SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter7 吸血鬼

23:目覚め

どくんどくんと、何かが脈打つような音が聞こえる。
それは、彼からしてみれば、今に始まったことではない。
彼が支配する闇の中で、ずいぶん前からそれは動いていた。
その音が、徐々に大きくなっていたことには気づいていた。
そして、気をつけなければ幻聴だったかと思うほど儚かったそれは、今やはっきりと耳に届くまでになっていた。
闇の中で何かが蠢く気配。
何かが、そこから這い出すような気配。
それを知っていて、けれど彼は止めない。
それは自分の役目ではないことは知っていた。
そして、それと彼の人が再び相見えることは宿命だったのだと知っていた。
だから、彼は見逃す。
その何かが、闇の中から世界に這い出そうとしていることを。

「ついに人の形を持ちましたか」

ふと、唐突に聞こえた声に、彼は後ろを振り返る。
そこにいたのは、予想に違わない黒衣の魔道士だった。
微笑を称えてはいるけれど、その瞳が決して笑っていないことを、彼は知っていた。
「まだ元通りではありませんが」
「ですが、元通りになるにもそんなにかからないでしょう」
あっさりとそう言い捨てる魔道士に、ほんの少しだけ憎しみを覚える。
けれど、それを魔道士にぶつけても仕方がない。
小さくため息をつくと、彼は空を見上げた。
「……思い出して、いるのでしょうか」
「それは確認ですか?それとも疑問?」
魔道士がくすりと笑みを零して質問を返す。
その魔道士を、彼はゆっくりと見た。
暫く黙ったまま見つめてから、口の端を持ち上げる。
「……さあ」
くすりと笑みを零す。
その返答に、魔道士は満足したようだった。
にっこりと笑う彼から視線を外し、足下へと視線を落とす。
眼下に広がる人間の世界は、少し前までとはほんの僅かに、しかし確実に姿を変えていた。
「まあ、既にこの世に落ちた奴の一部の行動から察するに、思い出しているのでしょうが」
見た目には変わりのない世界。
けれど、その闇は確実にそこに住むものを蝕み始めている。
じわじわと、彼女たちの大切なものにも近づいている。
その闇に、浸食しているものの正体に。
「果たしてあなたは気づくかな」
ぽつりと呟かれたその言葉は、黒衣の魔道士の耳にしか届くことはなく、虚空へと消えた。






「え?」
誰かに名前を呼ばれた気がして、ベリーは後ろを振り返った。
けれど、そこに誰かがいるはずもない。
「どうした?ベリー」
「……いえ、ごめんなさい。何でもないわ」
様子に気づいたアールに声をかけられ、ベリーは首を横に振りながら彼女へと視線を戻す。
確かに声が聞こえた気がしたけれど、振り返った先には誰もおらず、自分たち以外の気配もしない。
ならば気のせいなのだろうと、そう考えて自分を納得させた。
今は、そんなことを気にしている場合ではなかったから。
「それにしても……」
話を変えるために、ではなかったけれど、ひとつため息をついてベリーは周囲を回した。
今いるその部屋を見て、呟いたのは入ってきたときと同じ言葉だった。
「広いわね」
「広いとは聞いていたが、ここまでとはな」
呆れたように呟けば、アールも同じようにため息をつく。
2人はザード城の内部にある宝物庫の中にいた。
マーカスに宝物庫の警護を出た2人は、城内に部屋を借りて待機し、日が落ち始めた頃にこの部屋にやってきたのだ。
鍵を借りて入ったその部屋の広さと中にある『宝物』の量を見て、2人はうんざりしたような表情を浮かべる。
「これなら宝物のひとつやふたつ、取られても気づかないんじゃないの?」
「だから紛失が発覚したのは数度目の賊に入られたときだと言っていたな」
