SEVEN MAGIG GIRLS

Chapter1 帝国ダークマジック

15:幻想の塔-崩壊

静かな塔に、かちゃかちゃと金属を動かす音が響いている。
時間が経つにつけて焦り始めたのか、最初は微かだったそれはだんだんと大きな音になっていった。
「ちょっとルビー。まだ?」
金属同士がぶつかる音しかしていなかった空間に唐突に声が響いた。
「もうちょっと」
かちゃかちゃという音はまだやまない。
「ねぇ~、早くしてよ~」
「そろそろ開かないの?それでも盗賊?」
「グズ」
「だーっ!!!」
ばんっと扉を叩いてルビーが何かを投げ捨てる。
小さな金属音が響いて、投げ捨てられた何かが転がる音が聞こえた。
「うっさいうっさいうるさーいっ!!こっちは血が足らなくってふらふらしてるっていうのにっ!ちょっとは静かに待って……」
叫びながら壁を叩こうとしたら、突然体が傾いた。
それが眩暈のためなのだと気がついて、倒れる寸前に何とか壁に凭れかかる。
「血が足らないんだったら、叫ぶのもどうかと思うけど」
そんなの彼女を見たベリーが冷ややかな声で言った。
「ああ、もう!皆さん、姉さんを苛めないで下さい!ただでさえ頭に血が上りやすいんですから!」
見るに見かねてセレスが叫ぶ。
止めてくれるのはありがたいが、妹にまでこんな言い方をされていると自分で自分に同情したくなる。
「大体、そこまで言うなら誰かやってよ。あたしやだ。もうやだ。絶対やんない」
「ああ、もうあんたは。どうして周りが責めるとそういう結論出すのよ」
突然子供のように拗ね始めたルビーを見て、タイムは小さくため息をついた。
「ったく、しょうがないな。あたしがやるよ」
その言葉に驚いてルビーしレミアを見た。
まさか本当に誰かが名乗り出るとは思わなかったのだ。
この扉につけられた鍵の総数、ざっと20個あまり。
どんな盗賊だって、一目見るだけでうんざりするような厳重さだ。
それを自ら開けると申し出る者が自分の他にもいるなどとは予想もしていなかった。
「何狐につままれたような顔してんのよ。危ないから避けた避けた」
レミアに呼びかけられ、はっと我に返る。
眩暈が治まったことを確認して、言われたとおりに彼女の背後へ回った。
「だいたいさぁ。どうせ侵入ばれてるんだから、こそこそする必要ないのよね」
右手を上げてレミアが大きくため息をつく。
彼女たちをここに連れてきたのは、この扉の向こうにいるであろうこの塔の主本人だ。
今更こそこそしても、結局こちらの動きは向こうにばれている。
遠慮する必要など、何処にもない。
「風の精霊よ。我が呼び声に答え、汝の力を貸し与えん。風よ。波となり、我らが前に立ち塞がりし存在を薙ぎ払わんっ!」
ゆっくりと塔の中を風が流れ始める。
それはだんだんと強くなり、レミアの手に集っていく。
「ウィンドウェーブっ!」
突然強い風が吹いた。
それはそのまま波のように扉に向かって押し寄せ、ぶつかった。
衝撃で扉に取り付けられていた鍵が全て吹き飛ぶ。
瞬く間に扉がばらばらと音を立てて飛び散った。。
吹き荒れる風が一瞬だけ作り出した真空が鎌鼬を起こして扉を切り刻んだのだ。
「呪文で一発、この方が早いじゃない」
くるっと振り向いて、レミアがにっと笑った。
そんな彼女には目を向けず、ルビーは呆然と扉の残骸を見つめていた。
彼女はすっかり忘れていた。
呪文に頼って強行突破をするという方法を。
そんな間抜けなこと、口が裂けても言えるわけがない。
「まったく。ヘンなところでプライドかけるから」
呆れたようなタイムの声が背中にかかった。
言い返せないのが悔しかった。
だが、ここで忘れていたなどと口にした時には、もっと冷たい罵声が待っている。
わかっているから余計に言えない。
「わ、悪かったね!開いたんだからいいでしょ!行くよっ!!」
叫ぶように言って、1人でさっさと扉のあった場所をくぐる。
それを見て6人が大きくため息をついたことに、彼女は気づかないふりをした。



