SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter7 吸血鬼

17:聖域

拠点にしていた町を出てから数日が経った。
あの町で借りた馬に乗って街道を駆け、辿り着いたのはずいぶんと寂れた村のような集落だった。
家はこの国の主流と思われる木造のものがぽつりぽつりと並ぶだけ。
その集落の中に、その建物はあった。
木造の、アースの神社のようなその建物。
鳥居に似た門の奥に建てられたその前に立ち、ベリーは建物を見上げた。
「ぼろぼろだな」
「木だからね。風化が早いんでしょう」
周囲を見回していたアールが、建物を見上げて呟く。
それを聞いたベリーは、あっさりとそう答えると扉に向かって歩き出す。
なだらかな、短い階段の上に作られたそれに手をかけてみるけれど、扉は僅かに揺れるだけで開くとはなかった。
「入口には鍵がかかっているわね」
予想をしていなかったわけではないから、それほど落胆は大きくなかった。
「どうするんだ?破るわけにはいかないだろう?」
「当たり前でしょう」
アールの問いに、ベリーはため息混じりに言葉を返す。
できるのならば、破ってしまうのが一番早いのはわかっている。
けれど、それで問題を起こしてしまってこの国にいられなくなってしまえば、ここがはずれだった場合に手詰まりになってしまう。
「この扉を開ける方法を探すしかないわね」
「そうだな。それにはまず、ここを管理している人間を探し出さなければならないか」
「そうね。この村にいるといいのだけれど」
外から見た限り、この建物はずいぶんと大きい。
木材が風化してしまっている点は置いておくとして、ここが重要な意味を持つ場所であるとすれば、管理しているのは国の中でも地位を持つ人物、または家系の可能性がある。
そうだったとしたら、その管理人はこの国の人間ではない自分たちに、この場所に入ることを許可してくれるのだろうか。
そんな不安がないと言ったら、嘘になる。
だからと言って諦めることなどできるはずもないのだけれど。
「とりあえずこの村で一番偉い人の家を探しましょう。そこなら……」
「何じゃお前たちは?」
振り返った瞬間、何の前触れもなくかかった声に、ベリーは息を呑み、アールは目を瞠って振り返った。
「この聖域に何のようじゃ?」
門の向こうに、いつの間にか誰かが立っていた。
法衣のように見える服を着て、杖を聞いた老婆だった。
細められたその目は、じっとこちらを見つめている。
「あ、あの……」
「お前たち、この国の者ではないな?」
その口からはっきりと発せられた言葉に息を呑んだ。
この国の人々と自分たちは、人種的な違いも言葉の違いもない。
服だってこの国の物を着ているし、これまで滞在した町でも疑問に思われても核心を突かれたことはなかった。
それなのに、この老婆は自分たちがこの国の人間ではないと気づいたというのか。
「この国の者ならば、ここには近づかぬ。ここは聖域。関係のない者は近づいてはならぬ場所。この国の者ならば、それを知っているはずじゃ」
こちらの動揺を見抜いたかのように老婆が告げる。
その目が、さらに鋭く細められる。
「お前たちは何者じゃ」
再び問われた言葉。
「どうする……?」
それにどう答えようか迷っていると、アールが声をかけてきた。
その左手が右手の魔法紋章に添えられていて、いつでも逃げ出せるようにと準備をしてくれているのだと知る。
けれど、それではだめなのだ。
ここに来ることができなくなってしまったら、意味がない。
「不法侵入者か。ならば……」
アールを止めようと声をかけようとしたそのとき、老婆が再び口を開いた。
その杖を握った手が、持ち上げられる。
それを見た瞬間、ベリーは階段を駆け下りていた。
「私は……っ!」
驚くアールの傍を通り過ぎ、声を上げる。
その声に老婆の眉がぴくりと動き、杖を掲げようとした手が止まった。
「私は、エクリナの血を引く者。先祖の足取りを辿ってここに来た」
そのチャンスを逃すまいと、ベリーはそのまま名乗りを上げる。
「エクリナ?」
「約1000年前、世界に名を馳せ、この国にも足を踏み込んだ勇者と呼ばれた男のことよ。確か、この国の記録には『得宮李那』」と記されていたわ」
「1000年前……。混沌時代の来訪者のことか」
完全に杖を下げた老婆が、ぽつりと呟く。
当時のことをこの国はそう表現しているらしい。
あまり関係のなかったはずのこの国でもそう呼ばれていると言うことは、ミルザの時代のイセリヤやルーズの行いは余程のものだったということなのだろうか。