ベリーがぼそっと呟けば、アールが事前に兵士から聞いたらしいその情報を、やはりぼそっと呟いた。
それを聞いたベリーは、珍しく表情を歪めてもう一度ため息をつく。
「なんて言うか……。ここまでだとどうぞ入って持っていってって言いたくなるわね」
「同感だ」
好きに入ってきて、好きなだけ持っていけと言いたくなる。
それほどの量のものが、ここにはあった。
ベリーには価値はよくわからなかったけれども、きっとここにあるのは高価な美術品ばかりなのだろう。
こんなものを集めている金があるのならば、もうちょっとほかのことに使ったらいいのではないかと本気で考えてしまう。
「入口は鍵をかけた。聞いた話では、賊は入口以外のところからやってくるらしいが」
「見たところ通気口以外は窓もなさそうだったけれど、どうやって入ってくるというの?」
「壁には数箇所壊されて修理したような後があったな」
「けれど、それならさすがに兵士だって気づくでしょう?」
「そうは思うが……」
それでも兵士は気づかない。
ということは、壁を破壊しているのは侵入するときではないのだろう。
ならば、賊はいったいどこから入ってくるというのか。
ふと、室内の陰が先ほどより濃くなったような気がして、ベリーは通気口を見上げた。
外はもうだいぶ暗い。
かろうじて夕暮れに染まっていた空も、宵闇に浸食され、真っ黒になる。
「日が落ちるわね……」
ぽつりと、そう呟いたそのときだった。
「あら?」
その通気口から入ってきたものがあった。
その姿を捕らえて思わず声を漏らせば、アールが不思議そうに振り返った。
「どうした?」
「あれは、蝙蝠?」
「え?」
ベリーに尋ねられ、アールも通気口を見上げる。
そこには確かに蝙蝠がいた。
最初は1匹だったそれは、仲間がいるのか、後からどんどん中へと入ってくる。
「何だ?迷い込んだにしては、数が――」
アールがそう呟いた、そのときだった。
びくんとベリーが体を震わせる。
何か、気味の悪い悪寒が、遅れて入ってきた少し大きめの蝙蝠を見た途端に背筋を駆け抜けた。
今まで何も感じていなかった場所で突然感じたそれが、頭の中で警鐘を鳴らす。
考えるより先に体が動くとはこういうことなんだと、場違いにも思った。
「アール!こっちに!」
反射的にアールの腕を掴んで、側に積んであった木箱の陰に引っ張りこむ。
驚く彼女に声を発しないように告げて息を潜めた。
少し大きめの蝙蝠が床に着地する。
それに驚く間もなく蝙蝠が変化した。
体が一瞬で闇に包まれ、大きくなる。
その闇が晴れたとき、そこにいるものはもう蝙蝠ではなくなっていた。
すらりと伸びた手足に、銀の髪。
色白の肌を持ったそれは、どう見ても人間の青年のようだった。
「人の姿になった、だと……!?」
「しっ!」
思わず声を発しそうになったアールの口を、その一言で塞ぐ。
はっとこちらを見た彼女は、口に仕掛けた言葉を飲み込み、ベリーと同じように息を潜めて人の姿になった蝙蝠を見つめた。
入ってきた蝙蝠たちは、次々とその姿を人間へと変化させる。
その全てが人の姿になったのを見届けて、銀髪の青年は漸く口を開いた。
「全員揃っているか」
「はっ」
青年の問いに、蝙蝠から変化した男の1人が答える。
その答えに、青年は満足しように口元を綻ばせた。
「よし、散れ。今日こそあの方が探しているものを見つけ出すのだ」
「はっ」
無機質な返事を返した蝙蝠たちが宝物庫中に散っていく。
それを、何故か彼らが近寄ろうとしない場所から伺いながら、アールは本当に小さな声で呟いた。
「まさかと思ったが、奴らがここに入っている賊のようだな……」
「でも、様子がおかしいわ」
ベリーの言葉に、アールは蝙蝠たちを視界から外さないよう注意しながら彼女を見る。