塔の最上階いっぱいに広がっていたのは和風の部屋。
今まで通ってきた場所――アールの部屋や階段からは連想できないような和室。
他の場所と同じ石造りの床だけが、そこが塔の中だと物語っている。

「ようやく来たか」

唐突に響いた声に、7人はそれぞれ武器を手に取り、奥を睨む。
部屋の一番奥、一角だけある畳の上。
そこに着物を着た少女めいた姿の女が立っていた。
「幻」
先ほどとは打って変わった真剣な目でルビーが幻を睨みつける。
自分が一番嫌いな戦法をとる女。
それが今、ここにいる。
「ほほう。それだけの血を流して立てるとは。見かけよりは丈夫なようじゃな」
新しいおもちゃを見つけた子供のような目でこちらを眺めていた幻は、ルビーの服に目を止めるとにやりと笑った。
「うるさい。あんたんところの根性なしどもと一緒するな」
短剣を握る手に手からを入れてそう言葉を返すと、幻は声を堪えるようにして小さく笑った。
「わらわのところの根性なし?それはイセリヤの邪天使部隊のことかえ?」
あくまで自分は関係ないという口調が頭に来る。
アールはアールで、十分がんばっていると言うのに。
「あんたさ~」
普段浮かべている笑みを消してじっと相手を見つめていたペリドットが唐突に口を開いた。
「そういう人を見下す態度、あたし大っ嫌い」
まっすぐぶつけられたその言葉に、再び幻が小さく笑う。
「お主がわらわを嫌ったとしても、わらわには何の害もない。むしろ、その方が戦うには好都合じゃ」
「あ~。ほんっとに性格悪いね、お嬢ちゃん。でも……」
一瞬ペリドットの顔に呆れたような表情が浮かぶ。
しかし、彼女はすぐにそれを消し去ると、鋭い目で幻を睨んだ。
「言うことだけは認めてあげるよ。確かにその方が、迷いなんかないもんね」
軽い調子のまま、はっきりと言い放つ。
そんな口調とは裏腹に、声はいつもに増して真剣そのものだった。
「言葉も存在も、お主たちは認めんでもよい」
座っていた幻がゆっくりと立ち上がる。
「ここでわらわに殺されるのだからなっ!」
ばっと幻が手を振り上げた。
ほぼ同時にペリドットがオーブを掲げるように突き出す。
「幻結界」
「夢結界っ!」
それぞれから現れる灰色と桃色の霧。
互角だと思われたそれぞれの魔力。
しかし、その予想は簡単に裏切られて。
灰色の霧が桃色のそれを飲み込み始めるまで、そう時間はかからなかった。
「……マジで?」
打ち負かされた己の魔力が具現した霧を見つめ、ペリドットが唖然として呟く。
「下にいた者から聞かなかったか?ここはわらわの空間。即ち幻術の力が満ちし場所」
勝ち誇ったような笑みを浮かべて幻が言った。
「聞いてましたよ」
返ってきた答えはペリドットのものではなかった。

「だからこっちだって、それなりに作戦を立ててきたんですから」

ぶわっと足元から何かが浮き上がるような感覚が襲う。
はっと下を見ると、そこには気づかないうちに魔法陣が浮かび上がっていた。
「爆裂陣っ!」
魔法陣が発光する。
「くっ!!」
魔法陣の上で爆発が起こるよりも先に、幻はそこから跳び退いた。
この戦いに関係のない第3者がいれば、着物姿でよくあれだけの跳躍力があるものだと感心したかもしれない。
セレスの呪文の影響で集中力が切れたらしい。
次第に灰色の霧がその範囲を狭め始める。
「母なる大地よ。全ての生命を育みし者よ」
「漆黒の闇よ。全てを消し去る者よ」
それを待っていたかのように声が2つ、静かに流れてきた。
「今ここに、汝が子らをこの安らぎの元へ導き」
「我が漆黒の力を、この母なる大地の子らへ貸し与えん」
再び魔法陣が浮かび上がる。
しかし、今度のそれは幻の足元には現れなかった。
黒と茶、2つの光を帯びた魔法陣は、ミスリルとベリーという2人の術者のすぐ前に浮かび上がる。

