SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter7 吸血鬼

9:真夜中の訪問者

夜空に月と星が輝いている。
大国の城も寝静まり、夜勤の近衛兵しか起きていないような時間。
この城の主の姉である彼女は、執務室から自室への道を急ぎ足で歩いていた。
幼い頃から慣れた場所、ここ1年半ほどは自分の家でもあるはずのそこでも、夜は若干不気味だ。
怖いなんて感情はないけれど、柱の影に何かが隠れていないとも限らない。
少なくとも、帝国時代は暗殺者が隠れていない日の方が少なかった。
そんな時代の癖もあり、彼女は足を止めることなく自室へと向かう。
普段は弟の部屋に寄ることもあるけれど、さすがに今日は遅すぎる時間だ。
王であるあの子も多忙で、疲れているだろうから、もし起こしでもしたら可哀想だろう。
諦めて、傍にある自室への扉を開き、中に入った。
その瞬間、違和感を覚えた。
こんな時間に、この部屋に入る人間などいない。
少し前なら弟のシルラがいることもあったが、最近ではそんなことはすっかりなくなった。
何より、あの子とは気配が違う。
もっと別の、しっかりとした気配。
暗闇で確かにそれを感じ取った瞬間、彼女は部屋の奥に向かって身構えた。
「誰だっ!!」
部屋の奥に向かい、攻撃用の魔法紋章を刻んだ手を向ける。
その途端、部屋の奥の影が動いた。
「こんばんは、アール」
窓から差し込んだ月明かりが、その人物の顔を照らす。
その顔に、声に、見覚えがあり、彼女――アールは一瞬目を見開いた後、深いため息をついた。
「お前……、何故こんなところにいるんだ?」
「ごめんなさい。ゲートの呪文に慣れていなくて、ここか謁見の間しかイメージできなかったものだから」
「……そうか」
窓辺にいる人物が苦笑すると、その月に照らされた髪が光を弾く。
深い紫のそれは、この時間には闇に溶け込んでしまって、照らされていなければ、長さすらわからなかっただろう。
移動系の呪文というものは、転移の先をイメージできなければ発動することはできない。
他の者ならこちらが指定した場所に出ろと怒るところだが、この人物が1人でこちらに来ることはほとんどないから、そこがうまくイメージできなかったのだろう。
それに、こんな時間だ。
城の中を関係者でない人間が歩き回るのはよくない。
だから、この人物がここを選んだことはむしろよかった、かもしれない。
「まあ、それはいいとする。だがな、明かりくらいつけろ」
「ランプってどうも馴染みがなくて」
「……そうか」
返ってきた答えに、アールは再びため息をついた。
こちらの世界ではランプや蝋燭が明かりの主流だけれど、この人物の暮らす世界ではもっと便利なものがあるらしい。
だから仕方ないと言えば仕方ないのだが、付きたくなったものは仕方ないだろう。
悪びれもせずにそんなことを考えながら、アールは部屋の入り口のサイドボードにあるランプを手に取った。
通常、王族の部屋の明かりは、暗くなる頃に侍女たちがつけに来る。
けれど、アールは自室に関してはそれを断っていた。
どうせほとんど寝るためだけに戻る部屋だ。
そんな部屋に不必要な明かりをつけるくらいなら、もっと明かりを欲しがっている人たちの手に渡った方がよい。
そう考えながら、ほとんどつけていない、けれど手入れだけはしっかりとされているそれをつける。
室内を満たすには十分なそれのおかげで、漸く窓の傍に佇む人物が、はっきりと見えた。
闇に溶ける、頭の後ろで二つに結われた長い紫の髪。
髪と同じ紫紺の瞳。
そして彼女の持つ色とは対象に、薄い黄色と白で統一された服。
彼女自身に、そしてその姿の彼女に会うことすら、ずいぶんと久しぶりのような気がした。
「久しぶりだな、ベリー」
「ええ、久しぶり」
6つは年下のはずなのに、妙に大人びた雰囲気を持つ少女は、こちらを見てにこりと微笑んだ。
けれどアールは、その笑顔を見た途端に三度ため息をついた。
「それで、何の用だ?」
「え?」
「何か用があって、わざわざ来たんだろう?」
当然のようにそう尋ねた途端、ベリーの目が僅かに見開かれる。
それだけで彼女が何を考えたかなんて、手に取るようにわかった。
だって、今までもその質問をすれば、彼女たちは同じような反応を返してきたのだから。
「どうしてそう思う、なんて簡単なことは聞くなよ?いい加減慣れた」
呆れ混じりにそう答えれば、ベリーも合点がいったらしい。
納得するように頷いたかと思うと、苦笑を浮かべた。
「話が早くて助かるわ」
その言葉だって、もう何度聞いただろう。
それでも嫌だとは思わない自分に呆れながら、アールは尋ねた。
「今度は何があった?」
「何も」
「は?」
彼女たちがここに助力を求めに来るときは、何処かで何かがあったときだ。
