SEVEN MAGIG GIRLS

Side Story

新たな年新たな誓い-Royal Side

精霊暦2021年レイの月1の日。
アースで元旦に当たるこの日は、インシングでも当然新年の始まりの日だ。
どの国の城下でもニューイヤーパーティの行われるその日、エスクール城は小さな騒ぎが起こっていた。
「何ぃっ!?リーフ様が帰っていないっ!?」
エスクール城の敷地内にある兵舎の一室でそう叫んだのは、リーフとミューズの剣の師であり、現在はリーフの副官として彼の代わりに自由兵団を率いているエルト=ディオンだ。
「そ、それどころか、ミューズ様もいらっしゃらないようで……」
「何だとぉぉっ!?」
部下の報告に、エルトは叫び、頭を抱える。
「よりにもよってミューズ様まで……。何を考えていらっしゃるんだ、殿下は……」
上官の、泣きそうな声で発せられた呟きを聞いてしまった部下たちは、複雑そうに顔を見合わせる。
今年のニューイヤーパーティは、エスクールにとって大きな意味を持つものだった。
昨年の今頃は、この国はまだダークマジック帝国の支配下にあった。
独立を取り戻して初めての新年。
ニューイヤーパーティでは王族が城下の広場に下り、新年の挨拶をするというしきたりのあるこの国の国民は、今年はレジスタンスの双頭と呼ばれた王子と王女の姿を見ることができると、とても楽しみにしていた。
それなのに、肝心の本人たちが不在だなんて、王と民に何と言えばいいというのだろう。
剣の師であることも手伝って、ここ数年最も王家に近い場所にいたがために、ある意味で教育係のような存在になってしまっていたエルトは、どうやって2人の居場所を探し出し、連れ戻そうかと真剣に考え始める。
が、すぐにそれも無駄なことだと悟ると、部屋中に響き渡るほど大きなため息をついた。
考えてみれば、リーフが武者修行と行って旅立って言った先は異世界だ。
この世界と向こうの世界を繋いでいる『扉』を開く呪文は、本来禁呪として封じられていたはずのものであるらしいから、かなりの高位の魔道士でなければ、扱うことは出来ないだろう。
だからリーフを連れ戻すことは不可能であり、ミューズもリーフが連れ出したのだとすれば、行き先は異世界であるはずだから、彼女も連れ戻すことは不可能だった。

本当にどうしたら良いのか。

エルトが本気で悩み始めたときだった。
「ディオン副長っ!!」
ばんっと勢いよく扉が開いて、部下の1人が室内に走りこんできた。
「……どうした?」
正直に言えば、今は主たちの帰還の報告以外は聞きたくない。
そう思いながらも尋ねたエルトが耳にしたのは、信じられない報告だった。
「ひ、広場に造ったステージの上に、リーフ様とミューズ様が……」
「何ぃっ!?」
がたんっと大きな音を立てて立ち上がると、報告に飛び込んできたまだ若い青年はびくりと肩を跳ね上げる。
「広場にだとっ!?本当かっ!?何処からっ!?」
「そ、その……、警備兵の話だと、突然空中にぽっかりと開いた穴からおふたりが……」
「空中にぽっかり開いた穴……」
間違いない。
それは異世界との『扉』だ。
やはり2人は異世界に行っていたのだ。
その報告にエルトがほっとしたのもつかの間、青年は再び口を開くと、信じられない報告をした。
「あ、あの、ディオン様……?」
「何だ?」
「実はおふたりとご一緒に、マジック共和国の国王補佐官と思われる方が一緒に……」
ぴたりと、エルトの動きが止まる。

