SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter6 鍵を握る悪魔

23:来訪者

ペリドッドとティーチャーが去り、誰もいなくなった広間で、ウィズダムは姿を消すことなく立ち尽くしていた。
ゆっくりと、祭壇の奥――かつてティーチャーが眠っていた台座の方へ視線を向ける。
暫くの間じっとそこを見つめていた彼は、談話室の方から誰の気配も戻ってくる様子がないことを確認すると、静かに口を開いた。
『いつまで潜んでいるつもりだ?』
先ほどペリドッドにかけたものとは全く違う、低い低い声。
普通の人間ならば竦み上がり、身動きが取れなくなってしまうのではないかと思うほど恐ろしい、けれども神々しさを含んだ声だった。
その声が向けられた場所には、誰の姿もない。
いや、誰の姿もないはずだった。
「……ふっ。……くっくっくっ」
その誰もいないはずの場所から、突然笑い声が聞こえた。
思わず不愉快そうに眉を寄せる。
その途端、その場に何の前触れもなく、1人の男が現れた。
まるで水の底に沈んでいたものが、ふわりと水面に浮かび上がったときのように突然空間に姿を現したのは、魔道士の装束に身を包んだ、まだ若さを残す青年だった。
肩より少し上で無造作に切られた黒髪。
身に纏ったマントは黒く、ほとんど装飾のない衣服も黒。
手にしている杖さえも黒に塗りつぶされていて、唯一色を持っているのは、その先端につけられた血のように赤い石と、夕暮れの空のような鮮やかな瞳だけだ。
服の端が辛うじて銀で縁取られていなければ、教会に住まう神父と間違えられていたかもしれない。
そうだというのに、その青年から滲み出る雰囲気は、聖職者というよりむしろ暗殺者に近いような鋭利なものだった。
「やはり気づいておられましたか」
『あなたの気配は独特だ。近くにいれば嫌でもわかる』
「そうなんですかねぇ?自分ではよくわからないんですよ?」
にっこりと笑う青年は、一見温和そうに見えるが、実はそうではないことをウィズダムは知っていた。
『……あなたがこちらに来るなど珍しい。一体どうなされた?』
彼は、話を始めると、暫くその話をやめようとしない。
本題に入るまでに、随分と無駄な時間を使ったこともある。
それを知っているからこそ、ウィズダムは彼が口を開くより先に尋ねる。
すると青年は、にっこりと笑って見せた。
「いえね。どうにもこちらが長引いているので、様子を見に来たんですよ」
『干渉しないのではなかったのですか?』
「まあ、始めはそのつもりでしたが……」
青年の夕暮れ色の瞳が動く。
その瞳は、ただ廊下の向こうを見ているだけのようだが、ウィズダムは気づいていた。
彼の視線は、勇者の名を継ぐ少女たちの集う部屋ではなく、その側にある小さな個室に向いている。
「どうにも彼、おいたが過ぎるようなので。……ああ、今は彼女、でしたっけ?」
くすくすと笑う青年は、本当に楽しそうだ。
その言葉を聞いたウィズダムは、意外そうに目を見開く。
『彼女らを助ける、ということですか?』
「ええ、ほんの少しだけ」
その発言に、心の底から驚く。
彼は、基本的に傍観者のはずだ。
彼が歴史に影響を及ぼすような立場にいる人間と接触したのは、この世界が生まれてから今までに、たった一度だけ。
人々が『勇者』と呼ぶ青年と接触したときだけだった。
ふと、こちらを見た青年が、おかしいと言わんばかりに笑いを漏らす。
思わず怪訝な顔をすると、彼は笑いを止めようとはしないまま「すみません」と謝った。
その態度には、とても誠意などというものは感じられない。
いつものことだとはわかっていたけれど、あまりの態度に睨みつけずにいられなかった。
それをどういう風に取ったのか、彼はにこりと笑うと、楽しそうな表情を崩さずに口を開いた。