だから尋ねたのだけれど、彼女からあっさりとそんな答えが返ってきた。
「誤魔化すな」
「誤魔化してなんかないわ。何もないのよ」
思わずベリーを睨みつけたけれど、やはり返ってくる答えは同じ。
「ただ私が、世界を巡りたいだけ」
紫紺の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。
自分よりもずっと深い、紫の瞳。
その目を、アールもじっと見つめ返す。
「本当に、それだけか?」
「ええ」
ベリーは目を逸らすことなく、はっきりと答える。
その答えに、アールはほんの少しだけ目を細めた。
今まで彼女たちは、何事かが起こらないうちから行動をしたことはない。
だから今回も当然、何処かで何かが起こったのだと思っていた。
けれど、そうではないと言うのなら。
「では、何故だ?」
その問いに、ベリーの表情がぴくりと動く。
それに気づかないふりをして、アールは言葉を続けた。
「何も起こっていないと言うのなら、何故お前はわざわざ世界を回ろうとする?」
「そんなこと、あなたに関係は……」
「何かに協力して欲しいからここに来たのだろう?」
誤魔化そうとしたベリーの言葉を、強い口調で遮る。
一瞬逸らされた紫紺の瞳が、はっとこちらを見た。
「ならば、話すのが筋じゃないのか?」
その目を真っ直ぐに見て、問いかける。
話さなければ、協力する気はないのだという意志を込めて。
その意志を、ベリーも読み取ったらしい。
迷ったように目を伏せた後、彼女は再びこちらを見た。
「……何も、起こらないから、かしら」
「は?」
迷ったように上げられた視線とともに返ってきた答えに、思わず目を丸くすね。
何も起こらないから世界を回りたい、というのはどういうことだろうか。
その意味がぴんと来なくて、思わず間抜けな問いかけをしてしまった。
普段はそんな反応に呆れたような表情を浮かべるベリーだけれど、今はそんな余裕などないらしい。
「みんなは、力を手に入れたわ。けれど、私だけ何もない」
視線を足下に落とし、呟くようにそう言葉を漏らす。
「もし何かあったとき、私だけが対抗できない。もしかしたら、足手まといにすらなるかもしれない」
「それが不安だから、自分も力を手に入れたいと」
アールの問いかけに、ベリーは小さく肯定の言葉を返して頷く。
それを聞いて、アールはもう何度目になるかわからないため息をついた。
そのため息をどう思ったのか、ベリーは急に顔を上げ、こちらを見る。
「既に精霊からヒントはもらっているの。あとは、それを見つけるだけ」
言いながら、ベリーが自身の手を握りしめる。
無意識なのか、その手は力が入りすぎて、白くなっていた。
それを見て、アールは目を細める。
仲間たちがあれだけ強い力を持ち、自分だけが何も持っていないという事実が不安なのは、わかる。
元々は同じ人間の血を引く一族であるなら尚更なのかもしれない。
けれど、それは彼女だけではなかったはずだ。
そう、確か。
「確か、ルビーも特別な呪文は持っていないと思ったが……?」
「彼女は、違うわ」
尋ねた途端、迷いなくそんな言葉が返ってきた。
その言葉に、アールは思わず目を細めた。
「違うというのは?」
「彼女は、私とは違う。力がなくても、足手まといにはならない、絶対」
妙に力を入れて、ベリーは語る。
まるで、ルビーは特別の存在であるかと言わんばかりに。
その言葉を聞いて、アールは内心ため息をついていた。
もしも彼女がこの言葉をルビーの前で言ったとしたら、本人はどう思うだろうか。
たぶん、彼女は何でもない風を装っていても、ベリーと同じように不安に思っているだろう。
仲間たちの中で自分だけが、特別な呪文を持っていないと言う事実を。
そんなことを口に出したことはなくても。
「けど、私は……」
「……わかった」
それ以上この話を聞きたくなくて、アールはベリーの言葉を遮った。
ほんの少しだけ冷たい声になってしまったのは、きっと意図的だった。
その意図を、今の彼女は察してくれたのだろうか。
びくりと、僅かに体を震わせ、伏せがちだった目をこちらを向ける。
普段と変わらない、けれどほんの少しだけ困惑したような色を浮かべたその目を見て、アールはわざとらしく首を傾げて見せた。
「それで、私は何をすればいいんだ?」
「え?」
あんな態度をとった後だ。
一瞬何を言われたのか、わからなかったのだろう。
驚くベリーに苦笑して、アールはもう一度口を開いた。
「協力する。だから、お前が私に何を頼みに来たのか教えろ」
はっきりとそう告げた途端、紫紺の瞳が見開かれた。
「いい、の?」
「ああ」
彼女らしくない、不安そうな表情で尋ねられた言葉に、アールはあっさり頷いてみせる。
そこで初めて、ベリーはほんの少し緊張を解いたようだった。
「ごめんなさい。ありがとう、アール」
「礼はいい」
