SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter6 鍵を握る悪魔

25:悪魔の降りた街

マジック共和国の王城。
その謁見の間にほど近い場所に、アールの執務室はあった。
何かあればすぐに謁見の間へと駆けつけられるその部屋は、高くなった太陽の光がさんさんと差し込んでいる。
普段は少し日陰になる場所に置かれたデスクにあるはずのアールの姿は、今はその窓辺にあった。
この棟の窓の下は中庭になっていて、そこを囲んだ反対側が居住区画になっている。
その窓から少し首を上げると見える場所。
そこが彼女の弟――今は病床についているシルラの部屋だった。
あの騒ぎの折に、ティーチャーの治療を受けた彼の病状は回復に向かっていた。
今は長い療養生活で衰えた体力を回復させるためのリハビリの最中だ。
公務への復帰はもう少し先にした方がいいだろうと、新しく城付きの医者になった精霊神殿の神官長に言われたため、今はまだ公の場には姿を現していない。
彼の仕事は、どうしても彼自身の承認が必要なもの以外は、全て国王補佐官であるアールが引き受けていた。
今もそのひとつである謁見を終わらせて戻ってきたところだった。
普通ならば謁見は延期させるべきなのだろうけれど、その用が急ぎの場合はそうもいかない。
自分でも受けられる話であるならば先延ばしにするべきではないと、了承が得られる者ののみ代理で話を聞いていた。
ふと、見ていた窓からシルラが顔を覗かせた。
どうやら、その日のリハビリが終わって、部屋に戻ってきたところのようだ。
寝衣ではなく、ラフな服装をした彼が、こちらに気づいて嬉しそうに手を振る。
もうしっかり公務をこなしていると思えて、あの子もまだ11歳の子供だ。
ああやって笑っている様子を見ていると、まだまだ頼れる人間が必要なのだと思った。
それが自分だと思っていてくれると嬉しい。
けれど、自分が彼の姉だと知ったのは、1年と少し前のことだ。
それ以前は全くの他人として接してきた。
もしかしたら、あの子には自分以上に頼ろうと思える人間がいるのかもしれない。
そんな風に考えて、少しだけ寂しく思った。
そうやって気分が沈んだ、まさにそのタイミングだった。
「お姉様っ!」
執務室の扉が、ノックもないまま勢いよく開かれる。
大きな音を立ててそこから飛び込んできたのは、明るいピンクと空色の物体。
それが義理の妹だと、すぐには気づけなかった。
「リ、リーナ!?」
一瞬遅れて呼んだその名を、けれど義妹は不審には思わなかったようだ。
「ただいま戻りました。遅くなって申し訳ございません」
「あ、ああ。よく戻ったな。……あいつは?」
「ご一緒ですわ。皆様も」
「皆様?」
他に誰がいるのかと首を傾げたそのときだった。
「アールっ!?」
「うわっ!?」
リーナが開けなかった、観音開きの扉の片側。
それが勢いよく開いて、予想もしなかった色が飛び込んでくる。
深緑色の髪をツインテールにしたその少女の姿を見た途端、思わず叫び声を上げてしまった。
その途端、髪と同じ色の瞳が訝しげに細められる。
「……何?その反応」
「いや、まさかこんなに来るとは思わなかったからな……」
「そりゃあ、いつもを考えるとねー」
けたけたと、もう随分と耳に馴染んでしまった笑いが、深緑色の後ろから聞こえる。
ひょっこりと姿を見せたのは、リーナに呼びに行かせたペリドッドその人だった。
来たのは2人だけでないらしく、その後ろからぞろぞろとよく知る友人たちが入ってくる。
その人数に、思わず呆気に取られてしまった。
だって、彼女たちが揃って行動したのは、ダークマジック解放戦争以来のはずだ。
それ以降は、いつも少人数で動いていた。
もっとも、そこには必ず全員で動けない理由があったのだけれど。
「でもねー。一応全員じゃないんだよー」