「出でよ!闇の力を纏し大地の子よ!」

言葉が重なった瞬間、魔法陣が一層強く輝いた。
光が強くなったと同時に立っていられないかと思われるほどの揺れが塔全体を襲った。
どしんと何かが床に強く叩きつけられたような音を耳にして顔を上げれば、目の前の魔法陣から真っ黒の巨大な人型の何かがゆっくりと這い上がってくるのが目に入る。
「合体呪文か!」
見たことのないはずのそれが何かを瞬時に悟り、僅かに目を見開いて幻が呟いた。
「だが、それがどうした」
すぐににやりと笑みを浮かべて呟かれた言葉に、魔法陣の向こうにいたミスリルとベリーが僅かに表情を変える。
そんな彼女たちを一瞥して立ち上がると、幻は真っ黒な巨人に向け、ゆっくりと手を伸ばした。
「我、幻を操りし者。今ここに、和の国を統べる神に願わん。我に力を貸し与えよ。地獄の番犬を使役する力を」
言葉に引き寄せられるかのように彼女を回りに集まり出した魔力を感じ取って、びくっとルビーの体が震えた。
その量は、今までこの空間で感じていたものの比ではない。

「ケロベロスっ!」

ぶわっと空気が大きく揺れる。
その瞬間、幻の手から何かが勢いよく飛び出した。
一瞬のうちに、それは真っ黒な巨人――ゴーレムを襲い、噛み砕く。
ばらばらに砕けたゴーレムの体は、床に落ちるより早く砂になって空気に消えた。
「な……」
目の前にいたのは、黒を帯びた灰色の巨大な獣。
地獄の番犬と呼ばれる魔物。
「マジ……?」
ごくりとペリドットが息を飲む。
「これが冗談に見えるのか?」
勝ち誇ったように幻が笑った。
冗談などに見えるはずがない。
ケロベロス――呪文書によれば、幻術に属する中で最強と呼ばれる召喚術。
いくらペリドットでも、和国の魔術は専門ではない。
こんな巨大な魔力を打ち消すほどの夢術は使えない。
「ゆけ!ケロベロス!奴らを八つ裂きにしてしまえっ!」
幻の声に従うように獣が動いた。
一番近くにいた敵目掛けて前足を振り上げる。
それが叩きつけられるより先に、そこにいた者たちがそれぞれ左右に跳んだ。
ずんっと床が抜けてしまいそうなほどの衝撃が部屋を襲う。
何とか踏み止まった直後、何かを裂くような鈍い音が辺りに響いた。
顔を上げると、床に沈んだ黒い獣の足元に、剣を握り締めたレミアがいて。
その剣が獣の足に食い込んでいることに気づいて、それを見た全員が一瞬で何が起こったのかを悟った。
レミアが獣の足を斬りつけたのだ。
いくら幻術とはいえ、このケロベロスともうひとつ――ジャッカルという術は、術と同じ名の幻獣を呼び出す召喚術に過ぎない。
だからこそ物理的攻撃は効くはずだった。
獣がぎろっとレミアを睨む。
そして、斬りつけられた足を蹴り上げた。
「……!!?」
剣を引き抜く直前の出来事に咄嗟に反応し切れなかったレミアは、それをまともに喰らって壁に勢いよく叩きつけられた。
「レミアっ!?」
砂埃を上げて壁が崩れる。
その近くで剣が転がる音が響いた。
「……つぅ……」
背中の痛みはあるものの、外傷はそれほどでもない。
咳き込みながらも、レミアは何とか自力で起き上がった。
「しゃれに、なんない……」
そんな彼女見てほっと安堵の息をつきつつ、黒い獣に視線を戻すと、ルビーは短剣を持った手を強く握り締めて呟いた。
この幻獣は今まで遭遇したどんな敵よりも強い。
そしてそれは、そのまま幻の魔力の高さを意味している。
魔力が弱くては、例えこのレベルの幻術が使えたとしても、ここまで強い幻獣を呼び出すことなどできないから。
「それが何?」
自分の考えを読み取ったかのような言葉に驚いて振り返る。
そこにいたのは、背中が痛むのか、僅かに顔を歪ませてこちらに近寄ってくるレミアで。
剣を拾い上げた彼女の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
「レミア……?」
「強い方がね。賞金が高いの」
突然言われた言葉の意味がわからず、全員が――幻さえもレミアを見る。
「報酬が高い仕事こそ、難しくって危険。それがハンターってものなのよ」
口を切ったのか、端から細く赤い筋が流れている。
それを手で拭ってレミアは続けた。
「だから、逆に大歓迎だわ」
そう言って、今度ははっきりと笑みを浮かべた。
「まあ、確かに」
そんな彼女に呆れたような笑顔を向けてタイムが呟く。
「相手が弱くちゃ、こっちもレベルアップできないしね」
「でしょ?」
苦笑して見せると、レミアはにっこりと笑った。
呆れるほどのプラス思考。
しかし、命のやり取りにおいて、それはきっと重要なこと。
「まあ、言われてみればその通りよね」
ベリーまでそんなことを言い出せば、ため息をつくのはルビーで。
「そういうときは意見一致ですか」
呆れて敬語で言ってみる。
「あんただってそう思ってんでしょ?」
確信を持った口調でタイムが尋ねる。
それは言外に聞かなくても答えは分かっていると告げていて。
「まあ、そうだけどね」
呆れたようにため息をついて、にやっといつもの笑みを浮かべて見せた。
「ふん。強がっていても結果は同じじゃ。ゆけっ!」
そんな彼女の顔を見て、呆気に取られて彼女たちのやり取りを見ていた幻は我に返って指示を出す。
その声に従って獣が動いた。
今度は真っ直ぐにルビーに向かって。
「……我が纏うは紅蓮の炎」
真正面から向かってくる獣を避けようともせずに、ルビーは言葉を紡ぎ始める。
「炎よ。地獄に燃える熱き火よ。今ここに我が身に集い、愚者を焼き尽くす力とならん」
飛び上がった獣がルビーに襲い掛かった。