はっきりとそう言えば、ベリーは小さく苦笑する。
彼女は一度小さく息を吐き出すと、その目を真っ直ぐにこちらへ向けた。
「この国にある高速艇を貸してほしいの」
その言葉に、アールは目を丸くした。
「高速艇を?」
思わず聞き返せば、ベリーははっきりと頷いた。
この国に、通常の帆船より速く走ることのできる高速艇があることを知る者は限られている。
おそらく仲間の誰かから聞いたのだろうが、彼女の口からその名前が出るとは思わなかった。
「また何故?」
「世界を回りたいからよ」
思わず睨むように目を細めてしまったのは、仕方のないことだと思いたい。
そんなアールの態度にも怯むことなく、ベリーははっきりと答えた。
その言葉に、アールは僅かに目を見開く。
「世界……?まさか、それは全ての国、という意味か?」
「ええ。できれば2か月で」
「2か月……っ!?」
ベリーの口にしたとんでもない条件に、思わず声を上げる。
最初は彼女の言う『世界』とは、目的の場所だけだと思っていた。
いや、意味としては合っているのだろうけれど、それがまさか全ての国を示しているとは思わなかった。
この世界は、無数の島で成り立つ世界だ。
それなりの大きさの島がひとつひとつの国で、世界を回るにはどうしても船が必要になる。
加えて、こちらの移動手段は基本的に船や馬車で、ベリーたちの暮らす世界では1日で行ける距離だって、何日もかかる。
それなのに、全ての国を2か月で回りたいというのだ、この少女は。
「馬鹿を言うな。お前たちの世界ならばともかく、こちらでそれができるとでも……」
「やるしかないの」
あまりにも無茶なその考えを、アールは止めようとした。
けれどその言葉は、ベリー自身によって遮られる。
「私は、やるしかないの」
その目には、強い光が浮かんでいた。
それを見てしまったから、アールはそれ以上何も言うことはできずに言葉を飲み込む。
「だから、せめて海上移動のロスを無くしたいのよ」
ベリーにも、わかっているのだろう。
こちらの世界の技術では、2か月で全ての国を回るのは不可能だということは。
けれど、それでも譲れないものがある。
そのために、少しでも可能性があるのならば、それに縋りたいのだ。
考えついてしまったその考えに、アールは思わずため息をついた。
「……話は分かった」
息を吐き出すようにそう告げた途端、ベリーの紫紺がこちらを見る。
それを、アールは真っ直ぐに見返す。
睨むような、厳しい目つきで。
「だがあれは国で所有しているものだ。一往復ならばともかく、長期の貸し出し許可は私だけでは出せない。操縦方法も特殊だしな」
そう告げた途端、ベリーがさっと表情を変える。
おそらく知らない者なら気づかなかっただろう微妙なその変化に、アールは僅かに目を細めた。
「明日の朝、シルラ陛下に相談してみよう。それまで待ってくれ」
「……ええ、わかったわ」
少し落胆したような、ベリーの声。
気持ちは分からなくもないし、協力はしてやりたかった。
けれど、こればかりは自分だけでは決められない。
心の中で謝りながら、アールは気分を切り替えようともう一度息を吐き出した。
「さて、お前、今日の宿は決まっているのか?」
「え……?いいえ。こっちに来たらこんな時間だったもの」
一瞬戸惑ったような反応をしたベリーは、しかしすぐに首を横に振る。
なるほどと呟いて、アールはにこりと微笑んだ。
「わかった。今客室を用意させる。そこを使ってくれ」
「え?でも……」
「気にするな。あとから騒ぎになった方が面倒だしな」
自分は仮にも王族だ。
ここにベリーを止めることは問題はないけれど、朝になって誰かに気づかれたら、それこそ騒ぎになりかねない。
ただの不法侵入で騒がれるのならば簡単だが、暗殺者だのなんだのという騒ぎになったら非常に面倒だった。
ベリーも、アールの心情を汲み取ったのか、くすりと苦笑を零した。
「ありがとう、アール」
その礼を了承と受け取って、アールは部屋のみにあるパイプに向かう。
側の紐を引くとパイプから延びる管の蓋が開いた。
これは使用人室と連絡を取るために王室のプライベートエリアに取り付けられたものだった。
紐を引くと会話をするための蓋が開き、相手側では呼び出しのベルがなるという仕掛けだ。
そこから聞こえた声に向かい、すぐに客室を用意するようにと告げると、アールはもう一度紐を引き、その蓋を閉じた。
「ねえ」
それを待っていたかのように、ベリーが声をかける。
その声に、アールは彼女を振り返った。
「その前に、ひとつ聞きたいのだけれど」
「何だ?」
尋ね返せば、彼女は迷ったように視線をさ迷わせる。
彼女らしくないその反応に、アールが首を傾げようとしたそのとき。

「エクリナの祠って場所、知らないかしら?」

唐突に、遠慮気味に告げられたその言葉に、アールは思わず動きを止めた。

2010.10.11