頭を掠めたそんな疑問を振り払う。
ベリーは真っ直ぐに老婆を見ると、再びはっきりと口を開いた。
「書物に寄ると、先祖は最も魔術に関わる場所を訪れたとあったわ。それはここではないかと考えて、私たちはここに来た」
「うむ……」
「この『聖域』は、最も魔術に関わる場所ではないの?」
考え込む老婆に向かって、強い口調で問いかける。
老婆は自分を見つめる紫紺の瞳を、じっと見つめ返した。
暫くして、その口がゆっくりと開かれる。
「お主、名は?」
突然のその問いに、一瞬何を聞かれたのかわらかなかった。
訝しげに眉を寄せた老婆の表情に、はっと我に返ってその目を見返す。
「私が母から与えられた名はふたつ。そのうちのひとつ、この国の文字で表すならば、それは『鈴』」
そう、ベリーが母親からもらった名前はふたつある。
インシング人としての『ベリー』という名前と、アース人としての『鈴美』という名前。
その片方をこの国での名前として名乗っているのだから、嘘ではない。
「……お主は、何のために来訪者の足取りを追う?」
僅かに眉を寄せた老婆は、しかしそれ以上言及することなく新たな問いを投げかける。
「その質問には答えられないわ。答えれば、精霊との盟約に反することになる」
「精霊……。外つ国の神々か」
老婆の呟きに、ベリーは戸惑いつつも頷いた。
精霊と神は違う存在のような気がしたけれども、この国の人たちがそういう認識をしているのならば否定する必要はない。
「しかし、お主がその来訪者の血を引き、外つ国の神々と関係しているという証拠は?」
老婆の言葉に、ベリーは思わず息を呑み込む。
すんなり信じてくれるとは思わなかったけれど、そう切り替えされたときの対処法を考えてもいなかった。
必死に思考を巡らせる。
そして、思いついたのは、やはりこれしかなかった。
「証拠になるかどうかはわからないけれど」
そっと左手で右手に触れる。
その薬指には水晶で作られた指輪が嵌められていた。
紫のそれは、ベリーが触れた途端に光を放ち、指から離れて姿を変える。
丸い水晶球になって手の中に落ちたそれを老婆に向かって差し出した。
「これでどう?」
紫色のそれを、老婆はじっと見つめる。
暫くして、彼女は深く息を吐き出した。
「……外つ国の来訪者は、特殊な水晶玉を持っていたと聞く」
それはまさに、今ベリーが差し出した『魔法の水晶』のことだった。
名前どおり、まるで魔法のように姿を変えて見せたそれを、老婆はもう一度見つめる。
その視線が、ゆっくりとベリーへと移された。
「よかろう。鈴殿、お主を信じよう」
老婆のその言葉に、アールがほっと安堵の表情を浮かべる。
けれど、まだだ。
まだ気を抜くべきではないと、ベリーはさらに一歩を踏み出した。
「我が先祖は、世界を巡り、ここに来たと聞いた。私は精霊との盟約により、一族全ての使命を背負い、ここに来た」
一族全ての使命を追っているかどうかは、わからない。
これが必要のない旅になる可能性は未だに捨てきれない。
けれども、今はそう話すしかないと思った。
「あなたがここの管理者であるならば、教えて欲しい。我が先祖は、ここに来たの?」
「書物の記述では、そうなっておる」
だから臆すことなく尋ねた言葉に、老婆は肯定の言葉を返した。
「だが、何しにここに来て、何をして帰っていったのかわからぬ」
望んだ答えが返ってきたことに一瞬気を抜きかれたけれども、続いた老婆の言葉に、ここで安心してはいけないと再び気を引き締めて問いかけた。
「この中に入ることは?」
「できぬ」
尋ねた途端、はっきり返ってきた言葉に、思わず拳を握り締めた。
それに気づいたのか、老婆は一瞬視線をはずしたけれど、すぐにその目を再度ベリーへと戻す。
「ここに入ることができるのは、神と神の血を引きし国長のみ。たとえ外つ国の神の使いであれど、入ることは許されぬ」
老婆の目が鋭くベリーを、そしてアールを睨みつける。
「お主が外つ国の神の使いであり、そちらの者がその従者であるのならば、国長に伝えることはすまい。国長の使いに気づかれぬうちにここから去ることじゃ」
それだけ告げると、老婆はこちらに背を向ける。
そのまま離れていこうとするその背を見て、アールはベリーに声をかけた。
「ベ……鈴」
「……わかってるわ」
アールに言われるまでもなく、わかっていた。

目の前にヒントがあるとわかっているのに、こんなところで手詰まりだなんて。
何とかしなければならない、何とか。
でも、どうしたらいい?