彼女も、アールの方を見てはなかったけれど、気配でそれに気づいたようだった。
「あの貴族服の男。あいつはしっかりしているようだけれど、他の奴らはなんだか虚ろじゃない?」
言われてみれば、確かにそうだった。
リーダーと思われる銀髪の青年には生気がある。
けれど他の蝙蝠たちには、彼のような気迫が全く感じられなかった。
ただ青年の言葉に従うだけの人形のようだ。
「……人の姿になる蝙蝠……。妙に白い肌……」
「白を通り越して少し青くも見えるわね。暗くてよくわからないけれど」
青白い肌に、蝙蝠の姿になる、人の姿をした存在。
それを知っている気がして、アールは頭の中で必死に思考を巡らせる。
そして、行き着いた答えにはっと息を呑んだ。
「……まさか」
思わずそう呟いた、そのときだった。
「そこにいるのは何者だ!!」
銀髪の青年が、ついに隠れていた2人に気づいた。
真っ直ぐにこちらを睨みつけているその姿を見て、ベリーは舌打ちをする。
「ばれたわね」
思わずそう呟いたけれど、隣からは反応はなかった。
「アール?」
不思議に思って視線を向ければ、彼女は考え込んでいるらしく、視線を地面に落としたまま微動にしない。
声をかけても無駄だろう。
そう察したベリーは、彼女をそこに残したまま木箱の陰から出た。
「お、おい!ベリー!?」
隣にいた気配が動き、漸くベリーが敵に姿を見せたことに気づいたアールが小声で声をかける。
けれど、もう遅い。
姿を見せてしまった以上、もう一度木箱の陰に戻るわけにもいかなかった。
銀髪の青年と目が合った瞬間、彼は楽しそうに口の端を持ち上げた。
「ほう。ここの兵士ではなさそうだな。何者だ?」
「……それはこちらのセリフなのだけれど?」
質問に答える義理はないと言わんばかりにきっぱりと返したベリーに、銀髪の青年はほんの一瞬だけ目を見張った。
次の瞬間には、その表情は楽しそうに歪んでいた。
「くくっ。気が強いと見える。そういう女は好きだ」
その紅い瞳が、ぎろりとこちらを睨んだ。
「大抵いい食料になるからな」
青年がそう言い、くすりと笑みをこぼす。
「っ!?ベリーっ!!」
その瞬間、名前を呼ばれた。
同時に感じた気配にはっとそちらを見る。
いつの間にか青年の部下らしき男の1人が、すぐ側まで迫っていた。
その男は、かぱりと口を開けたかと思うと、そのまま飛びかかってきた。
「きゃ……っ!?」
突然のその行動を理解できず、思わず悲鳴を上げて身構える。
けれど、その男の手がベリーに届くことはなかった。
飛びかかられるかと思った瞬間、ばちっという火花の散るような音が聞こえ、襲いかかってきた男が何かにぶつかったように仰け反った。
「え……?」
一瞬何か起こったのかわからず、ベリーは思わず動きを止める。
そのベリーにもう一度飛びかかろうとした男を、今度は横から飛んできた何かが吹き飛ばした。
はっとそれが飛んできた方を見れば、自分と同じように木箱の陰から出たアールが、その掌を男に向けていた。
彼女の手の甲には、衝撃派を生む魔法紋章が刻まれている。
恐らくそれで、ベリーに襲いかかろうとした男を吹き飛ばしてくれたのだろう。
「あ、ありがとう」
「気にするな」
思わず礼を告げれば、淡泊なそんな言葉が返ってくる。
それが彼女だと知っているから、冷たく思えるその返事もベリーが気にすることはない。
それよりも、先ほど起こった現象の方がよっぽど気になっていた。
「今のは……」
「人になる蝙蝠……、青白い肌……」
考え込みかけたそのとき、側から聞こえた声に意識を引き戻す。
自分の側までやってきたアールは、真っ直ぐに銀髪の青年を睨みつけていた。
「まさかと思っていたが、貴様、吸血鬼か」
「え……!?」
アールの言葉に、ベリーは驚き、目を僅かに見開いて青年を見る。