「インフェルフレイムっ!」

今にも踏み潰されるかと思った瞬間、吹き上がったのは紅蓮の炎。
目の前で放たれたそれは、見事に襲い掛かろうとしていた獣を飲み込む。
それを視界の端で確認すると、ルビーは床を蹴って横に跳んだ。
炎に包まれた獣が、先ほどまで彼女が立っていた場所に倒れる。
そのまま体を包む熱さを振り払おうと、炎の中で必死にもがいた。
「タイムっ!!」
床に足をついたルビーが、振り向きざまに叫んだ。
「ブリザードっ!!」
間髪を入れずに声が響いて、部屋中に吹雪が巻き起こる。
その吹雪が、炎に包まれたままの獣をさらに包み、炎ごと凍らせていく。
「レミアっ!」
完全に獣が凍りついたことを確認して、タイムが叫んだ。
同時にレミアが床を蹴る。
「封魔法……」
彼女が手にした剣が、薄っすらと光を帯びる。
「裂斬剣っ!!」
その光が強くなった瞬間、剣が勢いよく振り下ろされた。
手に硬い物を叩き壊した衝撃が確かに伝わる。
同時に剣に宿った魔力の刃が、氷の中に閉じ込められた獣を切り裂いた。
たんと軽い音がして、レミアが動きを止めたのがわかった。
それを待っていたかのように凍りついた幻獣が音を立てて崩れ落ちる。
レミアが剣を振ったのはたった一度。
しかし崩れていく氷と獣には、何か所にも斬りつけられた痕跡があった。
「な……」
信じられないという表情で幻はその光景を見ていた。
彼女の呼び出す幻獣は、幻獣の中でも力の強いものばかりだ。
今まで一度も誰かに――得に人間などに敗れたことなどなかったのに。
あの氷の残骸は、間違いなく自分が呼び出した幻獣。
「夢結界っ!!」
再び呪文を放つペリドットの声が響いた。
たちまち桃色の霧が広がる。
幻が我に返ったときには、辺りは一面の桃色に染まっていた。
「もうあんたに勝ち目はないよ」
オーブを幻の方へ向けたままペリドットが言った。
「わらわに勝ち目はない、だと?」
幻が呟くように言葉を漏らす。
そんな彼女の顔を見て、ペリドットは表情を変えた。
顔を上げた幻の瞳には先ほどとは別の色が――怒りの色が浮かんでいた。
「……ありえん」
静かな声が、妙なほど室内に響いた。
同時にぐにゃりと空間が歪んだ。
「な……っ!?」
突然の変化に驚いて、全員が辺りを見回した。
目の錯覚ではなかった。
壁が、まるで風に吹かれた水のように波を打っている。
天井も床も同じ。
空間の全てが、歪んでいた。
「ははははははっ!」
突然響いた笑い声に、全員が視線を元の場所へ――正確には、その少し上へ向ける。
幻が、そこに浮かんでいた。
水晶術を扱うことのできない人間が空中に浮くことなど、不可能であるはずなのに。
確かに幻は、そこに浮いていた。
「忘れたか。ここはわらわの作り出した空間。わらわの思い通りになる場所!」
言葉を口にしながら空中で両手を広げる。
それは、どこか叫びに近い口調だった。
「わらわに勝ち目がない?そんなこと、この空間ではあるはずがない!このままこの空間ごと貴様らを消滅させる!それだけでわらわの勝利じゃっ!」
空間ごと消滅させる。
その言葉だけが、やけに鮮明に耳に焼きついた。
「冗談じゃないっ!そんなこと、させるわけないでしょうがっ!」