きっとルビーやペリドットなら、こんなときにあっさりと妙案を思いついたに違いない。
それが思いつかない自分が歯がゆくて悔しくて、思わず拳を握り締めたそのときだった。
突然目に光が飛び込んできた。
「え……っ!?」
「何だ……っ!?」
思わず目をぎゅっと閉じてから、恐る恐る開く。
そして目の前に現れた光景に、息を呑んだ。
「聖窟で見つけたペンダントが……」
トランストンにあるミルザの聖窟。
そこで見つけたペンダントを、ベリーはずっと首から提げ、服の下に隠していた。
剣の形を模したそれが光を放ち、空中に浮き上がっていた。
それが一瞬強い光を放つ。
真っ直ぐに扉に向かって伸びた光が、そこへ吸い込まれるように消えていく。
かと思った瞬間、がちゃっと何かが音を立てて落ちるような音が聞こえ、扉が勝手に、勢いよく開かれた。
「扉が、開いた……」
「何じゃと……っ!?」
呆然とした表情で呟かれたアールの声を耳にした老婆が、勢いよくこちらを振り返る。
そして、その光景を目の当たりにし、その目を大きく見開いた。
「そんな馬鹿な。何故お主がこの扉の鍵を持っている!?」
老婆がベリーを睨みつけ、叫ぶ。
その言葉に、アールが驚きの表情でこちらを見たの。
「鍵?こいつが?」
「知らないわ。これは、私が先祖の足取りを追う途中で、外つ国で手に入れたものよ」
「外つ国で……」
ベリーの言葉に、老婆は先ほどの勢いはどこへ行ったのか、今は光ることを止め、ベリーの胸に落ちたペンダントを信じられないと言わんばかりに見つめる。
「だが、このペンダントで入口が開いたということは……」
「私には、この扉を潜る資格があるということよね」
「そんな、馬鹿な……」
アールの呟きに、ベリーは答えるように言って笑った。
閉じられる様子のない扉を見つめてから、彼女は立ち尽くしたままの老婆を振り返る。
「行かせて貰うわよ、管理人さん。歩、ついて来てもらえるわよね?」
「ああ」
頷くアールににこりと微笑を返して、ベリーは一歩足を踏み出した。
そのまま、もう振り返ることなく、建物の中に向かって歩いていく。
「そんな……馬鹿な……」
老婆の呆然としたその言葉は、建物に入ってもずっと聞こえていた。
さすがに気の毒かと思うけれど、ここで我に返られて人を呼ばれたら面倒だ。
そう判断して、ベリーは一度だけ振り返ると、落ちていた南京錠を拾い上げる。
観音開きに開いた扉に手をかけると、迷うことなくそれを閉ざし、中から南京錠をかけた。






建物の中から、鍵のかかる音がする。
それを聞いた老婆は、それまでの呆然としていた顔を伏せた。
「……そんなところですかね」
長い前髪の向こうに隠れた口元がにやりと歪められる。
『相変わらず、性格が悪いと嫌味を言うべきですか?』
その途端傍から声が聞こえた。
見上げてみるけれど、傍には誰もいない。
けれど、老婆にはそこに誰がいるのかわかっているらしい。
くすりと笑みをひとつ零すと、彼女は迷うことなくその存在の名を呼んだ。
「久しいですね、ダークネス」
名前を呼んだ途端、傍にぶわりと闇色の靄のようなものが広がる。
その中から、1人の青年が現れた。
深い紫色の髪を持つ、宙に浮いた青年。
ゆっくりと開かれたその瞳は、髪と同じ紫。
目が合った瞬間、彼――ダークネスは老婆に向かい、優雅な動作で一礼した。
『ええ、お久しぶりです。あなたに女装趣味があるとは思いませんでした』
「失礼な。老人に化けるのならば、女性の方が警戒心を解きやすいだろうという戦略のもとの作戦です」
『あー、はいはい。そうでしたか。それはお疲れ様でした』
ぱたぱたと手を振るダークネスは、明らかに呆れていた。
よく神殿から抜け出し、人間界を散策していた彼は、同じくよく人間界を散策している自分と接触していた。
だからなのだろうか。
他の精霊は持っている自分に対する感覚を、彼は持っていなかった。
その事実に笑みを浮かべると、老婆は杖を掲げる。
杖を中心に突然風が発生し、老婆を包んだ。
その風が止んだとき、そこに老婆の姿はなかった。
代わりに現れたのは、銀縁の黒いマントを羽織った青年。
肩甲骨ほどまである黒髪を持つ、魔道士らしいその姿を見て、ダークネスは小さくため息をついた。