「ああ、安心してください。残りの精霊神法を渡してしまうとか、『あれ』を教えてしまうとか、そういうことではありません」
彼女たちの努力を無にすることはしないからと、笑顔で告げられる。
そんなことを自分に告げられても、返す言葉など何もない。
自分は彼女たちを監視しているわけではなく、純粋に主に必要とされたから、ここにするのだから。
そんな考えが読み取れたのか、目の前の青年の口元がますます楽しそうに歪んだ。
「あなたの主様を助けてさし上げようと思っているだけですから」
ぴくんと、無意識のうちに体が震えた。
思わず反応を許してしまったことに、彼には気づかれないように舌打ちをする。
どうせ知られていることだったとても、この人には自分の心情を気づかれたくはなかったのだ。
「彼女がこのまま目覚めなければ、こちらとしても都合が悪いですからね」
くすくすと笑いながら、青年はマントを翻し、祭壇を降りていく。
下まで降りると足を止め、肩越しにこちらを振り返った。
「タイミングを計るために、私は暫くここに滞在させていただきます」
『……何故それを、私に?』
「伝えておかないと、追い出されてしまいそうですから」
にこりと、微笑んで告げられた言葉に、息を呑む。
何も知らない人間ならば、青年が苦笑しているように見えるかもしれない。
けれど、彼をよく知るウィズダムは、その笑顔に隠されている感情に気づいてしまった。
動揺を誤魔化すために、何気ないふりをして視線を逸らす。
目が合った瞬間に、こちらの心情が全て読まれてしまっていることは知っていたけれど、それでもそんな態度に出てしまうのは、少しでもその目を見たくなかったからだった。
『……まさか。私にそんな度胸はありません』
「そうですか?なら、そう言うことにしておきましょうか。……ふふふっ」
くすくすと楽しそうに笑ってそう言うと、青年は視線を目の前に戻す。
その途端、体を強張られていた緊張が解けていくのを感じた。
彼の興味が自分から外れたことに、向けられた気配で気づいたからだ。
「では、ごきげんよう」
背を向けたまま、口調だけは優雅に挨拶をすると、青年は一歩踏み出した。
その途端、青年の足が空気に溶けるように消えて始める。
一歩一歩歩くごとにその姿は薄くなり、広間の扉を出るころには完全に消え、気配を感じ取ることも出来なくなっていた。



「ごめん!お待たせっ!」
談話室の扉を開いて、中に駆け込む。
後ろからティーチャーが着いてきていることを確認してから、いつもより少し大きな声で部屋の中に呼びかけた。
「ペリートっ!?」
真っ先に振り返ってくれたのは、一番扉の側にいたセレスだった。
「お帰りなさい。どうだった?」
「うん、ばっちり!ちゃんと呪文、貰ってきたよっ!」
にっこりと、いつものように笑って答えれば、セレスはほっとしたような笑顔を浮かべる。
その顔に、ちゃんといつもの自分に戻れていることを確認して、心の中で安堵の息をついた。
『記憶の世界』に行く前後、自分が取り乱している自覚はあったから。
いつもの自分を取り戻せていると思うと、それだけで心が少しは軽くなる気がしたのだ。
「それよりも、今、どうなってるの?」
「あ……。それが……」
尋ねた途端、セレスが困惑したように部屋の奥を見る。
つられるように同じ場所へ視線を向けて、思わず「うげっ」と下品な叫びを上げてしまった。
その視線の先にいたのは、一触即発状態のルビーとレミアだった。
今にも飛び掛らんばかりの表情を浮かべたレミアが、淡々とした表情を浮かべ、自分を睨みつけるルビーと対峙している。
2人とも武器こそ抜いていないものの、今にも殴り合いに発展しそうな雰囲気だった。
「い、一体何があったの……?」
「1人で飛び出して行こうとしたレミアさんを、姉さんが止めたの。いくらなんでも、1人じゃ危ないって言って……。そうしたら……」
「レミアちゃんが暴走して、喧嘩になっちゃったわけ?」