短剣を握り締めてルビーが叫ぶ。
「お前らの意志など関係ない。わらわが、わらわだけが帰れば良い。それだけじゃっ!」
ばっと幻が右手を振り上げる。
「消えてしまうがよい!勇者の末裔どもよ」
「消えるのはあんたの方よっ!」
幻がいる場所のさらに向こう側から声が聞こえた。
「アースゴーレムっ!!」
それが誰だか確認するより早く魔力を宿した言葉が発せられた。
ぶわっと空気を揺るがして、幻の足元に茶色く光る魔法陣から、勢いよく何かが現れる。
その何かに突然腕を掴まれて、幻は驚き、背後を振り返った。
「何っ!?」
彼女の視界に入ったのは、表情が全くわからない巨大なゴーレム。
その足元に、いつのまに移動したのかミスリルが立っている。
「くそっ!こんなもの……」
「セレスっ!!」
幻の言葉を遮るようにミスリルが叫んだ。
その声にはっと視線を動かすと、セレスは咄嗟に杖を前に突き出した。
一瞬だけ茶色と黄色の瞳が交差する。
「呪縛陣っ!」
次の瞬間にはセレスはもう呪文を唱えていた。
ゴーレムの足元、ミスリルが立っている場所のすぐ前に別の魔法陣が浮かび上がった。
そこから飛び出した無数の魔物の手が、ゴーレムが捉えている幻の体を巻きつくようにして掴む。
「アスゴ、もういいわ!離れて!」
ミスリルが声をかけると、ゴーレムは素直に幻を放し、そのまま最初に床に現れた魔法陣の中へと戻っていく。
それで幻は岩の感触から解放されたが、今度は魔法陣に封じられた魔物が彼女の動きを封じて放さない。
「くそっ!こんなことで、わらわの策が止められるとでも……」
「思ってないから、口も塞がせてもらうわ」
妙に冷たい声が全員の耳に響いた。
「我が手に集いし漆黒の闇よ。今ここに、その力槍となりて、我が前にいる敵を撃たん!」
晴れ始めた桃色の霧の先に見えたのは、紫を帯びた黒い光。
「ダークランスっ!!」
ベリーの手から黒い光が放たれた。
それが真っ直ぐにセレスの呪文に捕らえられ、動くことのできない幻へ向かってくる。
矢は途中でいくつかに分裂し、そのまま彼女の体を貫いた。
「……っ!!?」
体に激痛が走って、白と薄紅で彩られた衣装が赤く染まる。
がくんと頭が傾くと、不意に体に纏わりついていた不快感が消えた。
それが呪文の束縛から解放されたからだと気づいたのは、自分の体が床に崩れ落ちたから。
空間の歪みは、そのときにはもう収まっていた。

しかし、それは一時のことに過ぎない。

次の瞬間、先ほどより激しい歪みが、揺れが塔を襲った。
「今度は何~っ!?」
「まさか、これが……」
「く、くくくく」
掠れながらも、確かに聞こえた笑い声に、全員の視線が幻に集まる。
「この空間は、わらわ、そのもの。わらわが、死ねば、空間は、消滅……する」
途切れ途切れに紡がれた言葉は、彼女たちの確信を深めるには十分で。
「じゃあ、これは……」
「空間の崩壊っ!?」
ルビーがそれを口にするより早く誰かが叫んだ。
空間が崩壊する。
巻き込まれれば、確実に死ぬ。
「……行って」
唐突にルビーが言った。
「ルビー?」
「行って。こいつの止めはあたしが刺す」
その言葉に驚き、全員の視線がルビーに集まる。