『改めて、ご無沙汰しています。今は……なんとお呼びするべきですか?』
「私など、名前で呼ぶ必要はありません」
『ないと不便です』
はっきりとそう言い返すダークネスに、青年はきょとんとした表情を向ける。
けれどそれはほんの一瞬。
すぐにその夕暮れ色の瞳を楽しそうに細めて笑った。
「そうですねぇ。なら、セラフィムとでも呼んでいただきましょうか」
『セラフィム?』
「ええ。異世界の天使の名前だそうですよ」
訝しげな顔をしたダークネスに、あっさりとそう説明する。
ダークネス自身も元々それ以上言及するつもりはなかったのか、呆れたと言わんばかりの表情を全く隠す様子もなく浮かべると、ため息をひとつ吐き出した。
『わかりました。ではセラフィム。お伺いしたいことがあるのですが』
「はい?何でしょう?」
『何故突然、あの者たちに力添えを?』
ふと、ダークネスの声音が変わった。
それまでの軽いものではなく、重さを持った真剣なものに。
それに気づいて、彼――老婆に化けていたセラフィムと名乗った青年はくすりと笑みを零す。
「なんのことです?」
『あのペンダントに、この扉にかかった魔術を解く力は与えていません。今のは貴方の力でしょう?』
あのペンダントを始めとするベリーが集めている『鍵』は、全てダークネスが作り出したものだ。
それらには呪文書の封印を持つ力しか持たせていない。
互いの存在を見つけるヒントとするために、『鍵』同士が近くにあれば共鳴するように呪文をかけてあるけれど、それだけだ。
隠し場所はミルザに一任していたし、あの時の彼には精霊が作った物にさらに力を与えるほどの力は残っていなかったから、彼が加えたとは考えられない。
それがダークネスの考えなのだろう。
『何故人間に化けてまで、あの者に力をお貸しになられたのです?』
ダークネスが相手を射抜くような目でこちらを見つめる。
それを見ても、セラフィムが怯むようなことはなかった。
彼はくすりと笑うと、ゆっくりと左右に首を振る。
「私の意志ではありません。彼女の意志です」
『彼女……?』
「創造の、と言えば、君たちにはわかるでしょう」
そう告げた瞬間、ダークネスの瞳が大きく見開かれる。
その喉が息を呑むように動く。
『あの方……ですか……!?』
「ええ」
驚きを隠せないダークネスを見て、セラフィムはもうひとつ笑みを零す。
「どうやら、事態は君の予想どおりの方へ動いているようですよ?」
そう告げれば、ダークネスはぎゅっと拳を握り締めた。
「まあ、だからこそ、あなたは彼女にこの旅を許したのでしょうが」
もう一度笑みを零すと、セラフィムは彼へと背を向ける。
「十分見守ってあげなさい。そしてできることなら、気づかれない程度にヒントをあげなさい。あの幻影を見せたように」
びくりと、ダークネスの体が震えたように見えた。
いや、実際に震えたのだろう。
カマをかけただけのつもりだったのだが、図星だったらしい。
けれど、気づかないふりをする。
自分は、それを責めるためにここに来たわけではないのだから。
「時間は、もうそんなにありませんから」
顔だけを彼に向け、くすりと笑う。
その途端、彼は鋭い視線を向け、こちらをぎろりと睨みつけた。
『……言われなくても』
「ならよろしい。では、私はこれで失礼しますよ」
搾り出すように、けれどはっきりと答えた彼に満足し、セラフィムはその場から立ち去ろうとした。
『ああ、そうだ』
そのときかけられた声に、思わず足を止めて振り返る。
「はい?」
『ウィズダムがお会いしたときより髪が伸びていらっしゃるようですね。少し切った方がよろしいですよ』
言われた言葉に、セラフィムは思わず目を丸くした。
それを見たダークネスが、にやりと笑う。
『では』
楽しそうな笑顔を残して、彼はふわりと飛び立った。
その姿は、先ほどミルザの血を引く少女とその連れが入っていった扉の壁に吸い込まれるように消えてしまう。
それを見送ってしまってから、彼は自身の黒髪を一房摘み上げた。
「……似合いませんかね、長髪」
寂しそうなその声は、誰の耳にも届くことなく風の中へと消えていった。

2010.12.13