「何だとぉぉぉぉぉっ!!?」

一瞬遅れて、今までよりもずっと大きな叫びが兵舎中に響いた。



エスクール城下の中央広場に造られたステージ。
先ほどまで踊り子たちが踊っていたそこには、今は突然現れたこの国の双頭が立っていた。
帝国の植民地時代に捕らえられ、投獄されていたために体調を崩してしまった国王の変わりに政務の大半を担っている王子と王女。
国民は正装をした2人の姿――特に修行のために不在がちになってしまった王子の姿に歓喜の声を上げた。
しかし、それもすぐに戸惑いの声に変わってしまう。
彼らの突然の出現から一瞬遅れて、かつて自分たちを支配していた国の、現在の王姉が姿を現したためだ。
かつての真の支配者は既になく、国の再編を果たしたものの、未だ強い力を持つあの国を警戒する人々が――特に直接の支配にあった各国の王都で――多いのは事実で。
その事実上のトップとも呼べる人間が、突然公の場に現れたのだ。
警戒するなという方が無理であろう。
それを承知で、リーフは彼女をここへ呼んだ。
帝国解体1周年の年になるこの年、今のままでは駄目だと思ったのだ。
外交なんて、そっちはミューズの管轄だったから、詳しいわけではないけれど。
それでも世界が新しく進み始めている今、再び力を取り戻し始めているこの国が、どこかの特定の国を憎んだままというのはいけないと思うのだ。
ミューズにそのことを話したとき、「公務をサボって異世界に行ってる人が何を」と言われてしまったけれど、その異世界で彼女たちと共に過ごしたからこそ、そう思った。
異世界の世界情勢を見てしまったから、せっかく一般の目で見れば平和な世界を乱して戦争にはしたくない。
彼女たちの開いてくれた未来への道を、閉ざしたくはないから。
だから今、新年最初の日である今日だからこそ、示さなければならない。
自分とミューズの考える、これからのこの国の方針を。
ちらりとミューズを見れば、視線に気づいた彼女は複雑そうな表情を浮かべながらも、しっかりと頷いた。
それに頷き返すと、リーフは正面を向いた。

「今日この日、ここに新しき年を、再びこの国の民として迎えることができたことを、我ら兄妹も嬉しく思う」

アナウンスもなく始まった王子の演説に、先ほどまで騒然としていた人々は、しんっと静まり返った。
この国の民にとって、リーフもミューズも、レジスタンスに身を投じ、国を取り戻した英雄だ。
その彼らが話をするならば、思わず注目してしまうのは、彼らに感謝しているこの国の人々にとっては当然のことと言えた。

「これも皆、1年前に皆が我らを支援し、国を取り戻す力になってくれたおかげだ。ここで改めて礼を言いたい。……ありがとう」

一拍置いて、笑顔と共に告げられた感謝の言葉に、民の間に笑顔が浮かぶ。
しかし、やはり元敵国の現王の姉の存在が気になるのだろう、何割かの者たちは訝しげな表情を崩そうとはしなかった。
彼らにとって、これから自分の言うことは許せることではないだろう。
けれど、言わなくてはならない。
これからの世界を、平和なものにするために。
「この新しい年を迎えた今日、我らは新たな橋を架けようと思う」
リーフの言葉に、国民は不思議そうな顔をし、「橋?」と疑問の声を上げた。
そう。自分が今創りたいのは橋だ。
この世界を平和なものにするために、新たな橋を架けたい。
その最初の役目は、きっと長年世界中から友好国と見られていたこの国の仕事だと思うから。
「ここにいらっしゃるのは、マジック共和国のシルラ王の姉、アマスル=ラル補佐官だ」
一歩右へと移動すると、リーフは自分の後ろで控えていたアールを紹介した。
その言葉に、やはりと納得する者、気づいていなかったらしく驚きの声を上げる者、反応は様々だ。
ここでこの考えを言ったら、きっと不満に思う者は多いのだろう。
その不満を取り除けなければ、父の後を継ぐことなんてできるはずがない。