確実に、終わらせなければいけない。

それを、彼女は悟っていた。
いくら空間が壊れると言っても、そのことばかりに気を捕らわれて止めを刺し損ねたりすれば、もしかしたら生き延びて、再び戦うことになるかもしれない。
それだけは避けたいと思った。
おそらくイセリヤは幻より強敵のはずだ。
まだそんな奴が残っているというのに、これ以上敵を増やしたくはなかった。
「馬鹿なこと言わないで!姉さん1人を置いていけるわけないでしょう!」
悲痛を感じさせる声に振り返ってみれば、目の端に涙を浮かべたセレスが、必死の表情で自分を見つめていた。
そんな妹を見て、ルビーはふうとため息をつく。
「だからって、ここで終わらせなかったら絶対」
言いかけて、言葉を止めた。
酷い眩暈がして、足から力が抜ける。
立っていられない。
そう感じたときには、もう体が傾いていた。
「ルビーっ!?」
すぐ側にいたレミアが、何とか倒れかかった彼女を受け止める。
「あ……、ごめん」
バンダナをしたままの額を抑え、ルビーはレミアから体を放した。
気づいてはいた。
先ほど呪文を使ってから、眩暈が酷くなっていることに。
それでも、今は退くことなどできない。
確実に終わらせるまでは、退くことなどできないのだ。
「ルビーちゃんは行くべきだよ」
きっぱりと言われた言葉に、ルビーは顔を上げて視線を動かす。
その先には、オーブを側に浮かせたまま腰に手を当ててこちらを見ているペリドットがいた。
「代わりにあたしが残る」
「ペリートっ!?」
突然の発言に驚いて、ミスリルが彼女の名を呼ぶ。
「だって適任でしょ?あたしなら夢術が使えるわけだし、第一、窓から飛び降りればすぐにゲートポイントにつくもん。オーブ使えば飛べるから、転落死なんてことないし」
慌てた様子のミスリルに笑顔を向けて、ペリドットはあっさりと言う。
確かに、『飛べる』ということを考えれば、彼女以上の適任者はいないかもしれない。
「それに、実は怒ってるんだよね。勝手にあたしに化けて皆を騙したこと」
一瞬笑顔を消したかと思うと、幻の方を向いて先ほどとは別の笑みを浮かべる。
その笑顔はいつもとは違い、冷たい雰囲気を宿していた。
「だったら、私も……」
「だーめ」
言いかけたセレスの言葉を遮り、あっさりと拒否した。
「セレちゃん行かなくって誰がゲート開くの?それに回復係りが怪我人から離れちゃ駄目じゃん」
「誰が……」
「それだけ服が赤くて、怪我人じゃないって主張する方がおかしいと思うけど」
ベリーまで言われてしまえば、言いかけていた言葉を続けることもできず、ルビーは口を閉じる。
赤というより、既にどす黒くなっている白い服が、彼女が怪我人であることを何よりも物語っている。
否定など、できるわけがない。
「わかったよ。行く。あんたに任せる」
「ルビーっ!?」
ミスリルが驚愕の表情を浮かべ、叫ぶような口調でルビーの名を呼ぶ。
「状況わかって言ってるの!ここはもうすぐ……」
「無駄よ」
きっぱりとベリーが言った。
「無駄よミスリル。何を言ってもそいつは聞かない。それくらい、わかってるでしょう?」
「でも……」
「それに、絶対言い出すと思ってた」
突然話に割り込んできた別の声に、ミスリルは言葉を切って視線を動かす。
彼女の視線の先にいたのは、棍を握ったまま幻を見ているタイムだった。
「アールに向かって言ったでしょ?死ぬなんて限らないって。策なんて、いくらでも立てられる」