彼の口の端が、ほんの少しだけ弧を描くように持ち上がった気がした。
「じゃあ、まさか……」
「いや、おそらく純粋な吸血鬼は奴だけだ。他は、血を吸われて眷族にされた人間だろう」
周りの部下たちも吸血鬼なのか、そう尋ねようとしたベリーの問いに、アールははっきりとそう答えた。
その途端、青年の口からくすくすと笑いが零れる。
「よく知っているな」
紅い瞳が楽しそうにこちらを睨みつける。
その口が、深い弧を描いた。
「ならば、その眷属に血を吸われればどうなるかも知っているのだろう?」
吸血鬼の眷属に血を吸われた者。
その言葉に、ベリーはまさかと周囲を見回す。
その言葉の答えを知っているのか、アールは彼女のように周囲を見回すことはせず、ただ静かに銀髪の吸血鬼を睨みつけた。
「……ここの兵士も混じっているな?」
「さあ?どうだったか」
くすくすと吸血鬼が笑う。
その態度で答えは明白だった。
つまり、アールの考えは正しいのだ。
見回せば、確かに見覚えのある鎧を身につけた者が数人混じっていた。
その数にベリーは息を呑む。
大量に物がある宝物庫だからされてこそいないけれど、取り囲まれれば逃げ場などないだろう。
けれど、彼女は知っていた。
「吸血鬼なら……」
かつてアースの学園で戦ったあの男と同じ種族であるなら、こちらにまだ勝ち目はある。
あの男は光の魔力を吸収し、闇の魔力を弱点としていた。
だからそっと、相手に気づかれないように呪文を唱える。
「!?待てベリー!!」
それに気づいたアールが、目を見開いてこちらを振り返る。
けれど、そのときにはもう、魔力は形を成していた。
「ダークランスっ!!」
手に集まった黒い光を槍状の形にして、吸血鬼に投げつける。
その瞬間、吸血鬼が笑ったような気がした。
「え……!?」
ぞくっと背筋に悪寒を感じた。
その瞬間、吸血鬼がすっと自身に向かってくる闇の槍に向かって手を伸ばす。
その槍の先端が手のひらに接触した瞬間、そこを中心に凄まじい衝撃が宝物庫を襲った。
弾かれた魔力が、周囲の箱や美術品を吹き飛ばす。
けれど、その槍の本体は吸血鬼の手のひらを突き抜けることなく、その場に静止していた。
「受け止めた……!?」
「下がれっ!!」
驚くベリーの前にアールが飛び出す。
ベリーを自分の後ろに追いやると、吸血鬼に向かって両手を突き出した。
その瞬間、吸血鬼がにやりと笑った。
「マジックシールドっ!!」
吸血鬼が動くよりも、アールが呪文を叫ぶ方が早かった。
一瞬遅れて吸血鬼が、受け止めた槍をこちらに向かって放つ。
真っ直ぐに飛んできた黒いそれは、アールの呼び出した光の壁にぶつかり、音を立てて弾け飛んだ。
砕けた闇が宝物庫に置かれた物をさらに破壊したけれど、それを気にしている場合ではなかった。
アールが吸血鬼から視線を逸らさず、自分の後ろにいるベリーに向かって叫ぶ。
「呪文は使うな!あいつらは闇の魔力を吸収するんだ!」
「そんな……!だってラウドは……!」
「奴とこいつとでは系統が違うっ!」
「系統?……っ!?」
疑問を口にするより早く背後に感じた気配に、ベリーははっと振り返る。
いつの間にか背後に吸血鬼の眷属が迫っていた。
「っこんのっ!!」
今にも襲いかかろうとしたそれを渾身の力で蹴り飛ばす。
吸血鬼を攻撃したことで眷属もこちらを敵だと判断したらしい。
容赦なく襲いかかるそれらに、疑問を口にする暇などなくなってしまった。
「出でよ幻界の獣!」
背中からアールの声が聞こえた。
かと思った瞬間、飛び出してきた黒い獣が周囲にいた眷属の数人に飛びかかり、一度に噛み砕く。
それを見た吸血鬼が感嘆の息を吐き出した。
「変わった呪文を使うな」
アールの呼び出したそれは、幻術と呼ばれる呪文の一つ。