「我がエスクールは、マジック共和国との友好同盟を結ぶ!」

マジック共和国――それは1年前に解体したダークマジック帝国の現在の名称。
新たな国になったはずのあの国に、しかし不満を持っている者は未だに多くて。
案の定、この場でも不満の言葉が上がった。
自分たちが戻って来ていると聞いて、慌てて城からやってきたのだろう。
大臣を始めとした重臣たちからも、驚きと不満の声が上がる。
「殿下っ!?何をそんな、敵国と同盟などと、馬鹿なことをっ!!」
「そうですぞっ!あの国は、あの頃と同じ者が王位についているというのにっ!!」
重臣たちが叫ぶと同時に民たちからも不満が上がる。
それにため息をつきながらも、リーフは真っ直ぐに家臣たちを見た。
「ならばお前たちは、このまま彼の国を孤立させよと、そう言うのか?」
「当たり前ですっ!同盟など結んで、もしも同じことが起こったりしたら……」
「同盟を結ばず孤立させていたら、同じことが起こっても、また彼の国が侵攻を始めるまで気づかないでしょうね」
重臣たちの声を遮るように、涼やかな声が重なる。
驚いて声をした方を見れば、そこにいたのはミューズだった。
リーフは、彼女がマジック共和国を庇うかのように口を開いたことに驚いた。
何とか説得したものの、ミューズもこの話には、本当は乗り気でないように感じていたから、一緒に来てくれても話をすることはないだろうと、そう思っていたからだ。
「ですが同盟を結べば、彼の国の状況は我が国にも入ってきます」
ミューズの言葉に、重臣たちははっと目を瞠る。
「二度とあの国があんな暴挙に出ることがないように、同盟を結んで監視をするのも、決して我が国にとってはマイナスにはならないと思いますが?」
ミューズのはっきりとした指摘に、重臣たちは言葉を見つけることが出来ないらしい。
ふと、小さな笑いが耳に入って視線だけを動かしてみれば、正装をしたアールが、他の人間にはわからない程度に表情を歪め、小さく笑っていた。
「アール……」
「いや、すまない。確かにそうだな、と思ってな」
呆れたように名を呼べば、笑ってそう返してくる彼女。
もう友人と呼ぶべき彼女は、目の前で自分の国が罵倒されても、ただ苦笑しているだけだった。
彼女自身わかっているのだろう。
たとえあの女のせいだったとしても、昔の国のやったことは、今の王族である自分が背負わなければならないことなのだと。
だから弁解はしない。
ただ罵倒を受け入れる。
そんなアールの心情もわかるからこそ、リーフは苦笑を返すだけで、何も言わなかった。
代わりに咎めるような視線でミューズを見て、ふうっと息を吐くと、そのまま真っ直ぐに重臣たちを見返す。
「監視うんぬんはともかくとして」
前触れもなく発した言葉に、重臣たちはびくりと体を震わせる。
そんな彼らの心情を理解しつつも、わざと冷たい声音で続ける。
「確かに、個人的感情で言えば、私のこの提案は理解できない。それはわかる。だが、お前たちは本当にそれでいいと思うのか?」
「で、殿下……?」
言葉の意味が判らなかったらしい重臣の1人が、恐る恐るリーフを呼ぶ。
そんな彼の様子を敢えて無視して、リーフは先を続けた。
「あの国は敵だったから。自分たちを害したものだから。それだけの理由であの国だけを孤立させていいと思うのか?」
「当たり前です!」
リーフの問いに、重臣の1人が大声で反論する。
「先ほどミューズ殿下は監視をすればいいと仰いましたが、それであの国の動きを阻止できると、誰が保証できましょう!」
重臣の言葉に、その場に集まった者たちが同意の声を上げる。
ミューズの言葉が王家の決定だと、そう思っているからこその非難の声。
けれど、マジック共和国の監視というのはあくまでミューズ個人の意見で、リーフはそんなことは考えていなかった。
ここ数か月、あの7人を通してアールを見てきたリーフは、彼女とその弟であるシルラに監視が必要だなどと感じてはいなかったのだ。
彼らの後を継ぐことになる人物がどういう人間に育つか、それはわからない。
けれど、アールとシルラに関しては信用してもいいと、そう確信していた。
「平和を保つためには、あの国の力を徹底的に削ぐべきなのです!そのためには、あの国にこちらの物資を提供することを認めなければならなくなるかもしれぬ同盟など……」
「だが、現在のこの世界の技術を支えているのは、あの国の魔法技術だ」
はっきりとそう言った途端、今まで捲くし立てるように話していた重臣が虚を衝かれたように黙り込んだ。
「魔法王国と呼ばれるスターシアの技術も、マジック共和国には及ばない。彼の国を孤立させれば、確実に技術力は低迷するだろう。今復興に向かっている各国にとって、それは致命的だと思わないか?」
「そ、それは…・・」
「彼の国の技術面は、世界の復興に大いに役立つ。しかし、各国は未だ彼の国を信用することは出来ず、どんなに技術援助を申し出ても、受け入れてもらうことが出来ずにいるそうだ」
答えることのできない重臣に遠慮することなく、リーフはさらに言葉を続ける。
その顔は、施政者としてのそれだった。
「このままではさらに治安が悪化する国も現れ、そこから第二第三のイセリヤが誕生する可能性も否めない」
リーフの指摘に、その場にいた者たちの顔が一気に青褪める。
視界の隅でそれを確認しながら、彼はステージ正面を向き、さらに言葉を続けた。