少なくとも、あたしは10階くらいなら一気に降りられる自信がある。

アールがこの空間について自分たちに話したときに、確かにルビーはそう言った。
「その時もう決めてたんでしょう?その時が来たら、自分が残るって」
確信を持った口調で問いかけながら、タイムは視線をルビーに移した。
「……なんでばれるかな」
ルビーが不満そうに眉を寄せる。
「何年付き合ってると思ってんの。だいたいの行動パターンは読めるようになってるよ」
呆れたようにそう言って、タイムはため息をついた。
「まあ確かに、このまま帰って、こいつが復讐に来ないっていう保障もないし」
「レミア!あんたまで……」
「大丈夫」
言いかけたミスリルの言葉を遮って、ペリドットは口を開いた。
「絶対行くから。こんなに神経質になんないでよ、ミスリル」
そう言って見せる表情は、いつもの彼女の笑顔だった。
「ね?」

「……わかったわよ」

ミスリルは視線を逸らし、深いため息をつきながら承諾した。
「ありがと。絶対間に合うからね!」
ぐっと拳を握って、ペリドットが笑う。
「しくじったら永遠に呪ってやる」
「やだー。怖いこと言わないでよルビーちゃん」
こちらを睨みながらぼそっと呟いたルビーに、いつもの調子でそう返す。
それから急に真剣な表情になり、言った。
「大丈夫。信じて。ね?」
「……誰が信じないって言った?」
その言葉にペリドットは満足そうに笑った。

「時間がないよ!急いで!」
先ほどより塔の揺れが強くなったことを感じ取ると、ペリドットは真剣な表情で声をかける。
その言葉に頷いて、6人は扉の外へと駆け出した。
破壊された扉の向こうから響く、階段を駆け下りる音。
人気のなくなった部屋には、下の階から響くその音と幻の荒い息の音だけが響いていた。
「くく、く、くく……」
今にも消えそうな笑い声が耳に入った。
「愚かな……。ここに、残って、待つ……ものは、死、のみだと……いうのに……」
「わかんないよ?聞いてなかった?」
くるりと振り向いて、ペリドットが幻を見下ろす。
口調こそ軽かったが、その顔には表情などかけらもなかった。
「死ぬなんて限らない。策はいくらでもあるんだって話」
すっと幻の上に手を伸ばすと、自然にオーブがそこへ移動する。
「限らない、だと?……お主、何も、わかって、おらぬ……」
もう既に息も絶え絶えだというのに、まだ幻は言葉を紡ごうとする。
ペリドットはそれを黙って聞いていた。
「この空間の、死は、わらわの……死。わらわが死ぬと、同時に、この空間も、死ぬ……」

崩壊して、世界から消滅する。

「だったら……」
唐突にペリドットが口を開いた。
「証明してあげるよ。消滅よりも早く、あたしはここから脱出してやる」
詠唱も何もしていないというのにオーブが光を放ち始めた。
桃色を帯びたその光は、だんだんと強さを増していく。
「ばいばい、……幻」
いつもの、しかし冷たい口調でペリドットが言った。
その瞬間、光が強く輝いた。



階段を駆け降りる。
この空間に呼び込まれてから最初に立った場所――アールの部屋の前を走り抜け、ひたすら塔の入り口を目指す。
「う……」
足に力が入らず、傾いたルビーの腕をタイムが何とか掴んだ。
この螺旋階段を転がり落ちたりしたら、おそらく怪我程度ではすまないはずだ。
「もう少しなんだから、がんばって」
「わかってる。ごめん」
ペリドットと別れてから、何度この会話を繰り返したことであろう。
そんなことを考えているうちに、何かが視界に飛び込んできた。
こちらを見て手を振っているそれは、先ほど別れたはずの人物。
「アールっ!?」
思わずセレスが声をあげた。
「こっちだ!早くしろっ!」
「あんた、何で?」
不思議そうな表情でルビーが問いかける。
それを聞いて微かにアールが笑った。
「言ったはずだ。お前たちに勝つのは私であって、他の誰でもないと」
たったそれだけ。
それだけのために、敵同士だというのに彼女はここで待っていたのだ。
いつ戻ってくるかも分からない自分たちの帰還を。