「……ええ」
答えるセレスの顔には、困惑とも諦めとも呆れとも取れる複雑な表情が浮かんでいた。
「なーんでもこうもレミアちゃんもルビーちゃんも喧嘩っ早いんだろうねぇ」
「ごめんなさい……」
大きなため息をついて呟けば、セレスが申し訳なさそうに謝る。
「セレちゃんのせいじゃないよ」
それを宥めて、ペリドッドは顔を上げた。
そのままきっと2人を睨むと、大声を出して注意を自分に向けようと、息を吸い込んだときだった。
「2人ともっ!いい加減にしてっ!」
自分より先に鋭い声が2人の間に割って入る。
驚いて、思わず口にしかかった怒鳴り声を止める。
睨み合っていた2人の視線が、相手を伺いながらも横に動く。
それを追った先にあったのは、2人を睨みつける青い瞳だった。
「タイム……っ!!」
自分の邪魔をした相手が誰だかわかった途端、レミアの深緑色の瞳に憎悪が浮かぶ。
全身で殺意を表現する彼女に、タイムも怯むことはなかった。
「ここであんたたち2人が本気で喧嘩して、何になるって言うの?少し冷静になって!」
「あたしは十分冷静だっ!」
「どこが」
「ルビーっ!」
穿き捨てるように呟いたルビーを、すかさずタイムが嗜める。
ほとんど無表情だったルビーは、その一言でぷいっと顔を逸らし、黙り込んだ。
髪の間から覗く赤い瞳は、レミアとは違い感情を宿していない。
ルビーまでもが興奮状態であったわけではないのだと、ほんの少しだけ安堵した。
こんなとき、普段一番冷静なルビーが逆上したら、収集がつかなくなるということは、十分予想がついた。
溜めた息を吐き出して、もう一度吸い込む。
きっと顔を上げると、タイムに突っかかり始めたレミアにはっきりと届くように、わざとらしく声を張り上げた。
「たっだいまーっ!おっ待たせーっ!!」
その途端に、全員の視線が弾かれたようにこちらを向く。
どうやら、セレス以外の誰もが自分の第一声には気づいてくれていなかったらしい。
「ペリートっ!?」
真っ先に驚いた声を上げたのは、反応してくれないと思っていたレミアだった。
他の仲間たちも、自分の姿を見て驚きの表情を浮かべている。
つい直前まで目の前で繰り広げられた争いに集中していた彼女らには、すぐにペリドッドが戻ってきたことを理解することは出来ないようだ。
その中で、最初に状況を飲み込み、言葉を発したのは、やはりというべきか、ルビーだった。
「お帰り。首尾は?」
「もっちろん上々だよ!呪文もばぁっちり!」
何も見ていないふりをして笑って答えれば、ルビーもそれを悟ってくれたのか、にこりと笑った。
それは嬉しそうにとか楽しそうとかいうよりも、不敵といった方が合っていそうな笑みだった。
「そう。よかったね。……だってよ?レミア」
「……ふん」
その笑みはそのままレミアに向けられて、ルビーと視線が交わった途端、レミアは不満そうな顔で視線を逸らした。
「え?え?何なに?」
「何でもないよ!」
「えー?嘘だー!気になるよー」
「何でもないってばっ!」
いつもの口調で、いつものように首を傾げて尋ねても、レミアは誤魔化そうとするだけで答えてはくれない。
仕方なく周りを見回せば、すっかり上機嫌な表情になったルビーが答えをくれた。
「リーナが来てから、ペリートを待ってたって意味ないの一点張りだったんだよ」
「えーっ!レミアちゃん酷いーっ!!」
「……ごめん。悪かったよ」
もう一度視線を逸らして、小声で謝る。
本当ならここで許してもよかったのに、ペリドッドは敢えて抗議を続けた。
「酷いよ……。あたしだってがんばってたのに、レミアちゃんは信じてくれてなかったんだね……」
「だから、ごめんって言ってるじゃない!」
「……でもでも!……酷い。うう……っ」
仕舞いにはめそめそと泣き出してみせる。
そうすれば、怒ったように視線を逸らしていたレミアは、途端に慌てたような表情になった。