少し前に立ち寄った、和国と呼ばれる異文化の国でしか使われることのない呪文だった。
「これは……、アール……!」
「伊達にあの頃、あいつの下で学んでいたわけじゃないからな」
異文化の呪文を使えることに驚いて振り返れば、彼女はにやりと笑った。
あの頃――まだ出会ったばかりの頃、ある女についてこの術を学んでいた彼女は、その女がいなくなってからもこれを学び続けていたらしい。
そのやりとりを見ていた吸血鬼は、すぐに驚きの表情を消すと、先ほどと同じように口の端を楽しそうに持ち上げた。
「だが、我が眷属がこの程度で倒れると思うな」
吸血鬼がぱちんと指を鳴らす。
その途端、黒い獣に噛み砕かけたはずの眷属がのそりと起き上がった。
その姿を見たベリーは、思わず目を見開いて息を呑む。
「嘘でしょう?首が……」
起き上がった眷属は、噛み砕かれた部分が再生したわけではない。
そのまま――その部分を失ったままで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
それを見たアールは小さく舌打ちをした。
「仕方ない。本当はこれは苦手なんだが……」
すうっと息を吸って目を閉じる。
ゆっくりと手を天井に向かって伸ばすとともにその口が開き、言葉を紡ぎ始める。
「太陽よ。その灼熱の光を持って、汝の恵みを拒みし者へ裁きを与えん!」
天井へと伸ばした手の中に光が集まる。
それが十分に集まったと感じたと同時に、彼女は手のを吸血鬼に向けて振り降ろした。
「サンライトフラッシャーっ!!」
集まった光がアールの手から放たれる。
それを見た瞬間、吸血鬼はにやりと笑った。
「甘い」
吸血鬼が片腕を上げる。
それが何かを払うように動くと、彼に向かって放たれた光が砕け、四散した。
予想していなかっただろうそれに、アールは思わず息を呑む。
「馬鹿な……。何故この呪文を……」
「私はそこらの同族とは違うのだよ」
くつくつと笑いを零しながら、吸血鬼はこちらを見て目を細める。
なんと言えばいいのか、その正気とは思えない瞳にアールは再び息を呑んだ。
「私はあの方に選ばれたのだから」
「あの方……?」
吸血鬼が呟いたその言葉が、ひっかかった。
だから思わず聞き返そうとした、そのとき。
「っ!?アールっ!!」
側から聞こえた声に、アールははっと横を向く。
自分のすぐ側に、いつの間にか眷属が迫っていた。
しまったと思ったときにはもう遅い。
すでに衝撃派を放つには距離を詰められすぎていた。
やられると思った瞬間、自分の目の前に紫の線が飛び込んできた。
「ベリーっ!?」
それが何か気づくと同時に、アールは反射的にその名を叫ぶ。
自分に襲いかかろうとした眷属の前に、ベリーが飛び込んできたのだ。
アールに噛みつこうとした眷属の牙は、ベリーの腕を捕らえていた。
それを見た瞬間、背筋が凍ったかと思った。
けれど、一瞬だけ見えたものに、すぐに、ほんの少しであったけれど安堵する。
ベリーの武器である、普段は金属補強されたグローブのようなナックルが、その形を変えて噛みつかれた腕を守っていた。
小手のように肘の方へと伸び、腕を包んだそれが、眷属の牙をベリーの腕に届くのを防いでいた。
普段はすっかり忘れているけれど、彼女たちの武器は、彼女たちの家系に受け継がれている『魔法の水晶』と呼ばれる秘宝がその姿を変えたものだ。
ベリーは飛び込む寸前に、とっさに念じてその形を変えたのだろう。
「く……っ」
けれど、その水晶も万能ではない。
力で押されれば、それがベリー本人の力を上回った場合、当然押される。
彼女が押されていると感じ取り、何とか助けようと呪文を口にしようとしたそのときだった。
別の眷属が飛びかかってきたことに気づいて、アールは反射的にそれを避ける。