ペリドッドが、まるでこちらの考えを呼んだかのように笑いながら言った。
その言葉に改めて周囲を見渡せば、明らかに足りない色があることに気づく。
「そういえば……。リーフの理由は察しがつくが、他の3人はどうしたんだ?」
非常に珍しいことではあるが、ミューズがここにいるということは、今はリーフが公務に就いているのだろう。
彼はあれでいて責任感はあるから、妹姫が城を離れているときに自分も離れてしまうことはしないはずだ。
けれど、他の3人――ルビーとタイム、そしてフェリアがいない理由が、純粋にわからない。
その疑問に、真っ先に答えてくれたのはペリドッドだった。
「フェリアちゃんは留守番だって。うちの学校、この時期忙しいからね~」
「ルビーとタイムは?あいつらがいないなんて珍しいな?」
異世界にある『学校』とやらがどう忙しいかは、説明されてもわからないから、聞かない。
けれど、どんなに忙しかったとしても、少なくともルビーは残らないような気がした。
「あの2人ならティーチャーと一緒にテヌワンよ。もしもの場合を考えて、ミスリルの護衛に残ったわ」
その疑問に答えたのは、ベリーだった。
その淡々とした口調で告げられた言葉の中に、ずっと気がかりだった名前を見つけ、思わず眉を寄せる。
「……あいつは、まだ?」
「はい……。手がかりも、なくなってしまったものですから」
セレスの答えに、流石のアールも黙り込んだ。
シルラはティーチャーとミスリルに助けてもらったのだ。
それなのに、恩人であるミスリルは、まだ意識さえ戻らない。
それが悔しくて悔しくて、堪らなかった。
ばんっとデスクを叩く音が、突然目の前から聞こえた。
はっと顔を上げれば、いつの間に近づいてきたのか、デスクの前にレミアが立っている。
その両手はデスクに押し付けられていて、すぐに彼女が音の主だということに気づいた。
「それよりも!どうなの?例の悪魔は!?」
「例の悪魔?」
言葉の意味が本当にわからなくて、思わず聞き返す。
その途端、レミアの目がかっと見開いたように見えた。
思わず体が震えたのと、ベリーがその肩を掴んだのはほぼ同時。
恐ろしいと形容できる表情をしたレミアが、勢いよく彼女を振り返る。
それを待っていたかのようなタイミングで、目の前にやってきたリーナが口を開いた。
「診療所を占拠したあの女のことですわ。あれは、間違いなくネヴィルなのだそうです」
「本当か?」
「うん」
間髪入れずに聞き返せば、今度はペリドッドが即答する。
まだ何か言いたそうなレミアを綺麗に無視すると、彼女は先ほどまでの不真面目な雰囲気を消し、真っ直ぐにこちらを見た。
その若草色の瞳に、今までにはなかった光を見たような気がして、思わず目を瞠る。
「前にウィズダムが、あいつは体を変えるって話をしたの、聞いてる?」
「あ、ああ」
ウィズダムがその話をしたのは、確かミスリルが倒れた直後だったか。
当時、アールはグールパウダーのせいで怪物化した病人たちの沈静化の指揮に当たっていたため、その場にはいなかった。
ペリドッドたちがそれぞれの目的地に発った後に、リーナを通して説明を受けたのだ。
「それね、本当だったんだよ」
「……まさか、見たのか?」
「うん」
はっきりと返ってきた答えに、息を呑んだ。
まさか、本当にそんなことが出来る悪魔がいるなんて、思っていなかったのだ。
何かの間違いだと、もしくは何か別の意味を持つ言葉なのだと、そう思っていた。
「マリエス様に会った後、ミューズちゃんと2人でスターシアに行ってきたんだけどね。そこで会ったんだ、あいつに」
ペリドッドらしくない、淡々とした口調でされる説明に、思わずミューズを見る。
突然視線を向けられたミューズは少し驚いたように目を瞠ると、こちらが何を言いたいのか察したのか、静かに頷いた。
「私は以前の姿を知りませんが、そのときにはもう私たちくらいの女性の姿になっていて、その場にいた人たちを、一瞬で……」