「我が国は、支配されていた期間も3年と短く、被害は他国よりも軽い。そして何より、精霊の宿る国として、勇者の故郷として、信用もある。その我が国が橋渡し役になり、帝国に支配された国々の、早期の復興に手を貸したい」
ミルザの生まれた国だから。精霊神と七大精霊の住まう国だから。
そう言った実存する伝説に登場する国だからという理由と、何よりその名誉に恥じないように努力を続けてきた歴代の国王のおかげで、平和が訪れた今日も、エスクールに対する印象は良い。
その自分たちが橋渡しをすれば、すぐにとはいかなくても、うまくいく可能性は高くなるはずだ。
「そうすることで事態の再発が防げるとすれば、今は個人的な感情よりもそちらを優先すべきだと、私はそう思う」
正面を向いてはっきりとそう言い切ったリーフの言葉に、会場はしんと静まり返る。
「リーフ殿下」
誰もが言葉を発せずにいる中、唐突に女性の声が響いた。
驚いた重臣たちが視線を向けた先にいたのは、リーフとミューズか連れてきた『敵国』の王女。
王族のドレスではなく文官の正装をした彼女は、リーフの目を見て薄く微笑む。
リーフがそれに頷いて答えると、彼女はひとつ頷き返した後、真剣な表情を浮かべ、真っ直ぐに会場を見た。
「信じていただけないのは、仕方のないことだと思います。我が国は、それだけのことをしてきたのですから」
無言のやり取りの後、言葉を発したアールに、それを許したリーフに、会場に集まった者たちは驚く。
「それを全てあの女……イセリヤのせいだと言って、罪を逃れるつもりはありません」
はっきりとそう言い切った彼女の言葉に、ある者は素直に驚き、ある者は意外そうに目を瞠り、またある者は訝しげな表情を浮かべた。
そんな人々の反応をひとつひとつ視界に捉えながら、けれど怯むことはなくアールは言葉を続ける。
「たとえあの女が黒幕だったとしても、我が国が犯した罪は、あの女の言葉を跳ね除けることの出来なかった我らの罪。私と、我が弟、シルラ=ラル陛下の罪です」
シルラがまだ幼い子供だったこと、アールが自分が皇族だと知らなかったことを、言い訳にはしない。
例え子供でも、成人していないことを理由に公務に携わることを許されていなかったとしても、シルラが本来あの女を止めるべき王であったこと、そしてアールがあの女の直属の部下であった事実は変わらないのだから。
「我らはそれを償わなければならない。……いえ、償いたいと思っています」
義務だからではなく、そうしたいと思うから。
だから償いたいのだと、真剣な表情で会場に集まった人々に告げる。
「信じて欲しいとは申し上げません。ですが、見守っていていただきたい。そして、そのためのチャンスを、我らに与えていただきたいのです」
そのための第一歩を踏み出すために。
自力でその道を切り開くことの出来ない今、そのための道となって欲しいと、若き『敵国』の王女は懇願する。
「マジック共和国の国王の姉として、一国民として、どうかお願いいたします」
そこまで言い切ると、アールは深々と一礼した。
会場がしんと静まり返る。
風が木の葉を揺らす音。小鳥の囀る声。
それ以外何も聞こえなくなった会場に再び声を響かせたのは、濃緑色の髪を持つ未来の国王だった。
「彼のミルザの血を引く勇者たちは、今は異世界の住人だ。その彼女たちにとってこの世界は見知らぬ土地」
彼が唐突に語りだしたのは、今この件とは全く関係のない勇者と呼ばれる少女たちの話だった。
その内容に、誰もが不思議そうに眉を寄せ、首を捻る。
しかし、リーフはそれを気にすることなく言葉を続けた。
「勇者だからと言っても、個人の感情がないわけではない。こちらの世界で育ったわけではない彼女たちにとって、インシングは見捨ててもよい世界だった」
彼女たちにとって、異世界を――自分たちの故郷さえ守れれば、インシングのことは見捨ててしまってもよかったはずだ。
例えこちらの世界がどうなろうと、既に向こうの住人であった彼女たちには関係がないはずだった。
「だが彼女たちはイセリヤを倒すために、ただそれだけのためにこちらの世界に戻ってきてくれた」
こちらの世界を平和にしても、未だ向こうの世界で暮らしている彼女たちには何の利益もない。
それだというのに、ただイセリヤを倒すために――自分たちとの約束を果たすためだけに――こちらに手を貸してくれたのだ。
「関係ないから。いい感情がしないから。そういった感情だけで国を治めて、本当に良い国がつくれるのだろうか?」
彼女たちが命がけで切り開き、また今も影で守り続けている平和への道。
その道を、自分たちは個人的な感情と自分たちの損得だけで突き進もうとしている。
「本当の意味で、良い王になれるのだろうか?」
損得だけで突き進み、自国の利益だけを追求して。
そうやって国を治めた王が、歴代の王と同様に、他国から良い評価を得られるのか。
「私は、そうは思わない」
いくら今は帝国の圧制のせいで、自国の建て直しが必要だと言っても、それだけやっていればいいとは思えないから。
「私はこの国を本当の意味でよい国にしていきたいと願っている。そのために、まずはマジック共和国と他国との橋になりたいと思っている」
自国だけではなく、他国のこと考えられる国にしたい。
そして歴代の国王たちに恥じない王になりたい。
心の底からそう望んでいるからこそ、新しい年を迎えたこの日、初めて民の前に姿を見せるこの日に願う。