塔の外に出る。
そこには大きな魔法陣が地面に直接描かれていた。
その上にぽっかりと黒い穴が開いている。
「アースのお前たちのいる施設の側に繋げた。早く行け。この状態では長くは持たない」
顎をしゃくり、アールがゲートを示す。
「でも、まだ1人上に……」
「私がここで待ってます」
「セレスっ!?」
ルビーが驚き、妹を見た。
「最後までペリートさんを待ってます。皆さんは先に行ってください」
「セレス、本気?」
ベリーの問いに、セレスは静かに頷いた。
「私ならこのゲートを維持する事だってできる。適役だと思わない?」
そう言って、にこっと笑う。
「まあ、あんたが決めたんなら、私は何も言わないけど」
「ありがとう、ベリー」
笑い返して、セレスは視線を別の人物へ向けた。
「だから皆さん。特に、姉さんは先に……」
「……わかった」
顔にはどこか不満を浮かべていたものの、しっかりとルビーが頷く。
「その代わりすぐに来ること。いいね?」
くすっとセレスが笑った。
「わかってるわ」
その言葉を聞いて安心したのか、ルビーはセレスに背を向ける。
自分がもう限界なのはわかっていた。
血が足りない状態での戦闘。
普段いくら無茶苦茶を通す彼女でも、それに耐えられるはずがない。
「先に行くから……」
それだけ言って、ルビーはゲートの中へ姿を消した。

「あとはお前ともう1人だけだぞ」
誰もいなくなったゲートの前で、アールがセレスに声をかける。
「揺れがさっきより酷くなっている。早く……」
「あなたが先に行ってください」
言われた言葉に驚き、一度外した視線をセレスに向けた。
「状況がわかって言ってるのか?」
「ええ」
きっぱりと答える。
「崩壊が近いなら、きっともうすぐ……」
そう言いかけた時だった。
どんっというくぐもった音が聞こえた気がした。
同時に空間全体が大きく揺れ始める。
「きゃあっ!!」
倒れて転がってしまいそうになったセレスの腕を誰かが掴んだ。
驚いて顔を上げれば、そこにいたのはアールで。
咄嗟にゲートに飛び込んだ彼女が、その中から自分の腕を掴んでくれたことがわかった。
「何をしているっ!早くこっちに来い!」
「は、はいっ!」
アールが力いっぱいセレスを引き上げる。
セレス自身も、精一杯手を伸ばしてゲートの端を掴んだ。
「セレスっ!」
端を掴んだその腕が誰に掴まれる。
「ベリーっ!」
セレスの片腕を掴んだのは、紛れもない親友だった。
2人に助けられ、セレスは何とかゲートの中に身を滑り込ませた。
その瞬間、耳に届いた声に顔だけを向こう側に戻す。
頭上に見えた影。
崩れる空と、そこから落ちてくる若草色。
「ペリートさんっ!!」
咄嗟に手を伸ばして、通り過ぎてしまいそうになった腕を掴んだ。
その瞬間、ぐんっと何かに引っ張られる感覚が体を襲う。
「ペリートっ!」
セレスの隣から顔を出してベリーが叫ぶ。
「あっははは~。遅くなってごめーん」
体を宙に浮かせたままペリドットがにぱっと笑った。
「ごめんじゃない……っていうより、笑ってる場合じゃないでしょう!」
珍しく慌てた様子でベリーが叱る。
それもそのはず。
幻の空間は既に本格的な崩壊を始めていた。
壊れた空と大地。
そこから空気が、物が、全て外へ流れ出そうとしている。
次元のはざまへ吸い込まれていく。
「しかたない。これは禁じ手だが」
アールがゲートの向こう側へ手を伸ばした。
目に入ったのは、彼女の手の甲に小さく刻まれている魔法紋章。
「少しきついが、我慢しろよ」
そう告げて、素早く口の中で呪文を唱える。
「異界の扉よ。我、今ここに命ず。我らが前に姿を現わしこの者を、異界の地へ誘わん」
微かに手の甲の紋章が光った、ように見えた。

「ゲートホールっ!!」

唐突にゲートの向こう側から強い風が吹いた。
立っていられず、セレスとベリーの体が後ろへ吹き飛ばされる。
ペリドットの腕をしっかりと握ったまま。
「うわああっ!?」
叫び声が聞こえた。
その直後、空間に開いていた穴は跡形もなく消え去った。



今の今までペリドットがいた空間。
それが完全な崩壊を始めたのは、彼女が吸い込まれた穴が閉じられた、その瞬間だった。

remake 2002.12.01