それはそうだろう。
いつもはこんなやり取りをしても、ペリドッドは絶対に泣き出さない。
それが泣き出すなんて、初めてのことだったのだから。
「レミアちゃん……。酷いよぉ……うっく」
「ちょ、ちょっと!あたし、そんなつもりじゃ……」
先ほどまで怒っていたはずのレミアが、わたわたと慌てる。
それが面白かったから、もう少し泣き真似を続けていようと思ったのに。
「ところでペリート?その手に持っている物は何かしら?」
今まで一言も口を開かなかったベリーが、唐突に口を開いた。
その途端、レミアが「え?」と声を漏らしながら動きを止め、ペリドッドの肩がびくんと震える。
慌てて手を後ろに隠そうとした途端、待ち構えていたらしいセレスに、それを持っていた方の手首を掴まれてしまった。
「これって目薬じゃないっ!あなた、いつのまに……というより、どうしてこんなもの持ってるの!?」
「あはっ。ばれちゃった」
てへっと笑って見せるけど、誰も一緒に笑ってはくれない。
タイムは苦笑し、ベリーとルビーは呆れ顔で自分を見ている。
後ろにいるセレスの表情はわからなかったけれど、きっと2人と同じ表情をしているに違いないと思った。
「……ペリートぉ」
先ほどまで慌てていたレミアが、眉間に思い切り皺を寄せて睨みつけてくる。
そんな彼女に向かって、ぺろっと舌を出してみせた。
「えへへ。ごめんごめん。でも、傷ついたのはホントだもん」
本当に、泣きたくなるほとではなかったけれど、ちょっとだけ傷ついた。
自分は以前、レミアを信じて、彼女に全てを任せたことがあったのに、レミアは自分を信じてくれていなかった。
それがアールを心配した結果の過剰な反応であることはわかっていたけれど、それでもちょっとだけ傷ついたのは嘘ではないのだ。
だから意地悪をしたくなった。
「……ごめん」
その言葉を聞いた途端、レミアはバツの悪そうな表情になって、ぷいっと視線を逸らす。
喧嘩の熱が多少は冷めてきたのか、素直に謝る姿勢を見せた彼女に、ペリドッドはにっこりと笑った。
「ううん。いいよ。ただ、もうちょっと信じてほしいなぁ」
「……善処します」
「うん。よろしく」
素直すぎるレミアが、可愛いと思う。
でも、それを口に出すとまた怒り出して、話が進まないから、感想を口に出すのはやめた。
「で、いざこざは収まったし」
「あんたが引っかき回したような気もするけどね」
「えー?酷いよぉ、タイムちゃん。あたし純粋に傷ついただけだもん」
「はいはい」
「むう。信じてくれてなーい」
「あー、もうっ!わかったから!話が進まないわよ!」
セレスに怒られて、漸く拗ねるのをやめる。
考えたことと全く反対のことをしてしまうあたり、相当余裕が戻ってきたのかもしれない。
いつもの笑顔の裏でそんなことを考えながら、くるりと後ろを振り向く。
そこには、この突然の状況の変化についていけず、ぽかんと口を開けたままこちらを見つめているリーナの姿があった。
「リーナちゃん、お久しぶり~……って、大丈夫?」
放心状態の彼女の前に歩み寄って、ひらひらと手を振る。
目の前で動くそれに、彼女も漸く我に返った。
「あ……っ!ぺ、ペリートさん!?」
「うん、おはよう。リーナちゃん、平気?」
「え?え、ええ。わたくしは平気です……」
「そう?ならいいんだけど」
きょとんとした顔で首を傾げて見せれば、今度こそリーナは笑みを浮かべて「大丈夫」と答える。
本当にそうなのか、それとも質問の意味が分かっていないのか。
そのぎこちない笑みから判断することは、できなかった。
「早速で悪いんだけど、状況説明してくれないかな?ティーチャーからは、ネヴィルが現れて、リーナちゃんが来たってことしか聞いてないんだ」
その途端、リーナの顔が僅かに強張る。
それを見た途端、もう少し言葉を選べばよかったかもしれないと、少しだけ後悔した。

2007.04.08