「そのための一歩を踏み出すことを、許していただきたい」

会場の人々に向けそう告げると、リーフは深々と頭を下げた。
リーフのその行動に、人々は驚き、騒然とする。
けれど、当のリーフはいつまで経っても頭を上げようとはせず、深く礼をしたままだ。
「で、殿下っ!?」
さすがに見かねた重臣の1人がリーフに駆け寄ろうとしたその瞬間、白い袖に包まれた腕がその進路を遮った。
「ミューズ様っ!?」
その腕を出した人物に気づいた別の重臣が、驚いたように彼女の名を呼ぶ。
呼ばれたミューズはちらりとそちらを見ただけで、その男には何も言わなかった。
ただ、真っ直ぐに頭を下げ続ける兄を見つめると、いつもよりも低い声で口を開いた。
「お前たちはいつまで兄上に頭を下げ続けさせるつもりだ」
「で、ですから、私は今……」
「私が言っているのはそういうことではない」
重臣の反論を一蹴したミューズは、さらに低く、厳しい声で言った。
「兄上は民にだけではない。お前たちにも頭を下げているのだぞ」
思いもしなかったミューズの言葉に、重臣たちは驚いたように目を見開く。
そんな彼らに気づかれようにため息をつくと、ミューズは手を下ろし、息を吐き出すように言った。
「兄上はあれで頑固だから。きっと反対している者たちが承諾するまで、あそこで頭を下げ続けるでしょうね」
ほんの少し、妹としての口調に戻って、リーフが考えているだろうことを告げる。
その言葉に、重臣たちは驚きの表情を浮かべた。
無理もないとミューズは思う。
国王と一緒に城に軟禁されていた形になる彼ら文官は、レジスタンス時代の自分たち兄妹を知らないだろうから。
嫌な沈黙と、国民の騒ぐ声が会場に響く。
けれど、ミューズの言葉どおり、リーフは全く頭を上げようとしなかった。
少し後ろの位置に立つアールも、その様子に目を丸くする。
彼女の中のリーフのイメージはあの7人の雑用係で、こんな姿などほとんど見たことがないのだから、それはある意味当然の反応かもしれない。
「わ、わかりました!わかりました!」
とうとう根を上げた重臣の1人が、次期国王にいつまでも無様な姿を晒させるわけにはいかないと大声を上げる。
その言葉に周りの重臣たちは驚き、抗議しようとしたが、声を上げた者が自分たちの中で最も地位のある者――即ち最高位の大臣であったから、何も言うことが出来ずに口を閉じた。
「マジック共和国との同盟、承認いたします!」
大臣のその言葉に、会場に集まった人々は驚いた。
その決定に感心する者、非難する者。
その反応は様々だったけれど。
「……ありがとう」
リーフは薄く微笑んで彼に礼を告げると、三度正面へ向き直った。

