突然声が響いた。
彼女たちのよく聞き慣れた、凛とした声が。
「我願う。今この地、この場に漂う水よ。その姿、氷となりて、我らが前に立ち塞がりし者どもを吹き飛ばさん」
「封じられし魔の者よ。今ここに、陣を開きて、我、汝らが光の力を求めん」
続けて聞こえた詠唱は、紛れもなく先ほどの声の主とは違う声で紡がれていた。
「ブリザードっ!!」
「閃光陣っ!!」
再び声が聞こえたのと同時に、突然吹雪が巻き起こった。
空中に現れた魔法陣から無数の光の弾が放たれた。
吹雪は帝国兵だけを飲み込み。
光は帝国兵だけを貫き。
一瞬のうちに、その場にいた帝国兵のほとんどを死に至らしめた。
「去れ」
再び別の、最初に聞こえてきた声が辺りに響く。
幸運にも――いや、この場合は不幸だったのかもしれない――生き残った帝国兵は、その声のする方を振り返った。
彼らの視界に入ったのは3人組の少女。
「あたしたちの目的はあんたたちの壊滅じゃない」
はっきりそう言ったのは、中央に立つ炎のような赤い髪を持つ少女。
「それでも、ここで去らないのだというのでしたら」
「あたしたち7人、全員で相手させてもらうけど?」
両脇に立つ少女たちが、赤い髪の少女に言葉を続ける。
その三対の瞳には、冷たい光が宿っていた。
声を聞けば見当がつく。
先ほどの彼らの部隊を壊滅させた呪文。
その術者は、両脇に立つあの少女たちだと。
あの威力を持つ呪文が、今度は7つも来る。
それを聞いて、普通の人間ならそのまま抵抗できるばすがない。
「う、うわあぁぁっ!!!」
大声を上げて生き残った数少ない帝国兵が逃げ出していく。
それを見て、ようやく赤い髪の少女――ルビーは大きく息を吐いた。
「ルビー!セレス!タイム!」
帝国兵が全員去ってしまったのを確認してから、嬉しそうにペリドットが叫んだ。
「まったく……。何やってんのよ、あんたたち」
走ってくる彼女を見て、ルビーは呆れたような顔をして、ため息と共に言葉を吐き出す。
「だって!あいつらがね!」
「知ってるよ」
話し出そうとしたペリドットに、あっさりとタイムが言った。
「ふえ?」
「町の人に聞いた。子供を助けた旅人が帝国兵に囲まれてるって」
「それで来てみたら、案の定皆さんだったというわけです」
説明しながらセレスが苦笑する。
「助けるのはいいとして、もっとわかんないようにやんなさいよ、ペリート」
「だってぇ~。とっさだったんだもん」
ぶーっと頬を膨らませるペリドットの仕種は、とても18の少女がやるものだとは思えない。
「まあいいか。無事みたいだし」
「おかげさまでね」
ふうと息を吐いてベリーが言葉を返す。
「じゃあ時間もないことだし。そろそろ戻ろうか、アースに」
「そうですね。急ぎましょう」
頷いて、セレスが町の外へと足を向けた。
「待って」
唐突にミスリルが口を開いた。
その声に、歩き出そうとしていたルビーとセレス、タイムの3人が振り返る。
「確かに時間だけど、まだ帰れないでしょう?まだ……」
「ミスリル」
言いかけたミスリルの言葉を遮って、ルビーが口を開く。
「あたしたちが何でここに来たと思ってんの?」
「え?」
「宣言は終わった。契約再開、成立したよ」
そう告げると、タイムはにこっと笑った。
「だ・か・ら、もうこっちですることはとりあえずないってわけ」
両手を広げてルビーが続ける。
「やったじゃん!タイム!」
「これで戦力アップってわけだね」
ぽんっと肩を叩いて、ペリドットとレミアが言った。
そのすぐ後ろで、ベリーが珍しく穏やかな笑顔をタイムに向ける。
「というわけ?納得した?ミスリル」
意地悪そうに言われた言葉に、呆然としていたミスリルははっと我に返る。
そして、小さくため息をついた。
「あんたの力、見縊ってたみたい」
「それはどうも♪」
「誉めたからって調子に乗らないでよ」
冷たく言うと、ミスリルはさっさと町の外へ歩いていく。
それを見て、ルビーはおかしそうに笑った。
「あ、そういえば」
町の外へ向かう途中で突然レミアが口を開いた。
「サルバの町で帝国兵の馬が盗賊に奪われた話、知ってる?」
その問いに、ルビーの肩が大きく跳ねた。
セレスとタイムが表情を歪ませて苦笑する中、残りの4人の視線がルビーに集まる。
「……もしかして、その犯人って」
「あは、あはははははは」
「……やっぱりルビーちゃんなんだね」
ペリドットが視線を向けると、顔を赤くして小さくセレスが頷く。
誤魔化し笑いをするルビーを見て、別行動をしていた4人は大きなため息をついた。