アールを捕らえ損ねた眷属は、そのまま目に入ったベリーに向かって飛びかかった。
「ベリーっ!!」
しまったと思うときには遅く、眷属の牙がベリーの背中に届きそうになった。
その瞬間、息を呑んだベリーが目を見開く。
一瞬遅れてアールも気づいた。
彼女の服の胸元が光を放っていた。
黒いそれは、一瞬で膨れ上がった。
ベリーの服のボタンがひとつ弾け、そこから黒い石が飛び出してきた。
その石が強く光った途端、飛びかかろうとした眷属が弾き飛ばされる。
腕に噛みついていた眷属も、びくんと体を震わせたかと思うと、まるで腹に衝撃でも加えられたかのように勢いよく吹き飛んだ。
突然のそれはベリーにも少し影響があったらしく、彼女は眷属が吹き飛ばされた反動で尻餅をついた。
一度瞑られたその目はすぐに開かれ、呆然と吹き飛んだ眷属を見つめる。
「今の……、どうして……?」
「お前、その石……」
眷属たちを吹き飛ばしたあと、すぐに光を失った黒い石。
気づいていなかったけれど、今までずっとベリーの首から下げられていたらしいその石を見て、アールは呆然と口を開いた。
けれど、それは続きを口にできないまま飲み込まれる。
「きゃあっ!?」
今度はベリーの身につけている小手が光った。
突然のそれに、彼女は思わず小さな悲鳴を上げる。
「今度は何だっ!?」
「魔法の水晶と、『鍵』が……っ!?」
落とさないようにと身につけていた、さまざまな形をした『鍵』が光っている。
それだけではない。
ベリーが小手に変形させていた魔法の水晶が、勝手に彼女から離れ、元の球体に戻った。
その水晶も、他の『鍵』と同様に光を放っている。
それぞれから湧き出たその光は、ベリーの目の前に落ちると、天井に向かって伸びて人の形を形成する。
それを見て瞬間、それまで何が起こったのかわからず、言葉を失っていた吸血鬼が叫んだ。
「何だこれはっ!?」
吸血鬼の驚きに答えることなく、人の形となった光は、ゆっくりとその人物の姿を浮き彫りにする。
中から現れた人物を見て、思わずその名を口にしたのはベリーだった。
「ミルザ……!?」
息を呑むようなその声に答えるかのように、現れたミルザの幻影はゆっくりと目を開ける。
それは何も言わずに腕を振り上げる。
かたっと音がして、何か小箱のようなものが宝物殿の奥から浮かび上がった。
ミルザがゆっくりと腕を振り下ろせば、引かれるかのように飛んできたそれはゆっくりとベリーの手に収まる。
かちっと音がしたかと思うと、それは手を触れてもいないのに勝手に開いた。
「これは……」
「ブローチ、か?」
そこに入っていたのは、紛れもなくブローチだった。
『エル王国へ』
それが何かを確認するより早くミルザが口を開いた。
「え?」
一瞬何を言われたのかわからなくて、ベリーは思わず聞き返す。
ミルザの幻影はこちらに背を向けていた。
まるでベリーとアールを守ろうとするように、真っ直ぐにその目を吸血鬼へと向けている、ように見えた。
『それを持ってエル王国へ。エスクールの次に妖精たちの多く住まうあの国へ。“鍵”には妖精たちが、そして水晶が導いてくれるだろう』
背を向けたまま、ミルザは淡々と告げる。
次の行き先だろうその名前を。
けれど、ベリーは首を傾げるばかりだ。
エル王国なんて国は、聞いたことがなかったから。
「エル王国、って……」
「エル……そうか!?」
アールが何かに気づいたようにはっと顔を上げる。
そのまま、尻餅をついたままだったベリーの腕を掴んだ。
「行くぞ、ベリー!」
「でもここは……!行き先は……!?」
「いいから行くぞっ!」
掴んだ腕に力を込め、アールはベリーを立ち上がらせる。
彼女が何も落としていないことを確認して、ほんの少しだけ息を吸い込み、目を閉じた。