「未だマジック共和国に疑念がある。それは誰もが同じことです」

唐突に響いた王位継承者の声に、再び会場が静まり返る。
「けれど、だからと言って、真の平和を得るための努力を怠って良いとは思えません」
疑念があるからと、歩み寄ることを完全にやめてしまっては、きっと平和を守ることなどできないのだと思う。
だから願うのだ。
この平和を守るために、今できる精一杯のことをしたいと。
「どうかチャンスをください。そして、見守っていてください。我らが、この国を何処へ導いていけるのか。真の平和へ。今度こそ、二度とあんなことの起こらない世界を創れるかどうか」
一歩、リーフが前に出る。
「私は誓います。もっと多くのことを学び、この国に真の意味での平和を齎すため、努力することを」
横に広げられていた手の片方――右手が、ゆっくりと白い服に覆われた胸へと当てられる。

「我が身に流れる血と、エスクール王家の名にかけて」

真っ直ぐに会場を見つめる瞳は、いつになく真剣な輝きを宿しているように見えた。
しん、と静まり返る会場。
後ろに控える形になった重臣たちが、やはり駄目かと思ったそのときだった。
会場の一角から、控えめに手を叩く音が聞こえた。
それはだんだん大きくなり、徐々に回りに広がっていく。
重臣たちが驚いて目を見開いた頃には、その音は会場中に広がっていた。



「しかし、陛下はなんと仰るかわかりませんぞ!」
承諾してくれた人々に礼を言い、ステージを降りた直後、大臣の小声の指摘が飛ぶ。
その言葉に一瞬と驚いたように目を瞠ったリーフは、しかしすぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ああ、それは大丈夫だ」
まるでリーフのその言葉が合図であったかのように、彼の後ろにいたミューズが前へ出る。
「陛下は先月私を外交官長に任命された。以後、外交に関しては全て私に一任し、一切口を挟まれないとのことです」
はっきりと言い切られたその言葉に、そんな話を聞いたいなかった重臣たちは呆気に取られ、ミューズをまじまじと見つめた。
そんな彼らを綺麗に無視すると、ミューズはすぐ側にいる兄を振り返った。
「ただし、兄上。外交責任者として、この同盟を承認する前に、ひとつだけ条件があります」
「何だ?」
厳しい表情で、口調でそう告げるミューズに、リーフは不思議そうに尋ねる。
その途端彼女の口から出たのは、全く予想していなかった言葉だった。