そこまで告げると、彼女はふいっと目を逸らしてしまう。
そのときのことを思い出しているのか、顔色が少し悪くなっているような気がした。
彼女とその兄であるリーフは、騎士としても優秀だ。
それぞれの騎士団の団長として立ち、1年と少し前のダークマジック解放戦争の戦闘に立って戦ってきた。
この世界で武官として国に使えている以上、敵兵の亡骸を見たことのない者はいない。
だから――こんな言い方はしたくはないが――ミューズもそういったものを見ることには慣れているはずなのだ。
その彼女がこうして顔を背けるくらいなのだから、余程酷いものだったに違いない。
「……それが、あいつか?」
「会ってみないとわかんないけどね。たぶん、間違いないと思う」
ペリドッドの両の拳が、ぐっと握られる。
普段は笑って受け流す彼女が、ここまでの反応を示す相手。
それがあの悪魔なのだと、彼女とミューズの反応で、改めて思い知ったような気がした。
「リーナ。お前はどこまで話した?」
「わたくしがここを発つまでの状況でしたら、全てお話しましたわ」
「そうか」
ふうっと軽く息をつく。
全てを話してくれているのだったら、話は早い。
「状況は変わっていない。あの女は以前、例の診療所を占拠している」
「被害は出ていないの?」
「最初の近衛以外はな」
ベリーの問いに、迷うことなく答える。
普通の指揮官ならば、危険な存在は早く追い出そうと躍起になるのかもしれない。
けれど、アールには圧倒的な戦力差で他国を襲った経験があったから、普通の兵士では敵わないとわかった時点で、突入をやめさせたのだ。
「一般人にも?」
「ああ。今のところはな」
そもそも、診療所の周囲は怪物化事件の際に最も被害が出た場所だ。
そこに住んでいた者の多くは犠牲になり、生き残った者もそのほとんどが怪我を負って精霊神殿に運び込まれていた。
「軽症で帰宅していた者にも避難勧告を出した。警戒に当たっている聖騎士団の報告では、奴は何もせずに診療所に篭っているらしい」
「何もせずに……」
若草色の瞳が逸れる。
足元に落とされたそれは、迷うように宙を彷徨った後、何事もなかったかのように元に戻った。
「うん、わかった」
「行くか?」
「うん。いい加減、ミスリルちゃんも助けたいしね」
にっこりと、いつものように笑って、頷く。
その口調は、先日ここを発ったときよりも、ずっと落ち着いていた。
「……わかった」
ほんの少しだけ間を置いて、はっきりと答える。
その途端、レミアが勢いよく顔を上げたのが見えた。
仲間の危機に敏感な彼女らしい反応だと思う。
けれど、目の前にいるペリドッドの反応は、逆だった。
いつもの彼女ならば、オーバーと思えるくらいの反応をするのに、それがない。
驚くこともせずに、落ち着いた表情で、ただ真っ直ぐにこちらを見つめている。
それに、ほんの少しだけ安心した。
「こちらで何かすることはあるか?」
「んー?そうだねぇ」
右手の人差し指を右頬に当てて、首を捻る。
少しの間そうしてから、ぱんっと軽く手を叩いた。
「がんばってあいつを街の外に連れてくつもりだけど、できるかどうかはわかんないんだよね。だから、結界張れる人がいたら、お願いしたいな」
「わかった」
彼女の提案は、こちらも考えていたことだった。
街の外で戦えなどと言っても、あの悪魔が簡単に言うことを聞くとは思えない。
住民の避難は終わっているが、そこに完全に人がいないとは限らないのだ。
真っ直ぐにペリドッドに向けていた視線を、側に立つリーナに移す。
自分がそうすることを既に知っていたかのように、彼女はにこりと微笑んだ。
「聞いたとおりだ。頼めるな?リーナ」
「はい。我が宮廷魔道士部隊より、上位クラスの魔道士を連れて参りますわ」
「必要なら聖騎士団にも協力要請をしろ。ああ、回復術が得意な者には待機命令を」