「我ここに空間の精霊に誓わん。精霊よ。今、汝の力を我に貸し与えん」
アールが言葉を紡ぐと、それに答えるように空気が震え始める。
「逃がすか」
吸血鬼がそれを阻止しようと腕を振り上げる。
それに反応したかのようにミルザの幻影が動いた。
突然飛び掛ってきたそれを見て、吸血鬼は思わず自分を庇うように腕を体の前へと動かした。
吸血鬼に飛び掛かると思われたミルザの姿は、けれどそのまま消失する。
「何……っ!?」
「空間を開き、次元を越え、我らを目指すべき地へと誘わんっ!」
吸血鬼が驚き、動きを止めた隙にアールが言葉を紡ぎ終えた。
ふわりと宙に浮き上がるような感覚が、腕を掴まれたままのベリーにも伝わる。
ほっと息を吐き出したそのとき、視界の隅に何かが入った気がした。
「……っ!?」
そちらに顔を向けた瞬間、ベリーは目を見開いて息を呑んだ。
「あいつは……」
まさかと、そう思った。
そんなことは、あるはずがないと思った。
けれど、それを確認するより先に視界がぶれる。
次の瞬間には、ベリーとアールの姿は宝物庫から消えていた。



「消えたか……」
幻影に意識を向けている間に、先ほどまで目の前にいた女たちの姿が消えていることに気づき、吸血鬼は小さく舌打ちをした。
同族の中でも特別な自分が獲物を逃すことなど、本当ならばありえないことだ。
そんな自分が汚点を残したことに、彼はほんの少しだけ苛立ちを覚える。
『逃がしたか』
けれどそれは、その声を耳にした瞬間吹き飛んでしまった。
はっと後ろを振り返れば、そこには先ほどまでいなかったはずの存在がいた。
それは金の髪を持ち、紫を基調とした貴族服を身に着けた若い青年に見えた。
先ほど消えた幻影と同じ、ぼんやりとしたその姿は、実体ではないのだろう。
けれど、その人物は確かにそこにいた。
「これはこれは、我が主」
漸くその姿を認識した吸血鬼は深々と頭を下げる。
「もうそれほど姿を取り戻していらっしゃるとは、さすがでございます」
『戯言は入らぬ』
「失礼いたしました」
現れた主と呼ぶ人物に睨まれ、彼は深々と頭を下げる。
「獲物は逃がしましたが、例の物は全力で」
『必要ない』
探すと、そう続けようとした。
けれど、主と呼んだその青年は、その言葉をはっきりと否定する。
「は?」
吸血鬼は驚いて顔を上げる。
目の前にいる方は、例の物を絶対に手に入れろと自分に命じたはずだ。
それが必要ないとは、一体どういうことなのか。
『私の探していた物は、先ほどの女たちが持ち去った』
疑問の答えは、すぐに主より告げられた。
その言葉に吸血鬼は思わず目を見開く。
あの女たちは、自分たちが現れてからはずっと隠れていたはずだ。
その前に、何かが探された様子などなかった。
あの女たちが何かを持ち出す余裕はなかったはずだ。
そこまで考えてから、気づく。
確か、ただひとつだけ、あの紫の髪の女の手に渡ったものがあった。
「……まさか、あのブローチだったのですか?」
吸血鬼の問いに、主と呼ばれた青年は答えない。
ただ、血のような深紅の瞳でこちらを睨みつけるだけだった。
『目撃者は消せ。それと、眷属を全て集めろ』
問いには答えず、淡々とそれだけを告げる。
その言葉に、青年は驚いて目を瞠った。
眷属を全て集めるということは、つまり。
『精霊のもとへ攻め込む』
はっきりと主がそう宣言したその瞬間、驚きは歓喜に変化した。
それは、目の前の方に仕える者たちが、ずっと待っていた言葉であったのだから。
「御意に」
吸血鬼が青年に向かって、もう一度深々と頭を下げる。
それを見届けた金髪の青年は彼に背を向けた。
歩き出したその姿が、夜の闇に溶け込むように消えていく。
吸血鬼が頭を上げたときには、その姿はもうどこにもなかった。

2011.10.23