「会議の際には我が国からは私が、貴国からはアマスル殿下が必ず責任者として参加することを、兄上と殿下に了承していただきたいのです」

意外な提案に、リーフだけではなくアールも驚き、目を瞠る。
2人の反応は当然だった。
ミューズは、未だにアールを憎んでいるばすだったから、そんな提案をするとは思わなかったのだ。
「そうでなければ、私はこの同盟を承認できません」
はっきりと言い切るミューズを前に、リーフは困惑した表情を浮かべる。
しかし、すぐに気を取り直し、先ほどまでの次期国王としての表情に戻ると、妹の茶色の瞳を真っ直ぐに見つめて尋ねた。
「……その言葉は私怨から来るものではないな?」
「……はい」
濃緑の瞳を見つめ返して、はっきりと答えるミューズ。
その瞳の色に嘘はない。
少なくとも、そのときのリーフにはそう思えた。
いや、そう信じたかっただけなのかもしれない。
「アマスル殿」
心の奥底に残る不安を押さえつけてアールを振り返り、彼女の本名を呼ぶ。
それまで唖然とした様子だったアールは、少しだけ考え込むような仕種を見せた後、その紫の瞳を真っ直ぐにこちらに向け、頷いた。
「了承いたします。どちらにしろ、貴国との話し合いには、私自身が参加するつもりでしたから」
「申し訳ない。……ありがとう」
あくまで王族として礼を告げると、リーフは再びミューズに向き直った。
「貴公の提案、了承しよう。頼むぞ、ミューズ」
「はい、兄上」
リーフの言葉に、ミューズはしっかりと答える。
その間も、茶色の瞳に宿った色に変化はなく、リーフはこっそりと安堵の息をついた。
決して妹を信じていないわけではなかったけれど、彼女が幼心に宿した憎しみがどれほどのものだったのか知っているから、心配せずにはいられなかった。
そんな気持ちを誤魔化すかのように真っ直ぐに自分を見つめるミューズに頷き返すと、リーフはそのまま彼女の後ろに立つ大臣に声をかけた。
「アイヴァン、今日はこの後、夕方に食事会があるだけだったな?」
「は、はい。予定ではそうなっております」
「なら我らは一度兵舎の方へ行く。準備を頼む」
「はっ!」
「行くぞ、ミューズ」
「……え?は、はい」
まさか自分も声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
2人のやり取りを聞き、兄が何処へ行くのか予想をしていたミューズは、突然声をかけられ、反射的に頷いてしまった。
それに笑みを浮かべると、リーフはアールに声をかけ、広場の外へ向かって歩き出した。



暫くそのまま歩いていたリーフが、こつんとアールの肘を自分の肘で叩く。
それを合図に角を曲がった3人は、自分たちの衣服が完全に建物の影に入ったことを確認して大きく息を吐いた。
「いいのか?あんな嘘ついて」
顔を上げて真っ先にそう尋ねたのはアールだ。
「ああでも言わなきゃ抜けられそうになかったからな」
「だからって私まで巻き込まなくても」
「いいだろ、別に。あいつらだって、お前に会いたがってるんだから」
ぶつぶつと文句を言うミューズに、リーフは先ほどまでの威厳が嘘のような幼い表情で言い返す。
そんなリーフの姿に苦笑しながら、アールはきょろきょろと辺りを見回した。
「それで、あいつらはどこにいるんだ?まさかさっきの広場に?」
「いや。目立つのは嫌だから、街の東のはずれ辺りに身を隠してるってさ」
「……隠れている方が目立つような気がするんですけど」
確かに、それぞれ髪の色の違う彼女たちが8人集まって路地にいれば、普通に町中を歩いているより目立つかもしれない。
固まって存在する8色の頭を創造して苦笑を浮かべたアールは、ふと口元に手を当てると、何を思ったのかにやりと笑ってリーフを見た。
「大方提案したのはお前だろう?愛しい婚約者殿はお披露目まで見せたくないだろうからな」
「んなっ!?違うっ!!」
『愛しい婚約者』と口にした途端、リーフの顔がぼんっと音が聞こえそうな勢いで真っ赤になる。
正確にはまだプロポーズはしていないから恋人どまりなのだが、どうせ2人とも結婚を前提に考えているのだから同じことだと、アールは考えていた。
「どうだか」
「アールっ!!」
「ああ、もう!騒がないで!街の人たちに気づかれるわっ!」
「う……」
思わず声を上げてしまってミューズ怒られたリーフは、思わず口を閉じる。
しかし、アールはからかうことをやめるつもりはないらしかった。
「では静かに行きましょうか?王子殿下。愛しい愛しい姫君のもとへ」
「アールぅ……。お前わざと言ってるだろうっ!!」
「さぁな」
わざとらしく言ったアールに文句を言うけれど、リーフがどんなに叫んだところで、それはあっさりと躱されてしまう。
ふるふると拳を振るわせたリーフは、先ほどよりも声を落としてさらに反論を続けるけれど、アールはそ知らぬふりだ。

言葉の攻防に夢中になっていた2人は気づかない。
そんな自分たちのやり取りを、わざと少し後ろを歩いているミューズが、眩しそうに見つめていたことに。



精霊暦2021年。
今年は今までとは違う年になるだろうと、そのとき誰もが感じていた。

2006.01.11