「かしこまりました」
空色のマントの裾を摘んで優雅に一礼する。
そのままくるりと背を向けると、声をかける間もなく、早足に部屋を出て行った。
普段はサボり癖のある彼女だけれど、こういうときには仕事が早い。
それを褒めるべきか呆れるべきか、本気で考えつつ、視線を元に戻した。
その途端、まるで示し合わせたようにこちらを向いたペリドッドが、にっこりと微笑む。
「ありがとう、アールちゃん」
「気にするな。もともとはこちらが巻いた種だしな」
礼を言われる筋合いなどないのだ。
もともとは、あの医者を名乗る男を信じてしまった自分たちが悪い。
もっと早く気がついていれば、彼女たちにこんな苦労をさせることはなかったのかもしれないのだ。
こちらのそんな考えを察したのか、ペリドッドは静かに首を振る。
大丈夫だとでも言うように薄く微笑むと、くるりと仲間たちの方を振り返った。
「みんなにも、お願いがあるんだけど」
少し首を傾げて、申し訳なさそうな口調で発せられた言葉に、それぞれが側にいる者と顔を見合わせる。
その中で、1人だけ違う反応をした者がいた。
「ネヴィルには1人で挑むから、援護だけお願いっていう話?」
息を吐き出すようにその言葉を口にしたのは、ベリーだった。
誰も予想をしていなかったのか、その言葉に全員が声を上げる。
「ベリーちゃん!?」
ペリドッドすらも、その反応は予想していないものだったらしい。
驚いて名前を呼んだ彼女に、ベリーはほんの少しだけ表情を和らげた。
「私はかまわないわ。たぶん、足手まといになるだろうしね」
「え?」
「私は、精霊神法は使えないから」
「ベリー……」
自虐的に呟かれたその言葉に、数人がはっと息を呑み、セレスが思わずといった様子でその名を呼ぶ。
同じように息を呑んだペリドッドは、ほんの少し間を置いた後、困ったように首を捻った。
「うーん、そういうつもりじゃなかったんだけど……」
「じゃあ、何でよ?」
思い切り声量を低くしたレミアが、怒りを宿した深緑の瞳でペリドッドを睨む。
いつもの彼女ならば、隠れるふりをするか、笑って誤魔化しただろう。
けれど、今日はそうしなかった。
背を向けていてわからなかったけれど、おそらくは先ほどと同じく薄く微笑んで、それでも瞳だけは真剣なまま、真っ直ぐにレミアを見て。
一瞬たじろいだ彼女に向かって、ペリドッドはゆっくりと口を開いた。
「……正直、わかんないんだ」
「はあ!?」
その途端、レミアが大声を上げる。
「わかんないって……!」
「わかんないもんはわかんないもん」
ぷいっとそっぽを向くペリドッドの口調は、いつもの彼女のものになっていた。
態度も、先ほどまでの真剣な雰囲気はどこに行ってしまったのかと思うほど軽い。
その返答に腹を立てたレミアが、もう一度怒鳴りつけようとした、そのときだった。
「わかんないけど、そうしなきゃいけない気がするんだ」
仕種はそのままに、ペリドッドの口調が真剣なものに戻る。
「え?」
一瞬のその変化についていけなかったレミアが、目を見開いて動きを止める。
彼女だけではない。
いつも以上に変化の激しいペリドッドの態度に、他の者たちも戸惑っているのか、一言も発することが出来ずに、ただ彼女を見つめる。
違う反応を見せたのは、ペリドッドの後ろに立つアールだけだった。
その雰囲気を、知っていた。
かつて一度だけ、見たことがあった。
死んだと思っていたリーナと再会したあの国の、ルビーが捕らえられていた、あの塔で。
「ネヴィルはあたしのこと知ってるみたいだった。だから、あたしがやらなきゃならない」
あの時、ルビーを連れて脱出するように言ったタイムと、同じ雰囲気――決意。
「何となくだけど、そうしなきゃならない気がするんだよね」
はっきりとそう告げるペリドッドから、あのときのタイムと同じものを、確かに感じ取っていた。

2007.07.08